#172 そうだ、飾っておこう
それは、曇天の広がる物憂い日のことだった。
「むふふふうへへへへへすべすべエル君分たっぷり補充しゅる」
「ああ……アディからどんどんと慎みが失われてゆく……」
パーヴェルツィーク王国第一王女フリーデグント・アライダ・パーヴェルツィークは、
目の前では
そこには
見た目の小柄さも相まって、そもそも騎操士だのといった呼び方すら躊躇いを覚えるほどである。
自分は何を見たのか。幻覚? フリーデグントの脳裏を疑問符が駆け抜けてゆく。
「あれは放っておいてもよいのか?」
「む? まぁいつものことだ。気にするな」
エムリスに問いかけてみるも気のない返事ばかり。
周囲を見回しても彼はおろか船橋にいる誰一人として気に留めた様子はなかった。
本当にそれでいいのか。
きっとここでは気にすべきではないのだろう、そう彼女は結論付けた。
今までに散々やらかしてきた無茶に比べれば些事と言えることだし。
「むっ」
すると船橋に現れたフリーデグントの姿に気付いた、アディが動きを止める。
しっかりとエルを抱きしめなおしてフリーデグントをぢっと見つめ。
――あげません。
――いりません。
ひとつの言葉も交わさず、二人は視線だけで何かを通じ合っていた。
さらっと決着をつけ、フリーデグントは振り返る。
「……ところでだエムリス船長。今後のことについてなのだが」
「ああ、そろそろ方針を決めなばならんな。後ろの連中も痺れを切らしている頃合いだろう」
エムリスをして憂鬱そうな様子を隠しもしないのには訳がある。
この“黄金の鬣”号の後方には多数の船影が続いている。
“
かつて空に並ぶものなきと謳われたその威容も、今は陰りが差していた。
なぜなら巨体を支えるべき主推進器、その片方がほぼ形をなくしているのである。
自慢の推力を失い竜闘騎や飛空船によって曳航されている飛竜戦艦は、今や巨大な荷物に過ぎなかった。
「やるべきことが多い。面倒だな」
「まずは会談のやり直しだろうか。飛竜は重傷を負い、新たに魔王が立った。とてもではないが以前と同じにはいくまいよ」
「貴国の有様は気の毒とは思うがな。何せ俺たちは傷を受けていない、色々と要求させてもらうことになるぞ」
「さて、そう上手くはいくものかな」
「なにぃ」
「私の見たところ、貴殿らと組んでいるハルピュイアは“魔王の派閥”には参加していない。しかも……」
フリーデグントの視線の先では、ハルピュイアの代表である“
王女は知っている。
“竜の王”が現れても合流しなかったハルピュイアたちがいることを。
「貴殿らとて、あの魔王とは敵対している間柄だろう?」
指先はついと抱きしめられたままの小さな人影へ。
つられるように船橋中の視線がエルネスティに突き刺さった。
「エムリス船長、他人事のような顔をされては困る。我らは互いに
「……なるほど、違いない」
エムリスは誤魔化してしまうか、と一瞬考えたもののすぐにそれを却下した。
大した効果があるでもなし、何より行動を共にしてくれているハルピュイアたちの存在を嘘にしてしまう。
「魔王とやら、静観しているわけにはいかないが」
このまま“魔王”の下に馳せ参じるハルピュイアが増えてゆけば、貿易構想を持つエムリスたちとシュメフリーク王国にとっても痛手となる。
エムリスは心底面倒くさそうに深く息を吐いた。
どのみちこの空飛ぶ大地に踏み入った時点で
「魔王を操っているというのは
情報が足りなかった。
いまだうにうにとされていたエルがこれ幸いと立ち上がる。
微妙に不満げなアディの腕から逃れ。
「はい! 小王は“本国”よりさらに東……ボキューズ
「よし、何が何だかさっぱり分からんな。しかし巨人というからにはあの
エムリスは村で自分たちの帰りを待っているであろう、巨大な少女を思い起こしていた。
エルは頷き返すと説明を続ける。
大森海の奥深く、巨人たちの暮らす地に第一次森伐遠征軍の生き残りがいたこと。
それらを治めていたのが小王であり、そして“魔王”とは彼の持つ独自技術によって建造された超々巨大魔獣であること――。
話が進むにつれてエムリスだけでなくフリーデグントまでもげんなりとして見えていたが、きっと気のせいだろう。
