公家と海賊がダブルヘッド・ノコギリザメと戦う話

武州人也

公家と海賊の難破

 時は戦国の世。もと全土を覆う戦乱とはまるで無縁な孤島に、二人の男が流れ着いた。


「釣れたぞ、食え」


 小島の砂浜で、みすぼらしい身なりをしたひげ面の男が、隣に座る公家姿の若い男に小魚を手渡していた。公家姿といっても、顔の白粉は汗で剥げ落ち、烏帽子と狩衣は砂まみれである。携えた弓を、まるでお守りのように固く握っていた。


「ふむ、無礼を許そうぞ」

「何だてめぇ偉そうだな。まぁいい、黙って食え」


 ひげ面男の手の中で跳ねる小魚を、公家は渋々といった風に受け取った。公家は小刀を使って捌こうとしたがうまく行かず、しまいにはそのままかぶりついた。


「……存外、悪くないものでおじゃるな。麿まろは気に入ったぞ」

「そうだろ」


 そのまましばらく、二人はもくして魚を食らっていた。二人の目の前には、青い海が広がっている。その海面からは、三角の背びれがいくつも突き出ていて、ぐるぐると島の外周を回っていた。


「そういや、公家さんの名前を聞いてなかったな。俺ぁ重兵衛じゅうべえっつうんだ」

冷泉れいぜい中将ちゅうじょうじゃ。中将、でいいぞよ」


 冷泉左中将為季ためすえ。彼は戦乱によって荒廃した京を逃れて航海中、海賊の襲撃を受けた。恐らく海賊は相手を文弱な公家と侮ったのだろう。だが彼は決して軟弱者ではなかった。和漢の古典籍を修めるのみならず、武術にも秀でる二刀使いであったのだ。

 中将はすかさず弓を引き、海賊数人を射倒した。そして自分の船が爆弾と銃撃を受けて沈みゆくのを見るや、敵の船に乗り込んで頭目を斬り殺し、舵取りを太刀で脅迫してまんまと船を乗っ取った。


 そこまではよかった。


 晴れていた空が、にわかに暗雲を集め出した。それが嵐を呼び込み、船は大いに揺らされた挙句、気づけば舵取りの男――重兵衛とともに、どことも知れぬ無人島に流されていた。

 砂浜に打ち上げられた船は辛うじて使えそうだった。しかし、この海域はサメが多いらしく、目視できる距離にサメが群れをなしている。このサメたちが、島脱出の障害になっていた。


