第2216話 新人ナースのマンション
4月になったので、ナースの新人研修が始まった。
今年も募集が盛況で、大勢のナースの採用が出来た。
俺も何度か新人研修の講師をやる。
新人ナースの中に、赤城初香(はつか)という女性がいた。
「石神部長、お聞きしたいことがあるのですか!」
講習が終わり、昼休憩になるところで赤城が俺に近づいて言った。
「ああ、何かな?」
質問は大いに結構だ。
分かり易い説明をしたつもりだが、いろいろなことがあるだろう。
「石神部長は、結婚されてますか?」
「いや、独身だけど」
「どうして結婚されないんですか?」
最初の質問からして、講習に関係のないものだ。
「あのな、そういう仕事に関係のない個人的な要件は答える必要はないな」
「もしかして、私と出会うため!」
「ワハハハハハハハ!」
面白い人間だとは思った。
しかし、傍にいた研修統括のナース星川が激怒した。
「赤城さん! この病院では石神先生に個人的なアプローチをしてはいけないと話しましたよね!」
「どうしていけないんですか? 恋愛は自由なものだと思いますが」
「規則を守れない人間は必要ありません!」
「その規則の理由を説明してください」
お互いに感情的になり、ヒートアップしている。
俺が介入した。
「星川統括の言う通りだ。君は自分のことを中心に規則を破り、それを指摘されると今度は理由を説明しろと迫っている。規則は守るべきものだ。君の好き嫌いは関係ない。もしも文句があるのならば、君が偉くなってから変えればいい。それまでは従え。それが嫌ならば病院を去りなさい」
「石神部長!」
「どうするんだ? 星川統括の言う通りにするのか、病院を去るのか?」
赤城は少しだけ考えて言った。
「石神部長、星川さん、申し訳ありませんでした。自分が間違っていました。本当に生意気を言って申し訳ありません」
きちんと頭を下げ、俺と星川に謝った。
熱くなることはあるようだが、基本は素直なやる気のある人間なのだろう。
星川もそれ以上は責めずに、赤城を解放した。
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今年の新人ナース研修の統括である星川が、各ナースの配属希望の第一回目の集計を見せてくれた。
「やっぱり第一外科部とオペ看(手術室看護師部)希望が圧倒的に多いですね」
「なんだよなぁ」
「仕方ないですよ。だからこその「石神部長不可侵制度」があるんですから」
「まったくなぁ」
第一外科部ではナースは募集していない。
第二外科部では希望者を募っているが、俺たちはオペ看との連携を重視している。
断然困難なオペの量が多いからだ。
つまり、第一外科部が困難なオペを担い、第二外科部は比較的軽微なオペを担っている、ということだ。
だから第一外科部が手術室看護師部(オペ看)を優先的に使うために、第二外科部は独自のオペ看を持っている、というのが現状だった。
もちろん、第二外科部も手術室看護師部を使うこともあるが。
ということで、俺との接点を求めるナースたちが、オペ看を希望しているということだった。
もちろん希望は募るが、それが必ず反映されるわけではないことは周知している。
それは、新人ナースたちも心得ている。
それに、オペ看は相当厳しい部署なので、配属されるナースは厳格な選抜を受けることになる。
星川は、あの赤城初香もオペ看を希望していると教えてくれた。
「ああ、あの人か」
「はい。結構優秀ですよ。トップクラスに間違いありません」
「そうか。オペ看としてはどうかな?」
「結構だと思います。成績的には問題ありませんし、私が見た所でもやって行けると思います。今度新井看護師長や峰岸副部長たちの面接を経てですが」
「そうか、ありがとう」
俺も赤城初香のことは気になっていた。
最初のワガママはともかく、真っ先に会場に入って最前列で真面目に受講する態度は好感が持てた。
それに質疑応答で、実に有意義なことを聞いてくる。
自分でもいろいろと調べて講習に臨んでいることがよく分かる。
真面目な努力家であり、情熱を持っている。
5月の終わりに近づき、新人ナース研修も終わろうとしていた。
