第774話 あの日あの時: ミユキ

 五月の下旬。

 蓮花から電話が来た。


 「新たなブランが目覚めました」

 「そうか。ではまた行こう」

 「宜しくお願いいたします」


 「ミユキたちは元気か?」

 「はい。ミユキは一段と強くなりました。前鬼も後鬼も。石神様が来て下されば喜ぶでしょう」

 「そうか。デュール・ゲリエ(Dur Guerrier:硬戦士)はどうだ?」


 俺たちが開発したアンドロイドだ。


 「そちらも順調に。幾つか「花岡」の技を覚えました」

 「そうか!」


 デュール・ゲリエが実戦で使えれば、大きな戦力になる。

 俺たちは「数」で劣っている。

 戦術に於いて「数」の要素は大きい。

 一対一で向き合えば、双子はジェヴォーダンを容易く仕留めたはずだ。

 しかし、それが14体になったら、もうダメだった。

 戦闘力で圧倒的に上回る亜紀ちゃんがいたから勝てたのだ。


 「それで、一つお願いがあるのですが」

 「なんだ?」

 「今回は亜紀様を御連れ頂くことは出来ますでしょうか」

 「亜紀ちゃんを?」

 「はい。石神様を除き、我々の最大戦力の亜紀様に、ミユキたちをお相手いただければと」

 「六花では不足か」

 「そういうわけでも。でも、もっと圧倒的な差を見せてやることで、ミユキたちも奮起するのではないかと愚考致します」

 「なるほどな」


 何のことはない。

 俺が子どもたちにやらせている勉強法と同じだ。

 遥かな高みを見せることで、現状を乗り越えて飛躍する。


 「分かった。亜紀ちゃんを連れて行こう」

 「ありがとうございます」


 




 五月最後の金曜日。

 俺は仕事を早めに終え、亜紀ちゃんとシボレー・コルベットで3時ごろに出発した。


 「蓮花さんの研究所、楽しみです!」

 「そうかよ。まあ、楽しんで欲しいけどな。ミユキたちに会うのも初めてだよな」

 「はい! 写真や動画は見てますけど、綺麗な方ですよね」

 「ああ」


 亜紀ちゃんはウキウキしている。

 俺と一緒に出掛けるということもある。


 「タカさん」

 「なんだ?」

 「「ミユキ」というのは、本当の名前では無いんですよね?」

 「ああ、そうだ」

 「タカさんが名付けたんですか?」

 「そうだよ」

 「何か理由があるんでしょうか?」

 「まあな。俺の知っている人の名前でな。その人のようになって欲しいという願いを込めた」


 亜紀ちゃんが俺の腕を掴んだ。


 「教えて下さい!」


 俺は笑った。


 「いいじゃないか」

 「よくないです!」

 

 亜紀ちゃんは腕を離さない。

 俺は苦笑して話してやった。






 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■





 俺が小学校の六年生の時。

 7月の初旬だ。

 プールの授業があった。

 

 体育の小倉先生の他、大学で水泳部だった猪俣先生と、監視員として二組の担任の安田先生が授業に入る。

 安田先生は少し遅れるとのことだった。

 俺は昨年は入院中で、プールの授業は初めてだった。

 泳ぎは得意だ。

 友達と川で遊んだり、横浜の金沢文庫にいた祖母は海辺の造船所の寮にいた。

 寮母をしていたので、遊びに行くとよく海で遊んだ。

 俺は水着に着替えてクラスのみんなと一緒にプールへ行った。

 小学生なので、男女は一緒だ。


 全員で準備体操をしていると、猪俣が俺を呼んだ。


 「石神! お前のその身体はなんだ!」

 「はい?」

 「その気持ち悪い身体だよ! 他の生徒が気味悪がってるだろう! ふざけんな!」

 

