僕は、天使と悪魔の両刀遣い

若奈ちさ

僕は、天使と悪魔の両刀遣い

 それは史上最悪の魔が差したときだった。

 僕の中に天使と悪魔が生まれ、そのどちらもが心ふるわす甘美な言葉を投げかけてきた。

 どちらのいってることも正しく、どちらのいってることも自分にとっては不都合だった。

 お互いに牽制し合う彼らは、やじろべえの端っこにつかまっているかのように、振り落とされてなるものかと、どっちも譲らず、僕の中で均衡を保った。

 でもそうやって世界の均衡が保たれるなら、それでもいいかと思う。

 こう見えて、神様だって結構憎まれ役なのだ。


 僕が八百八十一代神様を世襲したのはそんなときだった。

「天使と悪魔の争いが始まればもう一人前だ」と先代はいって、早々に隠居した。

 もちろん神様は消滅することはないから厳密にいえば神様はひとりじゃない。

 死なないのになぜ跡を継がされるかって?

 そりゃあだって、神様代表をやるのは気が重いから。


 世の中不平等だって嘆く人がいるけれど、その通り。

 誰かは裕福で、誰かは貧乏。

 誰かは才能に溢れ、誰かは指をくわえながらそれを見ている。

 差がないことには優劣を表す言葉が生まれるはずもないからね。

 神様の中に「天使と悪魔」がいる限り、善意と悪意は平等で、幸運と不運は平等に存在する。

 自分がちょっぴり不幸だと感じたとき、誰かはちょっぴり幸福なんだと思ってほしい。


 たとえばさ。こういうこと。

 恵美子ちゃんのお母さんは七歳の時にいなくなった。

 突然荷物をまとめてどこかへと出かけたっきり帰ってこない。

 自分には友達のことろに遊びに行くときでも、どこへ行って何時頃帰ってくるかいってから出かけなさいと教育していたのに、お母さんは恵美子ちゃんに黙ったまま出て行った。


 お母さんが無事でいますように。

 お母さんが早く帰ってきますように。


 神様にお祈りをしていたが、だんだんとこう思うようになっていた。

 お母さんにしかられたとき、「お母さんなんて嫌い。この家の子じゃないんだ」といったから帰ってこないんだと。

 それからは神様に祈るより、お母さんごめんなさいと母親に対して念じるようになった。


 何ヶ月か経って、恵美子ちゃんは道ばたでお母さんを見かけた。

 お母さんは道路の向こう側にあるバス停前にいたのだが、恵美子ちゃんはその場に立ち尽くしてしまった。

 この数ヶ月間、どれほどお母さんの事ばかりを考えていただろう。

 駆け寄って抱きしめてもう離すまいと思ったのに、とうとうなにも伝えることができなかった。


 自分と同じくらいの女の子を連れていたのだ。

 女の子は自分が着たこともないようなかわいらしいワンピースを着て、お母さんと手を繋ぎ、楽しそうにお話をしていた。

 お母さんは違う女の子のお母さんになっていた。

 このとき恵美子ちゃんは確かに不幸だった。

 でも、相手は確かに幸福をつかんだのだった。


 どんなに理不尽なことが起ころうとも、それを受け入れる準備をしていなくちゃいけない。

 努力したってどうにもならないと気づいてしまった青年のように、些細な幸せに気づかなくなってしまった中年のように、僕の存在を忘れてしまったってかまわない。

 僕に祈りを捧げるのもいいけれど、たまには空に向かって拳を突き上げてごらん。

 だからって、僕はきみのことを目の敵にはしないから。

 僕はいつでもそれを甘んじて受け入れる。

 だって、僕は神様だから。

 せめてきみの不幸と、きみの幸福を半々にしてあげる。


 恵美子ちゃんが半狂乱になって部屋を荒らし、もう誰も信用しないといったとき、ああ、それには僕も含まれるのだなと、僕が考える幸福を用意してあげた。

 恵美子ちゃんに与えたせめてもの幸せは、お母さんからの手紙だった。

 あのとき、お母さんは気づいていた。

 取り繕うような内容だったが、小さい恵美子ちゃんにはそれで充分幸せだった。

 新しい家の人にも、恵美子ちゃんのお父さんにも知られることなく会いたいという秘密の申し出は、恵美子ちゃんにとって魅力的に感じた。

 お母さんは自分のことを一番愛しているけれど、そうできない事情があるのだと勝手に解釈していた。

 実際、お母さんはそんなそぶりを見せた。

 恵美子ちゃんはただそれだけでお母さんを許せた。



 片方には天使を、片方には悪魔をたずさえるのが神だとするなら。


 和平をもたらすのは、人々の手にかかっている。

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僕は、天使と悪魔の両刀遣い 若奈ちさ @wakana_s

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