短編2

第2話 文章は語る(前編)



 いつ、本を読めるんだろう――?



 漠然ばくぜんと頭の中に浮かんだ言葉だった。

 帰りのホームルームが終わり、職員室へ向かう廊下で朽木くちきゆたかはふとそう思った。


 ここは21世紀も十数年が過ぎたM県宮国みやぐに市。

 東に山、西を海で挟まれた片田舎である。

 それでも、M県全体で見れば「街」である方。


 宮国市立第三中学校――三中さんちゅうに務める国語教諭・朽木豊は、生まれも育ちもM県だ。

 M県は、県の面積としては南北に大きい。

 しかし車に乗ればほとんど信号に捕まらず走れるので、そういう意味ではsまい。

 25年の教師生活、公立中学校教諭きょうゆの宿命として県内をたらい回しにされてきたが、県の中央に近い宮国に家を建ててからは遠いと感じることは無くなった。むしろ、車で通勤している間は一人だ。教師でも、夫でも親でもない。好きな音楽をかけて、少しだけ趣味の金額を上乗せした愛車のハンドルを握る――それが今では、最も気の置けない時間になっているかもしれない。

 ただ、運転中に本を読むことはできない。


 本を読みたいな――


 最近、やたらとそう思うようになった。

 えというより、かわきに近い。

 摂取せっしゅしないと体がきゅっとしぼられて痛くなるのではなく、摂取しないと全身がかさかさになってひび割れていく……瑞々みずみずしさを失っていく……そんな感じだ。

 少子化の影響で、1クラスの人数は昔に比べて4分の3まで減った。しかし、日々忙殺ぼうさつされることには変わりない。むしろ、一人っ子が増えたぶん、保護者からの要求は年を追うごとに苛烈かれつになっている。数年前までは「うちの子の面倒をみていただいて」だった宮国も、今では「うちの子の面倒を見させてあげてるのに」に変わってきた。たった一人の子供――にたった一つの生きがい――そんな宝石のように大事にされている子供たちを、クラスだけで30人も預かるのだ。こればかりは、中学よりも高校の教師になっておけばと思うところだった。受験が終わって「親が落ち着いた」後なら、神経を使うことももう少し少ないだろう。


 本を読みたい、だが――


 宮国では、未だに部活動がさかんである。

 時間を持て余した若者は不良になる――ネット遊びが出現して以来はそんなこともない気がするのだが、未だにそう信じている親や教師は多い。なので、暇を持て余すぐらいなら何でもいいから部活に入れ――そういう働きかけが、親にも教師にもある。結果、部活動……なぜか運動部が乱立し、週6日や週7日の部活漬けのメニューが組まれている。

 男性教諭のほとんどは、運動部の顧問に駆り出される。

 男子の運動部ならともかく、女子の運動部の顧問だってさせられる。

 これについては、本当に勘弁してくれと思う。

 俺は中学生たちに国語を教えたくて教師になったんだ。もちろん、生活指導や進路指導だってしっかりして、本人が少しでも「今が楽しい、将来も楽しそう」と思える日々に向かわせてやりたい。くさい言葉だが、本心だ。しかしこれだけは言いたい、俺はやったこともないスポーツの指導者をするために教師になったんじゃない……


 本を読みたかった。


 ささやかな抵抗として、新しい中学に赴任ふにんするたびに、運動部顧問にあてがわれる前に「文芸部」の顧問になってしまおうとした。だが今や、中学のほとんどに「文芸部」は存在しない。もう少し幅をせばめて「読書部」ならどうか……と、もがいたこともあった。芽がありそうな生徒たちを勧誘し、受験にも役立つからと子だけでなく親も説得し、組織して新設にこぎつけたときもあった。だが今の勤務先である三中では成功しなかった。

