第82話 映画『十戒』

 本当は、高尾山駅前で蕎麦を食べたかった。

 何軒か、本当に美味い蕎麦を出す店があるのだ。

 しかし参拝客で賑わい、大変な混みようで諦め、俺は八王子の蕎麦屋を目指した。

 何となく、蕎麦が食べたかったのだ。

 店に入り、子どもたちに好きなものを注文させる。

 メニューを見て、また一騒ぎだ。

 俺は別途、鮎の塩焼きを全員分、それにテンプラの盛り合わせをお任せで頼んだ。


 「さっき、お参りはお願い事をするなって言ったよな」

 子どもたちが俺を見る。

 「宗教の始まりというのは、すべてそうなんだよ。神様への感謝と褒め称えることしかなかった。これは中世まで、大体そうだったんだな」

 

 「初詣って、みんな一年の無事とか健康をお願いするものだと思っていました」

 亜紀ちゃんが言う。


 「そうだな。今はみんな、そういうものだと思っている。だけど、実際そんなものは通じるわけがねぇ」

 「神様だってきっと、「ふざけんな! 賽銭だけ入れてけ!」って言ってると思うぞ」

 みんな笑った。




 「ヨハン・セバスチャン・バッハは音楽の父と呼ばれている。バッハは知ってるか?」

 みんな知らないと言う。

 俺は『マタイ受難曲』の冒頭を歌ってやった。


 「バッハがなんで音楽の父なのかと言うと、バッハがバロック音楽を中心に、ヨーロッパの音楽を集大成したからなんだ。つまり、譜面にガンガン残していったのな」

 「なるほど」

 「でも、当時は電灯なんかねぇ。バッハは夜遅くまで蝋燭の火なんかで毎日やってたんだよ。その薄暗い中でずっとやってたものだから、バッハは失明してしまう。目を酷使し過ぎたんだよな」

 

 「かわいそー」

 ハーが言った。


 「うん。でもな、バッハはその時に神に感謝したんだ。自分を目が潰れるまで神のための音楽を書かせていただいて、ありがとうございます、ってな」

 「はぁー!」

 皇紀が感動する。


 「バッハは数多くの楽曲を自分でも作曲している。そのすべてが、神への感謝と褒め称える、寿ぎだな、それしかない」

 子どもたちは俺を見ている。

 

 「今の音楽は、自分がどうする、とか君が世界で一番の花だとか言ってるよ。偉大性が違うよなぁ」

 大爆笑。




 「じゃあ、どうして今は神様にお願いするようになったんでしょうか」

 亜紀ちゃんが俺に聞いてきた。

 「それは、宗教が弱った、ということだ。ニーチェは「神は死んだ」と言ったな」

 「どういうことですか?」

 皇紀が言う。


 「ルーとハーはまだ知らないかもしれないけど、世界史なんかを勉強すれば、中世という時代の後に近代がやってくることを知っているだろう。その中世と近代の違いはなんだ、亜紀ちゃん」

 「産業革命でしょうか」

 「まあ、10点だな」

 俺は笑い、亜紀ちゃんは残念がる。


 「それは、今言った宗教なんだよ。中世までは、神を中心とする思想だったんだな。だから人間の行動はすべて宗教によって規定されていた。ガリレオ・ガリレイは知ってるか?」

 「地球が丸いって言った人でしょうか」

 皇紀が言う。

 「まあ、地球が太陽の周りを回っている、と言った人だよ。「地動説」というものだな」

 俺は皇紀に指で丸をつくり、「零点」ということを示した。

 皇紀は悔しがっている。


 「今では地動説は当たり前になっている。でも、ガリレイの当時は教会がすべての上に立っているから。ガリレイの地動説は教会の教えに反するということで、否定された。ガリレイの本は禁書扱いになり、本人は謹慎処分だ。まあ、処分されてもずっと研究は続けたけどな」

