#205 歓喜
フレメヴィーラ王国の都、カンカネンはオービニエ山地の麓にある。
一国の都が国土の西端という奇妙な位置にあるのは、この国が西方より山を越えてきた者たちによって切り拓かれてきたからである。
この国で最も古い街、それがカンカネンに刻まれた歴史であった。
「……ああ。いつまでもたっても慣れない場所だよ」
マギジェットスラスタが放つ爆音が途切れ、マガツイカルガニシキは慣性のままに街の上空を漂ってゆく。
銀鳳騎士団旗騎、そして王国最強としてその名を知られる
その特異な姿は一度見れば見間違うことなどありえない。
またしばしば王都を訪れていることもあって街の住人たちにとってもなじみのある機体であった。
「おう? ありゃあ銀鳳の鬼神じゃあないかい」
「本当だ。降りてくるぞ。城じゃなくてこっちに来るのは珍しいな」
だからそれが街の真ん中に降りてくるのを見ても、誰もがまったく警戒を抱かなかった。
ちょっと珍しい程度のこと、むしろこの機会に近くでよく見ようと近づいてゆく者までいたほどだ。
「ざわめきが聞こえる……。そうだよ“私”。これが人々というものさ」
建物に影を落としながらイカルガが首を巡らせる。
「健康で、生きるのに何の苦痛も疑問もない者たちだよ」
不愉快気に視線を外す。
その先にはオービニエの山裾に聳える荘厳な城があった。
シュレベール城、フレメヴィーラ王国黎明の折には人類唯一の砦でもあったそこは、王城でありながら華やかさよりも剛健さが目立つ。
「あそこには父上がいるんだ。かつての私の父親だ」
ウーゼルの人生は大半を療養院で過ごし、残りのわずかな時間を王城で埋め尽くしてきた。
「次期国王たるべしと努力を求められ続けた。結果はなんて無意味だったことだろう。城での記憶なんてほとんどが冷たい石の壁と教師の叱責だけさ」
イカルガの周囲を飛ぶカササギ群が攻撃のための陣形につく。
様子を窺っていた住人たちが不穏が感じて距離を取り始める。
「父上、あなたの誇りある牢獄からこうして己の足で外に出ることが出来ましたよ。予定と異なるのは、それが死によるものではなかったことだけ」
再びマギジェットスラスタの噴射音が高まり、マガツイカルガニシキが加速する。
王都の街を置き去りに王城めがけ。
「ああ、“私”も手伝ってくれるんだね。うん。だから壊してしまおう。“私たち”ならばできるはずだ!」
「騎士たちが邪魔しにくるかな? 君たちに恨みはない……でも“私たち”の邪魔になるならば、手加減なんてできないよ!」
ついに一線を越えた。
初撃はカササギ群より。
法弾が放たれると同時、銃装剣を構え轟炎の槍を城門めがけて叩き込む。
魔獣の侵攻を幾たびも防ぎ人類の領域を守り抜いてきた堅牢な城門も、イカルガの持つ圧倒的な火力には耐えられなかった。
金属製の巨大な門扉は撃ち抜かれ、石の城壁が砕かれる。
轟音が王都中に響き、災厄の訪れを告げる鐘の音となった。
にわかに城内が騒がしくなる。
いかにフレメヴィーラ王国が魔獣との最前線といえど、まさか王城が前触れもなく襲撃に遭おうなどとは想定していなかった。
押っ取り刀で飛び出してきた守衛のカルディトーレは今まさに頭上へと侵入してきた襲撃者の姿を確かめ、絶句する。
「……ッ!? い、イカルガ!!??」
そう、その姿を見紛う騎士などこの国にはいない。
王国最強にして絶対の守護者。
銀鳳騎士団旗騎のもつ破壊の力が、今この国の中枢へと向けられている。
状況が理解できない。
驚愕のあまり
「なっ!? なぜ我らに! まさか! 銀鳳が反逆……!」
マギジェットスラスタの甲高い噴射音を曳きながら上空より襲い掛かる。
魔法現象による発光が灯り――。
「させるかぁッ!!」
瞬間、紅の光が駆け抜けた。
双剣が閃きカササギの一基を一刀のもとに切り捨てる。
マガツイカルガニシキが上昇に転じ、残存するカササギが回収されてゆく。
