第2270話 院長夫妻と別荘 XⅡ 絵画コンクール 4
その後、文部省を経由してプロが撮った写真を安田先生が必死に頼み込んで譲っていただいてくれた。
それをお袋に下さった。
お袋がまた本当に喜んだ。
写真だったのだが、実物大に引き伸ばされており、ちゃんと額装されていた。
随分とお金が掛ったことだろう。
「校長先生や有志の先生方で出し合ったの」
「そうなんですか! ありがとうございました! 本当に嬉しいです」
有難かった。
その翌日、本多先生から写真の入手は安田先生と一緒に、猪又先生が頑張ったのだと聞いた。
思いも寄らない名前が出たので驚いた。
「え、そうなんですか!」
「うん」
「でも、猪又先生って、俺のこと嫌いですよね?」
「そうだったかもしれないけど、今は違うよ」
「そうですか!」
よく分からない話だったが、猪又先生に嫌われていないことがとにかく嬉しかった。
だから猪又先生にお礼を言おうとしたが、本多先生にそれは止められた。
「え、でも」
「猪又先生は自分がやったことを隠したいようだよ」
「え、なんでです?」
俺は絶対にお礼を言いたかった。
今までの生意気な俺を許してくれたのかと思った。
「まあ、あまり言いたくはないんだけどね。ほら、今まで石神君に結構酷いことをしてしまったから」
「そんなの! 俺は全然気にしてませんよ。そんなことより、猪又先生に良くして頂いたことの方が!」
「うん、石神君はそうだよね。でもね、やっぱり知らないことにしていた方がいい」
「そうですかー。まあ、本多先生がそう仰るなら」
俺がその真相を知ったのは、中学三年生の時だった。
病気で入院している安田先生をお見舞いに行った時だ。
白血病で痩せ細った安田先生。
いろいろと話をした。
「石神君のお陰で教師人生が楽しかった」
「俺なんてそんな」
「ううん。あなたは私の出会った教え子の中で最高よ」
「俺も安田先生が最高ですよ」
「あら、それは嬉しいわ!」
二人で笑った。
死期の迫る中で、安田先生の透き通った美しさを感じた。
人生を生き切った人の輝きだ。
「でも私は本当。あの石神君との「話し合い」も楽しくて有意義だった。修学旅行もキャンプも楽しかった。ダンス大会も大変だったけどいい思い出よね」
「そうですね。安田先生のお陰ですよ、全部」
「それに絵画コンクール。あれは今でも後悔しているの」
「もういいじゃないですか。安田先生と猪又先生のお陰で、ちゃんといい写真も手に入ったんだし」
「うん」
安田先生が少し間を置いた。
複雑な顔をされていた。
「今だから言うけどね。あの写真は猪又先生が手に入れたの」
「え! そうなんですか?」
「うん。普通は絶対にもらえないの。私も当然断られた。官庁って規則には厳しいのよ。絶対に曲げてはくれないの」
「でもちゃんと……」
安田先生が微笑まれた。
「猪又先生は凄かった。毎日電話して、夕方には文部省に行って。何度も何度も頼み込んだの。賞を獲った絵が燃えてしまったからって。描いた生徒の母親が楽しみにしていたんだって」
「そうだったんですか!」
「それでついにね。本当に頑張ったのよ」
「俺、全然知らなくて。そうなんですか、猪又先生が……」
本多先生から、安田先生と一緒に猪又先生が頑張ったのだという話を聞いたことを伝えた。
「違うの。あのね、ここだけの話にしてね」
「はい」
安田先生が真剣な顔になった。
「実はね、石神君の絵を燃やしたのは猪又先生だったのよ」
「えぇ!」
「本多先生が問い詰めたの。日曜日の宿直は猪又先生だったから。他に犯人は考えられなかったのよ。猪又先生は石神君を目の敵にしていたしね。当然最初の絵を破ったのもそう」
「いえ、それは……」
「本多先生が問い詰めると、すぐに自分がやったことを認めてくれたわ。とんでもないことをしたって。石神君のお母さんが楽しみにしていたことを聞いて。それに石神君が最初に絵を破られても必死に頑張ってまた描いたことを知ってね。相当苦しんでいた」
「そうだったんですか……」
安田先生が遠くを見つめた。
俺も猪又先生の苦悩を想った。
「自分で校長先生と私や島津先生にも告白してね。私は許せなかったんだけど、校長先生が警察や石神君に知らせないようにしようって」
「そうですか」
「警察はともかく、石神君が知ったらきっと悲しむだろうからって。校長先生は、石神君は自分が酷い目に遭っても全然恨まない子どもだって言ってた。反対に石神君が大事にしている人間を傷つけたら大変なんだって」
「あー、まー、そんなことよく言われましたね」
「ウフフフフ。私も本多先生も本当にそう思った。流石は校長先生ね」
「いい先生でしたよね」
二人で懐かしく微笑んだ。
「でもね、これから石神君のために何かしなきゃって。それで猪又先生がね、猛烈に頑張ったの」
「そういうことでしたか」
俺は何も知らなかった。
もちろん猪又先生に恨みなどない。
全部俺が悪かったのだ。
でも、思い返してみると、あれ以来猪又先生から厳しくされたことは無かったと思う。