「……それはまた聞くだに賑やかな奴だが、なんだってこんな場所にいるんだ」
「ええ、そもそも小王が操る魔王は僕とアディのマガツイカルガで撃破したのですが……」
「ねー、エル君」
「その際に彼は一匹の“
「お前が恨まれている理由だけは十分すぎるほどによくわかった」
道理で“黄金の鬣”号を無視してでもエルのトイボックスに向かっていったわけである。
この小さく強かな騎士団長のことである、あるいは分かった上で自分に引きつけたのかもしれないが。
「話し合いは無理そうだな! 仮に可能でも長い時間がかかるぞ」
「エチェバルリア卿、やはり卿はなんでもかんでも壊しすぎる」
破壊されたことのあるものに飛竜戦艦を含む。
フリーデグントから恨みがましい視線を向けられ、エルはそっと顔をそらした。
「彼らとの話し合いは容易ならざる。ならばエムリス船長、まず人は人同士で組むべきではないか?」
「ほう」
エムリスは目を細め、フリーデグントの提案について思案する。
「(……一度は敵対を覚悟したんだ。タダで手を組んでやる理由などない……が、なるほど領地を餌にする気だな。パーヴェルツィークはこの被害だ、どのみち防衛圏を縮小する他ない。そうして手放す分を俺たちに……いいや、“ハルピュイアと組んでいる”勢力に与えれば聞こえのいい話が出来上がる、か。抜け目がないな)」
エムリスの想像だが、おそらくは遠からずと言ったところだろう。
ただでは転ばない、その執念にはエムリスも感服するところである。
彼らが話していると、傍らで操舵輪を握っていた人物が口をはさんできた。
「でもそれじゃあ、またハルピュイアと人の争いに戻っちまう」
いきなり知っている顔を見つけた、フリーデグントが微かに驚く。
「王女殿下、あなたはハルピュイアとも話し合うと約束してくれた。一国の王族ともあろう方が約束を破るんですか」
まっすぐな視線を受け止めて、フリーデグントはしかし引かなかった。
「話し合いというのは双方の同意があってこそ成り立つ。今のハルピュイアたちが素直に耳を貸すように見えるのか」
「そ、それは……」
魔王に率いられたハルピュイアたちの怒りはどんどんと膨れ上がっている。
言葉をかわせなければそもそも話し合いもへったくれもないだろう。
拳を握り締めるキッドを見て、フリーデグントはふっと険しかった表情を和らげた。
「なぁアーキッド。私も好んで約束を破りたいわけではない。だが無理なものは無理だ。彼らは力を示した……示しすぎた。もはや一方がどうにかして収まる場所は通り過ぎてしまったのだ」
彼女はエムリスへと振り返り。
「再び力比べになるのは互いに望ましくはない。探さねばならないな、遠ざかってしまった道につなげる方法を」
「まったく厄介なことだ。おいエルネスティ、お前は何かいい案がないのか。一応知人だろ」
「そうですね。もう一機トイボックスがあれば、小王と“お話”ができると思います!」
「最終手段として覚えておく」
多分火に油を注ぐ結果にしかならないだろう。
エルを除くこの場にいる全員が、同じ感想を胸に抱いたのだった。
“黄金の鬣”号より後方、パーヴェルツィーク軍旗艦“
「フリーデグント様はまだお戻りになられないのか。わざわざ他国の船を使う必要がどこにある」
「はっ! 問題なしとの連絡が返ってきています!」
答えはいつも同じ。
グスタフは“黄金の鬣”号を忌ま忌まし気に睨みつける。
「彼奴等め、飛竜が傷を負ったからと甘く見ているのか? よもや、このまま人質にするつもりでは……」
「お畏れながら閣下、それはないと思われます」
その疑念を否定したのは、右近衛長であるイグナーツだった。
グスタフは胡乱げなまなざしを送る。
「イグナーツ。一度は殿下のお側にゆきながら、何故お連れしなかった」
「それは! ……殿下のご指示があり」
「いかに指示とはいえ、それで殿下の御身が敵の手の中にあっては意味がない」
苛立ちの残るグスタフに対し、イグナーツはあくまで冷静に話しかける。
「アレはそのような卑劣な振る舞いはいたしません。無茶に聞こえる言葉も、根の無きものではございませんでした」
「一時の共闘と、その後の政治はまた別のこと。イグナーツ、何のためにお前に右近衛を任せているのか。猪騎士のままでは務まらぬぞ」
