#169 魔王と蒼い騎士
魔王――かつて街ひとつと並ぶ規模があった姿からは随分とかけ離れている――は虹の光を放つ薄羽を広げ、人間たちの軍を睥睨する。
そして細長い前肢をくいと動かし、魔獣たちの群に命じた。
「切り裂き、喰いちぎってしまえ」
「魔獣、いっせいに来ます!」
「
飛竜戦艦の船橋でグスタフが声を荒らげる。しかし反応は芳しくない。
竜の王を撃破したとわずかに緊張がゆるんだところにこの逆撃だ。
しかも彼らの本陣たる飛竜戦艦は大きな痛手を負って動くことすらままならない。
推進器の響きも甲高く、
後方では
作業が完了するまで彼らに後退は許されない。
対する魔獣たちに憂うことなどない。
命じられるまま、あるいは尽きぬ破壊の本能のままに襲い掛かってくる。
「く! なんという戦場だ!」
竜頭騎士“シュベールトリヒツ”を駆り、イグナーツは悔しげに歯を噛み締めた。
「殿下、お許しいただければすぐにでも味方の助けとなりますが……!」
「ダメです。今足場がなくなると困るので」
「蒼い騎士ィ! 貴ッ様ァ……!」
竜頭騎士の上に立つ蒼い
なだめる声は同じく蒼い機体から聞こえてきた。
「エチェバルリア卿、ちょっと黙っていろ。……イグナーツ、まずは飛竜戦艦へ向かうのだ」
「それは……しかしながら飛竜戦艦は身動きが取れません。御身の安全を考えれば最善とも言い難く」
「構わない。今は私という足枷を解く方が先決だ。覚悟というものは必要な時にするべきだろう」
「……御意」
イグナーツは僅かに言いよどんだが、結局はフリーデグントの言葉に従った。
確かに王女を守る役目を代わることができれば、シュベールトリヒツの持つ強力な突破能力を戦いに振り向けることが出来る。
推進器の音が高鳴り、進路を漂う飛竜戦艦へと向けて。
その間も
魔獣の吐く魔法と法撃がぶつかり合う。
そんな凄惨な殺し合いのさなかをいっそ悠然と通り抜けてくる存在がある。
「フリーデグント殿下。相談があるのですが、もう一段階上の覚悟を決めることはできますか?」
「どういうことだ」
エルの視線を追ったフリーデグントは
周囲は混戦となっているにもかかわらず魔王の姿は妙にはっきりと見て取れた。
「竜の王から出てきた……魔王といったか。巨体を失ったというのに余裕なのだな」
「何の不思議もありません。魔王の力を以てすれば単身で飛空船団を壊滅に追い込むことも容易い。竜の王が用いた腐食の吐息は、間違いなく魔王が源でしょうから」
「随分と詳しいのだな?」
「先代の魔王を撃破したのは僕たちですので」
「飛竜戦艦といい、この世にお前が壊していないものはないのか?」
フリーデグントが天を仰ぐ。
暢気こいている場合ではない、足元から抗議の声が上がってきた。
「あれの対処は我ら竜騎士にお任せください。殻を脱いでしまえば身は柔らかいでしょうから」
「期待したいところですが、ことはそう単純ではないようです」
「貴様は本当に、あれもこれもと邪魔立てしようと……」
「待てイグナーツ。様子がおかしい」
魔王の進路を阻むように竜闘騎が挑みかかってゆく。
竜闘騎が羽虫のごとき竜の王の巨体に比べれば、魔王はたかだか幻晶騎士に毛が生えた程度のもの。
騎士たちは自信に満ちて必殺たる多段攻撃を仕掛けていた。
「なに……ッ!?」
操縦席でイグナーツが目を見開く。
魔王が虹色の光を放つ薄羽を広げる。おそらくは
と思えば次の瞬間には爆発的な加速をもって竜闘騎に迫っていた。
法撃の照準が間に合わない。慌て気味に繰り出された爪剣を腕の一振りで弾き、魔王が前肢を振り下ろす。
先端の鉤爪じみた手のひらに魔法現象の輝きが宿る。
爆炎の系統魔法を直接叩き込まれた、竜闘騎が火の玉へと生まれ変わる。
竜騎士たちもただ見ているだけではない。
すぐさま陣形を組みなおすと、今度こそ多重攻撃を仕掛け。
