2節 前 生かされる男

 多くの国民から見送られながら俺とハーズベルグが乗った馬車は動き始めた。

 冒険の始まり、といえば聞こえはいい。が、これが体のいい追い出しであることを俺は気付いていた。もし仮にテレムティアの伝説が本当だとしても、それを信じる人間がいるだろうか。それはまだ国が成立する前の、例えば村とかそういったものの時くらいか、子供の枕元で聞かせる御伽噺の類だろう。

 むしろ俺のような存在は邪魔になるのだ。こと平和な、戦争と自国のことのみを考えなければならないとき以外は。下手な伝説は現実の政敵になる。戦争の英雄が平和になった途端どういう扱いをされてきたか、想像に難くない。

ゴルダーニア三世からしたらむしろ温情をかけてやったくらい、と思うだろう。あれほど盛大な式典も政治的判断というやつで、国民に建物や式典を行うことで権威を見せつけ、また隣国にもそれをけん制とすることで下手な攻撃を避けようとしているのだ。どうもここの王はなかなかしたたかなようだ。


「浮かない顔ですな」

 ハーズベルグはまた子犬のような顔をしてうかがってくる。

「色々と考えることがあってね」

「そうでしたか。いえ、足りないものなどがあったらいつでも伺えと王から言われていたものですから」

 なぜこれほど人懐っこい男が一角の男になれたのか。不思議でならなかった。俺がマコト・リグレーとなってから一度近衛兵団の待機室に案内されたことがあったが、どいつもこいつも屈強で目つきの鋭い男たちばかりであった。

 しいて言うなら挨拶に立ち上がった男が一番童顔であった。それがこいつなのだが、本当に目立ってはいた。筋肉もりもりの体にどこかの国の王子様みたいな顔をとってつけた人形のようなアンバランスさが妙に際立っていたくらいだ。

「むしろなぜハーズベルグはなぜそんなに楽しそうなんだい」

 ハーズベルグは驚いたような顔をした。

「むしろマコト殿。なぜそのような疑問を」

「いや。単純に疑問に思っただけさ。疑問に思っちゃいけないかい」

「そんなこと滅相もない。私のような下の男をお気にされていたのか、と思いまして」

「そうだな……。ハーズベルグ」

「はい」

「確かに俺はこの国では大層な存在なのかもしれない。でもここに来る前は仕事ひとつろくにままならない男だったんだ」

「なにをおっしゃいますか」

「いや、本当のことなんだ。少なくとも君たちは俺をテレムティア、来訪者として扱ってくれているから言えるんだけど、ここに来る前の俺はハーズベルグを呼び捨てにしていいような男じゃない。むしろ俺はハーズベルグに近づくことすら許されないような男だったんだ」

「そうでしょうか」

「残念ながらね。少なくとも俺はこの世界で生きるために、この国が求める姿で生きようとしているにすぎない。いわば処世術のためにやっているだけなんだ。だから、今までの来訪者がどうかは知らないけど俺は勇気をもって戦うことも出来なければ、この国や地域に平和をもたらす力を持っているわけでもない」

「……」

「単なる、男。それもハーズベルグのように日々鍛錬することが出来ないような男だったんだよ」

「そんなことございませんよ」

 彼は俺の話をすべて聞いた後、するりと吐き出すように言った。

 それが逆に違和感を浮かばせるのだ。

「どうしてそう思うんだ。言ってしまえば俺は浮浪者みたいな存在じゃないか。服装と聖書を読めたことが根拠と皆いうが、それは俺が勉強していたからかもしれない。服だってなんとか体のいいものを集めたら作れるかもしれない。そうじゃないか」

「それは……私も思いましたが」

「だろう。今時御伽噺のような伝説を信じるやつなんかこの世界にはいるのかい? そりゃあ子供の頃なら信じれるさ。悪い竜がいて、それに立ち向かう伝説の勇者がいて平和を収める。それは子供の頃なら誰だって信じられるさ。でもそれはあくまで御伽噺なんだって、ハーズベルクもわかるだろう?」

「……ええ」

「だから、なぜみんな俺を信じたんだろう、って。俺はわからないんだよ」

 ハーズベルクは黙り込んだ。ただ馬車が揺れる音だけが響く。


 ここまで喋って俺は若干の後悔を覚えていた。なんで親しいわけでもない相手にこんな愚痴みたいなものをぶちまけてしまったのだろうか。少しでも冷静でいたらこんな事はしていなかったはずだ。

 俺がハーズベルクに言ったように、この御輿に担がれているのはあくまで処世術としてだ。この世界で生きる方法もよくわかっていない俺が必死になって手繰り寄せたたった一つの生き方なのだ。王の気が変わればいつだって首を撥ねられる立場であることなど重々承知だ。

 言い換えればこれ以外の生き方がないのだ。

 むしろ傀儡として生きられるだけましなのだ。もしテレムティア伝説がなければ俺は死んでいたかしたのだろう。今度はたまたま運がよかっただけなのだ。

 だが、今度は傀儡としてのギャップに苦しんでいる。

 俺は言うほど、立派な人間じゃない。

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