第5話

「せっかくだから、俺たち、お祝いしたかったんだ」



 動きの少ないジャンボは、ずっと手の中にあるパネルを見つめていた。

誕生日おめでとう、なんて言葉を自分に向けられたのはいつ以来だろう。

まだ父親が生きていた、6歳の頃。

養成学校に入る前に少しだけ、お祝いのようなことはしたかもしれない。

けれど、こんなに華やかな飾り付けは記憶になかった。


 壁という壁に、色鮮やかな紙の飾りがとりつけられて、そこから紙の鎖がゆるやかに伸びて、まるで映画の中のワンシーンのようだった。

チョコはほうけるジャンボの手を引き、テーブルまで連れていく。

すると、所狭しとバニラが作り上げた手料理が並んでいた。

もちろん下ごしらえくらいはチョコも手伝ったが、バニラの料理のセンスは凄まじかった。


 とはいえ、これも学友に聞いて回って、そのお母さんたちが、友人を通して間接的に教えてくれたのだ。

ウチの設備でどうやって北京ダックを作り上げたのか聞きたいが、バニラは得意げに笑うばかりだった。

バニラはなにかまだ大きな料理と対峙していたが、ジャンボが席に着くのを見て、サッと手を拭いて共に腰かける。

チョコもジャンボが起きるまで我慢していたようで、並ぶ豪華なご飯に目を輝かせながら座った。


 そして、二人は誕生日の歌を歌う。

なんとなく調子っぱずれなその声は、照れも含んでいたが、ジャンボの誕生日をしっかり祝った。

そして歌い終えると二人はジャンボへ向かって拍手をする。



「おめでとう!!」



 二人は輝くような笑顔で笑った。

さっきまでジメジメとした暗い所で横たわっていたはずなのに、太陽の光が一気にジャンボを照らした。

涙腺が本当に弱くてしょうがない。

ジャンボは涙が溢れてきてしまった。

二人は泣くなよ〜なんて言いつつ、ご飯食べよ!なんて、元気づけるようにジャンボに言った。



「今朝、起きたらお前らがいなくてさ」



 食事を始めると、ジャンボはぽそりと言い出した。



「全部、夢だったのかなって思った。俺が無理に連れてきただけなのに、ずっと一緒に暮らせて、こんなにも楽しいから……」



 なんとも後ろ向きな言葉に二人は気まずそうにする。



「一晩泊まりに行っただけなんだぜ」

「な。おかしいよなぁ……なんでだろう」



 ジャンボはバニラが作った料理に箸をのばし、そして、その美味しさにまた心を揺さぶられた。

部屋は明るく華やかで、料理もこんなに美味しくて、チョコとバニラは闇を照らすようにジャンボの前にいた。



「誕生日が、苦手なんだ」



 やっとの思いで吐き出した。

こんなにもお祝いしてもらってるのに、黙っているのは不誠実な気がして。



「なんか誕生日にあったの?」

「……誕生日の数日前に、父親が殺されたんだ。それ自体は多分、自業自得だったと思う」



 重たい話だ。

こんなにカラフルで華やかで素敵な場所で、この話をしていいのだろうかと、まだジャンボは迷っていた。

しかし、バニラとチョコは決して目をそらさなかった。



「誕生日のお祝い自体は、こんなにしっかりやったことはなくて。そもそも、金持ちってほどの家じゃなかったし。

大体は正月に家族全員分を一度に祝ってた。でも、誕生日に何もしなかったってわけじゃなくて、父親はたぶん、俺へのプレゼントを買った帰りだったんだと思う」



 血まみれの小さなおもちゃは、新品なのに壊れて動かなかった。



「その数日後には俺は誕生日だったけど、もちろん祝うよりも、父親の死の方がよっぽど響いてて、なんにもめでたくなくて。

でも、外に出たらみんな、晴れやかに笑ってるんだ。

国慶節を祝って、踊りを披露してたり、それこそ京劇の舞台も街中で披露してたり、露店が立ち並んで、どこかから紙吹雪が飛んできた。

それを見て俺は……人が一人死んだって、世界って変わらず動くんだなって、思った」



 もうその年の終わりには、ジャンボは養成学校へ入っていた。

学校では特に誕生日祝いなんてやるはずもなくて、いつしかジャンボは自分の誕生日をどこか遠くへと追いやった。

