#116 問うものと問われるもの
魔の森に、重々しい足音が響く。
巨獣のうろつく森の中、堂々と歩き進む巨人が一体。彼は、獲物を探して木々の間を進んでゆく。
「なんだ。森の空気が何か……違って見える」
三眼位の戦士は、周囲を見回して呟いた。
いつもと同じように森に入ったはずが、その日はどこか違う雰囲気を感じる。少し考えてから気付いた。森が静かすぎるのだ。
普段であればすでに決闘級魔獣の一匹や二匹、遭遇しているはずである。だが周囲には、まるで息をひそめているかのような静けさが広がるばかりであった。
「このままでは、今日の糧にも困るか」
戦士は眉を顰め、周囲を見回す。いくら首を巡らせども、獣の影すら見えず。
彼は、
フラーウム氏族は、この森に暮らす多くの氏族と同じく小規模な集団である。かつて起こった大いなる戦い――真眼の乱では規模の小ささゆえに被害もなく、戦果もまたなかった。
「いずれかの氏族が、問いへの備えを始めたか? 我ら
真眼の乱は、時の経過とともに遠くなりつつある。いまさら問いに備える必要などないように思えたが、しかし巨人族にはまだ大きな問題が残っていた。
それが、ルーベル氏族の存在である。
真眼の乱の覇者となったはずのかの氏族。
「問い……か。我らはカエルレウス氏族のようには、なれぬからな」
規模は小さくとも伝統を強く重んじるカエルレウス氏族とは違って、フラーウム氏族は穏やかな暮らしこそを望む。ルーベル氏族の振る舞いに思うところはあれど、積極的に動こうとは考えていなかった。
「ふうむ。森に何かあると思っていたが……あれが、原因か」
そうしてふらふらと歩いているうちに、戦士は異常の源と出会っていた。
見上げれば、上空には何か異様な存在が漂っている。虹色の光を放ちながらゆっくりと近づいてくるのを見た彼は武器を構え、警戒を強めていた。
「見慣れぬ、穢れの獣というわけでもなさそうだが」
虹色の光は、彼の警戒などお構いなしに近づいてくる。やがて全貌がはっきりとするにつれて、戦士の表情が驚愕の形へと変化していった。
「お前は、フラーウム氏族のものか」
「なんと……まさか、カエルレウス氏族だと!? お前たちは皆、
虹色の円環に囲まれ浮かぶ、巨人としては小柄な人影。四眼位の小魔導師が、木々の上から彼を見下ろしてくる。
幼い四つの瞳に見つめられて、戦士は武器を降ろすことも忘れて立ち尽くしていた。
「問いすらおこなわぬルーベル氏族の所業によって、我が氏族は大きな傷を負った。だがまだ、瞳を開くものはいる」
「そうであったか。しかし、その姿はなにごとか。穢れの獣にはあらず、お前までも獣を従えるか」
戦士の知識にはない姿だ。まるで魔獣のようであるが、それにしては様子がおかしかった。小魔導師の背後に控えたまま何もしない、むしろアレが彼女を空に支えているのか。あまりにも不可解な状態にあった。
小魔導師は戦士の動揺も疑問も構わず、言葉を続ける。
「フラーウム氏族よ。我はお前たちに頼みがあって来た。これはあらゆる氏族……
「なんだと……」
少女の口から言葉が紡がれてゆくにつれて、戦士は三つの瞳を大きく見開いてゆく。それは新たな戦いの始まりを告げる、託宣めいた言葉であったのだ。
巨人族の諸氏族が暮らす集落は、魔の森の各地に点在している。
そもそも氏族ごとの仲というのは、決して良いとはいえない。糧を得るための狩り場が重なった、眼が合わなかった、何くれとなく理由をつけて昔から諍いは絶えなかった。そのため今日では、氏族ごとに離れて暮らすのが当たり前となっている。
そんな諸氏族の集落へと、報せを持った巨人たちが現れていた。彼らはフラーウム氏族からの遣いだ。携えた内容はただひとつ――賢人の問いを啓くため、集えと。
