この声はもう届かなくても

たつみ暁

この声はもう届かなくても

 私は、選ばれた神子みこだった。


 かつて聖神が治めていた世界。争いも諍いも無く、生命が寿命で死す事も無い世界は、天から堕ちてきた隕石による聖神の死、という形で、安寧の時代の終焉を迎えた。

 草木に満ちた大地は燃え、海は干上がって塩の大陸と化し、蒼穹は赤く染まって太陽を覆い隠して、聖神の加護を失った生命は次々と滅びた。そして、残った資源を巡って、生き残った者達は互いに武器を振りかざし、消える命は更に数を増した。

 そんな醜さを嘲笑うかのように、地上に降った隕石の爆心地グラウンド・ゼロから、異形の怪物が生まれ出でて、残る生命を喰らい始めた。

 この世界を壊してゼロに還そうとする存在。かれらは壊零カイレイと名付けられ、恐怖の象徴として、生きとし生ける者達に恐れられた。


 最早滅びを待つだけの世界で、絶望に沈んだ人々の前に、しかしある時、聖神の姿をとった幻影が現れて、宣ったという。


『私と同じ、銀の髪に紫の瞳を持つ少女が現れる時、彼女は私の代弁者として、世界を導くでしょう』


 それから数年後に生まれたのが、銀髪と紫の瞳を持つ、私だった。


 人々は狂ったのかとばかりに喜び踊ったという。やっと授かった娘を連れていかないでくれと懇願する私の両親を、聖神への御礼として火にくべ、その灰を、まだ満足に喋れもしない私に振りかけて、神子よ、神子よ、と囃し立てた。


 顔も知らない両親を奪われたことについて、私は特に何らの悔恨も感慨も抱かなかった。ただ、「そういうことがあったのか」とぼんやり話を聞くだけだった。


「お前の肉親の話だぞ。もっと連中を恨んでいい」


 心地良い低さの声で、唯一そう言って怒りの感情を露わにしたのは、私に壊零と戦う為の術を仕込んでくれた男性だった。

 ダンテ。そう名乗ったけれど、本名かはわからない。奥さんと子供を壊零によって失い、人々の先頭に立って戦う勇士の一人だ。その実力を評価されて、私の指南役に抜擢されたのだ。

 彼は、短剣を二振り両手に握って戦う、二刀流の使い手だった。あまり背が大きくなく、身軽に立ち回ることを重んじた結果、そうなるしかなかったのだという。

 小柄な少女に過ぎない私が師事を受けるには、うってつけの相手だったのだ。


 かくして私はダンテのもとで戦い方を学び、両手に短剣を二振り握って戦場を駆けることになった。

 壊零を前にして、不思議と恐怖は感じなかった。ダンテが共に駆けてくれるおかげか。先陣を切る彼の背中が頼もしくて、負ける気はしなかった。

 肩までの銀髪を振り乱し、雄叫びをあげながら跳ねて、壊零を斬り裂く私の姿は、壊零よりよほど化け物じみて見えたのではないだろうか。


 聖神の神子。壊零の殺戮者。二つの刃を振りかざして、私は戦った。

 それでも、地上の生命に光明は見えなかった。隕石から生まれる壊零は後を絶たず、味方はじりじりと数を減らして、赤い空は晴れること無く。

 滅びは、確実に迫りつつあった。

 自分達を救ってくれない神子に苛立った人々の間で、やがて誰かが言い出した。


「神子は戦うものではないのではないか? 聖神にお捧げするべきでは?」


 狂気の発言はしかし、一瞬で海が干上がった時のように、皆の心を焦がしていった。


「神子様。どうか聖神の身許へ行ってください」


「我々の未来の為に、どうかそのお命を」


「世界を救ってください」


 口々に身勝手なことを垂れ流しながら、両親を焼いたという火を持って迫ってくる人々と、私の間に、一人割り込む影があった。

 小柄な見慣れた背中。


「逃げろ」


 いつもの二刀流を構えて、肩越しに視線を向けながら、ダンテは言った。


「子供が死ぬところを見るなんて、一度でもううんざりだ。お前は生きて、生き抜いて、この世界を救う方法を探せ」


 それが別れの言葉とばかり、私の答えを待たずに、ダンテは短剣を振りかざして、迫り来る狂信者達の間に突っ込んでいった。

 一歩、二歩、後ずさる。

 震える膝を叱咤して踵を返し、私は走り出した。

 ダンテの辿るだろう運命を想像しながら、振り返るのが怖くて、目から溢れるものを流れるままに、叫びながら走り続けた。


 やがて、走り疲れて、息が切れて。

 炭化した森の中で、私は独り足を止めて、ぜえぜえと荒い息をついた。

 ダンテ、ダンテ。私の神曲ダンテだった、心地良い声の庇護者。彼はもういない。守ってくれない。その背中を追いかけることもできない。

 うずくまって膝に顔をうずめ、しゃくりあげていると。


『泣いている場合ではありませんよ』


 頭の中に、聞いたことの無い、だけどどこか懐かしい声が響いて、私ははっと顔を上げ、目をみはった。

 半ば透けて、周囲の風景に溶け込みそうな姿でたたずんでいる、銀の髪と紫の瞳を持つ、私によく似た面差しのひと。

 誰何をするまでもなく、その正体を悟る。


『壊零は、隕石の落下で滅びた私のかけら。この世界を終わらせるのは、私の意志』


 そうして、そのひとが手招きすると、獅子に似た壊零がどこからともなく現れ、私の前に平伏ひれふした。まるで、偉い人に忠誠を誓うかのように。


『この世界は永き安穏に浸かり過ぎました。一度、まっさらに戻すのです。壊零は、恐れなければ、すべてあなたに従うでしょう』


 聖神のくちびるが、三日月の弧を描く。それと同時に、その姿がどんどんかき消えてゆく。


『行きなさい、我が神子よ』


 聖神が消える頃には、一体、また一体と集った壊零が、私を取り囲んでいた。しかし、恐怖は感じない。彼らから敵意は感じない。

 むしろ、私を鼓舞しているかのようだ。

 私から両親を、静かな人生を、そしてダンテを奪った、彼らを討てと。

 私のくちびるも、知らず知らずの間に持ち上がっていた。腰の短剣を抜き、二刀流に構えると、万感の想いを込めて、刃に軽く口づける。

 やってみせようではないか、神子として。世界を導く使命と、生命を終わらせる使命。二つの刃をこの手に握り締めて。


 ダンテ。私が唯一頼り、唯一憧れたあなたに、この声はもう届かなくても。私は命尽きるまで戦い続ける。

 そして、全てが終わった後であなたに会えたら、きっと伝えよう。


 私はただの少女として、あなたと共に生きる未来が欲しかった、と。


 神子としての想いと、人としての想い。二刀を、あなたの胸に叩き込んで。

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