また赤城初香に声を掛けられた。
「石神部長」
「おう、どうした?」
星川が統括として近づいてきた。
前回のことがあるからだ。
「赤城さん、どうしたのかしら?」
「はい、星川統括! すみません、個人的に石神部長にご相談したいことがありまして」
「あなた、まさかまたアレなの?」
星川に言われ、赤城は慌てて否定した。
「いいえ、違います。私のマンションのことでちょっと」
「マンション?」
俺は星川に大丈夫だと言い、赤城と話すことにした。
「じゃあ、一緒に昼を食べながら話を聞こうか」
「よろしいんですか!」
「ワリカンだぞ?」
「アハハハハハハ!」
星川も微笑んで俺に任せると言ってくれた。
もう赤城のことを信頼しているのだろう。
俺は着替えてくるように言い、救急搬入口で待っていると言った。
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赤城は嬉しそうな顔で走って来た。
俺はオークラの山里へ行った。
近いので歩いて行ける。
「オークラですか!」
「まあ、近いからな」
「初めてですよ!」
「そうか」
エレベーターで上に上がり、店の入り口に行くと、すぐに支配人が来て俺たちを席に案内した。
「素敵なお店ですね!」
ランチコースを注文し、赤城に話を聞いた。
「本当にすみません。私、田舎から出てきたばかりで知り合いもいなくて」
「星川統括でも良かったんじゃないか?」
「はい。でも本当にヘンな話でして」
「よし、聞こうか」
赤城は話し出した。
赤城は福岡の出身で、うちの病院の採用通知をもらい、喜んで上京の準備を進めていたそうだ。
しかし突然父親が倒れ、入院手続きや様々な連絡等で自分の準備が止まってしまった。
父親は心臓が弱っていることでの弁膜症を起こしかけていたことが分かった。
肺結核を10年前に患い、循環器系全体が衰えていたことによる結果らしい。
ペースメーカーを入れることが決まった。
看病や親戚たちへの連絡、そして父親の仕事の手配などを赤城が担った。
父親は自動車整備工場を営み、母親は4年前に他界している。
兄弟もいない。
やっと様々なことが片付いて、上京して来た。
しかし、問題があった。
この時期は多くの人間が都内で新居を構える。
赤城が上京して来た時には、もう不動産の空き室があまりなかった。
看護師は激職だ。
病院からも、出来るだけ近い場所に住むように勧めている。
それが難しかった。
ホテルに滞在しながら、必死で不動産屋を回った。
病院にも相談し、手を借りた。
やっと見つかったのは、日比谷線の学芸大学駅のマンションだった。
不動産屋に行き、一応下見をした。
大家が住んでいるマンションで、大家にも挨拶した。
「あのね、本当に困ってるって聞いたんで特別に部屋を空けたんだけどね」
「はい、ありがとうございます!」
「でも、なるべく早く引っ越してね。敷金礼金はだから取らないよ。その代わりになるべく早くね」
「え?」
不動産屋が相当無理を言って大家に頼んだと言った。
「うちも仲介手数料を取りませんから。他の物件も探しますんで、当座の住まいと思って下さい」
「はい、でも……」
「都内での引っ越しでしたら、費用もそれほど掛かりません。今回の敷金礼金だけでも、引っ越し費用としては十二分ですよ」
「え、そうなんですか」
よく分からなかったが、仕方のない話だと思った。
不動産屋が折角頼み込んで何とかしてくれたのだ。
破格の条件ということも分かっていたので、それで納得した。
「家賃もね、大家さんがレントフリーで3ヶ月は無料でいいって」
「えぇ!」
驚く赤城に、大家が言った。
「だからあなたね、なるべく早く出て下さいね」
「そんな! それはあまりにも」
「いいんだよ。本当はあの部屋は貸したくないんだ」
「!」
その時は、何か大事な部屋なのかと思っていた。
赤城は福岡から引っ越しの手配をし、荷物をマンションに入れた。
家具も最低限にし、いつでも次の部屋へ移れるようにした。
だが、やはり物件が乏しく、なかなか次のマンションは見つからなかった。
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