第294話 奈津江 Ⅶ

 俺が話し終えて、みんな黙っていた。

 顕さんは少し泣いておられた。

 申し訳ないと思う。


 「じゃあ、今日はここまでだ。俺は顕さんともう少しいるから、お前たちは寝ろ」

 「「「「ありがとうございました!」」」」

 子どもたちが降りていく。


 「顕さん、すみません。思い出させてしまうような話で」

 「いや、俺のために話してくれたんだろ?」

 「……」


 俺は顕さんのグラスに梅酒を注いだ。

 あまり減ってはいなかった。


 「奈津江は、俺のために死にました」

 「だからあれは」

 「いいえ。奈津江は俺に愛をくれたんです」

 「そうか」

 顕さんはそう言って俯いた。

 その沈黙の中で、顕さんが考えているだろうことは分かった。

 顕さんにとっては、最も辛いことのはずだ。


 「本当にいい女でした。俺なんかにはもったいなくてしょうがない。俺が奈津江のために死にたかった」

 「俺もそうだよ」

 顕さんはまた泣き出した。

 涙が次々に溢れてくる。



 「顕さん」

 「うん」

 「ガンですね」

 「!」


 

 顕さんは驚いて、俺の顔を見た。


 「俺なんかはチンピラ医者って言われてますけど。でも分かるんです。ガン患者には特有の匂いがある」

 「……」


 「奈津江の墓でお会いしたときには分からなかった。でも、こないだうちに来ていただいたときに、確信しました」

 「そうだったか」

 「多分、胃がん。どうですか?」

 「そこまで分かってしまうか」


 「はい」


 顕さんは半笑いでまた下を向いていた。


 「顕さんは治療する気はないんですね」

 「うん。もう十分に生きたよ。奈津江がいなくなって、俺は生きている甲斐がなかった。丁度いいと思うんだ。早く奈津江に会いたい。もうそれだけだよ」


 「俺のお願いを言います。俺に治療させてください」

 「え」


 「奈津江が言ってました。もう顕さんには自分のことを考えて欲しいって。だから俺は、顕さんにそうして欲しい」

 「でも」

 「顕さん。生きててこれからいいことがあるかどうかは分かりません。辛いことの方が多いには決まってる。でも奈津江は俺に生きて欲しいと願い、顕さんには幸せになって欲しいと言った」


 「……」


 「だからお願いです。もう少し生きて下さい。俺も顕さんが幸せになるように考えます。どうかお願いします!」

 俺は顕さんの手を握った。




  

 「ああ。こんな場所で。君から懐かしい奈津江の話を教えてもらって。君が必死に俺に頼んできて。じゃあ、俺は死ねないじゃないか」

 顕さんはまた泣いた。


 「そうですよ」

 「石神くん。俺は生きているのが辛いよ」

 「そうですね」

 「どうしても生きなきゃならんか」

 「どうしてもです」






 双子が駆けてきた。

 俺も顕さんも驚く。


 「お前ら! 顕さんと二人で話すって言っただろう!」

 「ごめんなさい! でもね、どうしても話さなきゃって」

 「今日ね、顕さんの家で見たの!」


 ルーとハーが必死で訴えてきた。

 俺も顕さんもなんのことか分からない。

 双子を椅子に座らせる。


 「話してみろ」


 「あのね、顕さんの家の玄関にね。綺麗な女の人がいたの」

 「「!」」

 「その人がね。手で呼んでたの」

 

 「それでお前らは飛び出したのか」

 「「うん!」」


 「近くに行ったらね、「お兄ちゃんをよろしくね」って。笑って言ったの」

 「それでね、「タカさんに、お兄ちゃんのことを頼んで」って言ったの」

 「笑って、消えたの。ゴールドのおばあちゃんみたいに!」




 「分かった。もう寝ろ。よく話してくれた」

 双子は降りて行った。







 「石神くん。今の話って」

 「あの二人はちょっと変わった力があるらしいんですよ。何度か不思議なことがあって」

 「じゃあ、奈津江がいたのか!」

 「そうだと思います。顕さんを今でも見守っているんですね」


 顕さんは号泣した。







 双子は「タカさんに」と言っていた。

 奈津江は、俺のことも見てくれているのか。









 俺の目からも、涙が零れた。

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