What is music to you(7)

 ふと、数分前と同じ鈴の音が店内に響いた。店の出入口へ顔を向けると、片手にレジ袋を吊るした男が入ってきたところだった。


 アロハシャツに短パンという軽装に身を包んだその男は、大きな欠伸をした後に僕たちの姿を認める。そして、眠そうな目を保ったまま小さな笑みを作って「いらっしゃい」と言った。


「いやあ、ごめんごめん、ちょっと席を外しちゃってて」


 男はゆったりとした動きでカウンターの方へと移動する。その声と口調は、身なり相応に気さくなものだった。言動から察するところ、男はこのスタジオの店主なのだろう。つまり笹崎の知り合いであり、土田がベース奏者であるという情報をくれた張本人だ。というより、そうだとしたらなんと不用心な店なのだろうか。


「スタジオの利用? それとも弦か何か買いに来たの?」


「あ、いや、違うんです。えっと……」


 僕が言い淀んでいると、店主は気づいたように口を開いた。


「もしかして宏人のとこの学生さん?」


「宏人?」


「笹崎先生の下の名前だよ」


 その名前が分からずポカンとしていた僕に、圭一がフォローを入れる。


「そうです、笹崎先生からお話を伺って、訪ねさせていただきました」


「そっかそっか、俺はここの店長の青木雄大っていうんだ」


 ま、よろしくね、と店主は片手をヒラヒラとさせた。


「それで、うちに来たってことは悠人のことももう聞いたのかい?」


「いや、実はそのことで――」


 と、僕たちはロビーのソファに移動して、今日ここに訪れるまでの経緯を話した。土田に嘘を吐かれて勧誘を断られたこと。笹崎にその理由を教えてもらおうとしたが聞き損じたこと。そしてこのスタジオに来れば店主から話を聞かせてもらうことができる、と教えられたことを。


「あっはっは、そりゃまた宏人のやつ叱られるだろうね。あいつ昔から遅刻魔なんだよ」


 青木は短めの茶髪と足にはめたサンダルを揺らしながら愉快そうに笑う。


「あの、それで、土田くんのことなんですけど」


「ああ、ごめん、そうだったね」


 答えを求めて机に小さく身を乗り出す石川に視線を向けたまま、青木はスタジオ部屋の方を指差した。


「さっき見てたと思うけど、上手いでしょ? 悠人のやつ」


「はい、すっごく」と、石川は強く首を縦に振る。


 青木も軽く頷きを返して続けた。


「まあざっくり言うと、それが理由なんだよ。悠人が君たちの誘いを断ったのは」


「それは……どういうことでしょう?」


 暢気な語気のまま吐かれた言葉の意味がいまいち理解できなかった。ベースの演奏技術の高さが、なぜ勧誘を断ることに繋がるのか。


「悠人もね、前はバンドを組んでたことがあるんだ。たしか中三の時に。すぐ辞めちゃったんだけどさ」


「その辞めた理由が、土田くんの演奏技術と関係があるということですか?」


 頭の中で何かが繋がったのか、圭一が尋ねる。


 すると青木は「そういうこと」と、柔らかい表情のまま目を少し細めて語り始めた。


「悠人が前に組んでたっていうバンドはまあ、よくある学生バンドだったんだよ。いつの時代も溢れるほど存在するような。メンバーもみんな、興味本位でなんとなく楽器を始めた連中でさ。まあべつにそれは悪いことじゃないけど。というか、ほとんどの人が最初はそんなもので、やっていくうちに楽しさや難しさを知っていくものだしね」


 けど悠人は違ったんだ、と青木はスタジオ部屋の方を一瞥して続けた。


「あいつは六、七歳の頃からベースをやっていてね、中学に入る頃にはもう、誇張抜きでプロと比べても遜色無いぐらいの実力があったんだよ。既にそれで飯を食っていけるってレベルだった。実際、将来的にはバンドを組んでプロになることを目指してたし」


 なるほど。続く言葉はなんとなくだが察することができた。


「それでメンバーとの衝突が生まれた、ということですか?」


 僕が言うと、青木は「そう」と答える。


「悠人と他のメンバーの、実力と目標の差があまりにも大き過ぎたわけ。片やプロ志望、片や遊びで演奏できたら満足、だったから。遊びっていっても他のメンバーも不真面目にやってたわけじゃないだろうけど」


「まあ普通は後者の方が多いですよね」


「そうだね、悠人みたいなやつの方が珍しいよ。中学生の時点で絶対にプロになるって決めてる方が。まあそれでも、目標の違いはともかく、実力の差が大きいっていうことに関しては、楽器は違えど悠人がメンバーに色々教えてあげたらいい話だったんだけど……」


