第6話 シャドウ


 エビルは腰を深く落とし、木刀を引いた構えをとる。

 師匠であるソルから教わった唯一の技――疾風迅雷。

 目前にいるのはソルが負けた相手だ。自身の持ちうる最速の一撃で勝負するしかない。高速の突き技はエビルの手札で最速の技。これが通用しないのなら単純に速いだけの攻撃は意味がなくなる。


「疾風迅雷!」


 一気に足腰に力を入れて駆け、黒男目掛けて高速の突きを繰り出す。


「は? なんだそりゃ?」


 最速の一撃は黒男の左手に軽々と止められた。木刀を掴まれていて、動かそうとしてもビクともしない。エビルはただただここまでの差があるのかと戦慄する。

 嘲笑する黒男が木刀を押し返してきてエビルの鎖骨下に木刀の柄が直撃した。思わず衝撃で手を離してしまったエビルは十五メートルほど吹き飛ばされて地を転がる。


「今のってまさか、お前の師匠とやらが使ってた技の真似事か? だとしたら天と地ほどの差があるぜ。この男は俺に攻撃を当ててきやがったからな」


 そう語りつつ黒男は木刀を空中へ軽く投げて、ちゃんと刀身から柄の部分へと持ち替える。そしてソルの隣に立つと身軽な動作で――ソルの首を斬り飛ばした。

 あまりにも自然に行われた最低な行為にエビルは驚愕する。


「それに武器を手放すなよ。ちゃーんと返してやるから今度は放すなよ、大事に持っておけ。大好きな師匠の首を斬ったその安そうな木刀を」


 黒男は木刀を立とうとしているエビルへと軽く投げ、エビルはそれを右手でキャッチすると完全に立ち上がる。

 死体の首を斬るという非道な行為に対し、エビルは黒男への怒りを十分に感じさせるほど鋭く睨みつけた。


「ふざけるな……ふざけるなよ……。この木刀は師匠が誕生日プレゼントでくれたものなのに、よりにもよってこの木刀で、師匠の首を落とすなんて……」


「そうかそりゃあ悪かったなあ、とでも言うと思ったか。いい感じに怒って絶望してくれるなら最高だぜ。ついでといっちゃあなんだが一つ、お前にとって絶望的な情報を教えてやるよ」


 黒男は深く被っていたフードを捲り上げる。

 フードで隠されていた顔が露わになってエビルは一瞬、怒りすら忘れるほどに驚愕して目を見開く。


「魔王信仰団体、魔信教。その幹部である四人のイカれた面子、四罪。その一人である俺の名はシャドウ。この顔、見覚えがあるはずだよなあエビル」


 エビルが生きてきたこの十六年で一番よく知っている顔――自分の顔。

 シャドウの顔も、自分では分かりづらいが声も、生き別れの兄弟という言葉すら安いほどに似ていた。まるで鏡に映る自分が動き出したのかと思うくらいにそっくりだ。


「僕……? お前は……いったい……」


「ククッ、そして俺はずっとお前を捜していた。つまりどういうことか分かるかエビル。この村がこんな目にあったのは、お前の師匠とやらが死んだのは、ぜーんぶ全部お前のせいなんだよお!」


 エビルを捜していたからシャドウが村に来たのは確かだ。自分のせいなのかと勢いに負けたエビルは思ってしまう。

 生き写しのような目前の男が自分に見えた。残忍な笑みで村の人間を斬り殺し、ソルの首を斬り飛ばす自分の幻覚が見えた。疲労関係なしに息が切れ始め、過呼吸状態のようになる。