 俺は平手で殴られた。


 「お前はすぐに体操着を着ろ! バカモノ!」


 俺の身体は既に傷だらけだった。

 喧嘩のものもあるし、それ以前の手術や何百回も注射されて爛れた部分もある。


 「猪又先生!」


 小倉先生が猪俣に抗議しようとした。


 「なんです? 俺に意見しようって?」


 学年主任であり先輩、年長の猪俣先生に、小倉先生はそれ以上言えなかった。

 俺は体操服の上を着て、プールサイドの隅に座らされた。

 隣には「ミユキ」がいた。


 ミユキは幼い頃に大量の酸を浴びたせいで、顔の左半分、頬から下に酷い火傷を負っていた。

 また左首、肩、腕、そして胸から腹にかけても酷い火傷の爛れと引き攣れがある。

 ミユキは本人の希望で肌を出すのを拒否し、最初から体操着を着ている。

 ミユキはその見た目で、他のクラスメイトから虐められることもあった。

 仲の良い友達もいなかった。


 「おう! 俺も見学だ。一緒に宜しくな!」


 俺が声を掛けると、ミユキは驚いていた。


 「石神くん、可愛そう」

 「いいよ。だけど身体の傷なんてなー! どうでもいいよな?」

 「え!」

 「ミユキは女の子だから辛いかもだけど。まあ、しょーがねーや」

 「うん」


 俺たちはみんなが楽しく泳いでいるのを見ながら、話をした。

 ミユキは自分の火傷のことを話してくれた。

 幼稚園の時に、母親に連れられて、父親のメッキ工場に行ったそうだ。

 そこで運悪く塩酸のタンクが破れ、母親と一緒に大量に浴びてしまった。

 咄嗟に母親がミユキの上に覆いかぶさって、ミユキは奇跡的に助かった。

 母親が覆い切れなかった左半分に浴びたが、生命に別条は無かった。

 母親はその事故で亡くなってしまった。


 俺は聞きながら泣いた。


 「お前、辛かったな!」

 「うん。だけどもう随分前のことだし」

 「そうじゃねぇよ! そんなの一生かかっても昔にならない!」

 

 ミユキも泣いた。

 

 「お母さんのこともそうだけど。みんなが私を気持ち悪いって言うのが一番辛いかな」

 「おう! じゃあ俺が絶対に守ってやるよ!」

 「え?」

 「だって、お前の身体は全然気持ち悪くないよ! お母さんが守ってくれたんだろ?」

 「そうだけど」

 「だったら、俺は全然気持ち悪くなんかない!」

 「ありがとう、石神くん」

 

 ミユキが笑った。


 「石神くんは前から私を避けなかったよね?」

 「当たり前じゃん!」

 「いじめられてると、助けてくれた」

 「当たり前だろう」

 「嬉しかったんだ」

 「なんでもねぇよ」

 「石神くんだけだった」


 「エドモン・ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』って戯曲があるんだ」

 「なにそれ?」


 俺は内容を話した。

 醜い顔の男が堂々と騎士道を発揮する話だ。


 「見た目なんかじゃないんだ、人間は」

 「じゃあ、なんなの?」

 「人間はよ、魂よ!」

 「アハハハハハ!」


 ミユキが明るく笑った。

 俺たちはいろんなことを話した。

 戯曲の本をくれた、静馬くんの話をすると、ミユキが泣いた。


 次第にミユキが辛そうになった。

 無理もない。

 炎天下のプールサイドでじっと座っているのだ。

 熱中症になりかけている。

 

 俺は矢田や五十嵐など、仲のいい連中やファンクラブの女子たちに声を掛け、ミユキに水を掛けてもらった。


 「あ、気持ちいい」

 「ミユキちゃん、大丈夫?」


 杉本が声をかけてくれる。


 「うん、杉本さん、ありがとう」


 でもミユキはまだ辛そうだった。

 俺は日陰になっている場所にミユキを連れて行った。

 後ろから蹴られ、俺はプールサイドに突っ伏した。


 「石神! 何勝手に移動してんだぁ!」

 「すみません!横倉(ミユキ)さんが辛そうだったんで」

 「戻れ!」

 「お願いします!」


 何度も殴られた。

 俺は耐えた。

 俺が殴られている間、ミユキは休める。






 「猪又先生!」


 遅れて今来たらしい安田先生が叫んだ。


 「何やってるんですか!」

 「石神がまた逆らうんですよ」


 杉本が安田先生に説明した。


 「猪又先生! あなたって人は!」


 激怒していた。

 猪俣先生も気圧されて、指導に戻った。


 「石神くん、大丈夫!」

 「平気です。俺よりもミユキが」


 安田先生はミユキを保健室へ連れて行った。

 俺にも一緒に来るように言われた。

 ミユキはベッドに寝かされ、濡らしたタオルを頭に置かれた。


 「おう、ミユキ。大丈夫か?」

 「うん、石神くん、ありがとう」

 「ほら、石神くんも手当しないと」


 安田先生が殴られたところを見てくれた。


 「何で石神くんは泳いで無かったの?」

 「あー、俺の身体って気持ち悪いじゃないですか。だから」

 

 安田先生が立ち上がった。


 「そういう風に猪俣先生に言われたの?」

 「え、あー、そういう」

 「そうです、安田先生!」


 横になっていたミユキが言った。


 「絶対許さない!」


 安田先生はまたカンカンだった。


 「いいんですよ! 一緒にいたお陰でミユキが助かった。それに一杯いろんな話もできた!」

 「石神くん!」

 「俺なんかは本当に生意気で、嫌われて怒られるのは当然です。でもミユキは違いますからね!」

 「あなた……」


 安田先生は職員室から冷たいジュースを持って来てくれた。

 俺とミユキに飲ませてくれた。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 「また猪俣ですかぁーーーーー!!!!」


 亜紀ちゃんが激怒りだった。


 「アハハハハハ!」

 「笑い事じゃないですよ!」

 「まあ、昔のことだよ。今なら大問題で逮捕案件だけどな。昔はそんなものだった。特に俺みたいな悪ガキはな」

 「私、絶対に許せません! 子どもタカちゃんをそんなにいじめるなんてぇ!」

 「おいおい」

 「猪又が行った島を教えてください! 私、ちょっと吹っ飛ばしてきますから!」

 「他の住民もいるんだ、よせよせ」

 「嫌です!」

 「まったくなぁ」







 俺は笑って、ミユキの話の続きをした。 

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