 朽木は現在、三中卓球部の顧問をしている。

 野球部やサッカー部などと比べれば、かなり楽な部類だ。むしろ野球のノックによる守備練習などは職人芸だ。なぜ学校教諭がやっているのか、不明なほどに。

 三中の卓球部は、大舞台を目指すような部活ではなかった。どちらかというと、レクリエーション寄りだ。というか、朽木がそう変えた。だから部活は始まりと終わりの挨拶にしか行かないし、朽木自体、卓球の腕前が並程度しかないことも白状している。1時間体を動かして、1時間休憩すればいい。さすがにスマホやタブレットで遊ぶことは論外だが、そうでもなければほどほどに雑談してもらってかまわない。ピンポン球を打ち合うのも青春だが、学年を超えた文化交流が生まれて見聞が広がることだって、大事なことだ。一生の遊び仲間、先輩や後輩が見つかればそれが一番いい。宮国のような小さな街なら、中高の親友同士のツテで仕事を回しあって食っていくことだって、大事な生き方だ。


 本を読むために……



 昇進、するか。



 かなりまいっているらしい。

 めちゃくちゃな考えが降ってきた。

 だが、教育現場の忙殺から距離を置くには、教頭や校長になるのが一番だった。


 教頭、さらに校長になるには、試験を受けて通過すればいい。

 M県の公立中学の校長は、やたらと体育科出身か美術科の出身が多い。

 はっきり言って、他教科に比べて時間があるからである。

 一週間に入れられるコマ数は国語・数学・理科・社会・英語の主要五教科とほぼ変わりなく、クラス運営の負担も同じだ。だが、毎日の授業の仕込み、テスト作成と採点、提出物の管理、高校受験対策など授業外の負担では雲泥うんでいの差がある。体育や美術の教師が暇なのではなく、主要五教科が忙しすぎるのだ。ましてハードな運動部の顧問までさせられていたら、五教科にいる教師たちは昇進を真っ先にあきらめる。朽木もそうして、管理職への道を諦めてきた。


 だが、40代も半ばを過ぎ、体力も気力も衰えてきた。

 幸いまだ老眼にはなっていないが、そろそろ来るだろう。

 三中にいる間は卓球部顧問を続けられるだろうが、次の中学ではそうとも限らない。可能性としては、今よりも忙しくなる可能性の方が高い。


 あれ? もしかしてこれ、俺の人生の岐路きろ……

 最後のチャンスなのでは……?


 昇進……

 教頭……校長かぁ……

 

 朽木は職員室に辿り着いた。

 放課後となっても、一日が終わったという感覚はまったくない。

 むしろ、授業は仕込みを実行する作業プロセスであって、本当の仕事はこれからだ。


 今日は少し立て込んでいるので、卓球部開始の挨拶は部長に任せると言っている。

 朽木は自席の鍵のかかる引き出しを開けて、さらにそこから鍵を取り出した。

 そして職員室の入り口側「選択国語」と書かれた箱に向かう。


「あら? 朽木先生、何かいいことあったんですか?」


「いや、そういうわけでは」


 入れ違いに入ってきた数学教師に意外な顔をされた。

 思わず、笑みがこぼれてしまっていたようだ。


 ……昇進すれば、本が読めるのかもしれない。

 でも……

 現場も、捨てがたくはあるんだよな……


 箱の鍵を開けると、乱雑に重なった紙の束がこぼれ落ちそうになった。

「選択国語」の生徒たちが書いた作文だった。

 A4用紙に、パソコン打ちの文章が印刷されている。

 これを読むのは、教師として何よりの楽しみだった。


 三中には、中学3年生の1学期と2学期にかけて「選択科目」がある。

 1週間に1日、2コマ連続という頻度だが、これを楽しみにしている教師は多い。

 というのも、中学2年生の終わりに希望を募り、可能な限り要望に沿った編成を行うからだ。つまり生徒たちはみんな「好きな科目」を選んで来ているわけで、普段の授業とはちがって、興味ややる気を持つ集団を相手に授業ができる。だから、少し踏み込んだ授業ができる。


 朽木の担当する「選択国語」は、20名の定員を超える28名もの応募者があった。

 正直、誇らしかった。

 公立中学教諭は決して人気商売ではないが、国語なんていう塾でも軽んじられがちな科目に28人。三中の規模からすると、かなり多い方だ。この学年を3年間受け持ってきた自分の頑張りが生徒たちに評価されたかのようで、嬉しい。第一希望からあぶれた生徒たちをかき集めても定員に達しない科目の方が多いのだ。


