#164 あなたは一体誰ですか?
「狂暴な魔獣だが、
マギジェットスラスタを搭載したこの船は当代随一の速度性能を誇る。
躯体の大きさなりに速さに劣る混成獣が容易く追い付けるものではない。
「一安心ですね。まさか魔獣に襲われたときはどうしようかと思いました」
グラシアノが胃のあたりを押さえて言う。
魔獣による襲撃は人間同士の戦いとはまた異なる恐ろしさがある。
訓練を積んだ騎士、将であっても腹の奥底から湧き上がる原始的な恐怖に打ち勝つのは難しい。
だがここには魔獣などものともしない者たちが揃っていた。
「安心しろ。あのていどの獣に後れを取るほど俺たちは柔ではない!」
「国許でさんざんっぱら
エムリスが不敵に笑えば、船員たちも応じる。
彼の側近であり現船員たちはフレメヴィーラ王国からついてきた者も多い。彼らにとってはむしろ魔獣退治こそ日常といえよう。
「それはいいとして、エルネスティとキッドが帰っていないのがな。放っておくわけにもいかないが。さて」
「ホーガラもいない。おそらく共にいるのだろう」
「ふうむ、なるほどな」
「心配ですね。魔獣の群れに囲まれているとなれば、無事なのでしょうか」
「無事なのは当然だ。魔獣がいくら群れたところであいつらは倒せまいよ」
「いや倒したいわけでは……?」
どの視点から話しているのかがよくわからないが、とにかく絶大な信頼があることだけはわかった。
「魔獣に追われたままではこちらも動きを止められん。考えどころだ」
そうして彼らが顔を突き合わせていると、船員の一人がおずおずと声をかけてきた。
「あ、あの若旦那……伝声管に呼び出しがきてまして」
「なんだ。機関部に問題があったのか?」
「違うんですけど、若旦那をご指名なんです。ヤバいっす。とにかくお願いしますぅ」
しどろもどろの態度を不審に思いながらも、エムリスは伝声管に耳をすます。
「俺だ。どうした?」
「でぇんかぁ……」
「その声は……アデルト……ルートか……」
瞬間、彼は新たな脅威が生まれつつあることを悟った。
これはヤバい。下手をしなくても魔獣なんかよりはるかにヤバい。
「エル君……置いていきましたね……?」
「待て、落ち着くのだ。正しく認識しろ。置いていったのではない、アイツが飛んでいったのだ。これは本当だぞ?」
トイボックスに乗った瞬間に推進器を全力でぶん回しどこかへすっ飛んでいった。
止める機会があったのかすら疑わしく、エムリスに過失はない。はず。
「そもそもアイツなら心配無用だ。お前が一番詳しいだろう」
「確かにエル君は強いです。約束したのでちゃんと帰ってきてくれます。でも……」
「でも?」
「もしも! パーヴェルツィークとかに捕まっちゃったら! どうするんですか!」
「む。仮にそうなっても交渉は必要として、心配するほどでは……」
「ダメです! あんなに可愛いエル君なんですよ!? 捕まったらきっと縛られて吊るされてあんなことこんなことえるえるされちゃうに違いない!」
「お前たち夫婦の常識はどうなっているんだ?」
「助けに、向かいますよね? このままにしないです、よね? 殿下?」
「……当然だ。ひとまず魔獣を振り切ってからな」
「りょーかい。機関全開します」
伝声管の蓋が閉じられ、音が遠ざかってゆく。
エムリスは爽やかに悲壮な表情で振り返った。
「騎士よりも魔獣よりも恐ろしきは女の情念か。おいお前ら、何としてもあの問題児を拾い上げるぞ。しくじると俺たちが“銀鳳騎士団の雷”に討たれる羽目になる」
「ヒィッ!? りょ、了解です……!!」
“黄金の鬣号”は出力を上げ、謎の焦りと共に魔獣たちの舞う空へと戻ってゆくのだった。
竜が翼を広げる。羽毛はなく蝙蝠に似たそれが大きく動くたび、巨体が空を進む。
