第6話 授業参観は地獄を作る


 一週間前から宣言されていた授業参観当日。

 宝生小学校には全学年の生徒の家族がやって来ていた。もちろん両親二人共というわけではなく、仕事で忙しい者や、もう亡くなっている者は来られない。例外として幽霊が参列していることもあるが、それは稀な事例だ。

 三年一組の女性教師は教室奥の並んでいる者達を見て、深く呼吸して落ち着くと口を開く。


「はい、それでは授業を始めますよ。今日は先週言ったお父さんに向けての作文の発表です! みんなちゃんと書いてきたかなあ?」


「当然です! 先生からの宿題をやらない人間などこのクラスにはいません! この僕、熱井あつい心悟しんごが熱き魂に誓って宣言します! みんなそうだろ! 僕達は日頃の感謝を今日この場で言うぞおお!」


「はい静かにしましょうねえ心悟君。作文の発表は廊下側から席順でやってもらいます。みんなお父さんお母さんの前だからって、恥ずかしがらずに読むんだよー?」


 道徳の授業で作文の発表が開始されようとしていた。

 廊下側の一番前の生徒は嫌な顔をしつつ、面倒そうに立ち上がり作文を読み始める。

 一人目が読み終わるとほとんどの生徒から拍手が送られた。教師はもちろん、奥に並ぶ大人達も拍手を送る。

 そのまま二人目、三人目と順調に続いていくと、神奈や笑里の順番も近付いてくる。神奈は窓際の一番後ろだが、笑里はその二席右側なのであと十人少しとなってしまう。


「三年一組、はやぶさ速人はやと。俺の父さんは昼間っからぐうすか寝ているクソ野郎で、仕事もろくにしない雑魚だ。すでに父親としての威厳などなく、母さんにはその辺の石と大差ない扱いを受けている」


「ちょっ、速人!?」


「雑魚がどうなろうと知ったことではない。俺は俺でするべきことをするだけだ。だがそろそろ遊んでいないで真面目に仕事をするべきだと思う。育ててもらった恩はあるが、それとこれとは別だ。さっさと修行し直してもっと金を稼いでこい。これで終わりだ、作文も、親子の縁もな」


「ちょっおい! それこの場で言う必要あった!? わざわざこんな場所で言う必要あった!?」


(うわぁ……あいつえぐいなあ)


 また一人、父親の社会的地位や信用を失わせて終了する。

 そして笑里がいる列に入り、一番前の熱井が勢いよく立ち上がる。


「次は僕だ! 母さんは身体が弱く、父さんは用事があるので来れなかったけど、せめてこの場にいる人に聞いてほしい! 父さんは明るい! とにかく明るい男だ! 明るくて太陽のようで、暗いときなど一片も存在しない!」


(これ明るいしか言ってなくね……?)


「工事の仕事をしていると聞いているし、作業現場に見学しにいったこともある! 誰からも頼りにされていない派遣だったが、僕は誰よりも信頼し、誇りに思っている! お金がなくてもとにかく明るい人だからね!」


(おいお父さんボロクソに言われてるよ。褒めているようで貶されてるよ)


 それからも熱井の熱弁は続き、三分が経過する。作文の内容はほとんどが明るいアピールで埋められていた。


「――というわけで、僕は将来父さんのようになる! 明るくて、とにかく明るくて、ここにいる全員を太陽のように照らす人間になる! こんな僕でもなってみせる! みんなも応援よろしく頼む!」


(もう充分明るいし暑苦しいよ……)


 発表が終わると盛大な拍手喝采が巻き起こり、神奈は驚いて肩を小さく震わせる。

 それからも生徒の発表は進んでいき、ついに笑里の番となる。


「それでは次は笑里ちゃんですね……。席を立って発表をお願いできますか?」


 様子がおかしいと気付いたのは一部の人間だけだった。顔色が悪いし、強張っている。手も僅かに震えている。そんな状態で立ち上がる笑里は作文用紙を持ちはしたが、俯いて一言も声を発しない。


 なぜならその作文用紙には――空白だけが存在していたから。


 笑里の頭の中はごちゃごちゃと、掃除されていない部屋のように散らかっていた。思考がうまく纏まらず、声を出そうと思っても出せない。

 決して作文が書けなかったからではない。もちろんそういったことへの心の負荷はあるが、一番の理由は父親の存在だ。風助の記憶を思い出すと死んだという事実が重くのしかかる。

