36.氷vs鉄 ＊＊＊
パルケードの展開した魔法陣から、雨の如き鉄の弾丸が放たれる。クアナはすかさず防御魔法陣を展開すると、それらを真っ向から受け止めた。
そして彼女の強みこそ、その器用さ。クアナは左手で防御魔法陣を展開したまま右手の指先に別の魔法陣を展開すると、薙ぎ払うような動作をする。
「氷魔法・
クアナの右手から先の地面には、鋭い刃を成した氷が飛び出す。そしてそれはパルケードを目指し、目にも留まらぬ速さで伸長した。
パルケードは老人と思えぬ軽い身のこなしで大きく飛びあがる。地面を這うように急接近する氷の刃は、男の後方の建物に衝突し止まった。
男は空中に漂うまま魔法陣を展開する。足元に展開したそれを踏み切ると、一挙にクアナへ距離を詰める。そしてその間、男はまたも新たな魔法陣を展開した。
「鉄魔法・
パルケードは造り出したサーベルを右手に握る。間もなくクアナを射程に捉えると、男は決死の刺突を繰り返した。
クアナは左手の防御魔法陣で受けようと試みるが、男の体重が乗った一撃はあまりに重たい。その一撃は魔法陣に亀裂を生じさせた。
パルケードは着地したが、攻撃の手を緩まらない。鈍重な一撃の次は、疾風の如く連撃が繰り出された。
「受けきれますかな……」
パルケード＝コミュレイト。ギルド魔導師を引退したその男が次の生業としたのは、魔導書の執筆であった。若き日から魔道を歩む男の魔法はあまりに洗練されており、そこに老いは感じられない。加えて年齢からは異常ともいえる身体能力もまた、クアナを苦しめた。
クアナは防御魔法陣を展開したまま、猛攻に押され少しずつ後方へ退いていく。すぐ背後にはレンガ造りの建物。ついに追い詰められてしまった。
（これ以上は……退けない……！）
そのとき、衝撃に耐えかねたクアナの魔法陣は鏡のように割れて散らばる。パルケードはここに勝機を見た。男のサーベルはとどめの突きを繰り出し、もはや生身となったクアナを襲う。
フェイバルは時計台を目指して走り続けた。その麓まではまだ幾分か距離がある。それでもクアナの示した場所へ一刻も早く到達すべく息を切らした。
しかしそのとき、思わぬ者たちがフェイバルの邪魔をする。
どこか虚ろな目をした人々は、一斉にこちらは視線を向けた。雨の中傘も差さずに、ただ俯いて濡れ続ける。血に飢えた獣に囲まれたとき、きっと同じ感情に陥るのだろう。
「……なんだ……こいつら」
フェイバルはその異様な光景に一時は足を止める。しかしすぐに我を取り戻すと、強引な突破を通試みた。
彼の足を止めた違和感は正しかった。次の瞬間、虚ろな目をした人々は一斉にフェイバルへ襲いかかる。その各々があらゆる方法をもってして攻撃を仕掛けた。
手前に立った数人は腰に帯びた魔法剣を抜くと、それをフェイバルへ振りかざす。
フェイバルは瞬時に全方位を防御魔法陣で固めた。剣と魔法陣が衝突し激しい音が響き渡る。
「テメェら何者だ！？」
質問には及ばなかった。そのときフェイバルが目についたのは、剣を握ったある男の指先。男の指にはめられていたものは、ギルド紋章が刻まれた指輪だった。
「……魔導師？ ギルド・グリモンの魔導師か……？」
敵の猛攻は躊躇いなく続けられる。遠方から飛来したのは魔法銃の弾丸。遅れて岩の塊と火の玉。ありとあらゆる魔法が秩序なくフェイバル目がけて飛び交った。
「おいおい……今それをしちまったら」
追撃は確かなにフェイバルの方向を捉えていた。しかしそれは男を負傷させることなく、フェイバルに近接攻撃を仕掛けた剣士たちに命中する。同じギルドであるはずの彼らが同士討ちをしたのだ。
本来ならば協力して依頼をこなすのが魔導師という生き物だというのに、彼らはそれを放棄した。各々がフェイバルを殺す為に、連携を度外視しているのだ。