 ただ一つ、「選択国語」は妙なことになっていた。

 去年、1つ上の学年の「選択国語」を受け持っていた先生が、保護者からクレームを受けたというのだ。「もっと受験に役立つことを教えてほしい」と。


 去年の選択国語では毎週「読書会」をしていたそうだ。

 短編小説を配り、翌週に感想や解釈を言い合う。

 中には、志賀しが直哉なおやはんの犯罪』、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけやぶの中』(映画版の『羅生門』原作)のような、真相に対する解釈が分かれるリドル・ストーリーも扱って、生徒たちに解釈を戦わせたらしい。昔の作品だけでなく現代のリドル・ストーリーである澤麦さわむぎ伸粒つぶのぶ『追憶五連章』も扱ったそうだ。中学生たちの興味を引きつつ、読書に深みを持たせるいい試みだと思う。


 ところが、前年の選択国語が密かな人気科目として好評を博すようになっていた頃、保護者からクレームが入ったという。

「中3なのだから、本なんか読ませないで受験に役立つこと教えてほしい」と。

 ツッコミどころ満載ではあるものの、具体的には……? と聞くと、

「自己アピールの書き方をしっかり教えてほしい」とのこと。

 結局、その生徒には「個別対応」をすることになったそうだが、「朽木先生、今の保護者は要注意ですよ」と引き継ぎの際に言われた。


 そして今年の4月、新たな選択国語の最初の授業で、朽木は生徒たちに聞いた。


「国語を選んでくれてありがとう。なるべくなら、普段の授業ではできないような、楽しくて役立つ内容にしたい。そこで俺から提案だ。小説の書き方を学んで、うんと短かくてもいいから、小説を書いてみないか。将来作家になろうと思っていなくても、一度書き手の目線になってみると、今後小説を読むときもより深く楽しく読めると思うからだ。学校の授業で小説を習う時も、暇な時間に小説を読む時でも、きっとそうだ。……と、俺はそういうことをしたいと思ってるんだが……他のこと……例えば、受験のために自己アピールの書き方を学びたいって生徒も、いたりするか?」


 すると、なんと半分もの生徒が手を上げたのだ。


 うそ。

 ここは大学生の就活セミナーじゃないぞ。

 中学校だぞ。それも片田舎の。


 いや、そりゃまあ、小説を書く技術と、自己アピールを書く技術、どちらが人生で役に立つかと言ったら後者……間違いなく後者な気はするが……

 夢がないというか、現実見てるというか、いや、しっかりしているというか……

 ちょっと、準備するにしても早すぎないか?

 確かに最近は、作文入試も増えつつあるとは聞いているが……

 でもそれ、高校や大学が山ほどあって定員割れが始まっている都会の話だろ?

 宮国市内の高校では、一般入試で作文入試をするところなんてまだ無いぞ……

 公立高校の推薦入試にはあるけど、うちの中学から公立の推薦を受けるのなんて3人もいないだろうし……


 自己アピール……そんなに自己アピールしたいのか君たち……


 え、えええええ~……

 教えたくねえ~……


 だって君たち、アピールすること無いじゃん……

 いや、没個性と言いたいんじゃなくて、まだ15年そこらの人生、学校のシステムに乗って生きてきていたら、アピールできるものなんて溜まらないのが普通なんだ。

 たぶん、自己アピールを何か勘違いしてるだろう。

 自己アピールっていうのは、書き方よりも書ける内容・書かないでいい内容の方が大事なんだ。大人は言葉は信じない。人間が平気でいくらでも嘘をつける生き物だって知っているから。じゃあ何を信じるかと言ったら行動……「何をやってきたか」「何をやってこなかったか」を一番信じる。

『僕は、クラスのみんなから真面目で責任感があると言われます。欠点は、真面目すぎて融通がきかないと言われることです』

 と書いたところで、非行歴がズラーッと並んでいたら合格はできない。

 文章は上手いが書けることがない生徒と、文章は下手だが「ウス、柔道9年間やってます! 今年、ついにM県代表になれたっす! 小学校中学校9年皆勤賞っす! 勉強は得意じゃないけど嫌いでもないっす! 痛くないからっす! 根性はあると思うんで、高校では勉強でも部活でもばんばんしごいてほしいっす! オナシャス! アリシャッ、シタッ! シャスッ!」だと、前者と後者では1万点ぐらいの差がすでにある。前者の子が「中3から、週に1度ボランティアに通っていて」ぐらいの出来事を文豪並の筆で記しても、逆転は難しいだろう。


