第10話
穏やかな光の差し込む室内に旋律が流れる。
そのために設えられた一段高い舞台で奏でているのはブラックタイに身を包んだ三人の男とアフタヌーンドレス姿の二人の女である。
広々とした優雅な部屋の中で彼らの紡ぐアンサンブルに耳を傾けるのはソファに向かい合うふたりぎり。しかし、五人の男女がそれに不服を唱えることはない。この場でメロディを奏でることができるのは、本当に一握りの音楽家だけだと承知しているからだ。例えば彼らが各々所属していた音楽学院を含め、あらゆる部門の上層部、そのごく一部だけが把握していることだった。彼らに上層部から他言無用と打診が来た時は、己が常識を疑わずにはおれなかった。それほどの超現実的な僥倖に己らが与ることになったのだと。
誇りを胸に男女が音を奏でる。
『悠長に構えているが、大丈夫なのか?』
ラドカーンが口を開いた。
目を閉じて音楽に耳を傾けていたオーロイレがゆっくりと瞼を開いた。
『ヴェンツェルを待っているのなら、あれは自業自得だろう。己が役目も忘れて娯楽に身を投じているのだからな』
『戻るつもりなら、刹那で帰還は可能だからな』
ゆったりとした音色を奏でる弦楽器の高音部分が余韻を引く。
『興に乗りすぎて指揮官クラスに昇進していれば、そうそう気ままはできまいよ。それもまた自業自得だが』
『あれは、脳筋の部類に属するからな。血がたぎると抑制を忘れる』
で?
ラドカーンが口調を変える。
『おまえ、何を考えている』
『あれが動くのを待っている』
”あれ”が何を示唆しているのか、問いただすまでもない。
『お前だとて気づいているだろう』
『ああ。あれはまだ完全ではない、な』
『そう。完全に”こちら側”ではない。だから、待っているのだ』
『お前が動くのか』
『あれに関してはな』
クツクツと喉を震わせるのは、自嘲だった。
『我に名を与えた責任は取ってもらう』
『恐いな。お前を本気にさせるとは、あれもまったく不憫よな』
『それは、我ら三人
『違いない』
『当人はあずかり知らぬとはいえ、我らを本気にさせたのはあれだからな。二度と元の世界に戻しはしないさ。………覚悟しておくがいい』
しばらくの沈黙ののちに空気を震わせたのはその場にいないあの少年に対するものであった。
−−−そのためにも今一度。
穏やかな日差し差し込む心地よい音色に満ちた部屋には不似合いな
『それでは』
やおら立ち上がったオーロイレを、
『何かあったか』
見上げるラドカーンの双眸からは、何事かを期待する色が仄見える。
『イニャキ』
意味ありげな視線を送り、しかし、侍従を呼ぶ。
『音楽はもういい。しばし出てくる』
『かしこまりました』
腰を折るイニャキを尻目に、
『行くぞ』
どこへとも説明することなく、部屋を後にする。
それに数歩遅れながら、
『それで、我々の想われびとは何をしでかしたのかな?』
嘯くように問いかける。
『境界に行き当たったようだな』
『それはそれは』
『あの反応では、あれの世界はまだひとが
『さぞや恐ろしかろう』
『悲鳴を上げている』
『それでは、助けに馳せ参じなければならないな』
楽しそうに言うラドカーンを、
『趣味の悪い』
呆れたように振り返る。
『おまえほどかな?』
何事かをあてこする。
『
『まぁ、二度目がああだったから、今回もとはあらかじめ危惧してはいたが………』
鼻を鳴らし肩をすくめる。
『あれでこちら側に定着してくれたなら、力業での無理強いはせずに済んだのだが』
『どちらにしたところでヤノーシュにとっては最悪にはちがいない』
そう言い交しながらも、ふたりは違うことなく脩のいる場所を目指す。それはまるで、あらかじめ脩がそこへと向かうことを知っているかのようなよどみのなさだった。
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