「ったく、正気じゃねえな」
フェイバルは自身を囲むように展開していた防御魔法陣を押し出す。すると押し合いに負けた剣士たちは後方へと弾き飛ばされた。しかしその物量差は凄まじく、また別動の近接部隊がフェイバルに接近する。一瞬ばかり開けた視界はまた魔導師によって覆われた。
「クソっ、どんだけ居やがる……！ この急いでるときに！！」
そのとき苛立ちを隠せずにいるフェイバルの背後から、突如として爆音が鳴り響いた。相当数の魔導師が吹き飛ばされたあたりに散らばったのも束の間、聞き慣れた声が鳴る。せめてもの救いだった。
「フェイバル！ こりゃー何事だ？」
声の主はエンティス。状況はともかく、なんとか合流することだができた。
「分からねーよ。でもこいつらを止めなきゃならねぇってのは確からしい」
「なるほど。ならさっさと終わらすぞ」
パルケードのサーベルは、クアナの心臓を貫いた。しかしパルケードの顔から敵の死を確信した余裕は現れない。それは勝負が決していないことを理解していたから。
クアナの体は、サーベルで貫かれた胸の穴からひびが走り始める。その亀裂が広がれば、ついにそれは胸のあたりから崩れ落ちた。
次の瞬間、地面に散らばった氷の粒はひとつは徐々に膨張を始める。そしてそれは、束の間にクアナそのものを形作った。
「そっちはただの氷像でした」
行使したのは氷魔法・
クアナは続けざまに男へ距離を詰める。自身の右足を纏うように展開されたのは魔道の極地、多重魔法陣。攻守の切り替えの速さはパルケードの追随を許さず、低い体勢からの蹴りは男の両脚を薙ぎ払った。
パルケードは体勢を崩す。しかし男の執念だろうか、サーベルの先端は瞬時にクアナへと向けた。
「鉄魔法・
サーベルはクアナに届かないはずだった。しかし地面へと倒れるそのわずかな刹那、サーベルの先端は突然にして伸長した。思わぬ方法で間合いを広げた剣先は、クアナの肩を貫く。
クアナは不意を突かれ、後方へ退き再び距離をとる。敵が体勢を崩した好機は逃された。
「くっ……面倒ね」
肩から激しい痛みが走る。血が吹き出す肩を圧迫すると、クアナは保有するもう一つの魔法である治癒魔法で肩の傷を癒やし始めた。
「いてて……参りましたなぁ」
パルケードもまた戦況を立て直すべく、ゆっくりと立ち上がる。先端が血に染まったサーベルを胸の前で掲げる。その先端は、まるで植物の根が広がるかのごとき細やかな形状を有していた。
「刺突が成功した直後、先端をさらに変形させて傷を抉りました。治癒には時間を要しますな」
クアナは顔を歪めながらも、不敵に笑った。男はそれを不審に思ったようだが、クアナはその笑みを貼り付けたまま教えてやった。
「あら、あなたの脚はもう治癒なんて間に合わないわよ……？」
パルケードはクアナの言葉を聞くと、すぐさま自分の脚へ視線を向ける。
冷たさを感じる以前に麻痺したのだろう。パルケードの脚はクアナの蹴りを受けた箇所から徐々に範囲を広げながら、じわじわと凍りついているのだった。
「厄介な……」
「あなたの足に氷が貼り付いているのじゃなくて、肉体そのものが凍り付いているの」
パルケードは苦い表情を浮かべる。おもむろに胸ポケットからハンカチを取り出すと、それで太腿をキツく縛り上げた。
「まさかこんな小娘が秘技魔法の使い手だとは。思いもしませんでしたよ」
氷魔法秘技・
パルケードは鉄魔法・
凍り付いた脚は地面に倒れ込む。続けて簡易的な鉄の義足を造形した。
「関節は残しました。まだ十分動けますぞ」
「……降参しては、くれないのね」
【玲奈のメモ帳】
No.35 氷魔法
氷を発現させる魔法。魔法陣の色は水色。
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