「中将さんよ、勘違いしないでくれよ。俺ぁあんたの武力が必要だから、仕方なく食いもん分けてやってんだ」

麿まろも分かっておる。じゃが……助かった暁には、そちの功を帝に言上し、官位を下賜されるよう図らってやろう」


 中将の言葉を聞いた重兵衛は、ふっと微笑した。都を逃れる公家に、そのようなことができようはずもない。


「そうかい、期待してるぜ」

「そちの働き次第でおじゃるがな」


 中将は小魚を綺麗に食べ尽くし、骨を砂の上に置いた。


「そちの持っている焙烙玉ほうろくだまは」

「これ一つだけだ」


 重兵衛は懐から、導火線のついた丸い陶器を取り出した。焙烙玉という、一種の爆弾である。


「そっちの矢はどうなんだ」

「ひいふうみい……五本でおじゃるな」

「ちっ……少ねぇな」

「そこもとの賊どものせいでおじゃろう」


 そう、重兵衛にとって中将は仲間を殺した男であり、中将にとって重兵衛は自分を襲った賊の仲間である。それでも、今は手を取り合うより他はないのである。


「このままでは水ものうなって渇き死にじゃ。はよう漕ぎ出しなはれ」

「このふかどもの群れにか? 餌になっちまうぞ」

「賊のくせに怯懦きょうだでおじゃるな」


 皮肉な笑いを浮かべる中将を、重兵衛はしばし憎らしげに睨んでいた。が、やがて折れたかのように、しぶしぶ船に近寄った。

 そうして、二人は船に乗り込んだ。血に飢えた鮫たちのひしめく、悪魔の海へと。


「中将さんよ、あんたの腕にかかってんだ。ちゃんと戦えよ」

「言うに及ばぬ」


 中将は矢をつがえ、引き絞った。漕ぎ出してそう経たないうちに、さっそく鮫たちが船に体当たりをかましてきた。


「わわっ!」

「おい中将大丈夫か!?」

「何のこれしき!」


 中将はすぐに体勢を立て直し、突き出た背びれの一つをめがけて矢を放った。海面に赤いものが散らされ、背びれが水中に沈んでいく。見事な弓射だ。

 船の背後から、ひときわ大きな背びれが近づいていた。中将が気づいたとき、それは海面から跳びあがり、中将に襲いかかった。

 

「な、なんと大きな!」


 物凄く大きな鮫が、船に身を乗り上げた。体当たりされた中将は、そのはずみで矢を海中に落としてしまった。


「こ、この化け物!」


 腰の太刀を抜こうとした中将であったが、鮫の頭はすぐそこまで迫ってきている。剥き出しの歯はのこぎりのようで、噛まれればたちどころに肉を裂いてしまうだろう。

 中将が何とか太刀を抜いた、その時、


 海水が、山のように盛り上がった。水をかき分けて出てきたそれは、二つの頭を持ち、その鼻先は鋸のようになっている、物の怪としか思えないような鮫であった。

 その鋸が振るわれ、中将を襲った鮫は腹を一刀両断されてしまった。断たれた鮫の体は、そのまま海へ沈んでいった。


「い、今の見たでおじゃるか!?」

「と、とんでもねぇ化け物だ……」


 泡を噴かんばかりの面持ちをした重兵衛は、船を漕ぐ手を速めた。が、どうやらあの物の怪は船を敵と見做したらしい。一際大きな背びれが、猛然と船を追いかけてきた。


「ほ、焙烙玉に火をつけよ!」

「分かってらぁ!」


 重兵衛は火打ち石をかちかち鳴らしている。が、焙烙玉の導火線にはなかなか火がつかない。

 そうこうしている間に、猛追してきた怪物鮫が、とうとう船の尻を捉えた。一度潜った鮫は、二つの鋸で船を挟むように跳躍した。

 船の後部が、真っ二つにされた。重兵衛は焙烙玉を抱えたまま、海中へと滑り落ちていく。

 

 その先に、怪物鮫は待ち構えていた。


「た、助けてくれぇ!」


 重兵衛は脚で鮫の頭を蹴ったが、そんな抵抗を小うるさく思われたのか、鋸状の吻を振るわれ、膝の部分から左脚を切り落とされた。そしてそのまま、重兵衛は左頭の口に咥えられてしまった。

 ここまで呉越同舟してきた重兵衛は、もう助からない。このままでは、自分もやられる……助かる道を模索する中将の目に入ったのは、今にも呑まれそうな重兵衛の抱える焙烙玉であった。

 背負った矢筒に、矢はまだ一本残っていた。その鏃に縄を結びつけると、重兵衛の残した火打石を打ち鳴らした。苦闘の末、矢に結んだ縄に火がついた。


「醜い鱶よ、その口を開けておじゃれ」


 弓を引き、心のうちに神への祈念を捧げた中将は、その手を離した。矢は真っすぐ、重兵衛を咥える左の頭へと飛んでいく。


 矢は、もう事切れていた重兵衛の腕に刺さった。その火が焙烙玉に引火し、爆発を起こした。双頭の鋸鮫は跡形もなく吹き飛び、中将の体もまた、爆風によって後方に飛ばされ、海に体を叩きつけた。


 その後、歴史の表舞台から姿を消した中将は、名も知らぬ小島に流れ着いた。和漢の教養を尊ばれた彼は、島民に篤く敬われながら過ごしたという。

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