「はは! もう追いついてきたのかい! 我が国の騎士がこれほどまでに勤勉だったとは、誇らしいよ!」
「お前は既にそれを誇る資格を失っている! 城を撃つとは……正気すら捨てたか!!」
――紅の剣、グゥエラリンデ・ファルコン。
その操縦席にてディートリヒが歯をむき出しに吼えた。
庇う背後では王城から煙が上がっている。一国の王子による宣戦布告がなされてしまったのだ。
「逆だよ。“私たち”はとても冷静に考えることができている。何者にも強制されることなく、己の望みにしたがって足枷を砕こうとしているだけなんだ」
「望みが城の破壊とは聞いて呆れるッ!」
グゥエラリンデ・ファルコンの吸排気機構が全開で駆動し機体に
推進器が吼え、紅き刃のごとき機体が翔けた。
「……それにはまず君を倒さないといけないらしいね。そろそろこの身体も馴染んできた。存分にやらせてもらうよ」
蒼き鬼神が悠然と構える。
カササギ群が舞い、宙に無数の法撃が放たれた――。
その頃、地上は大混乱に陥っていた。
いかなる困難にも敢然と立ち向かってきたフレメヴィーラの騎士たちであるが今回ばかりは勝手が違う。
何せ襲撃してきた敵というのがイカルガなのである。
守護鬼神のまさかの反逆に素早く対応しろというのも無茶な話だった。
国王リオタムスは報告を受けるや矢も楯もたまらず執務室を飛び出した。
城内では騎士たちが泡を食って行き交い、時折爆発の振動が床を伝ってくる。
「何が起こっている! 誰か! 何でもよい、報告せよ!」
「報告いたします! い、イカルガです! イカルガが城に法撃! 城門より被害が広がっております! また詳細は不明なれどグゥエラリンデが立ち向かっているとの報も……!」
「なんと……! いうことか!!」
冗談だとすれば最悪に面白くないがどうやら事実であるらしい。
あれこれ悩んでいる余裕はない。この瞬間にも法撃を受けているらしくひっきりなしに振動が伝わってくる。
「動ける近衛騎士は全て出せ! しかし攻撃よりも城の守りを最優先しつつ呼びかけを続けよ! 真実……エルネスティが弓引いたのか!?」
イカルガが敵に回ったのだとすれば、その脅威は計り知れない。
だがそれ以上にどうしても確かめなければならないことがある、
(……もしもエルネスティが我らとの敵対を選んだのであれば、それこそ悪夢という他ない。しかしグゥエラリンデが……あの忠犬が牙を剥いているだと? 理にあわんではないか)
リオタムスはそれが腑に落ちないでいた。
何しろ彼奴はかつて、主のためならば地位も命も捨てる覚悟を見せたのだ。
鞍替えしたなどと言えばそれこそ切り捨てられよう。
そんなグゥエラリンデごと敵に回ったというのならばともかく、敵対しているのであればまだ希望はある。
「陛下! 至急!!」
慌てた様子の騎士が駆けこんできてリオタムスは思考を中断した。
そして報告を聞いた瞬間、顔色を変えて駆け出してゆく。
人馬騎士が突撃さながら半壊した城門を駆け抜ける。
無茶に無茶を重ねた機体は足周りが限界を迎えており、十分に速度を落とす前に膝の関節から砕け飛んだ。
胴体から倒れこむようにして滑り、やがて勢いが止まったところでその背の操縦席が勢いよく開く。
「第二王子エムリスここに戻った! 大至急、親父に話がある!!」
「なんて手数だ! まったく嫌になる!!」
周囲を飛ぶ全てが敵、まるで法撃の檻だ。
グゥエラリンデ・ファルコンはしぶとく猛攻をしのいでいた。
その裏でディートリヒは徐々に焦燥を募らせている。
確かにグゥエラリンデだけならば何とかなる。
エスクワイア・ファルコンをつなげたことで機動性を高め、さらに持久力も大幅に向上している。
ディートリヒも数々の戦場を潜り抜けてきた騎士であり、そうそう集中力を途切れさせることもない。
だが背後に庇う王城は別である。
