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 天神さんにいる宝井を見かけてから、数日が経った。わかったことと言えば、彼女は毎日天神さんに来る訳ではないということだ。初日に目にしたのを最後に、俺は宝井の姿を帰り道で見ていなかった。

 そもそも、隣の席だというのに宝井は例の朝読書以降口を利きすらしていない。着席している時は黙りを決め込むばかりで、皆がわあわあ言っている給食の時間や昼休みですら沈黙を破ることはない。


本当ほんとつまんない。芽唯、もっとましな班が良かったあ」


 わざとらしく間延びした高い声で、元木は人目もはばからずに文句をこぼす。正直、こぼす、なんて表現は似合わないと思う口振りだった。


「男子はまだいいけどさー、女子がどっちも茜ヶ淵ってのがついてない。しかも一人はあのノーメンちゃんだよ? 雰囲気悪くなるんですけどお」

「ノーメンちゃん、そんなやばいの?」

「やばいっつーか、見ててげんなりする。目の毒ってヤツ? まあ、何もしないからそれまでなんだけど」


 猫っ毛を指に巻き付けながら、元木は気だるげに愚痴る。その席の周りには猪上と大野がいて、うんうん、わかるー、なんて同意の言葉をかけている。

 うちのクラス──というか学年に限ったことではないのだろうが、主に学級活動でグループ活動をするため、席替えと同時にまとまった区画の生徒で構成された班が作られるのが恒例だ。班は大体五人から六人で、給食の時は机をくっつけて食べ、何かにつけて他の班と競わされる。例えば、提出物をどれだけ出せたか、とか、小テストの平均点とか……それで最も優秀な結果を残せた班は、学期末に表彰される。ただのコピー用紙に印刷された賞状が渡されるだけなので喜ぶ人はほとんどいないけれど、評定にプラスされる可能性は高いので、特に推薦で進学したいと思っている生徒は割と班活動を気にしているようだ。

 ちなみに、現在の俺が所属している班は男女共に三人ずつ、六人で構成されている。男子は俺の他に児備嶋出身で野球部の須賀すが、茜ヶ淵出身で卓球部の金居かない。女子は元木と宝井、あとは茜ヶ淵出身でバレー部の猫屋敷ねこやしき姫魅ひみという生徒だった。


「どっちかってーと、芽唯は猫屋敷さんの方がやだ。あいつ、結局全部人任せで、自分は一番楽なところに陣取ってるんだもん。でもって、いいとこはかっさらっていくんだよね。班ごとに目標決めた時とかさ、私書記やるね、なんて言って最後まで意見出さなかったんだよ? あり得ねー」


 そしてその猫屋敷は、元木からボロクソに陰口を叩かれていた。現在離席しているのが良いのか悪いのか、俺にはわからない。

 わかる、とすぐさま同意するのは、同じバレー部の猪上だった。


「あいつ、調子乗ってるってか、うちらのこと絶対見下してるよ。勉強も運動もできる優等生だけど、謙虚で清楚でイイ子です、みたいな顔しちゃってさあ。ムカつく。ちょっと可愛い顔してるからって、男子受け狙ってる感がバレバレなんだよ」

「つか茜ヶ淵の女子って、ノーメンちゃんはぼっちだけど、後の四人が基本べったりでキモくない? トイレとか必ず固まって行くし、女子同士なのに事あるごとに手繋いでるし」

「んでもって、うちら児備嶋出身とは絡もうとしねーのな。皆で固まって、ひそひそやってんの。舐めてるとしか思えねー」


 後半は猫屋敷個人というより、茜ヶ淵出身の女子にも飛び火しているように思えたのだが、部外者が口を出すことではない。初めはつまんないという低めの評価を受けていた宝井だったが、元木たちにとっては彼女よりも『べったりしている』猫屋敷たち四人の方が気に食わないようだった。

 復習のため動かしていたシャーペンを止めて、顔を上げる。

 目を向けた先は、廊下側の列。その一番前の席に、数人の女子生徒が集まっている。彼女たちが先程陰口を叩かれていた、茜ヶ淵小出身の女子だ。

 宝井以外は、示し合わせたように毎日の昼休みを干川ほしかわ莉沙りさの席の前で過ごす。べったり、という表現はたしかに的確かもしれない。彼女たちは一年生の頃から同小の女子としかつるまず、児備嶋出身の女子生徒とは何となくぎくしゃくとした雰囲気が漂っていた。能動的で賑やか、諸活動に対して積極的に取り組む生徒が多い児備嶋の女子に対して、茜ヶ淵出身の女子は何かと受け身で発言も少ない。だが物理的に口数が少ないのは宝井くらいのもので、ほとんどは仲間内でしか話さず自己主張も少ないというだけだ。それが、リーダー気質な猪上たちのしゃくに障るのかもしれない。

 あの四人が何を話しているのか、俺にはわからない。ただ、児備嶋女子のように大騒ぎするのではなく、声を潜めてひそひそやっていることから、どことなく嫌な印象を抱きたくなるのはわかる気がする。だからと言って、大声で陰口を言うものでもないが。

 男子は出身小学校に関係なく、部活だったり似通った雰囲気だったりで集まっているのに、何故女子はこうも派閥が分かれてしまうのだろう。俺にとっては、不可解なことばかりだ。


