壊れた世界の群雄譚

稲荷 鈴

第1話 初陣

「……。」

長い黒髪をなびかせながら、その少年は無言で得物を振りかざす。虎によく似た真っ黒なそれから赤黒い液体が飛び散り、流れ出し、倒れたそこに異色の水たまりをつくった。確かな手応えを感じたのだろう。人影はそちらの方には見向きもせず、周りを取り巻く同じ形をした獣たちに、次へ次と標的を切り替えては短剣で切り付けていく。

黒いフードのついたローブと腰まで届く黒髪が得物を振るうたびに揺れている。静かな雰囲気を纏う金色の瞳は、真っ黒な容姿のなかでは一際目立つ。歳は10に満たないくらいだろうか。まだ、女性らしいとも、男性らしいとも判断できない幼い顔。髪の長さから女の子のように見えるが、性別は男である。

どこまで続いているのだろうか。広大な緑生い茂る森の中、彼のいるこの辺りでは、他にも戦闘音が響き渡っている。少し辺りを見渡せば、両手で数えられるくらいの人間が、各々武器を手にしているのが確認できる。それに対するは例の獣たち。好戦的に襲い掛かるものもあるが、止まることなく4本の足を動かして進んでいるものもある。彼らは、その獣たちを先に進ませないように立ち回っているように見える。好戦的な方の数も少なくはなく、あちらの数が圧倒的に上だが、寡を持って衆を制す。それらを捌きつつ、すべてとはいかないが離れていこうとするものの牽制もこなしている。

「うわっ!さすがに多くないか⁉」

1人を除いては。

声を上げたのは、山吹色の髪の青年。彼もまた右手に短剣を手にしている。かなり苦戦しているようだが、何頭かはしとめたようで、その周りにはもともと黒いため分かりにくいが、焦げた死体が転がっている。たまに刃を振るいながら、次々とくる猛攻を危なっかしくかわしていくも、それはいつまでもは続かない。青年が気づいたときには攻撃が目の前に迫っていた。

「うそ、だろ」

死を覚悟したのか、目をつぶる。

どさっ。爪が喉を掻き抉ろうとした次の瞬間、その獣は血を流して倒れていた。首元には矢が刺さっている。衝撃が来ないことに疑問を抱き青年は目を開く。彼もその死体を見たのだろうが、それについて考えるよりも前に右から飛び掛かってくる獣に目を奪われる。しかし、次の攻撃も彼に届くことはなかった。獣との間に立ったのは筆架叉という三叉の武器を両手に携えた短髪の男性。

「援護はなるべくする。だから、できるだけ頑張ってくれっ!」

そう言ってその男は元居た場所へと戻っていく。

あちらは何とかなりそうだ。

心配そうに戦闘の合間にそちらの方を伺っていた黒髪の少年は、その状況を確認して目をそらした。

他のことばかり気にしている場合ではない。ただでさえ光の届きにくい木々の下で、さらに暗い闇が頭上に降り注ぐ。ふと顔を上げると、跳躍した一頭が斜め上から喉元を狙っている。咄嗟に地面を蹴り空中へと飛び上がるも、退避した場所が悪かった。もう一頭別の個体が同時に地面を離れ、近づいてきていた。太い腕を振り上げて攻撃をしくる。何とか態勢を整え刃で受けたが、空中で受け止めることなどできるはずもなく、小さな身体は勢いよく飛んでいく。

進行方向に次々と障害物が迫る。器用なことに、ぶつかりそうになるその度に空中で身を翻して避けていく。予想していたよりも強い力で飛ばされてしまったようで、なかなか速度は弱まらない。

このままでは埒があかない。彼は腰の袋から濁った怪しい色味の結晶を一つ取り出した。そしてそれを握ると赤い線が結晶上を走り、瞬時に不思議な模様があらわれる。


対角線の結ばれた六角形だろうか。大きさの異なるそれが二つ重なっている。それを囲むように二重円が二つ。さらにその二重円と二重円の間には読めない文字。その円で囲まれた記号は、別の一回り大きなものの内部に、接した形で配置されている。大きな方には六角形の代わりに接した三つの円。読めない文字も同じように描かれているが、小さい方とは異なっている。


また目の前に障害物である木が迫る。しかし、次は避けようとはせず、彼はその結晶をぶつかろうとしている木の方へと向ける。すると、その記号と同じものが光の線として前方に現れ、そこから強風が吹きだした。その風が目の前の木に衝突し、跳ね返ったそれが彼の身体を押す。

「うっ、」

風で勢いを抑えたとはいえ、衝撃は弱くはない。手傷を負った今が好機と思ったのか、周りの獣たちは彼へと注意を向け、我先にと迫りくる。しかし、障害物をよけて進んでいたことで、かなりの距離を移動している。そのため、獣たちとの距離もとれていたようで、立て直す時間はありそうだ。強打した左肩を庇いながら立ち上がる。

「おい、≪食人鬼(グール)≫!なにへばってやがる!」

一人の男の怒鳴るような声が耳に届く。≪食人鬼(グール)≫と呼ばれた彼は、声の聞こえた方へ目を向ける。

深紅の瞳。顔は、険しい表情で、きりっと上がった眉が特徴的だ。肩に届きそうな長さの薄茶色の髪は後ろの方で縛っている。灰色の着物に、黒の馬乗り袴。背中には弓と矢を背負っている。

「一人いなくなるだけで、どれだけの魔物が出ていくと思ってるんだ。迷惑かけるんじゃねぇっ!」

両手に持った二本の刀で敵を両断しながら、そう言う。

「分かってる。」

≪食人鬼(グール)≫は、誰にも聞こえないくらいの声でぼそりと呟いて、迫り寄ってくる獣たちに向き直る。握っていた結晶を先ほどとは違う袋に片付けて、もう一つの袋からまた同じような結晶を取り出す。そして、また、赤い線が一つの形をつくっていく。


二つの四重円。それは先ほどのものと同じように配置されている。小さい方の円の内部には、六角形が一つ。対角線が結ばれているのは変わっていない。もう一つの方には、三つの菱形が合わさり風車のような形をつくったものが、先ほどと同じ三つの円で描かれた記号に重なる形で描かれている。そして、またもや描かれる読めない文字の羅列。


握っていた手を広げると、その結晶は宙に浮かび上がる。光の線がまた宙(そら)に現れた。そして、現れたのは燃え盛る赤い炎。この結晶を中心として、前方に散らばって放たれる。飛びかかってきた獣たちはそれをまともに喰らい、肌を焼かれる痛みの中、纏わりつく赤い光を追い払おうと身をよじらせている。しかし、引火したほとんどは焦げた臭いを漂わせて倒れてしまった。

炎を放ち終えるとすぐに、その結晶は、光の線も片付けて役目を終えたように、そのまま重力に従って落下を始める。彼は、それが地面につく前にさっとつかみ取った。

炎の直撃を免れた獣たちは、同族が焼かれていることなど気にせずに、そのまま前進し襲い掛かってくる。目の前で燃えているそれを恐れず飛び越えてくるため、中には燃え移った炎に苦しんでいるものもある。そして、同じように倒れていく。

黒髪の少年は、炎に飲まれずに飛びかかってくる残りの獣たちに刃を向ける。

自分から標的の方に向かう手間が省けるため、効率はいいかもしれない。

彼はそう思いながら、自分の前に群がるそれらを葬っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る