第15話 答え合わせ

 浮遊感を感じ深く沈み込むリースの意識に、ぼんやりと俯瞰した景色が見えてくる。何かを考える事が出来ずに、ただその景色を眺めてはそれが夢だとは気づかずにいた。


 青々と生い茂る新緑の森を眼下に眺め、鼻の奥にほんわりと秋を感じさせる香りが風と共にそこはかとなく漂ってくる。

 

 遠くの方で微かに歌が聞こえる。それは徐々にハッキリとしてきて、何処かの国の子守歌のようだ。


 聞いたことのない言葉ではあるが、そのゆっくりとした単調なリズムはとても心地よく何処か安心感を与えてくる。それに併せるかかのように優しい女性の声が一緒に響いてくる。


 だが、その声がどこか切なく哀しい感じがするのは何故だろうかとリースが感じ始めた時。浮遊感が突然なくなり次の瞬間には、リースは地面に足を付けていた。


 そして目の前にあのヴィノの姿がある。衣服は泥と返り血でボロボロになり、首から背中にかけて真新しい火傷が目に入る。ほぼ満身創痍の状態のまま、彼は右足に巻いた包帯から血が滲み出ているのさえ気づかずに、眼光鋭い視線を遠くに飛ばしていた。


 一体何を見ているの? と、リースが視線を向けるが、そこには黒い霧が見えるだけでその先を覗き見る事が出来ない。ただ、その先からはずっと聞こえている子守歌のような歌が聞こえるだけだった。


「…ヴィノ」


 誰かの声に視線を戻すと、そこにはウィンプルの無い神官服を着た金髪の少女の姿あった。少女はヴィノの腕を掴み顔をヴィノの肩に埋めならが何かを呟いている。


 リースはその少女のある所に目が留まった。


 その神官服の背に刺繍された紋様に見覚えがあったからだ。それは光の聖都『ウィルゴール・リブラ』の神官紋だ。加えてそれは世界十三柱の一柱『フラーム神』を信仰している中央大陸最大の宗教国家の国旗でもある。


 近づいてよく見ると所々裾や襟元、肘付近が切れていて、ドロや汚れが目立っていた。しかも神官服を着た少女の左腕には、生まれたばかりの赤ん坊が抱かれている。


 何で赤ん坊が? と思ったその時、少女が顔を上げた。歯を食いしばり、二つの小さな瞳から大粒の涙が溢れだしている。


 その少女は口を震わせ、何かを絞り出すように小さく言葉を紡いだ。


「ヴィノ…お願いだから…殺してよ…殺してよ…ヴィノ…」


 懇願する少女と視線を合わせたヴィノはしばしの沈黙の後に、ゆっくりと顔を横に振った。それはまるで『許してくれ』と瞳が語っているようにも見える。


 それを見た少女は唇を震わせ諦めた表情で俯くと、今度は握りしめた右手でヴィノの胸や肩を力なく叩き始めた。無言のまま何度も何度も叩く、それはまるで癇癪を起こした子供に近いだろう。


 その少女が何をそんなに嘆いているのか、あのヴィノがなぜあんなにも哀しい眼を向けているのかリースには理解できなかった。


 何もわからない、一つも考えが追いつかない。


 ただその間も、あの優しい子守歌の様な歌が響いてくる。その歌はまるで二人を慰めているかのようにも聞こえていた。






「むぅ…」


 山の稜線から昇る朝日を受けて、リースはゆっくりと重たい瞼を開いた。軽い頭痛と気怠さを感じる身体を起こした所で、自分が裸だという事に気づいた。


 慌ててウールの毛布で身体を隠してみたが、辺りに誰も居ないことに気が付くと大きく溜息を溢した。


 明るくなった所で自分の腹部を確認すると、甲冑蜂蜘蛛ティエグルスパイダーの毒針が刺さっていた痕跡は一切なく、擦り傷や顔の腫れも引いていた。


「本当に…夢じゃないんだよね」


 周りにある自分の服を手に取って広げると、乱暴に裂かれた服と血糊がまだ付着していた。それを眺めているうちにあの3人の非道な行為を思い出すと、不快な気分と一緒に悪寒が全身を駆け巡っていった。


 自分の背嚢から予備の服とローブを出して着替え始めよとした時、周りにヴィノが居ないことに気になりだした。


 交易野営地の周りは静かで気配さえ感じない。


「どこいったのよ? アイツ…」


 ヴィノの事を考えた瞬間、昨晩の行為も一緒に脳裏に蘇ってきた。瀕死の重傷からの口移し、身体に現れた副作用の苦しみから脱がされ、裸で密着の一夜を過ごした後は、最後の絞め落とし。


 思い出した瞬間、リースは赤面と青ざめを繰り返し込み上げる羞恥心や悶絶の衝動を必死に抑えながら、毛布に深く顔を埋めた。

 

 「アイツ、アイツ、もう!! なんなのよアイツはぁ!!」






 リースが目を覚ました丁度その頃、10分程離れた森の中に一台の商隊馬車が停泊している。


 その馬車の周りに本来要るべき人の気配は無く、ただ一人だけ車輪に身体を縛り付けられた男がいた。


「起きろ!!」


 乱暴に水を掛けられたアベル・ホスターはむせながら目を覚ました。


「トレントの干根はよく効くな。お前で最後だ。さあ、答え合わせといこうか」


「なっ、何? …何言ってんだ一体?」


 自身の身体が荷馬車の車輪に縛り付けれたアベルは身動きが取れずにいた。

 

 一体どうなってるんだ? 他の仲間はどうした? 

