第292話 顕さんの別荘 Ⅲ

 「これを見られて、本当に嬉しい。よかった、本当に良かった」

 「顕さんのお陰で実現しました。本当にありがとうございました」

 俺は顕さんに梅酒を作った。

 それを一口飲まれると、多少は落ち着かれた。

 子どもたちの分も作る。

 炭酸水で割るが、亜紀ちゃんはもうストレートで飲みたがった。


 辺りは闇に包まれ、俺たちは幻想的な雰囲気をしばし味わった。

 誰も何も話さない。

 美しい沈黙が流れた。


 「ごめんね。あまりに感動して、自分が抑えられなかったよ」

 顕さんが子どもたちに言う。


 「これで、あの日が甦った。もう、これで満足だ」


 「別荘に来ると、毎晩みんなでここに集まって、俺が話をするんですよ」

 「そうなのか」

 「はい。今日もそれでいいですか?」

 「もちろんだ」

 「じゃあ、今日は顕さんも来ているから、俺の最愛の女性、奈津江の話をしよう」


 俺は亜紀ちゃんに話したことを掻い摘んで、他の三人にも話した。

 出会いのこと、歌舞伎のこと、京都旅行。

 顕さんは、時々涙を拭っていた。


 「ある時、奈津江と「愛」について話したんだ」




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 いつも御堂、栞、奈津江、俺の四人で飲むことが多かった。

 ある時、奈津江がたまには二人で飲みに行きたいと言った。

 俺たちは、新宿のルミネの上にあったカフェバーに行った。


 「高虎にしては、いいお店じゃない」

 「そうだろう!」


 広い店内は、贅沢な間隔でテーブルが点在している。

 全体に照明は暗く、小さなスポットライトがテーブルに仄かな明かりをもたらしていた。

 俺たちは気取って、店の雰囲気に合わせてカクテルを頼んだ。

 俺はカクテルはよく知っている。

 高校生の時のバイトでしこたままなんだ。

 奈津江のために飲みやすいカシスソーダを頼み、俺はスクリュードライバーを頼んだ。

 しかし、つまみは強敵だった。

 創作料理らしい独自のメニューの名前から、何が出てくるのかわからない。

 居酒屋しか知らなかった。

 高そうな焼き物の器に、マリネとサラダが来た。

 カクテルに合うかどうかも分からない。


 「ねえ、もっとお腹にたまるものも欲しいよね」

 「おう、頼んでくれ」

 「ちょっと! 高虎が頼んでよ!」

 「お、おう」


 俺はメニューを持って来てもらい、店員さんに「お腹にたまるものってどれですか?」と聞いた。

 奈津江がゲンナリした顔で俺を見た。


 「メニューいらないじゃん」

 店員さんが笑って幾つか教えてくれる。

 俺はそれを全部頼んだ。


 「人間、素直が一番なんだよ」

 「私の彼氏はサイテーです」

 「おい」

  でも、出てきたソテーらしきものや、おしゃれな揚げ物を見て、奈津江は機嫌を直した。


 「それにしても、高虎はよくこんなお店を知ってたよね」

 「うん、顕さんと来た」

 「えぇー!」

 奈津江が俺の腕を叩く。


 「なによ。カワイイ妹とは来ないで、高虎と来たの?」

 「そうだな」

 「帰ったらお兄ちゃんに文句言う」

 そう言う奈津江はかわいらしかった。


 「何で高虎なんかと」

 「そう言うなよ。お前のことが心配で、俺にいろいろ話を聞きたいんだよ」

 「そんなの、私に聞けばいいじゃん」

 「カワイイから聞きにくいんだよ」

 奈津江がちょっと赤くなる。


 「そうなの?」

 「そうだよ。奈津江の裸は見たのかとか、お前には聞けないだろ?」

 腕を殴られた。


 「お兄ちゃんはさ、いつだって私のことを中心にしてくれてるの」

 「うん、そうだよな」

 「でもね、私はお兄ちゃんに自分のことも考えて欲しいな」

 「そうか」

 奈津江はカシスソーダの入ったグラスを見詰めていた。


 「彼女が出来たらさ。私のことを一番にできないからって」

 「うん」

 「それに、私がお兄ちゃんに甘えるのを遠慮するだろうって」

 「そうだよな」

 「今までは私もワガママだったから。でももうお兄ちゃんにも自分のことを考えて欲しいな」


 「俺は顕さんみたいな生き方って好きだけどな」

 「どうしてよ」

 「誰かのために一生懸命になれるなんて、最高の愛の人生じゃないか」


 「……」







 「愛かぁ。愛って、なんなんだろうな」


 奈津江が呟いた。

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