短編3

第5話 世界を切り取る(前編)

 宮国みやぐに市は道が広い……らしい。

 そして人が少ない……らしい。

 だが、道路は車がかなりの速度で走っている……らしい。

 なので、自転車を並べて話しながら帰るというのは難しい。これは、らしいじゃない。確定。


 いちいち「らしい」とつけているのは、俺が宮国……広く見てもM県以外を知らないからだ。

 俺・阿久津あくつじんの最初の小説『デスバトルアイランド~2名生存~』も、リアルタイムで俺を窮地きゅうちに追い込んでいる二作目『密告フェス』・三作目『超かくれんぼ』も全国……全国っていうのは世界中って意味じゃなくて日本中って意味らしいが……日本全国で売られているらしいが、その作者である俺はM県宮国市しか知らない。だから、全部「らしい」だ。


「らしい」とつくようになっただけマシだ。

 俺は数ヶ月前、高校の部室棟ぶしつとうの屋上でとある出来事が起きるまでは、「らしい」とすら思っていなかった。日本中、どこでもこんなものだと。当然、言葉では都会とか田舎とか区別されると知っていたが、実感としては「少ししか変わらない」と思っていた。だが、小学生用の参考書を買っていろいろとデータを見て、かなりちがっているらしいと知って、驚いた。

 例えば……M県で、公園に一人のおっさんがいるとする。これが、東京では同じ広さの公園に48人のおっさんがいるらしい。怖すぎる。人口密度のちがい、というやつらしい。あ、べつにおっさんだけとは限らないのか。まあとにかく、同じ面積だと東京はM県の48倍、人間が詰まっているらしい。学校とか、どうなってるんだ。1つの教室に30人の48倍で……1500人ぐらいが入っているのか? マジで? え、それってどんな魔界だ? それとも、東京の学校の教室ってめちゃくちゃ広いのか?


 とにかく、俺は作家として生きていくために、知らなければならないこと、学ばなければならないことが多すぎると感じるようになった。だから最近は、気になることがあったら、すぐに聞くようにしている。

 担当編集の白戸しらとさんに聞くのが一番だと思う。でも、白戸さんは編集者であって俺の先生ではない。第一、俺以外にも作家をうんと抱えていて、そのすべての作品に対して、本が最も売れるように日々忙殺ぼうさつされているのだ。白戸さんの手をわずらわせないのも、俺が上げるべき能力なのだと思う。

 だから、小説関係について、ちょっとしたことを聞くのは――


いかり、寄り道しようぜ」


「うん、いいよ」


 俺は一時停止の前で自転車を止めると、後ろから付いてきている碇に向かって言った。

 2月の放課後、部室で読書会があった帰りなので、辺りはすでに闇だ。

 ヘッドライトが閃光せんこうのように横切ったのを見てから、俺たちは左に曲がっていつもの公園に入った。ベンチの横に、二台のママチャリをとめる。


 俺は公園の入り口にある、薄汚れた自販機に向かう。 

 形としては、俺が碇を付き合わせる形だ。

 辛うじて3桁万円の貯金を持つ高校生作家として、ここはジュースの一本ぐらいおごるのが筋だろう。


 碇……碇が好きそうな飲み物……

 あ、おしることか好きそうだな……

 俺は絶対飲まないけど……


 俺がコインを入れておしるこに指を向かわせたとき、


「コーヒーで」


 碇の声がした。

 振り返ると、碇がベンチから身を乗り出していた。


「お前……おごってもらう立場でリクエストって……」


「阿久津くん、


 力強く宣言された。

 心なしか、必死さまで感じる。


 なかなか図々しいやつだな……

 そんなにコーヒーが好きなのか?