「あ、あああああああああああああ!」


 発狂したかのようにエビルはシャドウへと向かっていく。

 ソルに習った剣術など見る影もない。全て感情任せで技術の欠片もない乱暴な攻撃。そんな勢いだけはいい剣などシャドウに掠りもしない。


「師匠も、村長も、みんなあ! 僕、お前が殺したああ! 許せない、許せなああああああい! 当たれ、斬れろ、死ねえええええ!」


「見えてるぜえ?」


 出鱈目な剣撃全てを軽々と回避しながら、シャドウの黒剣こくけんがエビルの腹から肩までを服ごと斬りつける。


「うぐあああああ!?」


 切断まではいかずとも斬られたことでエビルの傷から多くの血が溢れた。

 今度は疲労も追加されて相変わらず息遣いが荒いまま、エビルは木刀をもう一度構える。


「見えるんだよ、お前の殺したくないって心の腹がよお。全くバカな奴だ。敵を殺さなきゃ殺されるのは自分なのに、ここまでされてなお人殺しを是としないなんてよ」


「違う! 僕はお前を、殺す。殺すんだああああ!」


「まるで自分に言い聞かせてるみたいだぜ、臆病者。もうちょっと戦場の殺し合いってのを理解してから剣を持つべきだったな」


 瞬時にシャドウがエビルの横を通り過ぎる。

 その通り過ぎただけに見えた一瞬で、エビルの体は数十回斬られていた。遅れて開いた傷口から鮮血が噴き出る。


 視界に映る景色が赤く染まり、エビルは振り返ってから数歩ほど歩いてから前のめりに倒れた。木刀は右手から零れ落ちてしまい、拾おうとしても全身に力が入らない。

 死が近付いている気がした。同時にこんな状態でもあそこまで喋り続けたソルに感服する。とてもではないが今のエビルは一言も喋る気力が湧かない。


「はっ、つまんねえ奴だ。こんな奴が俺の……まあいい、このまま絶望の淵で殺して終わりに……いや待て。こいつはさっき村長がどうのこうのと言っていたような気がするな。最大の絶望ってやつは、村長とかいう奴を目の前で真っ二つにしてから来るんじゃあねえか?」


(村長……村長は生きてるのかな。せっかくおつかい行ってきたのに……一人で行って帰ってきたこと、褒めてくれると思ったのに……レミ達のこと、まだ話してないのに……。ああ、レミ、ヤコンさん、約束守れそうにないや……)


「しかし全員殺したと思ったがそれらしき人間はいなかったな。いや、気付かなかっただけで殺したかも。まあ生きてようが死んでようがどっちでもいいか。この際死体でもバラバラにすれば絶望を増幅してくれるだろ」


(師匠、村長……死んだら……また会えるかな……)


 先程から重かった瞼がどんどん重くなってくる。

 斬られて痛いはずなのに何も感じない。思考が鈍っていく。

 エビルはもう限界で、半分しか開いていなかった瞼を閉じる。


『このまま仇も討てず死んでいいのかい?』


 暗闇で聞こえるはずのない声がエビルには聞こえた。

 不思議と心地良い気持ちにさせてくれる声だ。どこか安心感で満たしてくれるその声とエビルは心で会話する。


(よくない……。でも、シャドウは強い。勝てない……)


『君が憧れた風の勇者はどんな時でも諦めないよ』


(僕は、風の勇者じゃない……。なることなんて出来ない……)


『いいや。君はなれるさ、そのための力なら既に君の中にある。でもこのまま諦めるようなら力は引き出せない。君は村長や師匠を殺したシャドウに負けたままでいいのかい?)


 しばらくエビルは沈黙する。迫られたのは単純な二択だ。

 シャドウに勝ちたいか、負けたままでいいのか。ただそれだけ。

 力のあるなしではなく気持ちの問題。不思議な声は風の勇者なら諦めないと言った。それならばエビルも憧憬する勇者と同様に諦めたくないと思う。


(勝ちたい。このまま死ぬなんて嫌だ。シャドウを倒したい)


『なら立ち上がるといい。君の持つ全ての力をぶつけるんだ』


 不思議な声はそれを最後に聞こえなくなる。

 ――エビルの意識も暗闇に呑まれて途絶えた。


「捜すか……って動こうとしたときなんだぜ。すこぶる悪いよなあタイミング。半死人の分際でまだ立ち上がって足掻こうっていうのかよ」


 シャドウが口を開くと同時、エビルは震えながらも立ち上がる。

 しかし意識がないのかエビルは下を向いたままで、目は開かれても光を映していない。そして右手の甲には緑に光っている竜巻のような紋章が浮かび上がっていた。

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