 子どもたちが笑う。



 「とにかく、中世では神様がすべての上。そこから「人間を中心にしよう」という考え方に移行したのが近代、ということだ」

 亜紀ちゃんと皇紀は深くうなずく。


 「そうすると、大混乱が起きた。何かわかるか?」

 亜紀ちゃんも皇紀も悩んでいる。

 「何が正しいのか、分からなくなったんだよ」

 「「えぇー!」」


 「実は人間の正しさ、価値というものは、全部宗教が決めていたんだな。しょうがないよ、何万年も人間はそうやってきたんだから。宗教によってがんじがらめにされてはいたけど、人間はその中で、価値とか善悪を決めて守ってきたんだ」

 「そうなんですか」

 「だから宗教の縛りをなくして、自分たちで好きなようにやろうと考えたら、何が正しくて、間違っているのか分からなくなった。まあ、そういうことで、宗教の形骸だけは残ったんだけどな」

 形骸ってなに、と聞くルーとハーに、亜紀ちゃんが教えてやる。


 「だけど、もう神は人間の上にはいない。今は宗教というもの自体が時代遅れでまやかし、と考える人間も多い。そういうことで、何かしてくれるなら神社とか教会にも行きますよ、ってものが出来上がったんだよ。これを「ご利益宗教」と言う。まあ、こんなものは宗教でもなんでもねぇけどな」


 話している間に、注文の蕎麦が届いた。

 

 「じゃあ、みんないただこう」

 「「「「いただきます!」」」」


 「お行儀のいいお子さんたちですねぇ」

 お店の人が微笑んでいた。


 「ご飯をいただくことは、最も重要な感謝すべきことですから」

 俺が言うと、嬉しそうに笑った。

 

 食事を終え、店を出る時に子どもたちが「ごちそうさまでした」「美味しかったです」と言うと、店の人がみんな出てきて手を振ってくれた。

 再び車に乗り込む。


 「じゃあ、今日は『十戒』でも観るか」




 家に戻り、子どもたちはいつも通りに勉強を始める。

 みんなリヴィングの大テーブルで、各々に与えられた問題集をしこたまやる。

 最近では、俺が指定したノルマ以上にやっているようだ。

 勉強の面白さ、そして能力向上の基本を掴んだようだ。

 人間は、与えられたものだけ、指定された範囲だけをやっていては腐ってしまう。

 それ以上、即ち「自己犠牲」というものが、真に人間の能力を伸ばし、人生の本当の喜びとなる。

 それが「自由」というものなのだ。

 自分勝手が自由なのではない。



 

 夕食後、みんな風呂も済ませて地下へ集合。

 今日は『十戒』だが、まだ字幕が得意でない双子のために、吹き替え音声にする。

 照明を落とすと、いつも子どもたちは興奮する。




 「どうだった?」

 「何か壮大すぎて」

 「これは本当にあった話なんですか?」

 「そうだ。キリスト教の人間は、全員この話を信じ、その偉大性を伝えてきたわけだよ」

 亜紀ちゃんと皇紀はうなずく。

 

 「海が割れたよ!」

 ハーが言う。

 「ああ、あれも本当だよ。だから神の力は偉大だったわけだよな」



 「エジプトというのは、当時は世界最高の文明だったんだ。だから、エジプトにいれば、生きるのに苦労はない」

 「でも、イスラエルの人たちは奴隷だったんですよね」

 亜紀ちゃんが聞いてきた。

 「そうだな。だから映画では奴隷から解放するためにモーセが、ということになっている。実は違うんだな」

 「どういうことですか?」

 「映画が作られたのは現代文明だからだよ。あのモーセの出エジプトというのは、実は信仰を喪ってしまうから出た、ということなんだよ」

 「えぇー!」

 

 「あの「奴隷」というのは、実は今の人間たちもそうなんだよ。今の日本は豊かになって、黙ってシステムの中にいれば生きていくことはできる。でも、ちょっと昔の人間を見てみれば分かるよ」


 「例えば、明治の田中正造という政治家だ。あの人は鉱山から流れ出る毒で、下流の人たちがみんな苦しんでいるのを知った。だからなんとかするべきだと主張したんだな」

 みんな俺に注目している。

 「だけど、明治時代というのは「富国強兵」だ。鉱山から出る大量の銅が必要だった。だから田中正造の運動は無視され、さらに投獄されたり、数々の嫌がらせをされた。日本国家からな」