 

 突然の事に訳がわからず辺りを見渡すと、そこには一人の男が立っていた。見覚えのあるその男の名はヴィノだった。

 

 男の名を思い出すのと同時に、どこからか血の匂いが漂っている事に気づいた。


「おいちょっと待ってくれ。他の皆はどうしたんだ? 一体何をしたんだ?」


 直ぐにヴィノに訊ねるアベルだが返ってきたのはヴィノの蹴りだった。腹に貰った一撃は重く腹の奥に響くと、胃液交じりの汁を吐き出した。


「誰がしゃべっていいと言った。お前に発言権はない。俺が質問してお前が答える。俺の知っている情報と辻褄が合わなければ少し痛い思いをする。理解できたか? では、質問するぞ」


「待ってくれ、一体なんでっ…がぁ!!」


 今度は右頬を蹴り飛ばした。 


「お前の頭は蹴るのに丁度良い位置にあるから楽だな。歯が抜けて少しはしゃべりやすくなったか。もう少し準備が必要だが時間が惜しい。質問だアイツは何処だ?」


「アイツ?」


「俺と一緒にいたマッシュとか言う弓兵の冒険者だ」


 無機質のようなヴィノの瞳がアベルを凝視する。その言動一挙手一投足さえ見逃さないかのような、獲物の僅かな変化も逃さない狩人の瞳で。


「…知らんよ。誰だソイツは」


「そうか」


 単調に答えた後、ヴィノはスピアダガーナイフを取り出すと躊躇なくアベルの左耳を切り落とした。


 悲鳴を上げ声にならない言葉を吐き出した所に、焚き火に放り込んでいた焼炭を

火造り箸で掴み、それを出血代わりにアベルの傷口に押し付けた。


 ジュッ、と焼ける音が上がり肉の焼ける匂いが辺りに漂いだす。その間も白目をむいたアベルは叫喚を続けていた。


「血は止まったぞ。それじゃ答え合わせを続けようか。俺はマッシュアイツの足跡を辿ってここに着いた。そして順番にお前の仲間と答え合わせをした。今の答えはハゲで腹の出た男の6本目の指を落した所で奴は行き先を吐いたぞ。次の質問だ。何故俺を狙った? 次間違えたら鼻の穴が3つになるぞ」


 炭を捨て、血糊の付いたナイフをアベルの服の袖で拭うと質問を続けた。


「…なっ、なんでこんな事をするんだ。俺達は…ただの商人だぞ。こんな事してタダで済むと思ってるのか?」


「それが答えか? 予想とは外れた答えだが、違っている」


「よせやメろぉぉオぉ!! ああああああああああぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁ…」


 顔中油汗を滲ませ恐怖と困惑に顔を歪ませるアベルの鼻に、ヴィノのスピアダガーが突き刺さる。


 鼻腔は骨が無い為抵抗なく刃が進むと、ゆっくりとまさぐり傷口を広げてから引き抜いた。そして、また新しい焼炭を押し当てて止血処置を施す。


 それからも必死に止めるように懇願したアベルの行為は、全て裏目にでてしまい結果として更に苦痛を味わう事になった。


 ヴィノは無駄な動きを一切見せずに淡々と拷問作業をこなしていく。そこに感情は入らず行動に躊躇いなど皆無だ。


 もはや伊達男の面影すら無い赤黒い塊となった鼻から、まともに息を吸う事が出来なくなったアベルは、喉奥にから流れ込む鼻血にむせ返している。


「ここまでだ。答え合わせは終わりだ。お前は喋らないだろう。そろそろリースが起きる頃だから戻らないとな、最後に今お前はどうして自分達がこんな酷い目に合わなければならないんだと思っているが、俺から見ればお前達を殺す十分な理由がある。それがコレだ」


 ヴィノは足元にあった麻袋を解いて中身を地面に広げた。それは大人6人分の切断された右手だった。幾つかの手には指の欠損が見られ、全ての手甲に同じ刺青が施されていた。


「ご丁寧に隠蔽の魔法付与エンチャントが施されている。だが、いくら刺青を隠しても身体に染み付いた血の匂いまでは隠せなかったな。ああ、お前は上手く隠せていたぞ。現に俺がここに来るまでお前が『グラディウスの右腕』の残党とはわからなかったからな」


 正体を晒されたアベルは怒気を含めた顔でヴィノを睨みつけた。


「そうか…お前、俺達に恨みがあるのか…だが…組織はもう瓦解したぞ。恨みがあるにしても…仕事だったんだ…仕方がなかったんだよ。弱い奴は死ぬ…そんな事は当たり前の事だろうが…俺達にも…生活があったんだ…生きるために…それに…」


 水気交じりの声を吐きながら、精一杯言葉を紡ごうとするアベルを無視するかのように、その首へと再びヴィノの蹴りが撃ち込まれた。

 コキリっと鈍く何かが折れる音が鳴り、アベルの頭部が左肩の上から下へと長く垂れ下がり、ピクピクと痙攣を始めた。


「勘違いするなよ。最初からお前たちに恨みはない。これは約束だ。8年前に交わした約束だ。お前たちを全員殺さないと俺の約束が嘘になる。だらか約束を守る為にお前たちを殺している。お前たちに人間らしい死など与えん」


 それだけ告げるとヴィノは指笛を吹いた。


 それを合図に森の中で様子を伺っていたフォレストウルフ達が姿を見せ始めた。ヴィノを警戒してか彼から一定の距離を保ち様子を伺っている。


「ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ゥゥゥ」


 辺りに漂う血の匂いがフォレストウルフ達に食欲を注ぎ、皆昨晩は獲物を横取りにされたまま空腹で気が立っている。


「せめて森の肥やしになれ」


 祈りも哀れみの言葉も無くその場を後にしたヴィノの後で、フォレストウルフ達の食事が始まった。


 新鮮な人間の肉が7体もある。群れの胃袋を満たすのは十分過ぎるご馳走に、フォレストウルフ達は喜んで群がった。

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