磐根いわね君」


 視線を落とそうとしたら、声をかけられた。凛とした、よく通る声だった。


「──鷲宮」

「ごめんね、急に。でもちょっと、聞きたいことがあるの」


 俺の机の前にやって来たのは、鷲宮だった。にこりともせず、しかし宝井に向けていたのよりもずっと柔らかな表情で俺を見る。


「宝井さん、どこに行ったか知らない? 色々探したんだけど、見付からなくて」


 そうして、突き刺すような視線を俺の隣の席へと向けた。

 宝井は、昼休みになるとふらりとどこかへ行ってしまう。あいつを気にし出した最近でさえも、気付いたら消えている。そして、昼休みが終わる五分前に戻ってくる。時々本を抱えて来るから、多分図書室に行っているのだと思う。

 鷲宮はまだ諦めていないのだろう。やめておけば良いのに、と思わないでもないが、口には出さない。

 気の強い鷲宮は、たとえ誰であっても宝井の味方をすることは許さないはずだ。昔から、鷲宮は一度悪印象を抱いた人間のことを許しはしなかった。猪上たちのように悪口を言うことはないが、接する時は生徒よりも数段厳しく、常に怒っているみたいに振る舞う。実際に怒っているのだろう。そうして、相手が間違いを認めて、それを改善させない限りずっと責め続ける。


「いや、知らないし、見てない。図書室じゃないのか」

「一番初めに見に行ったわ。でもいなかったの。あの子のいそうな場所、探せるだけ探したけど、全部空振り。だから教室に戻っているんじゃないかって思ったのだけど……」

「行き違いになってるとかは?」

「そう思って、もと来たルートを戻ってもみたのよ。でも駄目、外ればっかり。そもそも校内にいないんじゃないかってくらい、どこにもいないの」


 鷲宮はそう言ってため息を吐いた。あらわになっている額に、青筋が立ちそうな雰囲気だ。

 苛立つ姿を見ることも少なくない鷲宮だが、単純に短気な訳じゃないことは俺にもわかる。基本的に努力家で根気強く、困難に直面しても諦めない性格なのだ。だからこそ、宝井からのらりくらりとかわされるのは堪えるのだろう。逆に、この鷲宮をいなす宝井は相当だと思う。一体どこに雲隠れしているのだろう。


「そういう訳だから、悪いんだけど戻ってきたら私が探していたって一言伝えておいてくれないかしら。きっと反省なんてしないでしょうけど、何もしないよりはましだと思うわ」

「いいけど……俺が言ったところで、効果があるとは思えないぞ」

「そんなことないわ。学級委員の磐根君もに付いているんだって思い知れば、あの宝井さんでも少しは動くかもしれないし。何事もやってみなくちゃわからないわ」


 そこまでは自信満々に言ったものの、鷲宮はすぐにごめんなさい、と眉尻を下げた。


「ただ席が隣だからって、磐根君に迷惑かけるなんて、情けないわ。私ももっと頑張らなくちゃ」

「……勧誘、そんなに切羽詰まってるのか?」

「認めたくはないけど、図星。一人でも多くの部員をゲットしなきゃ、私たちはおしまいなの。宝井さんも、もっと危機感を持つべきなのに……どういう神経してるのかしら。私には理解不能だわ」


 嘆息し、鷲宮は憎らしげに空いた席を睨む。あたかもそこに、宝井がいるかのような目付きで。


「……どうして、あんな子が入部しちゃったのかしら。もっとやる気がある、普通の子だったら良かったのに」


 そのまま颯爽と歩き去る鷲宮の背中を、俺はぼんやり眺める。

 あんな子。やる気のある、普通の子。

 それは鷲宮にとっての『普通』だ。宝井は部活動そのものには出ているようだし、多少協調性がないとはいえあれほど咎められることではないと、俺は内心で反発してしまう。

 鷲宮は、自分が一番正しいと信じているのだろう。迷いのない決断力や責任感は、美徳として扱うべきものかもしれない。だが、それが他者を貶し、己の常識を無理矢理に押し付けて良い理由だとは思えない。

……どうして、俺はむきになっているんだろう。所詮俺は使い走りのようなもので、剣道部の問題とは無関係なのに。

 昼休みが終わる五分前になって、宝井はふらっと戻ってきた。本は持っていない。本当に、どこへ行っていたのだろうか。


「宝井」


 小声で呼び掛けると、彼女は怪訝そうにこちらを見た。すがめられた目が、警戒心を帯びている。


「鷲宮が探してた。勧誘、手伝って欲しいって」


 そう伝えると、宝井の目尻が僅かに脱力したのがわかった。予想通りだったのだろうか。鷲宮の言う通り、彼女を手伝わないことに対する反省や罪悪感は見受けられない。

 宝井は俺から目線を外し、次の授業の教材を取り出しながら言った。


「わざわざどうも」


 感謝の気持ちなどこれっぽっちもこもっていない、役者なら監督から確実に怒られそうな棒読みだった。

 中央の席から、視線を感じる。ちらりと見てみれば、案の定鷲宮が睨み付けていた。俺越しに睨むのはやめて欲しいが、宝井の席の前に立たれてもそう変わりないことを思い出す。

 このいたちごっこが本入部まで続くのか、と思うと、両者共にお疲れ様、としか言い様のない気分だった。

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