 「……」

 「最後は住んでいた村を強制的に立ち退きを言われ、ボロ小屋に住みボロ布を着ながら死んでいったんだ。皇紀、分かるか?」

 「はい。政府の言うとおりにしていれば、普通に生きられたってことですよね?」

 「その通りだ。でも、その「普通に生きる」ということが、俺がさっき言った「奴隷」ということなんだよ」


 「「「「ああぁー!」」」」

 四人とも分かったようだ。




 「イスラエルの民もそうだったんだよな。奴隷と言っても、そのまま受け入れさえすればちゃんと食べて行ける。服も着れる。でもな、自分たちの神を大事にすることが出来ない。だから出たんだよ」


 「今のように、東京を出て横浜に住む、なんてものじゃない。当時は街の外は何もねぇからな。だけど、イスラエルの民はその荒野を四十年も彷徨ったんだ。大変な苦労だったはずだよ。映画の中ではあまり描かれていないけどな」

 「……」

 「あの、タカさん」

 亜紀ちゃんが手を挙げる。


 「もしかして、豊かになるとダメだってことでしょうか?」

 おずおずと聞いてくる。

  「そうでもあるし、そうでもない」

 「どういうことでしょうか」

 「前にも何度か話しているように、人間は弱いんだよ。だから、自分が何もしなくて良い思いをしていくと、人間の悪い面ばかりが出るようになる。それが現代だよな」

 「はい、分かります」

 「でもな、日本なら武士階級、西洋なら貴族階級だ。普通の民衆よりずっといい暮らしをしていながら、普通の人間よりずっと高貴だった。だから豊かなことが必ず悪い、ということではないんだよ」

 「ああ、タカさんがまさしくそうでした!」


 俺は笑って答える。

 「俺なんかは全然ダメだけど、要は人間の生き方なんだよな。武士も貴族も、徹底して子どもの頃から高貴な人間になるための教育を受けている。そして、大事なもののために生きて死ぬことを身に付けたんだ」


 「英国にパブリック・スクールというものがある。日本の中学から高校と同じ年代の子どもが通う学校だけど、中流階級以上の家の子どもが通ったんだよな」

 

 「全寮制で、非常に厳しい。エリートたちがそこで鍛えられていくわけだ」

 「はい」

 「で、そのパブリック・スクールの創始者と言われているトーマス・アーノルドが言っているんだよ。それは「学校生活の中でただ一つ得ればよい」って」

 「それは何ですか?」


 「自分が、「生涯をかけて命を捧げるもの」、なんだよ」

 「「はぁー」」


 亜紀ちゃんと皇紀がため息を漏らす。


 「将来、社会の中心になるエリートたちを育てるにあたって、その一点が求められたんだな。人間は、それがあれば豊かであろうが何であろうが、どうでもいいんだ。まあ、俺は豊かな部類だけどな」

 双子も笑った。

 「映画で、モーセはどうだったよ。もうボロボロで、最後は何も得ないで死んでいくよな。みんな約束の地へ行くのに、自分は行かねぇ」

 「そうですよねぇ」

 亜紀ちゃんが呟く。


 「あれが偉大な人間だ、ということだ。神様に自分を幸せにして欲しいなんて、これっぽちも願わない。感謝し、神の奴隷になって生きるだけだ」

 「あ、奴隷なんですね」

 皇紀が突っ込む。

 「そうだよ。つまり、自分の頭の上に神を置いている、ということだ。人間というのは、常に自分よりも上の存在が必要なんだよ。ワガママ勝手だからなぁ」

 俺は双子のところへ行き、ほっぺたをグリグリしてやる。

 双子はキャーキャーと喜ぶ。


 「お前らの上には俺が乗ってやるから、安心して生きろ!」

 みんなが笑った。


 俺は座っている皇紀の方にまたがった。


 「じゃあ、今日はここまでだ。皇紀、俺を担いで上に上れ」

 皇紀は立ち上がった瞬間によろけた。


 「お前もまだまだだなぁ」

 みんな声を挙げて笑った。

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