#113 騎士団のある場所が
虹色の円環が、青空に鮮やかな軌跡を描いた。
「いったい全体、こりゃあどういうことだよ」
輪の中心には、恐ろしく奇妙なものが浮かんでいた。
年若い少女のように見えれども、決闘級魔獣のごとき巨体と四つの瞳を持つ異様な姿をした何ものか。その後方にはなおさらに奇怪な、人型の上半身だけの形を魔獣の甲殻で覆った鎧のようなものがある。
「まっとうに考えりゃあ、敵としか思えねぇが」
「それには心底同意するよ」
グゥエラリンデの中で、ディートリヒもまた彼と似たような表情を浮かべていた。
「少しばかり、暢気に構えてもいられないかな」
グゥエラリンデは剣を下げているものの収めてはいない。もしもこれが彼らの“予想”とは異なる存在だった場合、グゥエラリンデが最後の剣とならねばならないのだ。
数々の期待と疑問と、若干の緊張をかき混ぜながら、虹色の輝きはゆっくりと接近して。唐突に、内部から小さな何かが飛び出してきた。
蒼穹に紛れるような、小さな人影。弾かれたように勢いよく飛び出したそれは、虹色の輝きの範囲外へと出てきた。
「あれは……!」
グゥエラリンデの眼球水晶が、確かにその姿を捉える。操縦席のなかでディートリヒが身を乗り出し、
「まったく、まともな形で再会できるとは思っていなかったけどね。それにしても、だ」
立ち尽くす親方の前に、人影が微かな音と共に降り立った。
甲板の上を流れる風を受け、紫銀の髪が揺れる。その姿を見間違うことなどあろうか、親方はふらつくように一歩を踏み出した。
「……
数ヵ月前に蟲型魔獣の群れへと向けて挑み、そして姿を消したあの時のまま。変わらぬ笑顔がそこにあった。むしろ何ひとつ変わらなさすぎる。
「おめぇ、やはり無事だったの……」
「親方、お久しぶりですね! ともかく、まずは発光法弾で連絡をお願いします!」
「か……って、おう!?」
エルネスティ・エチェバルリアは僅かも止まらず。さっそくちょこまかと動き出していた。
「すぐに戦闘の停止を伝えてください。あそこのカササギにはアディがいます、敵ではありませんから」
「おいやっぱ嬢ちゃんもいんのかよ! ああ、そうだな。おい、ディー」
「わかっているよ」
グゥエラリンデが備え付けの
法弾はまっすぐに空へと上り、空中に光の花を咲かせる。眩く輝く光の色は、蒼。銀鳳騎士団でこの色をもつ機体はたったの一機だけ――“イカルガ”を示す色である。
旗艦イズモの様子をうかがっていた各
そうして船団は、ゆっくりと平静を取り戻してゆくのだった。
空から、戦いの空気が流れ去ってゆく。周囲の様子を確認し、エルは胸をなでおろしていた。
「連絡手段がないので、どうしようかと思いました」
「だからって、真正面からつっこむない」
のほほんとのたまうエルに、親方が詰め寄る。その時、上空から悲痛な声が響いてきた。
「えーるーくーん! ちょっとこれ、降ろすの難しいんだけどー!?」
「あっ」
ぎょっとして振り返ったエルが見たものは、頼りなくふらふらと左右に揺れる、カササギの姿であった。
一緒に浮かんでいる
「ま、
「多分、だいじょぶ。えーと、これかな?」
「ひゃっ、ああ。
「イカルガの操縦席、どうしてこんな
ガク、ガクッと痙攣するような動きをし始めたのを見て、さすがのエルも焦ったように
「ちょっと、行ってきます」
「お、おう。俺ぁ皆を集めとくぜ」
止める間もなく、エルは再び空の住人へと戻っていた。
「ったく、しばらくぶりだってのに相変わらずじゃねぇか。どこまでも坊主だな!」
台詞とは裏腹に、口元に隠しきれない笑みを浮かべながら。親方は足取りも軽く船へと戻ってゆくのだった。
――騎士団長、帰還す。
その報せは、爆風じみた速度で船内を駆け巡った。
「おい、団長帰ってきたってよ!」
「本気かよ。どっから現れたんだ」
「あの小ささだし、風に乗って飛んできた……とか?」
「なにそれ怖い。でもありうるから怖い」
「おお怖い」
伝声管は団員たちの雑談で満ち溢れ、彼らは早々に職場放棄をキメて続々と船倉へと集まってきた。
全員の注目が集まる中、昇降機が歯車を軋ませながら降りはじめる。そうして台座に載って現れたものの姿を見て、彼らはそろって目を剥く羽目に陥るのである。
歯車が立てる軋みを響かせながら、昇降機がゆっくりと船内に入ってゆく。
「おお、これは……」
イズモ船内の光景を目にして、小魔導師は四つの瞳を見開いた。
所狭しと並べられた
彼らの使う騎士だけで、
食い入るように目を見開く小魔導師の足元に、エルがやって来る。
「いかがですか?