宙を滑る虹色の軌跡が全ての攻撃をすり抜けてゆく。
時折閃く爆炎の朱が竜闘騎を破壊する。ばらばらと機体の残骸が地面にばらまかれた。
「五月蠅いよ君たちぃ」
魔王がくいと前肢を曲げる。関節部にじわりと滲み出る体液。
速やかに揮発したそれが白煙を生み、次いで風の渦が巻き起こった。
魔王の起こした魔法現象が死の雲を乗せ竜闘騎を呑み込んでゆく。
断末魔のひとつもなく腐食した竜闘騎がぼろぼろと零れ落ちてゆく。
やがて煙の晴れ去った後には、人造の飛竜の姿は残らず消え去っていた。
「あの……煙のようなものは! 飛竜戦艦を破壊したものか! あれでは近づくことすら……!」
「魔王、というよりも元となった“
竜闘騎では魔王を止められない。それは今や誰の目にも明らかだった。
これ以上の接近を許してしまえば飛竜戦艦のみならず、周囲の飛空船ごと“喰われる”。
巨体を失ったからなんだというのだ。“王”の脅威は些かも失われていない。
睨みつけるように幻像投影機に見入っていた、フリーデグントがややあってから口を開いた。
「エチェバルリア卿。以前、あれを倒したと言ったな。今同じことは可能か?」
「殿下! これ以上は……!」
王女の言葉であろうと、イグナーツには遮らずにはいられなかった。
既に一度フリーデグントが救い出されたことで大きな借りを作っている。
積み上げるだけなおさらにパーヴェルツィークを窮地に追い込むだろう。
フリーデグントはそれを承知の上で首を横に振った。
「わかっている。それでも、今ここで躊躇えば我が軍は癒えぬ傷を負うことになる。もはや交渉どころではなくなるぞ」
イグナーツは唇をかみしめた。
自分に障害を取り除くだけの力があれば何も問題はない。だが彼の中の冷静な部分が「そうではない」と囁いてくる。
エルネスティがちらと後ろを振り返った。
「あれを倒すべきだと思う気持ちは共に同じです。ここは互いに協力ということで」
「はぁ……卿は頼れるのか身勝手なのか分からんな」
フリーデグントは考える。
エルネスティ・エチェバルリアという騎士の行動はどこかで何かが決定的にずれている。
彼の仲間であったアーキッドなどはわかりやすい正義感があったが、それともまったく異なっている。
それでいて戦闘能力は頭抜けているのだ。操りにくいにもほどがある。
「征きましょう、下の方。まだまだあなたの協力が必要不可欠です」
「下言うな! イグナーツだ、覚えておけぇ!」
ゆえにこそ彼に賭けるしか、今の彼女は手札を持っていない。
「それでは進路を魔王へ。仕掛ける時期はこちらから伝えます。合わせてください」
「貴様が! 命じるな!」
「イグナーツ。残念な、心から残念なことに戦いにおいては指示を受け入れるしかない。今だけは拘っている場合ではないのだ」
「……………………御意」
「ではきりきり飛んでくださいね」
「後で覚えていろよ!!」
シュベールトリヒツが推力を上げる。
文句を言いつつも行動は素早く的確だ。遮るように襲い来る混成獣をかわし、速度を緩めることなく突き進む。
防戦に追い込まれる竜騎士たちの中にあって、その動きはあまりに異様であり目立つ。
すぐさま魔王の知るところとなり。
首を巡らし、複眼状のどことも知れぬ視線が確かに彼らを捉えた――ような気がした。
「迎撃が来ます、直線的な動きはいい的になる。ここからは可能な限り複雑に飛んでください!」
「だから指示をするな! 俺は馬ではないと……」
文句の言葉は魔王が放った魔法の数々を前に沈黙した。
シュベールトリヒツが
推力だけでなく風の流れを利用し、機敏な動きで魔法を回避した。
魔法だけでは押しとどめられないと悟った、魔王が前肢をかざす。
節から滲む体液が白煙と化し広がりだした。
「煙がくるぞ! 大丈夫なのだろうな!?」
