#204 暴走(はし)る

 推進器の奏でる甲高い音が遠ざかってゆく。

 傷ついたカルディトーレが立ち上がり、悔しそうに空を睨んだ。


 エムリスが地面を叩き、吼える。


「くそ! イカルガに乗って何があったのだ!? 兄上は……!」


 その時、背後で湖面が爆発した。

 水中から小さなものが飛び出し、弧を描いて地上に降り立つ。


 両手に構えた銃杖ガンライクロッドを振るい、爆炎の系統魔法を使用。

 生み出された炎を大気操作の系統魔法がさらにあおった。


 熱風を受けてその身を濡らしていた水分が蒸発してゆく。

 全身から水蒸気をたなびかせ、エルネスティエルは顔を上げた。


「イカルガは、どこへ?」


 蒼い瞳の奥に炎が渦巻いている。

 小さな身体から放たれる凶悪な戦意に、親しいはずの騎士たちまでも怯みを覚えた。


「エル……ネスティ」


 エムリスもまた言葉に詰まっていた。

 何が起こったのか、どうして起こったのか、これからどうなるのか。

 彼には何もわかってはいない。


 ただひとつ明らかなのは、この状態のエルがとてつもなく危険であるということだけ。

 ここにあるのは小さく可憐な騎士ではない。

 血に餓えた獣であり、猛り狂った魔獣であり、あるいは全てを破壊する災厄である。


 それでも言葉は続かなかった。

 豪放磊落を絵に描いたような男はここにはいない。


「エル君!」


 その時、救いの主は意外な方向から現れた。

 アデルトルートアディは駆け寄ってくるなり、疑問も何もかも置き去りに告げる。


「行って! ここは私が!」


 エルが眼を見開いた。

 そこに滾っていた炎は収まり、代わりに眩いばかりの光が灯る。

 妻へとにこりと微笑み返し、頷く。


「……わかりました! 後はお願いします!!」


 風が渦巻く。

 集った大気を推力へと変える“大気圧縮推進エアロスラスト”の魔法がエルの身体を持ち上げた。

 迷うことなくエルが飛び出す。いつものように軽やかに。


 その時、彼の後を追うように紅の機体が走ってきた。

 グゥエラリンデ・ファルコンは機体に傷を受けたが致命傷には程遠い。

 拡声器越しにディートリヒの叫びが聞こえてくる。


「エルネスティ、乗れ! 飛ぶよ!」

「わかりました!」


 グゥエラリンデが胸部装甲を開け放ち、そのまま走る。

 飛翔する方向を変えたエルがそこ目がけて飛び込んだ。

 操縦席に入った彼はディートリヒの隣をするりとすり抜け、座席後ろの荷物置きへすっぽりと収まる。


「最大速度でいくよ!」

「もちろん! 目いっぱいでお願いします!!」


 エスクワイアが可動式追加装甲フレキシブルコートを開き、源素浮揚器エーテリックレビテータにエーテルが供給される。

 紅の剣が蒼空へと飛び立ち、斬り裂かんばかりの速度で加速していった。



 飛び去る紅の機体をわずかな間だけ見送ってからアディが振り返る。

 視線の先には未だ衝撃覚めやらぬエムリスの姿があった。


「若旦那、私たちも行きましょう。ツェンドリンブルを出します!」

「……! あ、ああ! そうだな。頼んだ!」


 未だ混乱していた彼だったがようやく少しばかり己を取り戻していた。

 彼らは馬車を牽いていたツェンドリンブルへと乗り込むと、手荒く接続を全部切り離しそのまま駆け出す。


「ちゃんと掴まってくださいね! 手加減はできませんから!」

「任せろ。俺のことは気にするな、全力で行ってくれ!」


 人馬騎士ツェンドリンブルはかつて、幻晶騎士シルエットナイトの中でも随一の速度性能を誇っていた。

 現在では空を進む飛翔騎士にその座を明け渡しているものの、その脚力に陰りはない。

 さらに今機体を駆るのは最古の人馬騎士乗りが一人、アデルトルートである。


 機体の性能を限界まで引き出し放たれた矢のごとく地を駆ける。


 幻晶騎士には騎操士ナイトランナーを保護する機能があるが、それにも限度というものがある。

 操縦席はお世辞にも乗り心地が良いなどと言えない状態であり、エムリスは歯を食いしばって耐えていた。