乱杭歯の顎を大きく広げ咆哮をあげる。低く重い音が遠雷のように周囲の大気を震わせた。
「
「ここは西方に近く、しかし西方に含まれない場所ですからね。逃げ延びるには最適なのでしょうが」
多数の魔獣を侍らせながら、竜は悠然と空を進んでいた。
「魔獣を従える魔獣……ですか」
トイボックスの操縦席で
「あれがこの島の主というわけか? ハルピュイアよ」
パーヴェルツィーク王国の王女、フリーデグントの問いかけにハルピュイアのホーガラが翼をざわめかせる。
「知らない。混成獣は我らにとっても敵だった。あんなものに率いられているなど見たこともない」
「どうだか。切り札を出しながらそらっとぼけるのは悪手だぞ」
「何を言っても意味のない囀りに聞こえるのならば、あとは爪を用いるしかないな」
「ほう。この私を脅すのか、ハルピュイアが」
「ちょっ待って、まぁ待って。落ち着いてくれよ二人とも!」
今一人と一羽はツェンドリンブルの操縦席後方にある予備の空間にいる。
幻晶騎士としては余裕があるとはいえ所詮は閉鎖空間、言い争いなど始められてはたまらない。
たまりかねた
「お前はどう思うのだ、クシェペルカの騎士」
「それは私の群れのもの。もちろん共に飛ぶだろう?」
「護るべきを定めることは戦うべきを定めることでもある」
「ほう。それはお前たちが先ほど敵対したことを言っているのか」
フリーデグントとホーガラは互いに譲らずキッと睨み合っている。
キッドは諦めてツェンドリンブルの操縦に専念することにした。そちらのほうがいくらか建設的である。
「こちらキッドですが、人馬騎士内の空気が最悪です……」
「皆じゃれ合うのはその辺にしましょうね」
「ちくしょうエル! 現場に居ないからって気楽だな!」
今だけはトイボックスでもカルディトーレでも、一人乗りの機体に乗りたい。
そう強く願ったキッドであった。
人間たちの
よく見れば周囲には多数の小さな影があり。それら――ハルピュイアはさっと巨竜の元を離れると、混成獣に近づいていった。
魔獣のもつ破壊への渇望は対象を選ばない。
近づいてくるハルピュイアなどただの肉とばかり、獅子の貌が牙を剥き出しにし。
「“従え”」
途端、巨竜から不可視の波動が放たれる。
竜の威令を浴びた混成獣たちは、先ほどまでの暴れようが嘘のように鎮まっていった。
すぐさまハルピュイアがとりつき、その背にある鞍に腰かける。
「なん……だよアレ……」
ハルピュイアが魔獣に乗る。それはこの地に来てより何度も目にした光景である。
だが彼らの友は大空を翔る誇り高き
「醜い獣だ。あんなものを操るのでは、とうてい手を取り合えないな。逆に食いちぎられそうだ」
「あれを我らの友と一緒にするな! あのような破壊だけの獣を……!」
だが現実に混成獣はハルピュイアに従う騎獣と化している。
恐らくはそれが竜の王がもつ権能なのだろう。
「ヤバいな。あの群れの規模は洒落にならないぜ」
「ここもいつまで安全かわかりませんね。移動の準備をしておきましょう」
「賛成だ」
トイボックスが木々の陰から顔を出す。
ツェンドリンブルなど図体がでかいものだから隠れるにも限界があった。
「群れに見つかる前に……ッ! ぐぁっ!?」
突然、キッドが額を押さえた。
脳裏に響く金属を引っ掻いたような不快なノイズ。ザリザリとした音が急速に焦点を合わせ――。
「……聞こえているか。我らが巣を荒らすヒトどもよ」
――“言葉”を形作る。
ヒトならざるものが紡ぐ異形の言語を無理やり差し込まれ、人間たちが苦悶の表情を浮かべた。
「なんだ……これは……? 音ではないのに、直接聞こえる……」
とてつもない不快感がこみ上げ、フリーデグントは思わず口を押さえる。
