ジャンボの誕生日(夜光虫シリーズ)

レント

第1話

 ふと、目を覚ました。

秋の肌寒さの中で、ぼんやりとまぶたを開き、そして隣を見た。

寝台は広く間延びして、空っぽな布団がどこまでも広がる。

あれ、なんて思って、濁った思考は回らず、上体を起こした。


 ここに人がいたはずなんだけど。

寝ぼけたままそんなことを思って、ああ、チョコとバニラは、と目を伏せた。

今日は休みをとってある。

休みを取ってくれと二人から言われていたからだ。

もうずいぶんと前に忘れていた、一人で過ごす休日がよみがえる。

なにもない。この布団のように空っぽな休日を。


 台所までふらふらと歩き、そしてシンク下に隠した白酒パイチョウを取りだした。

別に隠す必要ももうないのだけど、習慣となってしまったから、白酒の置き場はいつもここだった。

小瓶の奥に一つだけ、封の空いてない大瓶がある。

「五十六度」と書かれた酒は、いつもの小瓶と同じラベルなのに、ずっしりと重かった。


 寝起き早々、その大瓶とコップを持って、テーブルの方へ歩く。

寝起きといっても、朝より昼に近い。

大瓶の蓋を開けて、コップに注いでいった。

透明な酒は、トラブルを呼んだこともあったっけ。

そんなことを回想しつつ、無言のまま酒を口に運んだ。

酒のあても特にない。水も用意する気も起きない。

すると、度数の高い酒は容赦なく内臓を焼き、喉と胃が一度に痺れた。


 酒を飲んで目が回るタイプというより、ストレスが濁るだけで、正気が無くなる訳でもなくて、ただぼんやりとやけに静かな室内を見ていた。

チョコとバニラがいる日々は、賑やかでうるさくて、面白くてうっとうしくて、かけがえがなくて。

それ以前の日々を吹き飛ばしてしまうほどに、明るく辛く楽しく悲しく最高で。


 一言で表せる日々ではなかった。

もちろん、一人暮らしの時の方が気楽だと思ったことも何度もある。

けれど、そんなことを口にする前に、てんわやんわな毎日と笑顔に包まれた。

だからこそ、一人というのはこんなにも静かなのだと、改めて過去を思い出す。


 チョコとバニラがこの家に来る前の……自分が無理に二人を連れてくる前の生活だ。

仕事のことはわりとはっきりと覚えてる。

今、突然俳優の仕事を辞めて、工場に戻ったとしても、なんの違和感もなくこなせてしまうだろう。

そして、帰り道の子供向けの露店など目にも入らず、真横を通っても存在に気が付きもせず、いつもと同じ店で、いつもと同じものだけを買って帰るのだろう。


 あの頃に食べた夕食の味は全く思い出せなかった。

たぶん、酒を毎日飲んでいたせいもある。

多少酒に強い体質のおかげで、次の日に響くことはあまり無かった。

響いても気にもならなかった。ただ、仕事さえこなせれば、それだけで良かったから。


 今は少しだけ前と違った。

酒を飲んでは寝ていた休日に、時おり外から聞こえる、どこかの家の子供の声が混ざる。

ただの騒音のひとつでしかなかった。

なのに今は、その声が妙に輝いて聞こえて、子供を持つというのはこういう事かと、他人事のように思った。


 いくら酒に強くても、量を加減しなければ、飲み方を加減しなければ、やはり強烈に酔う。

白酒だけがこの部屋にあるようで、それを飲む自分というのも曖昧になった。

どうして昼間っから酒を飲んでるんだっけ。

二人がいないからだ。チョコとバニラがいないと、本当に何もやることがないんだな、なんて今更のように気がついた。


 いや……そもそも本当に二人は存在したのだろうか。

全て夢だったんじゃないだろうか。

二人の姿は簡単に酒で霞んだ。

飲みすぎだ。目が回るタイプではなかったはずなのに、ぐらぐらと視界が揺れる。

それでもコップを口に運んだ。

もう肌寒さも感じず、思考もまとまらず、アルコールの中に沈んでいった。


 全部、おかしくなった自分の幻覚だったのかもしれない。

その方が自然だ。

突然、結婚もしてないのに子供二人と暮らし始めるなんて、正気の沙汰じゃない。

そう噂されることも何度もあったのだから。いや、あれも幻か……。


 ジャンボはテーブルにもたれて、大瓶を見つめて、目を閉じた。

目を閉じてからも、握ったコップを口に運んで、ただアルコールを流し込んだ。

酒の味にこだわりもない。ただ、酔えればそれでよくて。


 気が付くとジャンボは酔いつぶれて寝ていた。

一人暮らしの日々を思い出したせいだろうか。

夢は酷く冷たくて、空虚で、自分が透明人間のようにふらふらと街をさまよっていた。

そして、それをつらいとも思わなかった。

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