 安全性を無視して走り出したいのは彼も同じである。


「若旦那! 着くまでにお話があります」


 己の身を守るのに必死になっていたエムリスは、操縦桿を握るアディの声に慌てて顔を上げた。


「ウーゼル殿下のこと。どうやってイカルガを動かしたのかわかんないけど、エル君に喧嘩を売ったのは間違いないです」

「……くっ」


 率直に言えば、エムリスは耳を塞ぎたい思いだった。

 それについて考えてしまえば、おそらくは最悪に至るであろう結末から目を逸らせなくなる。


 しかしアディは容赦なく言葉を続けた。

 ひとつの機体に同乗している状況では逃れようがない。

 あの時は混乱していてつい言葉に従ったが、あるいは彼女は最初からこの状況を狙っていたのかもしれない。


 やはり銀鳳騎士団の者は侮れない、エムリスは己を戒めるとともに腹から力を込めた。

 エルネスティとディートリヒは飛び出した。

 アディもまた己の戦場を定めた。

 迷いなく動く彼ら騎士に対し、己の何と不甲斐ないことか。


 まずは踏ん張れ。

 自分自身のパワーを信じてこそ、困難を切り拓く道を見いだせる!


「わかっている。俺もこの耳で聞いた! 兄上は……あの優しく思慮深い兄上が! このようなふるまいを見せるなど信じがたい!」

「事情なんて私にはわかんないです! でもひとつ確かなのはエル君が戦うこと。ウーゼル殿下がイカルガを奪った以上、もう絶対です!」

「そしてあいつに手加減など期待できない、か……」


 アディの言いたいことを理解すると同時、胃の腑に焼けた鉄を差し込まれたような焦燥が湧き上がってくる。


 エムリスとてエルネスティのことはよく識っている。

 これまでに幾たびもの戦場を共に駆けてきた部下であり、仲間なのだ。

 だからこそ焦る。

 揺るぎ無く王国最強である銀の鳳が、こと戦いにおいてどれだけ容赦のない存在かを。

 敵に回すなどありえなかったし、あってはならなかった。


 あろうことか最悪の形でそれを引き起こしたのは彼の兄であるという。


「だが俺は兄上を……見殺しになどできない」

「若旦那の気持ちもわかります。でも状況は待ってくれません。だったら私はエル君を補佐します。それが私の望みだから!」

「好きに言ってくれる! だがそうだ。願い望まなければ目的は定まらない」


 エムリスは息を吸い、己の顔面に拳をたたきつけた。

 気合いは十分。


「ッふぅ……まったく! 腑抜けている場合ではないな! アディよ、進路は王都だな?」

「もちろん!」

「よし! まず王城に向かってくれ。あいつらは必ず追いつく! ならば結末が悲劇になる前に親父を動かさねばならん! 俺は最後まで兄上を見捨てないぞ!!」

「りょーかい! じゃー皆でがんばりましょっか!!」


 限界近い負荷に機体を軋ませながら、怒涛のごとく人馬騎士が駆ける。

 その行く先に待ち受けるものは確かな悲劇か、それとも――。



 蒼穹を紅の剣が飛翔する。

 グゥエラリンデ・ファルコンの眼球水晶は何者の姿も映してはいなかった。


「イカルガは速いな! 見失ってしまったぞ。飛び去ったのはこちらの方角だったが、先行されたのはどうにも痛いね!」


 操縦桿を握るディートリヒがぐちる。

 座席の後ろにある荷物置きからエルがひょっこり顔を出した。


「おそらく行き先は王都です」

「なんだって!? またマズい場所に。どうしてわかるんだい」

「推測ですが。話に聞く限り、ウーゼル殿下の行動範囲は狭い。彼にとって一番なじみの深い療養院を破壊したとあっては、他に知りえるのは王都くらいでしょう」

「そりゃ何とも嫌になる話だね」


 グゥエラリンデ・ファルコンが進路を微調整し、王都カンカネンへと向けて最大速度で飛ぶ。

 その間にディートリヒは気になっていたことを問いかけた。


「教えてくれエルネスティ、実際に何があったんだ。贔屓目に見たって兄殿下にイカルガを操るなんて無理だ。それが手足のように操った上に、本人は人柄ごと変わったかと思う有様だった」


