出会いと始まりの音(6)
「あのさ……その右手――」
僕の言葉と同時に石川の体が一瞬小さく震えた。そのままロボットのように固い動きで顔を持ち上げる。
「いやあ……これはね? その……ね? あれだよあれ……あれ、なんだよね」
ごまかしの言葉を求めるように空を仰ぐが、一向に天授は降りてこない。数秒の静寂が過ぎた後、石川は諦めたようにため息を吐き、ゆっくりと右手を体の側面に落とした。
「………まあ、もう気づいてると思うけど」と、彼女は苦笑しながら右の拳を弱々しく握る。金属の軋む音が微かに鳴った。
「私ね、右手が義手なの」
――義手
彼女の声が耳に届き、脳裏に響いた。それと同時に、ジワリと頭から熱が奪われていく。先ほどまでの相貌でほとんど答えに行き着いてはいたが、明確な言葉で突きつけられると改めて深い衝撃を受けてしまう。
「小学二年生の時に交通事故に遭って、その時に肘から下がちょっと、ね」
「……そうか…………」
返す言葉が何も思い浮かばず、一つの相槌だけを残してつい黙り込んでしまった。これまでの人生を基にした自身の価値観でいえば『同級生の片手が義手』ということはあまりにも浮世離れした話だった。そんな非現実的な出来事を現実の光景として、しかもそれを本人の口から語られた時に、どのような台詞を返すのが最適解だというのだろうか。
「ああ、ちょっと、そんな重い空気にならないで。別に義手だからって今の生活に支障があるわけじゃないからさ」
僕の心情を汲み取ってくれたように石川が付け加えた。
「でも、いつも手袋付けて隠してるってことはあんまり人には見られたくないものなんだろ?」
「いや……うん、まあ、そうだね」と、彼女は小さく呟く。
「……小学生の時にね、虐めとまでは言わないけど少しからかわれて。それで中学に上がった時から隠す習慣がついちゃった感じ、かな」
苦笑を浮かべて語るその姿を見て、少し胸の痛みを覚えた。小学生という時分は善悪の分別がついていないゆえに残酷だ。少しでも物珍しいものを見れば、好奇心に物を言わせて囃し立ててしまう。
「……大変だな」
依然としてその程度の台詞しか沸いてこない。もう少し機知に富んだ対応ができないものなのだろうか、と自己嫌悪に浸ってしまいそうになる。
「まあまあ、別に今誰かに虐められてるわけじゃないんだし。それにほら、もう何年も使ってるから動作も慣れたものだよ!」
わざとらしく朗らかな声を上げた石川は掴んでいたピックを床に置き、銀色に輝く右手を顔先に掲げた。そのまま数回、五指をたたんでは広げる。一切の温かみを感じさせない金属の手骨がグーとパーを繰り返す。
「ね」と、無邪気に白い歯を覗かせた。
「……たしかに、器用に動かせてるもんだな」
「でしょ。これでも結構練習したんだよー。こういう筋電義手ってやっぱり最初は扱いが難しいからさ」
彼女は得意気に声を弾ませた後で、右手の形を変えた。普通の人間とは違う、銀色の光沢を放つ人差し指を真っ直ぐ立てて口元にかざす。
「まあ、私の右手事情はこんな感じなんだけど……このことは、できれば学校のみんなには隠しておきたいんだ。だから篠宮くん、内緒にしておいてもらえないかな?」
「……ああ」と、未だ動揺は拭い切れていなかったが僕は答える。
「分かったよ。ていうか別に元から言いふらすつもりもないけど」
そんなことを吹聴したところで誰も得する人間はいない。石川が気分を害し、僕の信用が失われるだけだ。
「本当? よかったあー」
彼女は安堵の息を漏らして相好を崩す。その右手に視線を置きながら、ふと僕は呟いた。
「けど、なんか意外だな」
「え、何が?」と、石川はキョトンとする。
「いやさ、最近の義手ってもっと本物の手に近づけた見た目になってると思ってたんだよ。いつかテレビで見たのもかなりリアルだったし」
「ああ、たしかに私が選んだ時もそういう装飾用のやつはあったんだけどね」
「じゃあ何でそういうのにしなかったんだ?」
