第2267話 院長夫妻と別荘 Ⅸ 絵画コンクール

 みんなが風呂から上がり、「幻想空間」の準備をした。

 

 雪野ナス。

 冷奴。

 そぼろ大根。

 もろきゅう。

 漬物。

 フルーツ各種でメロン、びわ、さくらんぼ、ブルベリーなどとバナナ。

 その他唐揚げ、ハム焼き等獣用。


 院長夫妻はあまり召し上がらないだろうから、さっぱりしたものを用意した。

 しばらくみんなで「幻想空間」の雰囲気を味わう。

 今日は淡いグリーンのライトで屋上を照らした。

 俺たちの場所は暖色系の灯だ。


 「タカさん、昨日のお話で、最初に板の大きさを決めるのにタカさんがスケッチしたんだよね?」

 「タカさんって、すぐに何でもパッと描いちゃうよね?」


 双子が言った。


 「お前らも絵は上手いじゃんか」

 「タカさんがスゴイよー!」

 「私たちより全然うまいよー!」

 「そうか?」


 院長も乗っかって来た。


 「そうだな、石神はちょっとしたことでもすぐにスケッチして分かりやすくしてくれるんだよな」

 「ね、そうだよね!」


 別に大したことはしていないのだが。

 亜紀ちゃんがニコニコして俺の後ろに回り、肩に手を置いた。


 「じゃー、今夜はそのお話で!」

 「おい!」

 

 響子が拍手し、みんなが拍手した。

 静子さんまで笑って拍手している。


 「しょうがねぇな! 大した話じゃねぇぞ!」


 大きな拍手が沸いた。






 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■






 俺のお袋は時間があると、いつも新聞紙に筆やボールペンで字の練習をしていた。

 親父も時々やっていた。

 お袋に教わったそうだ。

 練習のために白い紙を買うという発想は無かった。

 捨てるだけの新聞紙で練習をする。

 昔の人間は出来るだけ無駄が無いように考えていた。


 子どもながらに大したものだと感心していた。

 大人になっても、少しでも綺麗な字を書こうとするお袋を尊敬していた。

 だから、お袋が大好きな俺も一緒になってやった。

 お袋はニコニコして俺に教えてくれた。

 最初は幼稚園の頃だったので、お袋のお陰で小学校に上がるまでに随分と多くの漢字を覚えてしまった。

 新聞の文字が練習の題材になっていたからだ。


 小学校に上がると、最初はクレヨンで、学年が上がると水彩絵の具の道具を買わされた。

 お袋は時々俺にクレヨンや水彩絵の具の道具を貸して欲しいと言い、もちろん俺は喜んで貸していた。

 お袋が描く絵の魅力に打たれた。

 特に、水彩は絶品だった。


 「お袋、どうしてそんなに絵が上手いんだ?」

 「うん、子どもの頃から好きだったから」

 「へぇー!」


 お袋がニコニコしていた。

 後に、お袋の子どもの頃の話を聞いた。

 母方の祖父さんは太平洋戦争で戦死し、俺の祖母ちゃんは女手一つで4人の子どもを育てなければならなくなった。

 お袋は次女で、一時親戚に預けられたそうだ。

 長女は中学生でもうすぐ働き手になる。

 三女はまだ幼く、手元に置くしかなかった。

 長男は跡継ぎなので当然手元に。

 お袋は小学生だったので、口減らしで親戚に預けられた。

 当時はそういうことがよくあった。

 ただ、親戚も押し付けられたお袋を大事にすることは無かったようだ。

 食事は与えても、家族とは違った。

 お袋は寂しく辛い子ども時代を過ごしたようだった。

 詳しい話はしなかったが、二度と会いたくない人たちだと言っていた。

 あの優しいお袋がそう言うのだから、さぞ辛かったに違いない。


 幼いお袋の唯一の慰めが、絵を描くことだったようだ。

 主に新聞紙だったようだが、毎日それに絵を描き、字の練習をした。

 当時は綺麗な字を書けなければ就職も出来ない。

 そう言う風に考える人も多かった。

 キーボードで字を書くなど、誰も想像していなかった。

 事務職をするのならば、綺麗な字は必須だ。

 だからお袋も必死に字の練習をした。

 絵はお袋の唯一の趣味だった。

 ただ、絵の具を買えない。


 ある時、預けられていた家の子どもがお袋に水彩絵の具を貸して絵を描かせた。

 お袋が上手い絵を描くことを見ていたからだ。

 お袋は喜んで住んでいた親戚の家の絵を描いた。

 それを親戚の子どもが学校で自分が描いたと言い、その絵が何かのコンクールで優勝した。

 お袋は何も言えなかった。

 ただ、お袋が描いた絵だったと後から親戚の親が知り、詫びのつもりだったか、お袋に水彩絵の具の一式を買って与えた。

 お袋は狂喜し、毎日のように絵を描いたと言う。


 俺はお袋の絵が大好きで、絵の方もお袋に教わった。

 お袋は俺の絵をいつも褒めてくれたが、一緒に描くお袋の方が断然上手かった。

 それに俺は上手くなることよりも、お袋と一緒に絵が描けることが嬉しかった。


 「高虎はどんどん上手くなるね!」

 「お袋の方が全然上手いよ!」


 俺が言うと、お袋が嬉しそうに笑って俺の頭を撫でてくれた。

 

 そのうちに俺の病気のせいでお袋も外で働くようになり、一緒に絵を描く時間は無くなって行った。

 お袋に見てもらいたくて、そのうちに独りでも描くようになった。

 ある晩、親父にお袋が俺の絵を見せていた。

 俺の家の裏手の、お金持ちの家を描いたものだった。


 「おい、お前は絵描きになるのか?」

 「ならないよ!」

 「そうなのか」

 「俺、新選組に入るから!」

 「ワハハハハハハ!」


 絵描きに興味は無かった。

 お袋は何とも言えない顔をしていた。


 高熱で倒れても、俺が絵を描いているのを見つけて、病気の時には絵の道具を取り上げられた。

 俺は仕方なく鉛筆でデッサンをするようになった。

 外に出られないので手近な物を。


 俺は絵に夢中になった。

 一番のことは、絵がお袋と繋がっていたためだ。

 ある日、お袋の顔を画用紙に描いた。

 学校の図工の時間に描いたものだ。

 家に帰ってお袋に見せると、物凄く喜んでくれた。


 「一番大事な人を描きなさいって言われたんだ!」

 「そうなの!」

 「当然、お袋」

 「高虎!」


 お袋が遅く帰った親父に見せると、親父が苦笑していた。


 「俺は二番目か」

 「違うよ。二番目はみどりちゃんだから」


 近所の仲良しの女の子だ。


 「なんだとぉー!」


 親父が大笑いしていた。

 お袋が顔をそむけて笑いを堪えていた。

 三番目が誰かはもう聞かれなかった。

 親父だったのだが。

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