「後はお任せを。慣れています」
シュベールトリヒツの背を蹴り、トイボックスが単身飛翔する。
推力を全開に、渦を巻き始めた死の雲へと迷いなく突撃し――。
「断ち割りなさい
切り離された両手が飛翔する。
トイボックスを包むように吹き荒れる嵐が死の雲を吹き散らす。
錐のごとく穴をあけ雲を超えれば魔王の姿は目前であった。
「お覚悟を!」
トイボックスが背の
捻じ曲げられた大気の流れが回転を生み、機体を独楽のごとく回す。
突撃と回転の勢いを乗せた重量級の一撃を、魔王はしかし前肢のみで受け止めた。
奇妙な細長さから矮躯に見える魔王であるが、体内に満ちる強力な魔法の数々により強度を大幅に引き上げている。
かりにも魔王に連なるもの、ひ弱であろうはずがない。
「馬鹿な、これを止める!?」
フリーデグントは驚き、エルは既に動き出す。
断刃装甲が受け止められたと見るやすぐに姿勢を翻し、巻き上げの終わった執月之手を頭部めがけて発射。
首を振って避けられるも、すれ違いざまに身体を掴む。
巻き上げの勢いを利用して接近。両足を揃えて飛び蹴りを叩き込んだ。
魔王は僅かに姿勢を揺らがせただけ。
断刃装甲を受け止めたのだ、いまさら蹴りだけで破壊できるとはエルも考えていない。
「でも、これならばいかがでしょうか!?」
トイボックスが足元へと向けて推進器を展開する。
ブラストリバーサ、機体中最大の威力を誇る
発射されるより早く、魔王の腹部に折りたたまれたままであった中肢が開いた。
ねじくれた鉤爪に魔法現象の前兆が灯る。
「!
ブラストリバーサは破壊力があるが推力にならない。
マギジェットスラスタがぐるりと旋回、魔王へと叩きつけるように推力を吐き出し反動で一気に離脱してゆく。
空中を吹っ飛んでゆくトイボックスをシュベールトリヒツが拾い上げた。
「ええい、あの攻撃で倒しきれないのか!」
「どうしてなかなか、思ったよりも強敵ですね」
シュベールトリヒツが警戒しながら魔王の周りを飛ぶ。
しかしいつまで経っても反撃は来ず。
何故か魔王はじっと動かず、天を仰ぐように前肢を広げたままわずかに震えていた。
「蒼……蒼……蒼ォ!! 覚えがあるよその騎体……その動きをッ!! ひどく苛立つじゃあないかっ!!」
かきむしるような雑音の乗った声が響く。
燃え盛る感情を直接頭の中に送り込まれ、イグナーツとフリーデグントが顔をしかめた。
エルだけが小動もせず、ただ拡声器の出力を上げる。
「この声……やはりあなたなのですね、“
「ふ、ふふふふふあはははっはぁ! そうだ、そうだともエェェェルネスティくぅん! ああ、こんな世界の真反対側までやってきて! まさかまさか君がいるとはねぇ! 並ならぬ悍ましき
魔王の震えが一層強まる。それは興奮か、むしろ歓喜によるものか。
伝わる声に滾る、煮え立つような敵意が頭を締め付けてくる。
「同感です。率直に言えば大変遠慮したいところではありますが」
「気が合うじゃあないかッ!! 反吐が出そうなくらい同感だよ!!」
フリーデグントとイグナーツにとってはまるで訳がわからない状態である。
操縦席の後ろからおそるおそる覗き込んだ。
「なんなのだ……小王だと? お前とあれの間に何があったのだ」
「前魔王を倒したついでに、彼の支配する軍を完全に滅ぼしましたね」
「お前よくそれで話しかけようと思ったな!? 正気か!?」
危険分子すぎる。なんでこんなのに命を預けてしまったのだろう。
フリーデグントは思わず天を仰いだが、何もかもが後の祭りである。
「魔王を倒したあの時、あなたの姿がないことには気づいていました。僕個人としては、あなたには再起して欲しくなかった」
「身勝手! わがまま! 己の都合ここに極まれりだねぇ! おかげさまで随分とあちこちを彷徨う羽目になったよ。幻操獣機なくばすぐに野垂れ死んでいただろう。だがそれでも異郷の地に立ち上がった。かと思えばまたもやキミだ! そんなにまで私を追い立てたいのかねぇ!?」