何しろ巨大であるし、幻晶騎士が一機頑張ったところで被害を全て防ぐことことなどできるはずもない。
「私とてうかうかと法撃を食らうわけにもいかないしね! そもそもこういうのはエドガーの役目だろう!!」
エドガーとアルディラッドカンバーが盾で守るのを得意とするならば、ディートリヒとグゥエラリンデは脅威を素早く排除することで守ることを得意とする。
かくも防戦一方の状況というのは甚だ向きではないのだ。
「さても泣き言ばかり言ってられないな!」
グゥエラリンデが急激に加速し、カササギの一基へと肉薄する。
振り下ろさんとしたところで急制動、グゥエラリンデが推進器を全開にして飛び退く。
直後、彼のいた空間を轟炎の槍が貫いていった。
「厭らしい真似をしてくる! これはうかうかとはしていられないね……」
やはりウーゼルはイカルガの操縦に慣れ始めている。
いかに強力な機体といえどこれまでは単調な力押しが多かったのだが、しだいに動きが狡猾さを帯びてきていた。
このままでは早晩騎操士の実力差という優位も危うくなるだろう。
猛攻をかいくぐり続ける紅の騎士を見つめ、ウーゼルは笑みを浮かべていた。
「頑張るものだ、紅の騎士。その雄姿をいつまでも眺めていたいのも本音だよ。だけどさすがに飽きも感じる。それでねぇ、ちょうど名案が浮かんだんだ!」
そうしてイカルガが銃装剣――代名詞ともいえる最強最大の武装だ――を構えた。
狙いはぴたりと王城のど真ん中を指している。
「さぁ避けてみせろ、騎士よ! これを食らえば一撃で粉々だよ!」
「なんてことを! 貴様、我が国の王族たる誇りを残らず捨て去ったのかい!」
「そんなもの元より持ち合わせてはいないだけさ!」
大量の魔力を汲み上げ、最大出力の轟炎の槍が放たれる。
そも、対
いかにグゥエラリンデとて受けるなど論外であった。
「あれは王城など易々と貫く! ならば防ぐほかない……この身を懸けてでも!」
グゥエラリンデが咆哮し、射線上に自ら割り込んだ。
双剣を機体の前で交差して即席の盾とする。明らかに焼け石に水だが何もしないよりはいくらかマシだ。
「しまったな。これでは大団長が来るまでの時間稼ぎにもならないね……」
険しい表情を浮かべるディートリヒめがけて幻晶騎士ごと飲み込むかのように巨大な炎が迫る。
突然、景色が純白へと転じた。
――否。
グゥエラリンデの眼前に、さらに割り込んだ機体がある!
それは白き盾を掲げ重ねると轟炎の槍を受け止め――。
紅蓮の炎が渦巻き大爆発を起こす。
相対するものの全てを葬り去ってきた鬼神の威、轟炎の槍を受けてはただでは済まない。
直撃した盾は原形をとどめず、半ば以上まで熔けた破片となって降り注ぐ。
だがその下からは無傷の装甲が顔を出していた。
組み合わせた
「まさか王城から煙があがっていると駆けつけてみれば、危ういところだったなディー。心意気は買うが銃装剣を受け止めるなど無謀もいいところだ」
アルディラッドカンバー・イーグレット。
白鷺騎士団旗騎にしてディートリヒの戦友たるエドガーが駆る幻晶騎士。
頼もしき声を聴いてしかし彼は顔をしかめた。
「早速ご挨拶だね。だが正直ありがたいよ」
白と紅、二機の騎士が並ぶ。
かつて銀鳳騎士団にて轡を並べて戦場を駆けた二人。
いかなる運命のいたずらか、敵は彼らが掲げていた旗――蒼き鬼神だ。
「イカルガが城を襲うだと? 詳しい説明を聞いている暇はなさそうだ、ひとつだけ教えろ。
「当然違う、第一王子ウーゼルだ。しかし油断するなよ、なぜかは知らんがイカルガの力を全て使ってくる。戦闘能力では引けを取らないと思いたまえ」
「承知した。よもやイカルガを奪い、操れる者が居るとはな」
イカルガの操縦席ではウーゼルが身を乗り出していた。
「ふふふ。耳にしたことがあるよ、白き盾。我が国でも選りすぐりの騎士と手合わせできるなんて光栄というものだね!」