「問いを……フラーウム氏族だと? 眼は確かか、奴らとてカエルレウスが末期の景色を見忘れたわけではあるまいに!」
報せを受けた諸氏族は訝しんだ。しかしそれもわずかなこと、彼らは問いへの参加に承諾していった。斯くして再び、諸氏族は一堂に会することになる。
森の中に拓かれた広場は、巨人たちによって埋め尽くされていた。
かつてカエルレウス氏族の呼びかけに応じた時と同じく、ルーベル氏族を除くほとんどの氏族がこの場に遣いを送り込んできた。
「ここに諸氏族、集まれり。フラーウム氏族よ、今宵の問いの内容を聞かせてもらおうか」
興奮気味に詰め寄る巨人たちを前に、フラーウム氏族の長である五眼位の魔導師は瞳を閉じて押し黙ったまま。
数え切れないほどの視線が集中する中、魔導師はゆっくりと五つの瞳を開いて立ち上がった。性格的に穏やかな部類に属するフラーウム氏族ではあるが、さりとて巨人族であることに変わりはなく。
五眼位の魔導師は、大柄な体躯から静かな圧力を放ちながら、周囲を見回した。
「……問いを放つのは、我らの役ではない。時満ちるを待つのだ」
「どういうことか。お前たちが、諸氏族を集めたのだぞ」
不可解なざわめきが、巨人たちの間を駆け抜ける。
「カエルレウスは愚直さゆえに瞳を奪われた。しかし我らとて、このまま安寧を見つめられるとは思わぬ」
「ルーベル氏族め! 抜け目ない奴らのこと、不満を持つのがカエルレウスだけとは思わぬだろう」
「それゆえに諸氏族を集めたのではなかったのか」
かつて結成された
しかし一度は成り立ち、諸氏族はルーベル氏族と敵対したのだ。首魁を倒せども、このまま見逃すとは限らない。だとすれば、次はどの氏族が標的となるのか――不安は皆の胸中に等しくあった。
そんなさなかに、笑い声が起こる。
「フン、あれはカエルレウスごときが見誤ったがゆえのこと! 己が目を誤るもの、百眼はお見逃しなく裁きを下されたのだ!」
「アーテル氏族よ。しかし……」
アーテル氏族と呼ばれた氏族集団から、五つ目の巨人が歩み出た。彼は歯をむき出しに笑うと、戸惑いを浮かべたままの諸氏族を眺めまわした。
「愚か者どもと同じ景色を見る必要はない! それにこうして集まったところで、良い目はでぬ。違うか!?」
諸氏族は力なく、視線を彷徨わせた。彼らは小さく、弱い氏族だ。ゆえに諸氏族連合があった。しかし図体を大きくしても、個々が強くなるわけではなかったのである。
「アーテル氏族よ」
静かな呼びかけを受けて、五つ目の巨人は振り返った。声の主はフラーウム氏族の魔導師である。だが、彼は呼びかけたにもかかわらず、視線を空中へと向けていた。
「お前の疑問に答える者が、いる。見よ。真に問いを放つべき者が、現れたぞ」
「なにを……?」
五つ目の巨人は口元をゆがめ、ゆっくりと視線の先を追った。そして、見た。ぼんやりと空に灯る、虹色の輝きを。
「あの光、穢れの獣か!」
「いや、それにしては様子がおかしい」
巨人たちは、すぐさま戦いの姿勢をとっていた。賢人の問いは、巨人族にとって神聖なる儀式だ。邪魔が入ることは許しがたく、さらに穢れの獣は全氏族の仇敵である。
「鎮まれぇい! ……あれは、獣にあらず。皆、迎えるのだ」
興奮する諸氏族を、フラーウム氏族が制止する。彼らは、光の正体を知っているのか。疑問が駆け抜けてゆく。
その間にも光は近づき、広場の上空からゆっくりと降りてきた。
巨人たちが固唾を飲んで見守る中、虹色に輝く円環の中心から一体の巨人が飛び出してくる。
巨人としては小柄な体躯をもったそれは、呆気にとられた視線の中を落下し。