 青木は苦笑気味に続けた。


「悠人ってなんていうか、すごくぶっきらぼうでしょ?」


「たしかに」


 僕は大きく頷いた。まともに会話をしてないが、今日の態度を思い出すだけで共感できる。あれは睡眠を邪魔されたからというわけではなく、元来の性質だったらしい。


「だからあいつは逆にみんなに強く当たっちゃったんだよね。アドバイスじゃなくて、文句や不満をキツイ言葉で投げかけちゃったわけ」


『なんでこんなフレーズも弾けないんだ』


『何回同じところを間違ってるんだ』


『お前ら本当にやる気があるのか』


 そんな容赦の無い言葉を土田はメンバーに躊躇なく振りかざしたと、青木は語った。バンド内の雰囲気は当然悪くなり、精神的に圧迫されたメンバーの演奏は上達するどころか、退歩の一途を辿ったらしい。


 そして、土田から吐かれる数々の非難を受け続けたメンバーはある日、たった一つの言葉を彼に告げ返したという。


『そんなに必死にやりたいなら、一人でやってろよ』


 堆く積もった不平を冷たく崩すように、


『お前と音楽やるの、全然楽しくないんだよ』、と。


「――そんな感じでメンバーと不和になってバンドを辞めた、というよりバンド自体が解散しちゃったんだ」


 それからだよ、と青木は言った。


「悠人が誰かとバンドを組むことを拒むようになったのは」


「……なるほど」


「メンバーから言われた言葉が響いたんだろうね。まあ、悠人の場合はへこんだっていうよりは嫌気が差したっていう感じだろうけど……だから今はあいつ、将来はスタジオミュージシャンになろうとしてるんだよ」


 スタジオミュージシャンになるということは、プロのアーティストのサポート奏者として音楽活動を行うということだ。たしかに、それならば必然的に共に演奏する人間の演奏レベルも高くなるだろう。演奏者間での極端な実力差は生まれなくなるのかもしれない。


 青木の話を聞き終え、土田が僕たちに嘘を吐き、ベースをやっていることを隠した理由に納得がいった。過去に経験した音楽に対する苛立ちや煩わしさを、再び味わわされることを忌避したのだ。


 はっきり言って今の僕には共感することのできない話だった。楽器やバンド、音楽に携わる姿勢は人それぞれ色々な要素が入り混じって千差万別だな、くらいの考えは抱いた。


 しかしそういうことであれば、やはり無理に土田を僕たちのバンドに引き込む必要はないだろう。石川はともかく、僕や圭一は未だ最低限の演奏技術しか得ていないというのが現状だ。そこに加入すれば過去の二の舞になる可能性は高い。


 せっかく情報を教えてくれた青木や笹崎には申し訳ないが、今回は丁重に断らせて――


「……ん?」


 と、そこで一つの違和感が脳裏を過ぎった。先ほどまでの青木の話を思い起こして反芻する。


「それなら」と、圭一が先に口を開く。


「青木さんは、土田くんのその境遇を知っていて、なぜ僕たちに彼を紹介したんですか?」


 それだ、と僕は心の中で呟いた。


 土田がバンドを組むつもりのないことを知っているのであれば、僕たちにわざわざその存在を教える必要はない。むしろ教えるべきではないとも思う。それでも声をかけてきたということは何か理由があるのだろうか。


 圭一の言葉を受けた青木は前に曲げていた背中をゆったりと伸ばした。まっすぐに僕たちへ視線を向けてくる。そして、優しげな微笑を浮かべながら言った。


「俺はね、どんな時でも、誰にとっても、音楽は音楽であり続けてほしいと思っているんだよ。聴くにしても、演奏するにしても、どんな形であっても音楽に触れるのであれば、必ずそれを楽しんでほしいんだ」


 丁寧に言葉を並べながら、スタジオ部屋の方へ首を向ける。


「今の悠人は昔の経験もあって本当の意味で音楽を楽しむことができてないんだよ。漠然とベースを上手くなってプロになろうとしてる。まるで使命感にでも駆られているようにね」


「だから」と、青木はこちらに顔を戻した。


「君たちとバンドを組むことが一つのきっかけにならないかなと思ってさ。悠人が、心から音楽を楽しむことを思い出すためのね……これは俺のわがままで申し訳ないけど、君たちさえよかったら、もう一度声をかけてみてあげてくれないかな?」


 穏やかに放たれたその声には、とても純粋な感情と、強かな願いが込められていた。

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