第11話
目の前には何もない。
足元にも、頭上にも。
違う。
頭上にも足元にも、眼前にさえ、広がるのは果てのない空間だった。
一歩そこから足を踏み出せば、無限の深淵へと落ちてしまうのか。それとも彼方へと吸い込まれてゆくのか。チカチカと瞬く様々な色味の光点が星なのだと認識する暇もあればこそ。
脩はその場にうずくまる。
できるだけ小さくなろうと心がける。
いつかの霧の日のように、小さく。
いつの間にか、ほとばしっていた悲鳴は止まり、震えに取って代わられる。
どれくらいそうしていたのか。
細かくしゃくりあげながら脩は己が少しずつ落ち着いてゆくのを感じていた。
ひとつゆっくりと呼吸をし、顔を上げた。
つま先の少し先は、漆黒の宇宙だった。ほんの数センチほど足を進めれば、自分は宙に落ちるのか、浮かぶのか。
落ち着いて見れば、恐ろしいは恐ろしいなりに、とても美しい。
背後を振り返るよりも、前方の、見知らぬ宇宙を眺める。
ひとつとして見知った星座などはない。とはいえ、脩が知るのはオリオン座や白鳥座などの有名なものばかりだが、それらが見られない空というのは、自分のいる場所が知らないところだと知らしめられるかのようで、落ち着いた心が寂しさに取って代わられるような気がするのだった。
ぽつりと、宇宙空間に取り残された塵が自分なのだ。
そう。あの瞬く星のひとつよりもよほど小さい。
広い、広大無辺なこの宇宙空間のどこかに、あまた瞬く星々の中に、もしかしたら、自分の暮らしていた星があるのかもしれない。
ここがどこなのか、そんなことはいまだにわからないままだが。
もしも。
無意識に、脩の腕が持ち上がる。
このどこかに。
立ち上がる。
家族がいるのではないだろうか。
そうして。
一歩、まるで入水ででもあるかのように、足を踏み出した。
なにひとつ、抵抗を感じることはなかった。
脩自身が、目を見張る。
その時。
『何をやっているっ』
鋭い叱咤が脩の耳を射た。
「はなせっ」
掴まれた手首を振り払おうとして、全身がもんどりをうつ。
金の髪が視界をかすめた。
『死ぬぞ』
もう一方の手をつかもうと伸ばされたそれを、避ける。
銀の髪が、視界に広がる。
「俺はっ、帰るんだっ!」
わからないままにそう叫んだ時だった。
あるはずのない風がその空間に渦巻いたのは。
風は刹那のうちに暴風へと変貌し、渦をなした。
それは人一人を飲み込む程度のささやかな渦ではあった。
それでも。
その力は強かに脩を飲み込み何処かへと連れて行こうとその中央の口を広げた。
瞬時にして脩の足から腰までが飲み込まれる。
その時には宇宙空間で暴れた脩の意識はなかった。
それが幸いしたのに違いない。
脩の全身は損なわれることなく、渦に覆われたのだから。
最後まで空間に残されていた片手を彼自身すら思いもよらなかった現象に呆然となっていたオーロイレが捉えることができたのは、幸か不幸か。
同じく凝然と眼前の出来事を見つめるよりなかったラドカーンを取り残し、ふたりの姿は、宇宙から消えたのである。
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