「猪又先生ね、一時は自殺も考えてたの」
「え、そんな!」
「もちろんみんなで止めたわ。石神君に謝りたいとも言っていたんだけど、それも校長先生が止められた。石神君が悲しむからって」
「そうですか……」
小学校の卒業式の日を思い出した。
式典が終わり体育館を出る時に、猪又先生が俺の前に立ち、無言で俺に深く頭を下げていたことを想い出した。
あの時は気にしていなかった。
「猪又先生! お世話になりました!」
そう言うと、猪又先生はしゃがみ込んで泣いておられた。
今ならば、その気持ちがよく分かる。
俺なんかのために、どれほど苦しんでおられたことか。
「その後ね。石神君も知っていると思うけど、暴力事件で猪又先生は離島に行かれた」
「はい、聞いてます」
「あれはね、本当は何とか出来る事件だったの。相手の親が無茶を言っていただけで。だから刑事罰も何も無かったの」
「そうですか」
「大神田先生と結婚していたけど、離婚されてね。自分お一人で離島へ行った」
「……」
「私はずっとまだ苦しんでいたんだと思う。自分を許せなかったんじゃないかって。想像でしかないけどね」
「はい」
「石神君には知っていて欲しかった」
「安田先生、ありがとうございます」
俺のために、猪又先生はずっと苦しんでおられた。
本当に申し訳ないことをした。
安田先生が亡くなられた後、俺は猪又先生に手紙を書いた。
安田先生に伺った話を書き、俺は猪又先生にずっと感謝しか無いのだと綴った。
猪又先生から返信が来た。
《ありがとう》
大きな紙が折り畳まれ、真ん中に大きな字でそう書かれていた。
あちこちに涙の痕があった。
猪又先生が、その言葉を綴るために、どれほどの思いがあったのかが分かった。
それ以来、俺が猪又先生に手紙を書いても返事は無かった。
もう俺に何も言うことはないのだろう。
俺は今でも猪又先生に感謝している。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
話し終わると、双子が泣きながら俺に抱き着いてきた。
「タカさん、ファーヴァーカステルの水彩色鉛筆を私たちにくれたよね!」
「一緒に絵を描いてくれて、いろいろ教えてくれたよね!」
双子が泣いている。
「お前らも絵が好きなようだったからな。俺がこんなだからよ。お前たちには大したことがしてやれないだろう? せめてお袋が俺にしてくれたことを……」
双子が俺にキスをしてきた。
唇にキスをされ、舌まで差し込んで来やがった。
「おい!」
「タカさん! 大好き!」
「タカさん! ありがとう!」
大泣きだ。
俺も笑って言った。
「俺もお前たちと一緒に絵を描いてて、お袋を思い出せたよ。俺もありがとうな」
「「タカさーん!」」
今度は亜紀ちゃんが俺の後ろに来て、背中を抱いてきた。
「タカさん! 私、猪又先生のことを誤解してました!」
「しょうがないよ。俺が全部話してなかったんだからな」
「でも! タカさんは毎回言ってましたよ! 猪又先生にはお世話になったって! 恩義があるんだって言ってましたよね!」
「まあ、そうだったな」
「私、それを全然聞こうとしてませんでしたぁ! タカさんがちゃんと話してくれてたのにぃ!」
亜紀ちゃんの腕を撫でた。
「いいって。俺の説明が悪かったんだよ。でも、猪又先生は本当にいい先生だったんだ」
「はい!」
皇紀はいつものように目をキラキラさせて俺を見ている。
柳が両手を開いたり閉じたりして、時々俺の方を見ていた。
俺に抱き着きたいらしいが、その理由が思いつかない。
勢いで来ればいいのに、そういう奴じゃない。
ヘンな動きをしているので、亜紀ちゃんと双子が気付いた。
柳がぎこちなく俺の方に来た。
亜紀ちゃんたちが見ている。
みんな柳が来たがっているのを分かっている。
来るのか?
しばらく亜紀ちゃんの後ろでウロウロしていたが、床でねそべっていたロボを撫で始めた。
「ロボ、いいお話しだったねー」
「「「「……」」」」」
まあ、そんなもんか。
院長が言った。
「石神、お前の絵の写真は今でもあるのか?」
「ええ、まあ」
「今度見せてくれよ」
「いや、小学生が描いたものですから」
「頼む、見せてくれ」
「私も是非見たいわ」
静子さんまでが言う。
「私も見たい!」
響子も言う。
俺は笑って、次の機会にと言った。
しばらくみんなで楽しく話し、解散した。
明日から蓮花の研究所へ行く。
院長夫妻も一緒だ。
俺たちの研究の中枢を見ていただく。
院長には、今後「業」の細菌兵器の対抗策をお願いすることになる。
既に蓮花の研究所で進んでいる成果を見ていただくつもりだ。
「響子も蓮花の研究所は初めてだよな?」
「うん!」
「まあ、遊ぶところは無いけど付き合ってくれ」
「うん、分かってる。私もいつまでも遊んでられないしね!」
「そうか」
六花と顔を見合わせて笑った。
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