What is music to you(6)
玖賀野駅から三〇〇メートルほど離れた国道沿い。民家に挟まれるようにして、音楽スタジオ『Youth road』は建てられている。
コンビニほどの大きさの屋舎。外壁は灰一色に染められてあり地味な印象の佇まいだ。その壁面にはいくつもの雨染みが目立ち、築年数の長さをまざまざと感じさせられる。しかし、そんな外観の古めかしさに反して、設備の充実ぶりは市内にあるスタジオの中でも有数らしい。
「野郎ども、準備はいいか!」
「なんだそのキャラ」
冷静に返すと、片腕を上げた石川は分かりやすくむくれる。
学校を後にして約二〇分。僕たちはそのスタジオの店頭に立っていた。
今ここに土田悠人がいる。それが本当なのか、そして彼がなぜ僕たちに嘘を吐いたのか、その答えが扉の向こうにある。
笹崎の情報に飛びついた石川に連れられ訪れてみたものの正直僕は気が進まなかった。理由は何にせよ、土田が僕たちとバンドを組む気がさらさら無いことは明らかに見て取れたからだ。
「昔から横を通るけど入るのは初めてだなあ」
入口の開き戸の上に掲げられた、店名が記されている看板を仰ぎ見た圭一が言う。
「たしかにな」と、僕も同じように視線を上げた。
『Youth road』と並べられた九つのアルファベットはそれぞれ塗装が剥がれ、残った色もかなり褪せている。補修とかしないのだろうか。
「さて、それじゃあいくよ!」
石川が声高らかにドアハンドルを掴む。勢いよくそれを引くと扉の裏側に付いた呼び鈴が鳴り響き僕たちの来店を知らせた。
足を踏み入れると、空間に染み付いた古めかしい煙草の匂いと共に、そこにはすぐに十二畳ほどのロビーが姿を見せた。入口から直線上に奥を覗くと短い通路があり、その左右に扉が一枚ずつ窺える。あの二部屋が練習スタジオという作りになっているのだろう。突き当たりは物置になっていた。
手前のロビーに目を戻してみると、右手には長方形のテーブルとソファが二つ、左手には受付と思しきカウンターと、弦やシールドなどのアクセサリー類の陳列棚がある。
しかし、そのどこにも店員の姿は見当たらない。呼び鈴に反応して人の足音が迫ってくる気配もない。
「すいませーん」と、石川が間延びした声を放ってみるが応答は無い。そのまま数十秒待ってみたが状況は変わらなかった。
さてどうしたものだろうか、と僕は頭を掻く。個人的には帰ってもいいところだが、石川がやる気満々のためにそうもいかない。あまり出入口に立ったままというのも居た堪れない。だが勝手にソファに座って待つというのもなんとなく気が引ける。
――ドゥーン
立ったまま考えていると、ふと、小さくこもった低い音が聞こえた。太さのある弦が震えるような質の音だ。
――ドゥーン
もう一度繰り返して、同じ音が鳴った。左右どちらかは分からないが、どうやらこの弦の震えは奥のスタジオ部屋から伝ってきている。
「ベースの音だ」
そう呟いた石川は音の波に引き寄せられるようにロビーを進んだ。僕と圭一も遅れて続く。
スタジオ部屋に挟まれた通路に先に着いた石川がまずは右の室内を確認する。しかし、どうやら二分の一を外したようで、すぐに左側へ体を向けた。そのまま彼女は少し屈んで、扉の中央にある縦長のガラス面へと顔を近づける。覗きのお手本と言わんばかりの格好だ。
「あっ」
次の瞬間、何かに気付いた石川は目を丸くして、首を鋭くこちらへ回した。
「二人とも、ちょっと!」と、促すように左手を仰ぐ。僕と圭一は一度顔を見合わせてから扉へ近づいた。
「ほら、あれ!」
横に立つと、石川はまるで珍しい生き物でも見つけたかのように室内を指差しながら言う。彼女と同じように扉に顔を寄せてガラスの内を覗いた。
満遍なくワックスが塗られた艶のある木の床に様々な機材が置かれている。左右の壁に分かれて並ぶ三つのアンプ。奥に鎮座するドラムセット。他にもマイクスタンドやケーブルなど、想像していた通りのスタジオ像がガラス越しに見える。
