怨霊

 帰郷して誠嗣の葬式に出席したのは、あれから一か月後のことだった。住んでたアパートの階段から転げ落ちて亡くなっているのを、大家さんに発見されたのだという。


 多分……誠嗣を殺したのは、アイツの背後にいた幽霊さんなんだろう。


 確かにアイツは、同情の余地のない外道だったかもしれない。でも、それでも……「俺が見捨てたせいで、アイツは死んだんじゃないか……」って思いが、俺の中で渦を巻いている。窮地に陥った人間が、藁をも掴む思い出頼ってきたというのに、俺はにべもなく突き放した。その結果……人一人が死んでしまった。


 ……いや、見捨てる見捨てない以前に、俺にできることなんか何もなかった。能力もないし人脈もない。泣きつかれたところで、「他を当たってくれ」としか言えない。俺はを持ってるだけの無力な一般人で、他人を心霊現象から助けるなんて思いもよらないことだった。


 それでも……昔の友人を救うために、何かできたんじゃないかって思える。幽霊さんと目を合わせられる俺が、幽霊の見えない誠嗣に代わって詫びを入れるとか……いや、そんなんで許してもらえるはずないでしょ。他にできること……何かあるか?


 まぁ、そんなこんなで……葬儀の後、俺はこれまでと変わらない生活を送……るはずだった。


 真夏の夜、蒸し暑い熱帯夜の中、コンビニに酒を買いに行った。帰り道、手に提げたエコバッグにぎっしり詰まった缶を見て、ヤバいな、と思った。最近はどうも飲酒量が増えてよくない。そう思うんだけど、やめられなかった。酒を飲んでる間は、色んなことを忘れられる。自分の意志で控えることなんかできなかった。


 次の健康診断でヤバい数値が出て、医者にメチャクチャ脅されるんだろうな……なんて考えていると、なんだか妙なニオイが、ツン、と鼻をついた。


「くっさ!」


 ひどい悪臭だった。ハエのたかったコイの死骸を河川敷で見たときのことを思い出した。脊椎動物が死んで、腐敗したときの悪臭にそっくりだった。


 ひとっこ一人いない路地。白い街灯と家屋の窓から漏れ出る光だけが、真夏の夜闇を照らしている。そんな中で、不意に香ってきた死臭。不快感というより、恐怖に襲われた。真夏の熱帯夜なのに、ぶるるっと背中が震えた。


 ……ケテクレ


 男の声と女の声が、背後から聞こえてきた。背中だけじゃなくて、俺の両脚もガクガクブルブル震えている。


 ……タスケテクレ


 ……タスケテクレ


 いや……耳で聞いているんじゃない。頭の中に「タスケテクレ」を流し込まれている。たまに幽霊が俺にしてくるように、一方的に流し込まれている。


「はぁ……はぁ……」


 呼吸が荒くなる。冷たい汗がぶわっとにじみ出て、俺の頬を伝っている。


 俺のすぐ背後……そこに。ものすごく恐ろしいヤツが、いる。


 ……そのとき、硬直していた俺の脚が動き出した。夜の路地をダッシュで駆け抜け、急いで俺の住むアパートに駆け込んだ。ボロい階段を駆け上がって、201号室の前に立った。早く鍵を開けて入りたかったが、ポケットの中に鍵がない。落としてきたのか。まずい。なんでこんなときに


 全身の汗が冷えて、体の震えがとまらない。ふと階段の下を見ると、光るものが見えた。俺の鍵だ。あともう少しってところで落としちまったのか。


 急いで階段を駆け下りた俺は、身を屈めて鍵を拾った。その場で立ち上がったそのとき、ぷん、と死臭が香った。


 目が、合った。


「――っ!」


 目の前に、誠嗣せいじが立っていた。頭はへこんでいて、頭頂部からダラダラ血を流している。病人のように蒼白な顔と、滴る赤い血が、見事な対照をなしていた。


 そこにいたのは、誠嗣だけじゃなかった。誠嗣の背後から、同じぐらい蒼白な顔の女がじっと顔をのぞかせていた。


 男の声と女の声が、頭の中に響いた。





助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ助けてくれ

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