「……はっ。心得ております」
王女はあの時、ある種の覚悟を決めていた。
イグナーツは確かにその心を聞き、従ったのだ。
確かにそれは信頼故の行動であろう。
しかしパーヴェルツィーク王国が誇る天空騎士団、竜騎士長としての判断は異なってくる。
現に王女が戻らないことで、パーヴェルツィーク軍全体の行動に支障をきたしている。
重苦しい空気が船橋に満ちた、その時。
ぺた、ぺたと気の抜ける足音が響く。
グスタフの表情が険しさを増した。
もうすでに誰がやって来たのか察しているからだ。
船橋に一人の男が現れる。
だらしなく上着を肩に引っ掻け、姿勢も悪い。
威厳などという言葉とは縁がなく、とてもではないが鍛冶師隊の頂点にいる人間とは思えない。
オラシオ・コジャーソは周囲を見回すと「ども」と小声でつぶやいた。
グスタフの眉間が険しさを増す。
しかしこの程度で腹を立てていてはこの男とは付き合えない。
「……コジャーソ卿、良いところに来た。報告しろ、飛竜戦艦の修復はいつ終わる」
不機嫌なグスタフとイグナーツを見比べて。
オラシオは黙って肩をすくめた。
「ふざけているのか?」
「いやぁ、ひどく正直な心境なんですがね」
「そのような冗談を聞くために貴公をここに置いているわけではない!」
グスタフの怒気を浴びても様子を変えず、オラシオは小さく息を吐いて。
「そうですな。修理のめどは立っておりません。片側の推進器を完全にヤられちまってはねぇ」
「それを何とかするのが貴公の役目であろう」
「ごもっとも……と言いたいところですが限度というものがございますよ。何しろ飛竜に使われたマギジェットスラスタはその大きさ故に特注も特注。作りたくても作れるものではございません。最低でも国許に戻る必要がありましょうよ」
「どうにもならないのか? 竜闘騎の推進器を流用しては……」
イグナーツが問いかければ、オラシオはぼりぼりと頭を掻いた。
「低速で動かす程度ならばまぁ、ごまかせますかね。しかしそれは足を骨折した人間に杖を持たせるようなもの。飾り程度に立っているならまだしも、戦いに向かわせるなど言語道断ですわな」
「そういうものか……」
グスタフは渋面を浮かべたまま黙る。
彼とてこの、流れの鍛冶師の言葉を疑っているわけではない。
オラシオこそが飛竜戦艦をパーヴェルツィークに売り込んだ本人であり、その細部までを知悉しているのだから。
かといって最強の手札である飛竜戦艦を寝かせておくことなど許されない。
敵が勢いを増しているのであればなおさら。
早急に見せかけだけでも取り繕う必要があった。
「応急処置で構わん、とにかく飛竜を動けるようにするのだ。いつ何時、鳥頭どもと戦いになるやもしれんのだぞ」
「私めは鍛冶屋でございますから、戦の結末は占えません。ただひとつだけ申し上げるならば、慌てたところで飛竜がもつかは分の悪い賭けの類でしょうねぇ」
「そんなことはわかっておる。だがやらぬというわけにもいかんのだ」
「……承知いたしました。微力を尽くしましょう」
船橋を出てゆくオラシオの背を見送り、グスタフはこめかみを押さえる。
問題は山積みだ。
ハルピュイアとの戦いも気になるが、おそらくはその前に王女の返還交渉が始まる。
飛竜戦艦が動けぬままでは交渉もへったくれもない。
「この苦境、なんとしても切り抜けねばならんのだ」
船橋を後にしたオラシオは、船内の通路を歩きつつぶつくさとつぶやいている。
「やー、あいっかわらずお偉いさんは言いたい放題だ。簡単にできることならもう終わらせてるっての」
いったい自分を誰だと思っているのか、オラシオの悪態は止まらない。
彼はその道の専門家として把握している限りの情報と警告を与えたつもりだ。
ここからどう判断するかは政治の領域として、信頼がないと困ったことになる。
何しろ飛竜戦艦の推進器は飛竜そのものというべき代物であり、まったく替えが効かない。
「こればっかりは、どこかから分捕ってくるわけにもいかないしねぇ。はぁ面倒だ」
とりあえず命令を聞く姿勢を見せるため、応急処置をすべく歩き出すのだった。
議論の続く船橋を抜け出して、エルは甲板に顔を出す。