「そんなつもりは欠片もありません。ただ進む先にあなたが立ちはだかっているだけなのです」
「面倒だ、面倒だよエルネスティ君。悲しくも互いに対立する道の上にある。残念極まりない! だがこれも……魔王を駆る私の定めと思えば、むしろ歓喜と変わるというもの!」
それまでどこか超然とした雰囲気を放っていた魔王ががらりと変わる。
刺すような敵意がただひとつの存在、蒼い幻晶騎士へと収束してゆき。
「
「申し訳ありませんが、こちらは既に一人ではありませんけどね」
魔王から放たれた命令が魔獣たちを動かす。
魔王たちを囲むようにして竜闘騎を追い払い始めたことにより、周囲の助けは完全に期待できなくなった。
そもそも余力がなかったとしてもだ。
彼らは己の力のみで魔王を突破せねばならない。二体っきりの舞台だ。
「これでは自ら狩り場に飛び込む獲物さながらではないか」
「ですが飛竜戦艦を守るという目的は叶っていますし」
「物は言いようにも限度というものがあるからな?」
なおも言い募ろうとした、フリーデグントはすぐに口をつぐむ。
シュベールトリヒツが急加速し、慣性が圧し掛かってきたからだ。
魔王が飛翔する。
「君がいると嫌なんだ。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だね! はやく、はやくいなくなってくれよぉ!!」
言葉とは裏腹の勢い。空に虹色の軌跡を残す、まるで法弾のごとき速度だ。
「速い……!」
「どうだい。これは最後に残った穢れの獣が一体にして、新たなる魔王の幼少のみぎりであるよ! さしずめ魔人体といったところかな。比べ物にならないくらい縮んだだろう! でもさぁ!!」
加速する竜頭騎士に追いすがり、むしろ凌駕せんとする。
その機動性はかつてのイカルガを彷彿とさせるもの。
シュベールトリヒツとトイボックスが共に加速してなお魔王のほうが速い。
「ふりきれ……ない! くそう!」
イグナーツが焦り、エルすら表情を険しくしていた。
「厄介なことになりましたね。敵としてはまだ以前のほうが相手しやすかったですよ」
「ああ、ああ。キミを苦しめられるとはなんとも望外の喜びであるよ! そういえばだ魔王、これは君にとっては親の仇うちというわけだ! そう思えば、なおも飛翔が冴えわたろうというものッ!!」
ついに並走した魔王が前肢でつかみかかってくる。
それをトイボックスが断刃装甲で弾き飛ばす。互いに高速で飛翔しながら刃と爪をかわし続けた。
「粘るね! ならばこれはどうかな……唱えよ、叫べ! 多重法撃!」
広げた前肢、中肢の先端に光が灯る。
危険を察知したシュベールトリヒツが慌てて進路を曲げ。
後を追うように数多の法弾が飛んだ。
「やはりありますか、親ゆずりの魔法能力が!」
「そも、これこそが我らエルフの権能そのものだからねぇ!!」
旧魔王とは比較にならない機動性でもって放たれる法弾幕が、着実にエルたちを追い詰めてゆく。
遠距離での戦闘能力に乏しいのがトイボックスの泣き所だ。
どのように戦うかエルが思案している後ろで、フリーデグントは聞き捨てならない単語を拾い上げていた。
「おい、いまあれは自分をエルフと言わなかったか!?」
「はい。第一次森伐遠征軍の末裔、エルフの王にして二代に渡る魔王の乗り手、それが小王です。強敵ですね」
「はぁッ!? なっ……なん……はぁ!?」
聞かなきゃよかった、もう質問するのやめようかな。
フリーデグントは今すぐ耳を閉じれないか真剣に思い悩み始めていたのだった。
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