special thanks(6)

 彩音が不在の中、週始めの練習は終わった。


 青木に話があるという悠人を残し、僕と圭一はスタジオを出る。十月にもなると流石に日の入りが早くなっており、町は既に夜の帳が下り切っていた。


「悠人は何の話があるんだろうな」


 眼前を通り過ぎる車のライトに目を細めながら僕は何気なく口にする。圭一は答えを知っていたようで即答した。


「プロのレコーディング作業について聞きたいことがあったみたいだよ。ほら、悠人くん将来スタジオミュージシャンを目指してるから。色々教えてもらおうとしてるんじゃないかな」


「ああ、なるほど」


 聞くのではなかったと思った。予期せぬ所から小石を投げつけられた気分だ。練習に傾注することで頭の隅に追いやっていた問題が、将来という一言で無理やり掬い上げられた。


「将来かあ」


 込み上げてくる思考を発散させるように声を漏らす。もちろん何の解決にもならない。


「そういえば」と、圭一が僕の呟きに反応して口を開いた。


「修志くん、進路はどうするんだい? 前に聞いた時は未定って言ってたけど」


「……今もまだ未定だよ。先月の進路調査もそれで出しといた」


「へえ、そっか」


 圭一の反応はとてもあっさりとしていた。興味が無いからというわけではなく、処理する情報が少なかったためだろう。


「圭一はもう進路決めてるのか?」


 肯定が返ってくるだろう、と僕は思いながら聞き返す。すると圭一は珍しく苦笑気味に顔の形を変えた。


「いいや、僕も未定だよ」


「えっ」と、思わず僕がこぼした後に、圭一は続けた。


「自分のやりたいことや、なりたいものが分からないからさ」


 彼には似合わない漠然とした不安、いわゆる若者の葛藤のような言葉が弱く語られた。その声に偽りの色は含まれていない。いや、元より圭一は嘘を吐くようなことはしない。つまりそれが事実であり、だからこそ僕は呆然としてしまった。


 文武両道。多芸多才。そんな言葉で表すことのできるような彼が、将来を選択していないという状況に驚きを隠せなかったのだ。


「そんな意外そうにしなくてもいいじゃないか」


 驚愕に固まった僕の顔を見て圭一は笑う。「いや、だって」と、僕は言葉を返した。


「圭一みたいに何でもできるような人間が進路未定っていったら、そりゃちょっとは驚くって」


 具体的な内容までは想像していなかったが、最低限大学進学を決めているだろうとは勝手に考えていた。


「別に僕はそんな大した人間じゃないよ」


 圭一はいつも通りの言葉で謙遜する。常に学年一位の成績を残している者が大した人間でないのなら、他は何者になれると言うのだろうか。


「まあ、色々な物事を経験しようとしている、というのはたしかだけど」


 切れ長の目に、夜の町に灯る光の明滅を映しながら、彼は言った。


「でもそれは、自分が何になりたいか、どんなことをしたいか、何のために生きようとしているのかが分からないから、とりあえず無差別に手を出しているだけさ」


 少し目を薄くして自嘲の様相を浮かべる。その語勢は降り始めの雨のように虚しげだった。


「例えば勉強や運動や何かしらの芸術を極めようとして、色々な経験を積んだり多くの能力を得たりしたとしても、結局そこに信念が存在しないと何の価値も生まれないんだよ。見映えだけの良い、味のしない料理を作ってるようなものさ……人生の目的や目標を持っていない人が一番つまらない人間だからね。だから、僕は誰より面白味の無い、無価値な人間なんだよ」


 非凡な才覚を持つ者が、ここまで自分を卑下しているというのに一切嫌味を感じない。それほど、圭一が本心で懊悩を吐きだしているように見えた。天才ゆえの偏屈な苦悩と言うべきか。


「それを言うなら」と、僕はため息を吐いて返す。


「俺の方がよっぽどだろ。人生の目標だとかがあるわけでもないし、そのうえ圭一みたいに色んな才能があるわけでも、経験を積んでるわけでもないし」


 慰めなどではなく事実だった。最近でこそバンド活動に没頭しているが、それが終わればまた、無為な毎日を過ごす高校生に戻るだろう。圭一の言葉をなぞるなら、僕のような人間がこの世で最も下らない存在だ。


「いや」


 しかし、圭一は打てば響くように否定の一声を上げる。


「修志くんはもう、自分がやりたい事を確かに持っていると思うよ。夢っていうほど大袈裟なものじゃないけど。君自身がそれに気づけていないだけさ」


 当たり前のようにそう言ってのけた。予期せぬ言葉に僕は思わず面食らう。目を瞬かせながら、その意味を捉えようとしてみる。だが、答えは出ない。その一言だけですぐに思い当たるようなものなら既に見つかっているだろう。


「なんだよそれ。自分でまったく見当がつかないんだけど」


 若干縋り付くような思いで答えを求める。しかし、圭一は涼やかに笑って言った。


「それは自分で見つけ出さないといけないよ。人に教えてもらう道筋なんて何の意味もないからね」


 なんだよそれ、と僕はもう一度こぼすが、圭一はそれ以上何も言わず笑みを浮かべるだけだった。


 僕は軽く息を漏らす。目の前の車の往来を眺めながら、改めて思考を巡らせてみた。


 僕自身が将来やりたい事。叶えたい未来。


 小学生の時はプロ野球選手になりたいと漠然と願っていた。野球観戦が好きだから、ぐらいの理由だった筈だ。実際に野球を上手くなるための努力をしていたわけではない。あるいは駄菓子屋を経営してみたい、などと考えたこともあった。それに関しては理由すら思い出せない。


 そんな仕様もない記憶が蘇ってくるだけで、今手繰り寄せるべき答えはやはり皆目見当もつかなかった。実体の無い何かを掴もうとしているような感覚もする。


 しかし、確かに答えはあると圭一は言った。何事も彼が言えば、きっと間違い無くそうなのだろうと、確信めいた説得力が生まれる。だからと言って簡単に解決できるものとは限らないが。


「まあ、強いてヒントをあげるなら」


 煩悶を続ける僕を見かねたのか圭一は口を開く。


「どんな将来も、結局は全て今の連続だってことだね」


「ええ……」


 余計に分からなくなるわ、と言うと同時に背後で小さく鈴の音が鳴った。


「あれ? お前らまだいたのか」


 振り返ると、スタジオの扉を開けた悠人が意外そうな表情を浮かべて立っていた。どうやら青木との話を終えたらしい。


「何か話してたのか?」


 悠人はさほど興味無さそうに聞こえる抑揚のない声で尋ねてくる。


「うん」と、圭一は薄い唇を軽く持ち上げて、爽やかに答えた。


「高校生らしい、青臭い会話だよ」

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