「イカルガを奪い、王城を撃ち! どの口でほざくんだい!!」
「あはは、なるほど手厳しい。だけど正しくあったところでこんな経験はできないよねぇ!!」
「話の通じない手合いか。力尽くで引きずり下ろすしかないようだな」
「いいよ! やってみせてくれよ!」
先に動き出したのはイカルガだった。
執月之手を射出、カササギ群が後を追って飛ぶ。
「来るぞ! 油断するとタコ殴りにあうよ!」
「だろうな。だが心配は無用だ!」
「
アルディラッドカンバーとエスクワイアに搭載された可動式追加装甲が集まり、ひとつの巨大な盾を構築した。
法弾の豪雨が襲い掛かるが尽くを弾く。
「俺の護り、イカルガとて易々と突破できると思わないことだ!」
アルディラッドの陰からグゥエラリンデが飛び出した。
「最強の盾が来たんだ、これまでのようにいくと思わないでくれよ!」
最高速でイカルガに肉薄する。
騎操士であるウーゼルの反応速度が追い付かない。
「捉えた!」
グゥエラリンデの斬撃は、しかし可動式追加装甲によって防がれる。
「ははは! 助かったよ“私”! やはりまだ“私”だけでは君たちに敵わないようだ……だからこれでどうだい?」
後手に回った彼はイカルガの出力に任せて強引にその場を離脱すると、銃装剣の切っ先を地上へと向けた。
「また城を狙うか! どこまで性根が腐っている!」
「勘違いしないでほしいよ。“私たち”の願いは最初から城だよぉ!」
止める間もなく轟炎の槍が放たれる。
破壊的な炎が王城へと迫り――。
「まずい、止められないぞ!」
「案ずるなディー。護りにつくのは俺一人だけではない!」
白い十字を刻んだカルディトーレ部隊が地を駆ける。
それらは集まって可動式追加装甲を掲げると降り注ぐ轟炎を受け止め。
炸裂した爆炎が過ぎ去った後、そこには追加装甲を破壊されながらも耐えきったカルディトーレたちの姿があった。
「白鷺騎士団ここにあり!」
「団長たちが戦っている間、何としても城を守り抜くぞ!」
騎士たちが気勢をあげる。
それぞれはアルディラッドカンバーほどの防御力を持ちえずとも、集うことで補えるのだ。
「消耗した機体は装備の交換急げ!」
足元では鍛冶師たちが慌ただしく走り回っていた。
工房にあるだけの可動式追加装甲の在庫を持ち出し、破壊された装甲を交換してゆく。
王城を守る幻晶騎士部隊の姿に、ウーゼルは感心したように顎を撫でさすっていた。
「そうか、これが時間をかけすぎたというやつだね。さすがにこれ以上増えるのは望ましくはない、“私”よ……」
言いかけで口を閉じ、イカルガを急加速させてその場を離れる。
後を追うように、地上より放たれた法撃がさかさまの雨となって天へと昇っていった。
「盾持ちだけじゃない……お次は何だい?」
王都の大通りを疾駆する
背後には
「クーニッツ団長申し訳ございませぬ!! 先輩方を拾っておりました故、遅れてしまいました!」
人馬騎士を駆るゴンゾースが叫べば、背後から喚声があがった。
「ひっでぇなぁダンチョ、俺たち置いてくなんてよう! 人馬騎士が拾ってくれなきゃあ歩いて帰るハメになるとこだったぜ!」
「こんなバカックソヤベぇ戦、這ってでも馳せ参じますがねぇ!!」
「オラ準備はいいか野郎ども!」
「イェェェアァァァッ!!」
「
荷馬車に装備された装甲が開き、簡易の盾となる。
乗り込んでいた幻晶騎士が手に手に魔導兵装を構え、空にあるイカルガに狙いを定めた。
「目標イカルガァ!! ちっとやそっとじゃ倒れちゃくれねぇぜ!
「ヒャァァァァァッ!!」
地上からは激しい法撃が放たれ、盾を持った機体が王城を完全に守っている。
紅隼、白鷺騎士団の総力を結集し、イカルガに対する包囲が完成しようとしていた。
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