「えー……自己アピール、学びたい?」


 挙げられた10の手は下がらない。

 本読みだと思っていた女子からスポーツ万能の男子まで、多種多様な属性の生徒が手を挙げている。


「…………」


 何かをしたい、何かを学びたいという姿勢の生徒たちのやる気には応えたい。

 くじくようなことは、絶対にしたくない。


 なので、2コマ連続となっている選択国語の前半を小説の書き方、後半を自己アピールの書き方にして、興味のない方は執筆時間に充てていいとした。生徒たちにはそれぞれ、2学期の半ばに「完成品」を提出させることにしている。自己アピールチームについては、小論文的な課題もいくつかこなすものとして。


 そして現在、五月の後半の週末。

 臼井うすいまこと『ワンダーワールド』から出題した1学期の中間テストが終わり、進捗しんちょくの確認ということで、選択国語の生徒たちに提出を求めたのだ。

 できている所までプリントアウトしたものを、ホチキス止めして職員室前の箱に入れておくように。自己アピールは左の箱、小説は右の箱。箱は郵便ポストのように、一度入れたら取り出せず、中を見ることはできないから他人に読まれることはない。放課後すぐに見るから、教室への帰り道か掃除時間の間にに入れておけよ……


 俺はまず、小説の箱から取り出した提出物を数える。

 ホチキス止めされた紙の束が1、2、3……

 おお、確かに10。

 小説組の全員が提出している。えらい。

 プロの作家でも、締め切りを全然守れない人の方が多いと聞くのに。 


 さてさてどんなものを書いているのか……

 未来の作家はいるのだろうか……


 ん?


 あれ……?


 おいおい、これは……


 やらかしたな……

 中学生ども……!


   ***


「ぎぎぎぎぎぎ……」


 数分後、俺はうなっていた。

 目の前には、3つの原稿の束がある。

 パソコンからプリントして提出、と慣れないことをさせるとこうなるのか……

 生徒の不注意でもあったし、俺の不注意でもあった。

 小説を提出した10人の生徒。

 そのうち3人が、名前を書いていなかったのだ。

 作者不明の、書きかけの小説が3つ。

 

 どうする……?

 内容について添削……というか応援コメントはつけられるが、どうやって生徒たちに返す?

 実物を衆目しゅうもくさらして見せて確認させるわけにはいかない。

 ベストな解決方法は、「名前無かったけど、○○が書いたのって、~が出てくる話だよな?」と、こちらが見当を付けた状態で、こっそりと尋ねることだ。

 これなら本人は恥ずかしくないし、すごい、朽木先生よくわかりましたね、というかやっぱりわかります? 自分、文才あるのかな、えへへ…… みたいな、いいムードに持って行けそうだ。

 名前のない作品が3つあったぞ、心当たりのある者は取りに来い……では少し事務的すぎる。生徒たちは俺に、「自分が書いたもの」として読まれることを覚悟して提出したはずだから。出鼻をくじいて、その昂揚こうようを汚してしまう感じがする。


 手書きだったら、いくらでも見当はつくんだが……

 よりによって、パソコン打ちにさせてしまったのが痛い。


 俺は、ホチキス止めされた、タイトルも作者も不明の3作を再び読み直す。


【作品A】

“「なるほど。中尉はそういうけれど、その可能性は低いんじゃないのか。とりあえず、実戦配備してみたまえ。君に期待しているのは戦果だ。わかっているな?」。総帥は言った。アルベルトは納得できなかった。だけれど、これ以上はまずいと思って言い返さなかった。心の中では、このわからずやの年寄りめと言ってやったけれど。”


 まさかの軍事SF。

 宇宙での大規模戦争中、技術試験部隊に配属された青年技術士官アルベルト中尉が、新兵器と称してはいわきの欠陥品を総帥から送られ、実戦配備は無理だと総帥に抗議しているらしい。