「微糖? あ、そうだ……」


「阿久津くん、


「大丈夫、大丈夫。おすすめのがあるんだよ」


「普通――」


 俺は缶コーヒー・フレイムの『アレクサンドリア』を2つ買って、碇に渡す。


「……ありがとう。……あれ? 意外と普通……」


「そう思うだろ? これ、面白いんだよ」


「面白い? 缶コーヒーが……?」


「ああ。パッケージ裏見てみろって」


【缶コーヒー・フレイム アレクサンドリア】

『新しい飲み方』

1、最初に、パッケージのイラスト(アレクサンドリアの風景)をよく見てください


「……え? 新しい飲み方? パッケージの絵を、見るの?」

「そう。よーく見ろよ」


 碇は、電灯に照らされた缶のパッケージをいぶかしながら見る。

 どことなくエジプトっぽい街並みを、太陽が照らしているイラストだ。

 ……そう、写真じゃないんだよな。


「……見たけど」

「よし、じゃあ裏面に戻って2を見ろ」


2、フレイムの味を、香りを感じながら目を閉じると、あなたはアレクサンドリアにいます


「目を閉じるの!?」

「いるんだよ……ほら、ちゃんと目を閉じろ……」

「う、うん……」


 碇は目を閉じて、アレクサンドリア……アレクサンドリアってどこだ……たくさんあるんじゃなかったっけ……とにかく、アレクサンドリアっていう所にワープする。


「…………」

「見えるだろ? あなたは今、アレクサンドリアにいます……」

「ええええぇ……」


 目を閉じたまま、泣きそうな声を出しやがった。


「阿久津くん……次は……?」

「そう。2で一度目を閉じたら読めないんだよな」


 だから俺が代わりに読んでやった。


3、地中海に降り注ぐ太陽を全身に浴び、悠久の砂漠から雄大なエネルギーを吸い上げます


「あ、う、うん……?」

「吸い上げろ……」

「う、うん……? う、うんんん……?」



4、心の炎がチャージされます。-完-



「えええええぇ……」



 すごい「えええぇ」が出た。

 俺たちは笑った。


「この商品……まさか、阿久津くんが考えたの?」


「そんなわけあるか。企業の人が考えたんだろ」


「たしかに詩的だけど……詩的だけど……アレクサンドリアって馴染みがなさ過ぎて、全然イメージがわかないよ……コーヒーの名産地ってイメージも無いし……」


「だよな? やっぱりそうだよな? 俺だけかと思った」


 俺たちは再び笑った。


「この前、俺、一人で見つけてやったらさ、いつ目を開けていいのかわからなくて、すげー困ったんだよ。アレクサンドリアから出られなくなった」


「たしかに……2で目を閉じろって書いてあって、続く3と4が『書いてある』っていうのは滅茶苦茶だね……指示通り目を閉じたら、続きが読めない……」


「だろ? なんか、滅茶苦茶ツボに入ってさ。やっべーこれ面白い、これ考えたやつすげえって思った」


「う、うん……プロが考えたのかな……?」


「そりゃプロだろ。こんな面白いこと書けるなんて」


「ううん……う~ん……缶コーヒーなのに、味じゃなくて怪文書が特徴の缶コーヒー……」


 碇は首をかしげたり頭を抱えたりしている。

 そしてまた、イラストを見て、目を閉じて、アレクサンドリアにワープしている。

 忙しいやつだ。

 俺は、碇の心の炎がチャージされたのを見届けてから、言った。


「今日の読書会もすごかったな」


「うん。さすが足立先輩だね」


「いや、まあ……足立先輩とお前が、だけどな」


 碇はえへへと控えめに笑った。

 俺は数ヶ月前から、やはりある出来事をきっかけに文芸部の読書会に参加するようになった。それまでは、文芸部員なのに全部サボっていた。

 俺は他人の作品なんて読まないでも作品が書ける、必要ないと思っていたのだ。

 バカだった。

 特に、今日みたいな熾烈しれつな読書会を見せつけられた後ではそう思う。


「今日の課題図書……『朝顔の枯れない夏』……読んで良かった。すっげえ面白かったなぁ……」


「うん。尾形おがた啓介けいすけ先生は、本当にすごいんだ」


 外灯の下、碇は満面の笑みでそう言う。


「『朝顔の枯れない夏』もすごかったけど……碇と足立先輩の、尾形啓介ベストを決める戦いも見物だったぞ。『ファントム』がいいとか、『背の耳』がいいとか、聞いてるうちに全部読みたくなった」


