第29話・アリアにできる事
婚礼が終わってから、アリアは数日間の記憶がおぼろげだった。
知らない間に今までの疲れが溜まっていて、それが一気に出てしまったのか、それとも長年恋い焦がれていた相手を手に入れたリカルドが、彼女をずっと離さなかったのか……真実は二人のみが知る事だった。
婚礼が終わって三日ほどした頃、ターニアから報せが届いていたらしいが、アリアがそれを知ったのは、婚礼が終わってから二週間ほどしてからの事だった。
ターニアは、婚礼が終わった日にウクブレストへと戻って行ったが、彼女からの報せは、特殊な方法で届いていた。
「アリア、やはりウクブレストでは、何かが起こっているようだ」
リカルドはアリアに、ターニアからの手紙を見せてくれた。
手紙には、自分には何もできなかった事、ウクブレストは他国への侵略を始めるだろう事、そしてそれを行おうとしているのは、父親のヨハンではなく、兄であるディスタルと、婚約者であるスザンヌだという事が書いてあった。
「リカルド様、ターニア様たちは……」
「多分、無事だとは思うけどね……。でも、この報せが、僕が渡した魔法の便箋によるものだったから、自由に過せているわけではないのかもしれない」
ターニアからのこの報せは、彼女がウクブレストに戻る時に、リカルドが渡した、魔法の便箋に書かれていた。
この魔法の便箋は半分に切られたもので、片方に文字を書いて燃やすと、残り半分の便箋に文字が現れるという、マジックアイテムだった。
この便箋が使われたという事は、少なくともターニアは、通常の手紙が出せない状況下に居る可能性が高いという事になる。
「戦争が、始まるのでしょうか」
「あぁ、ウクブレストが仕掛けるのは間違いないだろうね」
「どうにか止める方法はないのでしょうか?」
「そうだね……ウクブレストが侵略を止めるしかないだろうね。でも……」
リカルドはここで言葉を切ったが、アリアには彼がどう続けようとしたのかがわかるような気がした。
でも、ウクブレストは止まらないだろう。
多分、リカルドはそう続けようとしたのだ。
ディスタルは攻撃的な性格をした人間だった。
そして、その隣に居るであろう女性も、彼と似た人間なのだろう。
「まぁ、止められなくても、早めに終わらせる事はできるかもしれないけどね」
「そんな方法があるのですか?」
「うん、あるには、ある……」
「どんな方法なのですか?」
アリアが尋ねると、リカルドは少し困ったような表情をしたが、淡々とした口調で言った。
「ウクブレストが狙っているのは、ここだからね。だから、フレルデントがウクブレストと戦い、勝利すればいいんだ」
「え? あの、それって……」
どういう事、ですか?
驚き掠れた声で問うたアリアに、リカルドは困ったような表情のまま、淡々とした口調で答える。
「ウクブレストを止めるために、フレルデントがあの国と戦争をするという事だよ」
ターニアからの手紙を見せてもらい、リカルドが言った戦争を早めに終わらせる方法を聞いてから、アリアはそれが頭から離れないでいた。
『ウクブレストが狙っているのは、ここだからね』
『ウクブレストを止めるために、フレルデントがあの国と戦争をするという事だよ』
戦争なんて恐ろしい。平和が一番だ。
だけど、恐ろしいからこそ、早く終わってほしかった。
なのに、それを終わらせる方法が、この国が戦争をする事だなんて。
「怖い……嫌だ……」
この穏やかで美しい国が戦争をするなんて、絶対に嫌だとアリアは思った。
だけど、ウクブレストが――ディスタルが狙っているのがこのフレルデントだというのなら、それは避けられないのかもしれなかった。
「アリア、顔色が悪いよ、大丈夫かい?」
「え?」
声をかけられて、アリアは顔を上げた。
声の主はロザリンドで、彼女は心配そうにアリアの顔を見つめていた。
「体調が悪いのなら、手伝いなんてしなくていいんだよ。大丈夫かい?」
「ロザリンド様……」
アリアはリカルドの元に嫁いだが、ロザリンドの館での手伝いを続けており、今は子供達が持ってきた薬草を一人で分けていたところだった。
「大丈夫です。ごめんなさい、ちょっと考え事をしていて……」
「そのようだね。かなり思い詰めたような顔をしていたよ。何を考えていたのか、話してみないかい?」
「ありがとうございます。でも……」
「ウクブレストの事、かい?」
「え?」
「ターニアからの手紙の件だろう? 坊が、お前に見せるかどうか、悩んでいたからね」
だけど、手紙を見せなくても、アリアはきっとターニアを心配して思い悩むだろう。
それなら、真実を知らせた方がいいのではないか。
リカルドはそう考えて、アリアにターニアからの手紙を見せてくれたのだと、ロザリンドは言った。
「何を考えているのか、話してみないかい?」
優しく聞いてくれたロザリンドに、アリアは頷いた。
「戦争が、怖いです。ウクブレストの……ディスタル様の目的がこのフレルデントだと聞いて、恐ろしくて仕方がありませんでした。でも、逃れられないかもしれないって思って……」
「あぁ、確かにそうだね。逃れられないかもしれない。ウクブレストは、ずっとこの国を狙っていたからね」
「そうなのですか?」
「あぁ、そうだよ。今の王の父親は血の気の多い男でね、何度も攻撃を仕掛けてきた。ディスタルとかいう小僧は、祖父の気性を受け継いだんだろう……」
戦争はどうしても起こってしまうのだろう。
アリアはそう思い、小さく息をついた。
「私に何かできる事はないでしょうか……」
「普段通りでいいさ」
「え?」
ロザリンドの言葉に、アリアは驚いた。
「いつも通りの生活をしていればいいさ。アリア、このフレルデントは、お前が心配するような、弱い国じゃない。だから、いつも通りの生活を送っていればいい。でも……」
「でも?」
「でも、もしもお前がこの国を思い、どうしても何かをしたいと思ってくれるのなら……。この国が無事であるよう、祈り、歌ってくれないかね。それだけで十分なんだよ」
「それくらい、毎日、いつだってやります」
この国が無事であるように。
この国の人々が、毎日幸せであるように、祈り、歌う。
「ロザリンド様、お願いがあります。私にもっと薬草や、ポーションの事を教えてください。それから、魔法も……。少しでもこの国を守れる力が欲しいんです……」
自分には戦うなんて、無理だろう。
それなら他に自分ができそうな事は、全てしたかった。
「わかった。私が知っている事を、全部お前に教えてあげよう。そうして、坊と一緒にこの国を守っておくれ」
頷いたロザリンドに、よろしくお願いします、とアリアは頭を下げた。
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