「
巻き起こった風の支えを受けて減速すると、ゆっくりと大地に降り立った。突然の展開に戸惑う諸氏族へと向けて、はっきりと言い放つ。
「我は、カエルレウス氏族が四眼位の小魔導師。フラーウム氏族に頼み、この問いを啓いた者である!」
小魔導師の宣言を聞いた巨人たちがどよめく。
フラーウム氏族の五眼位の魔導師が、彼女の隣に立った。彼女が間違いなくこの問いを啓いたものであると示しているのだ。
「なんと! では、この問いはかの時の続きとなるか」
「ならば再び立つのか、諸氏族連合軍が……!」
興奮気味に話し合う声を耳にして、アーテル氏族の五眼位の巨人は目を見開いた。そのまま巨人たちをかき分けて、小魔導師の前に立ちはだかる。
「我に紛い物を見せるか! カエルレウス氏族は瞳を返した! ルーベル氏族に、穢れの獣に襲われたのであろうが!!」
「確かに、返した瞳も少なくはない。だが我らは生き延びた……かの卑劣なるおこないを伝えるために、穢れを耐え抜いたのだ」
高みから見下ろす五つの瞳に向けて、小魔導師は怯むことなく睨み返す。
「ルーベル氏族は、卑劣にも瞳を汚した。問いすらおこなわず、穢れの獣を仕向けてきた! もはや百眼がご覧であることなど、とうに忘れてしまったのだ」
まったく怯みを見せない小魔導師に、五つ目の巨人は一瞬表情を歪めたものの、すぐに余裕を取り戻していた。
「然り、奴らは驕り卑劣であるかもしれん。だがカエルレウス、対するお前たちは瞳閉じつつある氏族。いかほどの力があろうか! そのような言葉に乗り、問いを啓けるものか」
五眼位の巨人は笑みすら浮かべ、小魔導師を見下ろす。
「おとなしく瞳閉じるがいい。このような幼き瞳を出さねばならぬ時点で、お前たちの力など見えたもの!」
アーテル氏族の言葉は諸氏族に染み入り、興奮を冷ましていった。
「おお、穢れの獣はいまだ健在なり。それでは、真眼の乱の繰り返しとなろう」
「我らは勝てぬ。問いにすらならぬ……。許せ、カエルレウスよ」
真眼の乱。“問い”という名の戦いの最中に投入された穢れの獣による脅威は、各氏族の心の奥深くに刻みつけられていた。
快癒しえない傷口が膿みを出すように、痛みがじわじわと巨人の心を苛んでいた。カエルレウス氏族の惨状を目の当たりにして、痛みはよりいっそう巨人たちの戦意を鈍らせてゆく。
小魔導師が眉根を寄せる。
「わざわざ返しぞこなったその瞳、無為にすることもあるまい。いずれかの氏族に加わるがいい……なんなれば、我らのもとでも良いぞ。四眼位なれば、目は十分である」
にやりと、五眼位の巨人が口元を歪める。諸氏族は及び腰で、小魔導師はたった一人。このままでは説得など到底不可能である。
その時、たったひとつの言葉が、彼女に味方した。
「答えは、あれにあるのだろう。カエルレウス」
「……そうだ」
フラーウム氏族の長は、じっと宙を睨んでいる。その先に居るのは、空中に佇んだままのカササギであった。
小魔導師は空を指し、力に満ちた瞳で諸氏族を睨む。
「確かに、我らは多くの瞳を返した。氏族としての力は、ないに等しいだろう。だが! いつまでも同じ景色を見続けることはない。ここに、新たなる同胞がいる!!」
胸を張り、彼女が堂々と告げた。呼応するようにカササギが動き出す。虹色の輝きを強めさらに上空へと舞い上がると、照明法弾を発射。
眩く煌めく輝きを、巨人たちは呆けたように見つめていた。
やがて光は弱まり、空は元の姿に戻る。同時に、彼らは気付いた。遥か雲間を越え、何ものかが近づいてくるということに。
「あれは……獣、ではない。あのような空飛ぶものが!?」