そして、そんな部屋の中央に一人の男の姿があった。それは笹崎の言葉通りの光景であり、僕たちにとっては不可解な光景でもあった。
土田悠人がその手にベースを携えて立っている。
チューニングを行っているようで、右の人差し指と中指でギターよりも幾分か太い四本の弦を撫でている。ヘッドにつけたチューナーに向けられる吊り目がちの瞳からは、昼休みに見た時と同じようにどことなく険のある雰囲気が感じられた。
「本当だ……」と、僕は思わずポツリとこぼした。
「たしかに土田くんだね」と、圭一も僕の頭の上から室内を覗いて言う。
土田の肩にゆったりと吊るされたそれは紛れもなくベースである。配色自体は白と黒の二色と非常にシンプルだが、全体的なデザインは少し特徴的だ。シャープな曲線で描かれたボディ。刺々しい輪郭のヘッド。キラキラと銀の艶めきを放つ、主張の強いピックアップカバーとブリッジ。
あのベースは『Rickenbacker 4003』。旧モデルはイギリス出身の某バンドのメンバーが使用していたことでも有名で、数多のベーシストから根強い支持を集めている一本。ギターをやっている自分だが、映像などであのベースを弾いている人間を見つけると、つい目を奪われてしまう。単純に個人的に好みのデザインなのだ。
釘付けになっていると、土田はチューニングを終えた。流れるようにベースアンプの傍に近寄る。弦を撫でてスピーカーから吐き出される音色を確かめながら、アンプに付いた種々のダイヤルを慣れた手つきで調整していく。
あっという間に調整を済ませた土田は、続けて別の機器の前に動く。いくつもの調整ダイヤルが整然と並んだパネル。それは、いわゆるミキサーだ。設置されているスピーカーから鳴る音の設定や調整を行う機材である。
土田はベースのギグケースから取り出しておいたケーブルの片側をミキサーに差し込み、その反対を自身のオーディオプレーヤーに繋げる。スピーカーから楽曲を流しながら練習をしようとしているのだろう。
準備が整ったのか、土田は一度ストレッチをするように両腕を軽く伸ばす。そして、オーディオプレーヤーの画面をタッチした後、クルリとミキサーに背を向けた。
部屋の中央へ戻る数歩の間に、室内には土田の選んだ楽曲が流れ始める。
「――え」
一番始めに呟いたのは僕だったが、石川と圭一も似たような声を漏らした。防音の扉を介しているのでその音は少しこもっていたが、しかし、それでも僕たちは聴き逃すことはなかった。
土田が流し始めた一曲。それはソニアモルトの『emotional rock』だった。圭一がソニアの中で一番気に入っている曲でもある。
僕は呆然としながらも目の前の音に意識を注いだ。曲全体を通して繰り返されるキレのあるギターリフからイントロは始まる。続けてそこに小気味好いドラムのリズムが乗る。そして最後に、追うようにしてベースの低音が重なる。
――ヴオォーン
次の瞬間、唸るようなグリッサンドを鳴らして、土田は演奏を始めた。
指板にかざした左手が上へ下へと激しく、しかし確かな規則性を持って動く。関節が無いのではと疑うほどに、弦を押さえる指たちは滑らかに形を変える。右手の二本の指はしなやかに弦を撫でていく。
「上手い……」
非常にシンプルな賞賛の言葉が口を衝いて出てしまった。この曲のベースラインは非常に複雑なものだ。その分、鮮やかなグルーヴを纏った旋律が生まれるのだが、複雑ということは当然演奏の難易度も高い。だが、土田はいとも容易くその譜面をなぞり、深みのある流麗な音色を奏でていた。
「……上手だね」
石川も扉に張り付いたまま目を見張って呟く。弾いている楽器は違えど、彼女にそう言わしめた。石川の演奏技術を知っている僕にとってはそれだけで、土田の才能が十分に非凡であることが伝わってきた。
「――けど」
不意に、石川が囁くように続けた。
「なんだか……寂しそう」
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