短編集「川に流される人たち」
木沢 真流
私は何も悪く無い
ただの平和なパーティだった
——夢に違いない ——
「せーの、かんぱーい」
辰雄の掛け声で、5つのグラスがカチン、と音を立てた。
私を含め、3つはシャンパン、2つは子ども用のノンアルコールドリンクだった。
ごくごくと飲み干した辰雄が、ぶはー、と声をあげた。
「いやー、コロナで大変な時はこんな日が来るとは思わなかったよな、やっぱりパーティは最高だな」
横で微笑むのは奥さんの美沙恵さん。その慎ましやかに微笑みを見ていると、豪快な辰雄をここまで支えてきた縁の下の力持ちなんだろう、ということが容易に想像できた。
「パパ、コロナってなに?」
長女の由衣ちゃんは今度から小学生。お姉さんになるためにたくさんのことに興味津々だ。
「コロナってのはな……」
辰雄がTシャツを捲り上げ、出っ張った腹を見せると、ぽんぽこ叩き始めた。
「コーローナ、コーローナって、こんな風に……」
そのまま由衣ちゃんに迫り、上からかぶさりつつ、全身をくすぐりだした。キャーと笑い声をあげる由衣ちゃん。そして横にいた3歳の隆君もキャッキャっと笑い声を上げながら逃げ始めた。ここではよくある遊びなのだろう。
——夢に違いないだろう、これが本当の訳がない——
「砂川さん、すみませんね、お見苦しいところをお見せして」
私は、いえいえ、と微笑みを返した。
「先輩、昔っからこういうのよくやってましたから」
それを聞いて辰雄がこちらをキッと睨んだ。
「おいおい、なんだそれ。まるで俺が昔っからガキっぽくて変わってない、みたいじゃないか」
美沙恵さんが微笑んだ。
「実際変わってないじゃ無い」
辰雄が口をぽかんとさせた。それからまた元の位置に戻り、テーブルの上の缶ビールをプシュっと開けた。それをごくごくと豪快に、そして一気に飲み干す。その姿は高校時代、野球部のキャプテンをやっていたときと変わらず、岩のように大きくて、どっしりとした重圧感があった。
「俺も今まで色々大変だったんだぜ。前の職場ではさ、ストレスばっかでさ、胃に穴が開くし、頭には十円ハゲできるし。ほら」
そう言って後頭部を見せると、そこにはぽっかりと髪の生えてない場所があった。前の職場がブラックで、しかもそこの人事をやっていたという話は風の噂で聞いたことはある。
——なあ、頼むから夢だって言ってくれよ——
「そういや、砂川、なんで今日うちでパーティやるって知ってたんだ?」
私は、意表を突かれ、目をぱちぱちさせた。
「い、いえ。偶然です。そんな気がして」
おどおどする私をみて、辰雄はへえ、と興味なさそうに頷いき、家族以外の人には今日パーティやろうって言ってないはずなんだけどな……。とぼそっと呟いた。それから私はちらっと壁にかけてある時計に目をやってから、ゆっくりと腰を上げた。
「あら、砂川さん。どちらへ?」
「ちょっと風に当たりたくなって」
「は? んなもん、窓をおっきく開けりゃいいだろうがよ」
ははは、と苦笑いを浮かべながら、私はその場を去ろうとした。するとその背中に美沙恵さんが声をかけた。
「砂川さん!」
私はびくっ、となって止まった。耳だけに全神経を集中させて続く言葉を待った。
「今、色々物騒なんで、気をつけてくださいね」
はい、というと私はそのままその場を去った。
そして言われた時間に言われた通り、扉の鍵を開け、ドアを開け放ち、辰雄の家を去った。最寄りの駅から電車に乗り、家路についた。
辰雄一家がその晩、何者かに銃で全員惨殺されたことを、翌朝のニュースで知った。
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