吹きすさぶ風の音が、彼らの耳にも届く。巨人たちは言葉もなく、ただ瞳を見開いて空を見上げていた。
――巨大な、巨人たちですら比べ物にならないほど巨大な物体が、悠然と空を進んでいる。
かつて目にした、どのような獣よりも巨大な存在。
鋭い噴射音をあげて、
頭上を埋め尽くすかのような未知なる軍勢を目にし、五眼位の巨人は知らぬ間に数歩後退っていた。震える身体に力を込め、小魔導師を睨みつける。
「カエルレウスよ……お前は、お前たちは! 何を、見たのか!?」
悲鳴のような問いかけに、しかし彼女は応えない。ただじっと、空を見つめるのみであった。
大混乱に陥る地上を他所に、上空のイズモの船内では銀鳳騎士団員たちが忙しそうに駆けまわっていた。
「やれやれ、まさかこんなところでコレをお披露目することになるとはね」
「下は巨人だらけってぇ話じゃねぇか。さすがに船ごと降ろすのはナシだからな」
グゥエラリンデの中から聞こえてきたディートリヒのぼやきに、
グゥエラリンデは今、
「わかっているとも。それより、頃合いじゃないか?」
「よーし、出番だ!」
第二中隊員たちが、威勢よく応じる。彼らの機体もグゥエラリンデと同じく、追加装甲によって包まれていた。
「ようしてめぇら。巨人の奴らに、ガツンとかましてやれ!」
親方の合図によって、船底が解放される。グゥエラリンデを先頭に、第二中隊機が順番に投下されていった。
渦巻く風のただなかへと投げ出される第二中隊。だが、そこにはひとつ奇妙な点があった。飛空船から
だというのに彼らは、何の支えもなく空中へと飛び出たのである。飛翔騎士ではない、
無謀の答えは、すぐに判明する。
「いくぞ!
次の瞬間、グゥエラリンデを包んでいた装甲が翼のような形に広がった。しかし、いかに巨大な翼をもったとて幻晶騎士の重量を支えられるものではない。本命は、この後にある。
「
虹色の輝きが漏れ出し、弱い
降下用追加装甲とは、小型化しさらに補充機能も省略した簡易型の源素浮揚器を使用することで幻晶騎士に空中降下機能を付与する、最新鋭の装備であった。
広げた装甲が大気を捕らえる。落下の勢いを推力に変えて、幻晶騎士たちは滑るように空を進み始めた。
怪鳥のごとく空を進む幻晶騎士を目にし、巨人たちは騒然となる。中には武器を構えるものすらいた。
緩やかに落下しながら、グゥエラリンデは首を巡らせる。地上の大混乱ぶりに、苦笑を禁じ得ないでいた。
「まったく手筈通りのはずなのに。これではどうにも、我々が殴り込みにきたようじゃないか」
「いやディータイチョ、これ殴り込みそのものだし」
「うっへぇ、巨人いっぱいいるねぇ」
第二中隊はけらけらと笑い声を上げながら、巨人たちの支配する大地へと突入する。
小魔導師を目印として降りてきた彼らは、装甲を翼のように広げて地上を滑っていった。二本の脚で制動をかけ勢いを殺すと、すぐさま周囲を警戒する。
武器をかまえ、
第二中隊は小魔導師を中心に円陣を組み、巨人たちと向かい合った。
突然空から現れた、鋼に身を包んだ巨人たち。その正体を測りかね、諸氏族は緊張と沈黙の中にあった。
「さあて。小魔導師、後は頼んだよ。ここは君の仕切りなのだろう?」
「承知した、戦士ディーよ」
小魔導師はグゥエラリンデの横を抜けて、アーテル氏族の前に立つ。
「聞け、諸氏族よ! 我らは返した瞳に代わり、新たな同胞を得た。空を舞う戦士! 鋼の戦士たち! どれも穢れの獣をも退けし、勇者である! これらは、巨人族にはあらず。……
彼女の言葉は、大きなどよめきによってかき消された。
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