第4話・失った声

「ねぇ、アリア。しばらくの間、この国を離れて、フレルデントのダーフィル公爵家に来ない?」


 姉のサリーナがそう言い出したのは、アリアが目覚めて五日目の事だった。

 この五日間で、アリアは最小限の生活ができるまで回復をしていたが、声は出せず、喉の痛みも続いていた。

 飲み込むと喉が痛むせいで、食事をするのも大変だった。

 まだ固形物が食べられず、喉に刺激を与えない薄味のスープばかりだったので、彼女はずいぶん痩せてしまっていた。


「今のあなたは、このままこの国に居たら、いろんな事を思い出して、心も体も休まらないのではないかと思うの。だから、気分転換と静養を兼ねて、フレルデントに行きましょう? 森と湖に囲まれた、静かでとても綺麗な所なのよ」


「いいね、アリア。そうさせてもらいなさい」


「そうよ、とてもいいと思うわ」


 サリーナの言葉に、エランドもセリカも頷いた。


「アリア、フレルデントはね、とても空気が澄んでいるのよ。絶対にアリアの喉にも良いと思うの」


「アリア姉様、僕も賛成だ! そのうち僕も遊びに行かせてもらうから、先に行って待っていて」


 サリーナの申し出にアリアは迷ったが、両親と弟のクリスの勧めもあり、サリーナと共に隣国フデルデントへ向かう事になった。




 アリアたちが住んでいる、ウクブレスト王国の王都オルダーヌから隣国のフレルデント王国までは、早馬で丸一日、馬車での移動なら丸二日かかる距離だった。

 今回の移動は、病み上がりのアリアの体調を考えて、途中にある町や村で何回か休みながら向かう予定だった。


「アリア、フレルデントでなら、あなたの喉もきっと良くなるわ。声も取り戻せるはずだから……」


 サリーナの言葉に、アリアは唇の動きだけで、ありがとう、と礼を言った。

 本当にそうなればいい。

 だけど、この喉を治して声を取り戻すのは難しいだろうと、アリアは思っていた。


 声が出なくなった原因については、生死の境をさまよって目覚めた日に、父親のエランドから説明を受けていた。


「アリア……お前の喉の事なのだが……誰かに毒を飲まされた可能性がある。何か心当たりがあるかい?」


 エランドの言葉に、アリアは素直に頷いた。

 そして正直に……今更言っても仕方がない事であろうが、スザンヌ・マッコール男爵令嬢から、パーティーが始まる直前に飲み物を貰い、口にした事を筆談で伝える。

 アリアから話を聞いたエランドは、そうか、と言っただけで俯いてしまった。

 今更それを公にしてスザンヌに詰め寄ったとしても、証拠などどこにもない。

 それに、今やスザンヌは王太子ディスタルの新しい婚約者。

 彼女を責めれば、いくらファインズが公爵家とはいえ、ただでは済まないだろう。

 悔しいが泣き寝入りするしかなかったのだ。


「アリア……お前の喉を潰した毒なのだが、ただの毒ではなく、呪いが込められている可能性があるらしい。だから、喉を治すには治療だけでなく、呪いも解かなくてはならなくて、この国の医者では手に負えないらしいんだ。本当に、すまない……」


 そう言って頭を下げたエランドの手を取り、アリアは首を横に振った。

 声が出せなくなったのは悲しい事だが、これはエランドのせいではないのだ。


 だけど、どうして自分はこんな目に遭わねばならないのだろう、とアリアは思う。

 あのスザンヌという女性は、アリアの喉を毒と呪いで潰してしまいたいくらい、アリアの存在が気に入らなかったのだろうか。

 ディスタルといい、スザンヌといい、自分が彼らに何をしたというのだろう。

 もしも自分が何か罪を犯したというのなら、今のこの状況はアリアが受けるべき罰なのかもしれないが、どれだけ考えてもアリアには心当たりがなかった。


 フレルデントに向かう馬車の中で、アリアはぼんやりと、自分はもう声を出す事ができないのだろうと思っていた。

 歌う事が大好きだったのに、もう歌う事はできないのだ――そう思うと辛くて悲しくて仕方がなかったが、アリアは泣く事を我慢した。

 今はそばに、サリーナが居る。

 優しい彼女は、アリアが泣くときっと悲しむだろう。

 どこかの町か村について、一人になったら静かに泣こう――アリアはそう思いながら、静かに目を閉じた。

 

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