第43話 妖しい雰囲気
「それに、あと二つ理由があるの」
と彼女は続けた。
「一つは、広い世界が見たくなった。狭い井戸の中が嫌になったから。
それからもう一つ。井戸端で水浴びなんてイヤ。広くて奇麗で清潔なお風呂が好き。だから、お風呂さえ使わせてもらえるのなら、どこでもいいってわけ。分かった?」
そう言って、俺の目を覗き込むようにして見つめてくる。
実は、彼女のどこでもいいという言葉に、おれは一抹の寂しさを感じていたのである。
「そうなんだ。妖怪は
「いいよ、別に」
「そうか、妖怪は一処に出るとは限らない。人間のいる場所ならどこにでも出る。何故なら、人間が好きだから」
おれは、バスガールの言葉を反芻するように、ぼんやりと
「そう。人間が好きだから」
彼女も同じ言葉を繰り返す。
相変わらず、おれの目を食い入るように見つめながら。
妖怪はどこにでも出没する。それはそうだろう。爺ちゃんから九州で聞かされていた妖怪が、実際にここでも出たんだから。
「駄目だな、こいつ」
おれが考え込んでいると、バスガールが独り言のように言った。
「えっ?」
「いや、いいの。……でも、例外もある」
「例外?」
「そう。例えば地縛霊。特定の場所に執着があるか、或いはその場所で自分が死んだと言うことが理解できず、そこにとどまったままでいる。だから、その場所以外に現れることはない。多くは人間の霊なんだけども、妖怪にもそういうのがいる」
「そうか、分かったぞ」
おれは思わず手を打った。
「有難う、バスガール。そうか、そうなんだ。乱れ髪も影法師も、何かの理由でこの家に執着し、ここに
清さんが言うようにおれに役目があるとしたら、彼らをこの家から解放してやることなのかもしれない。
しかし、この家の契約期間中はおれがどこにいようと出てくると、
しばらく考えた後、一つの結論に達した。
恐らく、彼女におれは見込まれたのではないだろうか。この人間になら、自分の問題を解決することができるのではないかと。そして、それを成し遂げてくれるまでは、この人間に取り憑いて離れないと。
「なあ、バスガール」
と、おれは話しかけた。
「おれってどんな人間なんだろう? おれは自身は自分のことを、ただのせっかちで怒りっぽい、つまらない人間に過ぎないと思っているんだけど」
「知ってるよ」
いとも簡単に言われる。
いささか拍子抜けがしたので、更にまくしたてた。
「それだけじゃない。喧嘩っ早い割には、腕力には自信がなく、いざというときにはからっきし意気地がない。悪口ならいくらでも口をついて出てくるが、弁舌で人を言い負かすのは、大の苦手だ。
そのうえ、閉所恐怖症で、方向音痴で、無精者の面倒臭がり屋だ。肝心な時に、気の利いた台詞一つ言えない」
モンジ老から言われた『性欲の塊』というのは、あえて言わなかった。おれぐらいの年齢で、そうでない者がいるものか。それに欠点でも何でもあるまい。
「それも知ってるよ」
とバスガール。
ちょっと待った! おれは通販番組のように心の中で叫んでいた。それも知ってるって、〈それ〉の中に『性欲の塊』は含まれてないよな。
いや大丈夫だ、念は抑えたはずだ。この頃だいぶコントロールできるようになったんだから。
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