石川のそれは装飾用というものとは対極の代物に見える。初めから本物に近い容貌の物を選べば多少見た目の違和感は紛れると思うが。
「それはやっぱり、ギターを弾き続けたかったからだよ」
すると彼女は事もなげに答えた。
「装飾用のやつじゃ思うように指が動かせないからね。こういう筋電義手じゃないと上手くピックが掴めないんだ」
なるほど、と僕は納得して声を漏らす。
「小さい時から石川の中でギターは相当のウェイトを誇ってたんだな」
たしかに先刻の演奏を目の当たりにすればそれも頷ける。その優先度と比例した技術を彼女は持っていた。
「だね。まあピックを持つぐらいなら他にもやり方はあったかもしれないけど。でもどうせギターを弾くなら自由度が高いに越したことはないじゃん?」
そう笑うと同時に、体を屈めて床に放っていたピックを拾い上げた。半透明の黄色に染まったティアドロップ型のそれを親指と人差し指の間に挟む。
「不幸中の幸いだったのは左手が無事だったことだね。流石にフレットを押さえるのは義手だと苦労しそうだもん」
喋りながら彼女は再びギターを操り始める。左手は指板の上で滑らかに踊り、右手は軽やかに弦を弾く。そうして鳴らされる音符には聞き覚えがあった。
「あ、『朝、目が覚めて』のリードギター?」
「お、分かった?」
石川は演奏を続けたまま微笑む。
「まあ、ソニアの曲なら大体分かるよ」
「本当? じゃあこれは?」と、彼女は挑戦的な笑みをこぼし、一度弦の上で左手を大きくスライドさせる。そのまま曲間無く別のメロディを奏で始めた。メドレーの様な音の繋がり方に、つい気分が高揚する。
「おお、『Love song』のリフだ」
「ほほう、やるねえ。そしたら次はこれ!」
それまでの二曲とは打って変わりスローテンポでコードが流れていく。爽やかな郷愁を感じさせるような曲調。この曲は――
「『星降る夜』のCメロのところだな」
「おおー! すごいね、全部すぐに答えるじゃん!」
「まあ、毎日のように聴いてるから自然と耳に残ってるよ」
しかも、ソニアは楽曲の数が少ないバンドだ。旋律から曲名を当てることなど大したことではない。そんなことよりも賞賛すべきことが目の前にある。
「ていうか石川の方がすげえよ。そんなに何曲もソニアの曲を弾けるなんて。しかもどれも上手いし」
ソニアの楽曲のバンドスコアは僅か二つしか市販されていない。他の曲はいわゆる耳コピをしたのだろう。彼女にとっては当たり前のことかもしれないが、それもまた高度な技術であり、僕には到底不可能なものだ。
「いやいや、そんな大したものじゃないよ……まあ昔からギターばっかりやってるんだから、むしろこれぐらいはできないとね」
照れくさそうに言いながらも、彼女の両手の動きは止まらない。会話と演奏を難無く並行する姿を見ていると、まるでそのギターが彼女の体の一部であるかのように感じられた。
「プロを目指したりしてるのか?」
「まさか。全然そういうのじゃないよ」
僕が何気なく尋ねると、石川は首を横に振る。
「……でもたしかに、この先もずっと、ギターを弾き続けることができればいいなあとは思うけどね」
「へえ。でもそれだけ上手かったらそういう道に進めそうな気もするけどなあ」
「私ぐらいの人はいくらだっているよ」と、石川は苦笑気味に言った。
「……それに、将来っていうのは自分の実力や努力だけじゃ、どうしようもできないこともあったりするしね」
僅かに目を細めた彼女の声からは、ほんの少しだけ悄然とした雰囲気が感じ取られた。
仮にそのような音楽の道というものに進むことを選ぼうとしても、やはり親の反対などがあるのだろうか。たしかに、普通の会社員などと比べれば、どうしても『安定しない』というイメージが付き纏う職だ。
「まっ、だから弾けるうちに弾けるだけ弾いとかないとね――」
と、そこで蛇口を強く閉めたようにピタリとギターの音が止んだ。
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