さりとて“竜”が些末な生き物たちのことなど考慮するはずもなく。容赦なく言葉は続く。
「……我は竜の王。翼ある民と獣を率いるものなり……」
混成獣に騎乗したハルピュイアがいっせいに喚声を上げる。
普通の音を耳にして、むしろ安堵を覚えるほどだ。
「うっそだろ。魔獣が! 言葉を使ったぜ!? しかもこの……何だよ。何だこれ!」
「これがそうか……部下から聞いたことがある。“竜の言葉”がこれほど不快だとはな」
フレメヴィーラ育ちのキッドですら混乱を抑えきれないでいる。
いかに魔獣に慣れているとはいえ、言葉を操る獣など未知なる存在だ。
あえて挙げるならば
フリーデグントは部下からの報告を思い出していた。
受けた時は少なからず信じがたく思っていたことも、実際に体験した今では否定のしようなどない。
度重なる異常事態に翻弄されるばかりであった。
「どうするんだ、エル……?」
エルならどのような反応をするだろうか? ふと気になり、キッドはツェンドリンブルの視界を動かす。
トイボックスは立ち止まり竜を睨みつけていた。
操縦席の中ではエルが表情を険しくしている。しかしその理由は周囲とは異なっていて。
「耳に届いたものではありません。音ならざる音を遠く離れて伝える魔法……ですか」
それそのものも脅威ではある。しかし彼にとって大事なことは別にあった。
「言霊が伝わった時、確かに感じましたよ。これは
思い浮かぶは魔獣を率いる“獣たちの王”の姿。
「竜の王とおっしゃいましたか。そこにいるのはもしや、僕の知るあなたなのですか? それとも別の……」
呟きは誰かに届く前に、風のざわめきに紛れて消えた。
動揺しているのはエルたちばかりではない。
飛空船、地上の
地上を睥睨し、竜の王は長く伸びた首を巡らせる。汚らしく褪せた甲殻がギチギチと軋みをあげた。
「……我と、我が僕たるハルピュイアを害するヒトどもよ。この地を我が物顔で己のものとするとは不遜なり。是は我らの地なり」
耳をふさげども思考が伝わる。竜の王の言葉からは何ものも耳をふさぐことが出来ない。
「……ハルピュイアよ推参せよ。我が加護が力を与える。牙を、爪を研げ。破壊を従え、侵入者を水の大地へ叩き落せ」
背にハルピュイアを乗せた混成獣が進み出る。
響く声は獣の咆哮か、翼の民の鬨の声か。
敵意に満ちた空を見上げ、フリーデグントはせせら笑う。
「“竜の王”とやらに曰く、そういうことだそうだ。どうする騎士よ? お前たちの大好きなハルピュイアが敵に回ったぞ」
「だけど……!」
キッドは言葉に詰まり、操縦桿を握りなおした。
魔獣に襲われたならば戦えばいい。だがハルピュイアを敵に回すとなれば、彼には迷いがある。
敵だからと割り切ってしまうには彼らのことを知りすぎている。
会話を聞いていたトイボックスの首が振り向いた。
「ハルピュイアと一口に言って全て敵でもなければ、逆に全て味方でもありません。考えは個々人で違うでしょう」
「ならばお前はあれらと戦うのだな?」
「人間だって国同士で諍いあっているというのに、彼らだけを咎める理由もありません。手を取りあえるなら取り合い、対立するならそれなりの対応をするだけです」
「言ってくれるではないか」
そもそもを言えば、エルたちとフリーデグントとて味方同士とはいいがたい状態にある。
ハルピュイアの敵味方を論ずるなど今更の話といえよう。
「とはいえお前たちが納得するのは難しいだろうがな」
フリーデグントの視線を受けたホーガラが動揺を露わにした。
「ホーガラ。このままだとあの群れとは戦いになる。向こうはやる気だ……多分、話しても通じない」
「私は……」
「見ただろ。混成獣に乗って襲ってくる奴に手加減は無理だ。魔獣ごと敵になれば俺たちだって危うい」