吹きっ晒しの場所だが見晴らしが良く、飛空船の中でもお気に入りの場所だった。
「エル君。いたいた」
アディが顔を出し、エルの隣に座る。
「なんだか難しい話してるね」
曳航される飛竜戦艦。飛空船に、哨戒として飛び回る竜闘騎。
傷を受けてはいるが、パーヴェルツィーク軍の主力は健在である。
「このままハルピュイアと戦い続けるのは望ましくありませんね」
「そうだね。ホーガラちゃんたちが困るのは、嫌だもんね」
「トイボックスを壊してしまったので、僕が乗る機体がありませんし」
「あ、そっち?」
思い出したとばかりに、アディはエルの頬をつまむ。
「ひったひなひほ」
「トイボックスに、あんな危ない機能のっけてたんだ」
「ひふようだったのふぇす」
頬つまみの刑から逃れるも、そのままつかまり抱きしめられる。
「壊れているならば機密を奪われることもありませんし」
「エル君から機体を奪える人なんて、いないと思うけど」
「それは慢心というもの。成功に備えは必要ありませんが、失敗は万が一だからこそ常に備える必要があるのです」
「だけど自爆はダメ。他のを考えて」
「むむむ。難しいご注文ですね」
またぞろロクでもないことを考え始めたエルに、アディはふと、ある可能性に思い至る。
「……もしかして。イカルガにも、のせてないよね?」
エルの視線が泳いだ。
「ダメ」
「いやしかし」
「ダメ」
「はい」
阻止に成功したアディは少し満足げである。
「トイボックスは最期まで頑張ってくれ尽くしましたが、それとして乗れる機体がなくなってしまいました」
「カルディトーレを借りるのは? エル君なら優先してくれると思うけど」
「ダメですよ。他の方の楽しみを奪ってしまうわけにはいきません」
「そうかな? 皆エル君ほど乗りたいわけじゃないと思うけど……」
少なくとも戦力としてエルネスティを遊ばせておく手はない。
エムリスもそう考えるだろう。
しかし幻晶騎士が好きすぎるエルには謎の拘りがあるらしく。簡単には頷かない。
代わりにと小さく手を叩いて。
「ではまず、手が空いたところでトイボックスの残骸を拾いに行きましょうか」
「そっか。
「え」
「えっ?」
アディの何気ない呟きを耳に、エルの表情には思いもしなかったと書いてある。
じっとりと睨んでくるアディの視線から、露骨に顔をそらした。
「そ、そうですね……。炉さえあれば、筐体さえあれば再建は可能でしたね……」
「実際は?」
「初めて自爆を達成した記念に飾っておこうかと」
「却下します。……そんな可愛い顔で拗ねてもダメったらダメです」
「強くなりましたね」
しかし抱きしめてほおずりは欠かさないアディであった。
「では話し合いを早めに終わらせて……」
エルが言いかけた時だった。
耳に異音が届く。
上空に吹く風の音を圧して聞こえる、低い唸り。
「……なに? また魔獣?」
「いいえ、それとは違って。……あれを!」
エルが森を指し示す。
ギャアギャアと騒がしく飛び立つ鳥の群れ。
種類を問わず、大地にいたものがすべて空へと逃れていた。
遅れて響く地鳴り。地鳴りだ。
大地が鳴動している。
「まさか地震が起こっている? ここは空飛ぶ大地なのに、どうして揺れが」
そうして彼らは目にする。
突如として天へと向けて突き立った、巨大な光の柱。
七色の光をまとう光がまっすぐに伸び、同時に大地を激しい震動が襲う。
彼らは、確かに見た。
光の中に蠢く“何ものかの影”を。
彼らのいる場所からは遠く、距離があるというのに巨大だと感じる。
近づけばどれほどの大きさとなるのか。にわかに想像がつかない。
「船橋に報せましょう」
「うん!」
二人が戻ると、船橋もまた動揺に包まれていた。
光の正体がわからずどうすべきかを怒鳴りあう。
「スオージロさん! あちらの方角には何がありますか!?」
喧騒を貫いてエルが問いかける。ふっと議論が止んだ。
窓の外を凝視していたスオージロがゆっくりと振り向く。
普段から変化に乏しいその顔に、今は驚きが浮かんでいた。
「あの方向は……間違いない。この大地の真ん中、“禁じの地”だ」
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