 けっこう頑張っている設定だ。男子の作品だと思うが……



【作品B】

“時計を見ると、もう8時だった。仕事をやめて、帰っていい時間だ。しかし、舞菜まいな先輩はまだ頑張っている。小さいのに、男たちに負けないように頑張るところがかわいいと思う。僕は先輩に缶コーヒーを持っていった。黄色いパッケージの、どろどろに甘いやつだ。女子の中では背が高くてかっこいい系に見せようとしている先輩だけど、実は超甘党なのだ。ブラックなんて全然飲めない。”


 まさかのサラリーマンお仕事小説。

 このまま、オフィスラブものになるのだろうか。

 となると、作者は女子だろうか……



【作品C】

“稲妻が降り注いだ。「くそ……負けるもんか……!」俺は立っていた。どんな時でも、絶対に諦めない。勝てる可能性が1%でもあるなら、俺はそれに賭ける男だ。そうやって俺は、今日までまっすぐに進んできた。だから俺は、あの技を出す時だと思った。「くらえ、これが親父のハイキックだ!」死んだ親父から教わったハイキックを、サウザーはガード。そして言った。「笑わせるな。これがお前の親父のハイキックだと?」くそ、駄目か……そう思ったとき。「お前のハイキックは、お前の親父の何倍も強力だぜ……」なんと、そう言ってサウザーがふらついた。実況が言う。「ついにサウザーが倒れるのか!?」”


 話が途中から始まっているが、格闘技ものらしい。

 キックボクシング? 総合格闘技?

 それとも古代ローマの拳闘パンクラチオン……?

 微笑ましくなるノリだが、サウザーの台詞せりふ回しには光るものがある。

 たぶん男子……



 男子の作と思われるもの2つに、女子の作と思われるもの1つ。

 そして、ちょうど名前が漏れていたのは男子二人に女子一人だ。


 小説チームで名前が漏れていたのは、

 男子バスケ部のセンター、原田はらだ伶桜れお

 理科実験部の部長、保谷ほや来季らいき

 吹奏楽部のテナー奏者、千賀せんが三奈みな


 この3人が、それぞれの作者にちがいない。

 果たして、誰がどの作品なのか……


 イメージで考えれば、


 作品A、軍事SFが、保谷来季。

 作品B、オフィスラブが、千賀三奈。

 作品C、格闘技が、原田伶桜。


 これであっていそうな気がする。

 いや、だが何かがひっかかる。

 それに、バスケ部の原田伶桜が格闘技はどうなのだろう。

 バスケットボールは体の触れあいを禁じるスポーツだ。

 男子とはいえ、バスケに日夜汗を流している人間が、わざわざ蹴り合い殴り合いの小説を書こうとするだろうか……?

 そもそも書くなら、バスケが題材では……?

 バスケを離れて書くものとしては、うまく出来すぎているというか……


 これで……週明け、生徒に当たってみるか。

 当たっていいのか?

 何か俺は……

 とんでもない見落としをしているんじゃないか……?


 その時だった。



「失礼します……」



 幽霊のような消え入りそうな声が、扉の方からした。 

 そして音を立てないように、職員室のドアがゆっくりと開かれる。


 現れたのは、ニヤニヤ顔でカラフルなエプロンに三角巾をつけた少年……


 いかり哲史郎てつしろうだった。


 盆の上に、所狭ところせましとカップケーキを並べている。


 え、なんだ、お前は。

 どういう登場の仕方だ。


 三角巾をつけているし、幽霊のコスプレ?

 最近の幽霊は、カップケーキを職員室に運ぶのか?


「あの……選択家庭科で作って……」


 ああ、選択家庭科か。

 碇、選択家庭科だったな……


 碇は3年生を受け持つ教師の「島」にそろそろと歩み寄って、カップケーキを配ろうとしている。


「いっぱい作って、余ったから……」


 そういうことは言わないで言い。


 ん……待てよ……?


 そうだ、こいつだ。

 中1の夏、尾形おがた啓介けいすけ『朝顔の枯れない夏』の読書感想文で、校長すら動かして文集を作らせた国語の申し子。

 つい先日も『ワンダーワールド』の問題点を解説して志築麻衣からドン引きされた、碇哲史郎じゃないか。


 碇なら……

 この作者不明の3作品、誰のものか当てられるかもしれない!

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