「……西の
彼女の背後にたたずんでいたグゥエラリンデの操縦席から、声が届いてきた。
「そのクレ何とかというのは、あの蟲型魔獣のことかい? 途中で邪魔をされたけど、二、三匹は墜としておいたよ」
「なんと! 勇猛なことだ。ここに居るは皆、
彼女は、ディートリヒの言葉を疑いはしなかった。小鬼族の空飛ぶ幻獣の力は、戦った彼女自身がようく理解している。知らず、彼女は拳を握りしめていた。
昇降機が船倉へと到着した途端、周囲にいた団員たちがわっと押し寄せてくる。何か反応する暇もあらばこそ。彼らは喧騒に飲み込まれた。
「おおっ、本当に団長だ!」
「やっぱ生きてたんだな……ってかアレなんだよ」
「もしかして……これ、イカルガなのか?」
「ねーよ。痕跡がどこにもねーよ……」
「なにこれでっけー!? 幻晶騎士? 魔獣?」
「目、目が四つもあるんだけど」
「ああ、いっぱい幻晶騎士があって落ち着きますね~」
「決闘級巨人ってか? ボキューズ大森海怖すぎだろ」
「つうか団長、何馴染んでんの」
「よく見ると、意外と可愛いかも」
「お、お前……」
「むしろなぜ半分しかないのか」
「え? じゃああと半分作るの? 勘弁してよ」
「お、多いな。師匠たちの氏族は、小鬼族の中でも有力なのだろうか」
「あれ、飛翔騎士より速いってマジ?」
「鉄の香がとても馨しいです」
「どうだろ。規模はちっさいほうかも」
「これでか……。小鬼族、侮れぬものだ」
「ひぃぃぃぃいしゃぁぁぁぁべったぁぁぁぁぁぁ!?」
「なにコレマジどうなってんの!?」
「えぇぇぇいお前らうるっせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
たまりかねた親方の一喝で、ようやく場が静かになった。思わず、小魔導師まで口を閉じて姿勢を正している。
それから、全員の視線が期せずして一か所へと向かった。中心に居るエルがしゅたっと手を挙げる。
「はい議長、発言許可を!」
「んだよ団長。きりきり説明しやがれ! てぇか誰が議長だ!?」
「ではかいつまんで」
親方が、長い溜め息とともに下がる。
そうして、エルは。まるでいつも通りに騎士団の前に立った。数ヵ月を経ているとはまったく思えない、当たり前にしっくりと馴染んでいる。
彼はまず、緊張の面持ちでいる小魔導師へと手を向けた。
「彼女は、この森に勢力を築いている
「師匠に紹介を受けた、四眼位の小魔導師(パールヴァ・マーガ・デ・クォートスオキュリス)だ」
小魔導師が周囲を見回して言うと、抑えきれないざわめきが団員たちの間に広がった。
「うおお、聞き間違いじゃない、言ってることがわかるぞ」
「こんなでっかいのと話ができるのか」
「聞いての通り、巨人族とは意思疎通が可能です。それには色々と事情があるのですけれど……ひとまず僕は彼女たち、カエルレウス氏族のところでお世話になっていました」
「それはいいが、エルネスティ」
グゥエラリンデが首を巡らせた。機体に乗ったまま、拡声器からディートリヒの声が聞こえてくる。
「師匠というのは、なんだね?」
「私とエル君で、
「ああ。我は、師匠たちに学んでいるところなのだ」
「……本当に、何をやっているんだ君たちは」
ディートリヒはわざわざグゥエラリンデを操作して、額を押さえて首を横に振る。
「必要だったことです。何故なら今、この地では巨人の氏族同士の戦いが起こっているのですから」
「! それは」
エルの一言によって緩く呆れたような雰囲気は吹き飛び、空気が張り詰めた。
再び全員の注目が戻ったことを確かめ、エルは語りだす。巨人族が王位について争っていること、最大氏族と小氏族について――。
「その中で重要なことは、ふたつです。まずは最大氏族、ルーベル氏族が使役する兵器としての魔獣。
「魔獣を、兵器として使うだと? 有り得るのかそんなことが」
「俺たちだって馬を使う。巨人からしてみれば、決闘級くらいは飼いならせるんじゃないか」
「しかしあの蟲型ってのがなぁ……」
数多くの戸惑いと疑問が渦を巻いた。
騎士団と、穢れの獣との因縁は浅からぬものがある。フレメヴィーラ王国の騎士は魔獣と戦うためにいるものだが、中でも穢れの獣は絶対に見過ごすことはできない。
「あとひとつ。むしろ、こちらのほうが重要といえますが……」
エルがわずかに言い淀んだことで、団員たちは思わず身構えた。あの騎士団長が躊躇うほどのことなんて想像もつかないからだ。