この場にいる唯一のハルピュイアとして彼女は考える。
竜の王を頭目として幾つもの群れが集っている。そこで彼女は気付いた。
「待て、混成獣に乗ったと……? ならばそもそも彼らの鷲頭獣はどうしたのだ」
ハルピュイアたちは一羽と一頭で組むのが基本。元から混成獣に乗ったハルピュイアなどいるはずがない。
竜の王の権能抜きにしては、とても言うことを聞かせられるものではないからだ。
ならば彼らにも本来は相棒とする鷲頭獣がいたはずで――。
「まさか。失ったのか、彼らも……」
ホーガラの鷲頭獣は人間との戦いの中で失われてしまった。
少し前まで一羽と一匹で飛ぶことが当然だったのが、今は一羽きり。
おそらくは彼らも同じなのだろう。翼を重ねるべき相手を失い、だからこそ醜い混成獣であっても必要とした。
奪い去った相手に向けて牙が、爪が報復を求めてやまない。
ゆえにこそ竜の王が囁くまま争いに乗り出した――。
「以前は私たちにとってもヒトは敵だった。でも今は……」
ホーガラは知っている。人間は確かにこの力多くのものを奪おうとしているが、それだけではない。
彼女を救い出すために危地のど真ん中までやってくるような者もいるのだ。
それを教えてくれたのは、一人のお人好しの騎士。
近くにあるキッドの背中を見つめ、ホーガラは意を決して頷いた。
「私は……彼らと共に飛ぶことはできない。ハルピュイアはともかく竜の王とやらが味方かわからない」
「ほほう。では?」
「だが敵ではない。彼らは……傷ついている。あれだけの怒りを空に放っておくわけにはいかない」
「結局、どうしようもないではないか。このまま呆けたように見上げていろというのか」
彼女は首を横に振る。
「私が彼らと話してくる。同じハルピュイア、お前たちよりは通じるはずだ」
「ちょ、ちょいと待った。そりゃそうかもしれないけど、今バラバラに動くのもさ」
キッドは慌てて、操縦席から出ようとしたホーガラを押しとどめる。
腰を掴んで引き戻された彼女が不満げな表情で睨んできた。
「ではどうしろというのだ。他にどんな手が」
「考えるから、もうちょっと待ってくれ。な?」
わいわいと言い合う二人を見て、フリーデグントが深い吐息を漏らす。
すでに毒気もずいぶんと抜けた頃合いだ。
「まったく、お前たちは甘いのだな」
「殿下をお救いする程度には」
「……自分で言っていれば世話はないぞ」
確かに彼女自身、窮地を救い出された身の上である。
おそらく彼らは今までもこの調子で誰かを助けてきたのだろう。そこには迷いも躊躇いも感じられない。
「私と私の国はハルピュイアだの竜の王だの、要求を聞くつもりはない。いや、できないな。譲歩できる余裕などないからだ」
自分に言い聞かせるように、確かめるようにつぶやいて。どこか視線はそらしたまま続ける。
「だが助けてもらった身の上だ、ひとつだけ助言を与えよう。もしも和解するつもりならば急いだほうがいい」
「それはなぜでしょうか?」
「私がいないからだ。騎士団と離れて時が経ち過ぎた。間違いなく捜索のために竜騎士団がここに投入される。だとすれば……」
この後に起こるだろう出来事に、彼女には確信があった。
「先頭をゆくのは
話を聞いたキッドが顔色を変える。
全面衝突になってしまえば、もはや説得がどうこうと言っていられる余裕などない。
「……ううむ悩ましいですね。大型兵器と巨大魔獣の戦いは、それはそれでとっても眺めてみたい」
そうして戦慄に身を浸す一同の中で、エルだけがただ一人心底どうでもいいことをほざいていたのだった。
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