今日は華やかなお祝いの日だ。国慶節だ。建国の喜びを国民は様々な形で表して、街中は笑顔で溢れる。


 それは俺を祝うものでは無い。当たり前の言葉で、お祭り騒ぎに背を向けた。

なぜこんな日に生まれてしまったのだろう。

誕生日を忘れることさえできなかった。外に出れば「お前をお祝いしてるんだよ」という、父親の声がよみがえる。

もう顔も思い出せない人なのに、毎年この日だけは、その言葉が浮かんだ。



「ジャンボはさ、まだお父さんの喪に服したいの?」



 どきっとして顔を上げる。

チョコとバニラは真っ直ぐな目で自分を見ていた。



「俺たちはさ、ジャンボの誕生日を、誕生日としてお祝いしたい。ありがとうって気持ちもあるから」

「な。俺たちからしたらジャンボが父ちゃんなんだし」



 父ちゃん。

不意にバニラが発した言葉で、三人は同時に照れた。



「いや、や、ジャンボはジャンボだよ!別に父ちゃんなんて立場だけじゃなくたっていいとは思うし!」



 バニラは一番照れてめちゃくちゃな動きで後ずさり、椅子から立ち上がった。

チョコはジャンボとふと目があって、照れて俯いた。

ジャンボ自身も多分、自分で自覚している以上に、照れた顔をしているのだろう。



「そうかぁ。そうだよな」



 ジャンボは嬉しそうに笑った。

やっと、30年分の肩の力が抜けたような、そんな優しい笑顔で。



「いいなぁ、父ちゃんって。呼んでくれてもいいんだぞ」

「やだよー!ジャンボはジャンボじゃん!」



 バニラは背中を向けたまま、ふてくされて言った。

チョコはなんだかソワソワして、呼んでみようかななんて思って、一人で勝手に照れている。

馬鹿だなぁ、自分も含めて。

そうジャンボはまた笑った。



「いいから料理食べてよ!テーブルがあかないだろ!」

「はいはい」



 ジャンボは並んだ料理が、どれも自分の好物だと気がつく。

まれに外食する時に頼んだものを、バニラは覚えていたのだろうか。

なんというかこれは。



「俺に対してお前ら、過保護すぎない?」



 からかうように笑った。バニラはまたなんだか怒っている。

チョコはまだ父ちゃんと呼ぼうとして、ひゃーとか言っている。

そうして皿がいくつか空いた時、バニラは皿を回収して、大きな料理をどんっと置いた。

切糕チエガオだ。蒸したもち米に甘いなつめを挟んで、その表面にも綺麗になつめで飾り立てた、見た目は洋菓子のような華やかさの、優しい甘さのお菓子。

封をしてきた誕生日の記憶がふっとよみがえる。



「これ、好きだったんだ」

「本当に?良かった……」



 ひと仕事終えたように、バニラは汗を拭きながら、椅子に腰かけた。

いつまでもひゃーひゃー言ってるチョコに肘鉄をして、二人は一触即発になっている。

しかし、ジャンボが微笑ましくその姿を見つめるものだから、二人はなんとなく落ち着かない。



「なんだよ。酒飲んで荒れてるかと思ったら、ニヤニヤして」

「はやく食べろよ。好きなんだろ」



 二人はすねたように口をとがらせる。

ジャンボは笑ってばかりだった。こんな日が来るなんて、思ったこともなかったのに。



「もっと、小さいのしか見たことなくてさ。いつか腹いっぱい切糕を食べてみたいなぁなんて思ってた」

「ふうーん……本当は何作るか色々迷ってたんだ。糖葫盧タンフールー【※3】とか宮廷奶酪ゴンティンナイラオ【※4】とか」

「えっ、お前、作ろうと思えば作れるのか……?」

「たぶん?いけんじゃね?」

「本当に凄いな……」



――――――――――


【※3】小さなリンゴのような見た目で、甘酸っぱい山査子サンザシという果物を長い串に5〜6個刺して、飴をかけて固めたもの。北の地方の冬のおやつ。



【※4】奶酪とはチーズのこと。宮廷奶酪は牛乳プリン。中国の甘酒である酒酿ジョウニャンをしぼってこした液を牛乳に混ぜ蒸したもの。爽やかな酸味と甘みがある。カスタードやストロベリーの風味がついたものもある。