 イカルガを操れる者はエルネスティかその妻であるアデルトルートのみ、もしかしたらアーキッドあたりならいい線いけるかもしれない。

 それが銀鳳騎士団出身者の認識であり、動かしがたい事実というものであった。


 凡百の騎士に為せることなどではなく、なんならディートリヒにもエドガーにもイカルガは操りきれない。

 ましてや最近まで病に臥せっていた者にできることではないのだ。


「僕も全てをわかっているわけではありません。ですがウーゼル殿下が出てきたとき……彼の背から虹色の紐のようなものが生えたのを見ました」

「それは! まったくもって最近なじみ深い色合いだね。まさかと思うが?」

「“魔法生物マギカクレアトゥラ”……なのだと思います。考えられるとすれば、空飛ぶ大地の決戦で僕たちがマガツイカルガニシキで光の柱に突っ込んだ時。あの時から何かしら潜んでいたのでしょう」

「やれやれ、終わっていなかったというわけかい。だとしても何故いまさら出て来るかね」

「そこまでは。まさか魔法生物に聞いてみるわけにもいきません」

「もしかしたらウーゼル殿下なら答えてくれるかもしれない。と、いうかだエルネスティ」


 操縦桿を握る手に力がこもる。

 質問の答えによってディートリヒのとるべき行動が決まる。


「ひとつ確認したい。ウーゼル殿下は……あれはもうダメなのだな?」


 問われてエルは考え込む。


「わからない、というのが正直なところです。魔法生物が他の生き物を利用する例はありました。ですがあの時は混成獣キュマイラで、人間となるとどうなのか」

「私は魔法生物に憑りつかれたと思しき人間と戦ったことがある。正気など欠片もない生きた屍のようなものだったな。あれに比べれば兄殿下はまだまともに話している様子ではあったが」


 まったく正気を失っているならば終わらせてやるのが慈悲の類であろう。

 だがそうでないのなら?


