古文弱者が読む伊勢物語

まだら

芥河

 白玉かなんぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを

 伊勢物語の第六段にこのような歌がある。ある男が身分の高い女に恋をした。男は女を何年もかけて口説き落とし、やっとのことで盗み出す。逃げる途中に芥河という川を渡ろうとしたとき、女は草の上にある露を見て『かれは何ぞ』(あれは何ですか)と男に問う。雨風が激しくなり、雷さえ鳴るので男は嵐をしのぐためにあばら屋に女を押し込め、自分はその入り口で番をする。しかし、女は蔵の中にいた鬼に食われてしまう。そして、夜が明けてから女のいないことに気づいた男が詠んだのがこの歌である。

 この歌の意味を直訳すると、「白玉ですか、何ですか」とあなたが問うた時に私も露となって消えてしまえばよかったのに。という女を失った男の悲しみを詠んでいる。

 しかし、ここである疑問が浮かぶ。なぜ女は露を見て「あれは何か」と問うたのか。高貴な生まれだったから露を知らなかったという解釈もあるが、何だか腑に落ちない。そして、男はなぜそのことを歌に詠んでいるのか。逃げる道中には他にも様々なことを女と話していても不思議ではない。しかし物語では逃げる途中の描写はこの場面のみである。

 そこでこう考えてはどうだろうか。白玉と露は男を暗示しているとみるのである。白玉とは、価値の高いもの。つまり格別な存在、俗っぽい言い方をすれば運命の相手である。そして露とは、はかなくてすぐに消えてしまいそうな頼りにならない存在、つまらない男ということである。「あなたは私の運命の人ですか」露を見た女はこの質問を通して自分を盗み出した男にこう問いかけたのである。本文からは男がこの問いに対してどう答えたかはわからない。しかし、女は最終的に男の前からいなくなってしまうのである。

 男は、女がいなくなっているのを見てどう思っただろう。まさか鬼に食われたとは想像できまい。兄たちに連れ戻されたか(実際はそうなのだが)、いや、戸口で見張っていたからそんなことはあるはずがない。だとしたら、愛想を尽かされて逃げられたとしか考えられない。ああ、あなたは私をつまらない男だと思って見捨てなさってしまったのだなあ。そう思って男は足摺りをして泣く。そして、芥河での女のあの問いを思い出す。こうして逃げられるくらいならせめてあの時に消えてしまったらよかった。私はあなたの運命の人なんかではなかったのだから。女の質問の意図が男に伝わっていたとしたら、男はこのように思ったに違いない。

「あなたは白玉ですか、運命の人なのですか。」

「いいえ、あなたともどうせすぐに離れ離れになってしまう、露のようなつまらない男です。」

 男の悲しみは想像に余りある。

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古文弱者が読む伊勢物語 まだら @madara_wam

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