主に北京のおかし。


――――――――――



 チョコは横で「俺も手伝ったし!」と主張していたので、ジャンボはその頭を撫でた。

するとバニラもなんとなく待機してたので、バニラの頭も撫でた。

二人の成長はあまりにも目まぐるしくて、素敵だなぁと思う。

切糕を一口食べた。懐かしい味だ。

もう、20年以上も食べていなかったはずなのに。



「なんだよ。また泣いてるの?」

「まぁまぁ、泣き虫だよね。ジャンボも」



 二人は悪い顔になり、からかうようにジャンボの頭を撫でた。

しかし、ジャンボは優しく笑って、その手をどけようとはしなかった。

いつもなら「なんだよ、俺が保護者なんだぞ!」なんて、半分は本気で怒ってたのに。

むしろ、優しく笑って受け入れている姿の方が「父親」という言葉を連想させた。



「もー!調子狂うな!」



 バニラはいちぬけたと逃げ出すように、自分の椅子に戻る。

チョコはなんとなく照れて、手は伸ばしていないがまだ横にいた。

ジャンボはそんなチョコを抱えて、膝の上に乗せた。



「さー、切糕食べるか」

「な、な、なんだよ!」



 チョコは真っ赤な顔で膝の上に収まる。

物凄く子供扱いされている気分だ、いまさら。

でも、こんなのも悪くないなと思った。


 ジャンボはバニラも手招きする。

バニラは不服そうにぷいっと顔を背けたが、ジャンボは軽々とバニラも持ち上げた。



「や、やめろよ!俺、そんなガキじゃねーし!」

「いいだろ、誕生日くらい」

「ずるいぞ!もうお祝いしてやんないからな!」



 ジャンボは二人を抱えて幸せそうに笑った。



「今日だけでも充分だよ。ありがとう」



 チョコが責めるようにバニラを見る。

とうとうバニラも諦めた。仕方ない、ジャンボだから。



「……嘘だよ。お祝いするよ!ずっと!」



 やけくそになってバニラは叫んだ。

チョコは俺もー!なんて、ニッコニコだ。

ジャンボはそんな二人を抱えたまま、幸せを噛み締めるように言った。



「俺もお前たちの誕生日、お祝いしたいな」



 チョコとバニラはドキリとする。

チョコは誕生日を思い出せないし、バニラはやはり誕生日なんてものはとっくの昔に捨てていて。

どうしようかと溜息をつくと、チョコが言う。



「じゃ、話し合ってどの日にするか決めよーぜ」

「はぁ?」

「いいじゃん。お祝い出来る日に祝えたらさ」



 ハッとする。チョコはバニラを気遣っての発言だった。

バニラは泣きそうになり俯いた。

そんな二人をジャンボはずっと抱きしめていた。



「いつでもいいよ。でも、誕生日ってこんなに嬉しいんだって、お前たちのおかげでやっと思い出せたから」



 華やかな飾り付けも、並べられた豪華な料理も、その全てがジャンボのためのものだった。

世間は国慶節のお祝いの最中だろう。

それだってもちろんめでたい。けれど、その隅っこで、こんなお祝いがあってもいいかもしれない。



「ありがとうな。チョコ、バニラ」



 二人は照れながらも頷いた。

今日は少しだけ夜更かしして、三人でチョコとバニラの誕生日についても話し合った。

四合院の一室から、優しい光がずっと伸びる。

生まれてきてよかったなぁ、なんて大げさだろうか。

言葉にはしなかったが、ジャンボは今日だけは、胸の内にハッキリとそんな思いが浮かんだ。

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