「わからないことに迷っている場合ではありません。たとえ正気が残っていたとして、だとしても兄殿下は僕たちに剣を向けた」


 エルは迷いなく正面を睨む。


「マガツイカルガニシキを撃破します」

「……ふん。いいんだね? 遠慮などしないよ」

「当然です。少なくともあれをこれ以上、我が国に向けさせるわけにはいきません。それが騎士であり、製作者である僕たちの責務です」


 考える時間を得たことで、エルの心は定まっていた。


「銀鳳騎士団団長として命じます。これより騎士団は全力を以てあれを破壊。後、可能であればウーゼル殿下を確保します」

「命令を承った!! ひとつ加えればだ、エルネスティ。やはり私は許せそうにないんだ。我らの旗を、余所者が勝手に振り回しているなどとね!」


 旺盛な戦意を湛え、ディートリヒが口元に笑みを浮かべる。

 エルネスティが命じた。ならば銀鳳騎士団は、紅隼騎士団は遂行するのみ。

 たとえ敵が“マガツイカルガニシキ”そのものであろうと、迷いも躊躇いもない。


 グゥエラリンデがさらに速度を上げる。

 そこでエルは幻像投影機ホロモニターの景色を確かめ、口を開いた。


「急いでいるところ申し訳ありませんが、少しだけ寄り道をお願いします」

「どこに……いや、なるほど承知した。ここからでいいかい?」

「はい。すぐに後を追いますから」

「わかっているとも。しかし急がないと私が全て終わらせてしまうよ?」

「それはそれで楽しみですね」


 そうしてディートリヒは操縦席のレバーを引く。

 グゥエラリンデが上空を進んだまま突然、胸部装甲を開け放った。

 もちろんそんなことをすれば猛烈な向かい風が流れ込んでくる。


 それをかき消すように銀の光が飛び出した。

 生身のまま宙に舞ったエルが落下してゆき。


「武運を!」


 グゥエラリンデはすぐさま胸部を閉じると、一度だけ手を振り再び加速していった。


 飛び去る紅の剣を見送りながら、エルの身体は落下してゆく。

 もちろんただ落ちるだけではない。

 “大気圧縮推進エアロスラスト”の魔法を加えて落ちる速度をさらに上げている。


 眼下に映る建物がぐんぐんと大きさを増す。

 それは銀鳳騎士団のために建造された拠点――オルヴェシウス砦。


 荒れ狂う向かい風を浴びながら、エルの口元が突然裂けるかのような笑みの形を取った。


「は、はははッ……! イカルガ、つまりはまさか……あなたが“自分で”動いたということですか!」


 彼はずっと考えていた。

 イカルガは奪われたのか? だがおそらくはウーゼルという人間の力だけではない。

 それが何を意味するのか――そして彼は“到達”してしまった。


「“魔法生物を利用して自らの意思に目覚める”! そんな手段があるなんて、僕の想像を超えています! あなたは……あなたはなんて製作者おや孝行な機体なのでしょう!!」


 嬉しさがあふれ出す。

 楽しさがにじみ出す。


「そして! 製作者ぼくに抗い、巣立っていこうとしている! 良いです素晴らしいです。ならば僕は全身全霊を以て想いを受け止めねばなりません!!」


 もはや地面は目前。

 最高速のまま、砦の庭に騎士団長が着弾した。


 激突の直前に“大気圧縮推進”を全開で逆噴射。

 集めた大気を緩衝材代わりに、それでも残る勢いを身体強化フィジカルブーストで耐えきった。


「なっ、何が起こったぁ!?」

「うおお土煙で何も見えない!」

「魔獣の襲撃か!?」


 中庭でいきなり爆発が起こり、団員たちが慌てて集まってくる。

 そこに遅れてドスドスと走ってきた親方ダーヴィドが一喝した。


「静まれバカ野郎どもぉ!! 何回見てきたと思ってんだ! こんな現れ方をする奴ァ……」


 言い終わる前に風が逆巻き、土煙が吹き飛んだ。

 大空から落ちてきた大団長は目が合うなり口を開いた。


「親方! すぐさま出撃します! イカルガは使えません、“あちらの”機体に最速で最重装備を!! 後、可能な限り騎士団を招集してください! 戦地は……王都カンカネンです!」

「はぁ!? ったくロクな説明もなしによォ!! おら野郎ども! 死ぬ気で急げ! 団長様がここまで言った、ヤベぇいくさんなんぞ!!」

「応!!」


 これまで荒波にもまれ続けてきた鍛冶師たちは今回も銀鳳騎士団の名に恥じない動きを見せた。

 幻晶甲冑シルエットギアが走り、装備を載せた台車がずらりと揃う。

 いつでも動かせるように整備されていた騎体が整備場の奥より運び出された。


 着々と装いを整える蒼い騎体を前に、エルの心は躍る。


「愛機を待たせるなど騎操士の心に悖る。ですがああ、ほんの少しだけ許してくださいね。正装も整えず宴の場にゆくほど、僕は礼儀知らずではありませんから!」


 かくして大団長は暴走はしりだす。

 王都カンカネンを未曽有の脅威が襲おうとしていた――。



【後書き】


乱心した第一王子は禍つ鬼神と化し、王都に降り立った。

凶行を食い止めるべく追い縋る紅の剣。

荒ぶる鬼神の前に窮地に陥ったその時、隣に白き盾が並ぶ。

旗を取り戻すべく集う銀の鳳。

空の彼方より飛来するは一筋の執念。

そうして王都は化け物たちの宴の場と化す。


次回、「歓喜」


愛機の産声が僕を呼ぶ!

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