「全部読むといいよ。阿久津くん、読んだ方がいいよ。絶対。家に全部あるから、今度持ってくるね」


「お、おう……1冊ずつでいいからな?」


 碇は本の話になると、普段は見せない積極性……というか強引さみたいなものを見せる。去年、俺のデスバ島の感想を語ったときも、めちゃくちゃ長くて詳細な感想を、作者である俺を置いてけぼりにして語っていた。小説だったら3ページびっしりぐらい、たぶん文字数で言ったら数千字というレベルで。

 こいつは本当に、本が……小説が好きなのだと思う。

 こいつに比べたら、俺は作家ではあっても、全然偽物だと思わされてしまう。


 第一、今日の課題図書だった『朝顔の枯れない夏』も……

 碇は、3年前……中1の夏休みには読んでいるのだ。

 俺はあの時に碇が書いた読書感想文を、忌ま忌ましさも手伝ってばっちり記憶していた。『朝顔の枯れない夏』は、あの感想文で碇がレビューしていた小説だ。すごく専門的な目線で。


 別に俺は批評家や編集者になりたいわけじゃないから、碇や足立先輩の舌鋒ぜっぽうの鋭さは「すげえ」と思うだけだ。


 だが悔しいのは、碇は『朝顔の枯れない夏』のミラクルな面白さを、俺よりも3年前に知って、そこから3年間生きていたということだ。当時の俺に「読め」といくら言っても読まないだろうし、能力的にも読めないと思うが、もし3年前に読めていたのなら『デスバ島』もさらに面白くなっていた可能性は高い。というか、小説というジャンル自体にどっぷりとハマっていた可能性も。


 ヒントは、あったのだ。

 変態・碇が選び、あそこまで勧める作品ということで。

 逃したのは、自分だ。

 まあ、仕方ない。それはそれ。悔やむようなことではない。


「はー……小説の世界ってすごいな。『朝顔の枯れない夏』みたいなの、書く人がいるんだもんな。というか同じ星月社だし……アクツとオガタで、棚めっちゃ近いし。俺、こんな人と同じ棚に本並べてたんだな……」


「阿久津くんの『デスバ島』だって、負けてないよ」


「『密告フェス』と『超かくれんぼ』は?」


「…………」


「黙るな!」


 まあいい、慰めを求めていたわけじゃない。

 俺がこいつを公園に誘ったのは、俺を強化するためだ。

 俺が強くなれば、大抵のことは解決するのだ。たぶん。

 そうであると、信じるしかない。


「いいよ。わかってる。今、まさに崖っぷち。大雨の日に『ひどいコンディションだな……燃えるぜ』って、ラリードライバーが言ってるあの感じ」


「えぇ……それ、頭が……」


「で、ちょっと相談がある。昨日書いたシーンを見てほしいんだ」


「いや……ネタバレは……」


「心配するな。実験的に書いただけのやつだから、固有名詞とかはないし」 


「そ、それなら……いいの、かな?」


「いいんだよ。作者の俺がそう言ってるんだ」


「じゃ、じゃあ……読もう……かな?」


 俺は、プリントアウトしてクリアファイルに入れた1枚の原稿を渡す。

 碇は、なぜか恐る恐るといった態度でそれを受け取る。


 俺は碇の反応を見守る。


 さあ、どうなんだ碇。

 お前なら読めるのか、その原稿が。


 果たしてその原稿は、お前に通じるのか――


「……!!」


 碇は、わずかに目を見開いて、声を震わせた。


「阿久津くん、これは――」

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