 作文をいくら書こうとしても、鉛筆を持っては置いての繰り返しになっていた。


 夜見野公園に足を運ぶ理由は風助と会うためでもある。それは確かな繋がりを求めている傍ら、矛盾しているが現状の寂しさから脱却したくないと笑里は考えている。寂寥せきりょうから抜け出さなければ、本当は傍に居るかもしれない風助がまだ居てくれると思ってしまう。寂しがる自分を放っておかないことを笑里は知っているのだ。


 実際のところそれは正しいようで正しくない。風助は笑里が楽しそうにしていようと、見守りたいという想いから傍に居続ける。笑里の気持ちなど関係なく傍に居てくれる。


 神奈と話すようになってから笑里の心は二つに分断された。

 寂しい少女のままでいたいという想いと、このまま楽しく過ごしたいという想い。前者は苦しい道で、後者は楽な道だ。


 見えない風助を引き留めるということを諦めてしまえば、何も問題はない普通の少女には戻れる。ただ風助のことを諦める選択肢を選ぶ勇気がない。

 結論は未だに出ていない。作文の空白のように、笑里の頭は真っ白になっている。

 ――すなわち考えることを放棄してしまっている。


「笑里ちゃん?」

「……笑里」


 オレンジの瞳と髪が僅かに揺れる。

 教壇の後ろにいる教師の女性と、保護者の中にいる同じ色の目と髪の女性が心配そうな目を向けていた。笑里が目を動かせば、仲良くしてくれようとしている少女の姿もある。

 気がつけば教室中の注目が笑里に集まっていた。数十秒経っても声が発されないのだから当然だ。

 何かを言わなければと、謝らなければと、笑里が軽く眩暈を起こしつつも口を開く。


「すみません先生。時間もあるし、次の人に進めたらどうですかね」


 ――その前に、黒髪の少女が言い放った。

 目が合ったときには、神奈はもう見ていられないという気持ちになっていた。最初から笑里の家庭事情を知っていたので、こうなるかもしれないと予想していたのだ。

 担任教師はあたふたとしながらも頷く。


「そ、そうですね! 笑里ちゃんは座っていいですよ。時間が残っていたら発表するということで! な、なので次の夢野君お願いします!」


「えっ、はい。じゃあ読みます、僕のお父さんは……」


 よろよろと力が抜けたように笑里は席に座る。ゆっくりと神奈を見てみれば、もう授業に集中して前を向いていた。

 その後、授業参観は笑里を除いた生徒の作文を発表して終了となった。何人かの生徒は不満そうにしているが、担任教師はもう発表する時間は取らないと宣言している。


 すぐに帰りのホームルームも終わり、生徒も保護者も帰る時間になった。

 笑里は相変わらず覇気がない様子で教室を出ていき、神奈は後ろから声をかけようする。


「神谷、神奈ちゃん?」

「へ? あ、はい、そうですけど」


 声をかける前に、後ろから声をかけられる。誰かと思い神奈が振り向くと、物静かな雰囲気の女性が立っていた。オレンジの髪と瞳、そして顔つきからすぐに誰なのかを推測できた。


「もしかして……笑里のお母さん、ですか?」


「正解、よく分かったね。私が笑里の母の、秋野里香りかです」


「ど、どうも。一応娘さんと同じクラスの神谷神奈です」


「知ってるからね、さっきまでいたんだから」


 いきなり母親に声をかけられる理由など神奈には心当たりがない。困惑があり、笑里を見失うことになると分かっていても、無視して歩いて行くわけにもいかない。立ち止まって会話することを甘んじて受け入れる。


「ありがとうね」


「……え?」


「笑里が発表できていなかったとき、神奈ちゃんが気を遣ってくれたんだよね?」


 柔らかい笑顔で問いかけてくる里香に、神奈は恥ずかしさから目を逸らして頷く。


「やっぱり! 私一目で分かっちゃったからね。……神奈ちゃんはあの子のお友達? それともただの気まぐれで助けてくれたの?」


「友達です」


 神奈は二度目の問いかけに目を逸らさずに答えられた。


「うんうん、そっかお友達か。笑里が心なしか元気になってきたのも、神奈ちゃんのおかげかな。前は活発だったけど、今はすっかり別人みたいで、ちょっとだけでも元気になってるの見て嬉しかったよ。……これからも笑里をお願いね」


「安心してください。私は笑里から離れたりしません。それに、また以前のように戻してみせます」


 そう宣言してから、神奈は廊下をまた歩き始める。笑里の行く場所は分かっているので見失っても問題はない。

 学校から一度家に帰って荷物を置くと、もう一度外へ出て夜見野公園へと向かっていった。

 ――だがこのとき、神奈はどうしてもっと急がなかったのかと後悔することになる。

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