果たして、彼らの覚悟は無駄にならなかった。
「ここに居るのは、巨人族だけではありません。人が、第一次
ざわめきは起こらなかった。言葉の意味を理解するのに、少しの時間が必要だったからである。
ボキューズ
さらに遠征軍が起こったこと自体が、数百年は昔の話である。森に入ったところで痕跡を見つけることも難しいだろうと思われてきた。ましてや生存者の末裔がいるなど、想像の埒外にあるといえよう。
それぞれの戸惑いを目にしたエルは振り返り、背後にたたずむ異物を示す。
「このカササギは、イカルガの残骸をもとにして作ったものです。作り上げたのはこの地に暮らす小鬼族。つまり森伐遠征軍の末裔たちのことです」
「ほう。またずいぶんとゲテモノに仕上げやがったことだが」
カササギを横目に、親方が唸った。銀鳳騎士団鍛冶師隊隊長として、同時にイカルガを作り上げた技術者として強く興味を惹かれるものである。果たして詳細を聞いても正気がもつかどうかは、また別の問題であったが。
エルは頷き返してから。
「これも
「おい待て、今なんつった」
「それでちょうど、小魔導師とともに使者として向かう途中で皆を見つけたのです」
「いちおう、聞こうかな。どこへ向かう途中だったんだい?」
エルが微笑み口を開こうとしたところで、船倉にけたたましい鐘の音が響き渡った。
「っと、ちょい待ち! 飛翔騎士帰還するぞ!」
「整備班位置につけー!」
「格納準備ー! 危ないぞ、皆離れておけー!」
知らせを聞いた団員たちがわたわたと動き出す。小魔導師は隅の方により、興味津々の眼差しを送っていた。
そうこうしているうちに、船倉の後ろ扉が開く。
空の向こうから、飛翔騎士が接近してくる。速度を合わせたところで
「師匠エルよ。小鬼族の空飛ぶ船とは、面白いものだな」
「そうでしょう。皆で力を合わせて作りましたからね」
エルが得意げに胸を張っている間に、飛翔騎士の搬入が終わる。それからしばらくして、人垣をかき分けて
「うわぁ、本当に団長だよ!」
「え? 居るし! じゃあさっきの団長が乗ってた奴? そりゃ捕まらないよ……」
「だよなー。あんな気持ち悪い機動する魔獣が、この世にいてたまるかってんだ」
第一中隊の騎操士たちは、エルの姿を見つけるやがっくりと肩を落とした。魔獣を逃してしまったかと慌てて戻ってみれば、より性質の悪いものがいたのである。さもありなん。
そんな騎操士たちの最後に、エドガーはいた。
彼は、ちょこんと佇むエルへとつかつかと歩み寄ると。僅かに傾げられたエルの頭を鷲掴みにして、そのままぐしゃぐしゃと髪を掻き回した。
「おおおお、エドガーさん、止め。髪が。すごいことに……」
「え、エドガーさん! ちょっと待って! それ楽しそう私もやりたい!」
アディの制止(?)も構わず、しばらくわしわしと髪を掻き回していたエドガーだったが、やがて溜め息を漏らし手を止めた。
「もう少し大人しく戻ってこれないのか、エルネスティ」
「むぅ。使えるものが何ひとつ残っていませんでしたからね。機体に組み付いてから外に出て、直接操縦席にお伺いしたほうがよかったでしょうか」
「それは是非とも、勘弁願いたいな。ともあれだ……」
エドガーは小さく笑みを浮かべてから、一歩下がって姿勢を正した。
「よくぞご無事で、騎士団長。お帰り」
「はい、ただいま戻りました」
斯くして、銀鳳騎士団に騎士団長が戻ってきたのである。
「……ここは、どこなのでしょうか」
小鬼族の騎士、ザカライアは茫漠とした様子で天井を見上げていた。
彼が覚えているのは、自分がカササギの掌に乗って移動していたところまでである。その後確か、何ものかと遭遇したというような話を聞いた朧気な記憶があった。
しかしそれが何かを確かめるより先に、強烈な慣性と風を浴びて彼は意識を失ったのである。
「お、お客さん起きたか。待ってろ、騎士団長に伝えてくるわ」
彼が状況を把握しきれずに混乱していると、付き添いをしていた者が人を呼びにいった。少しして、エルがやってくる。
「ザカライアさん。ご無事で何よりです。カササギの掌で、顔中から色々なものを垂れ流していたのを見たときは、もうダメかなって思ったのですけど」
「これでも……騎士として鍛えておりますので。それで、ここは?」
「飛空船。僕たち西の民が使う空飛ぶ船の中です。立てますか」
軽く身体が無事なことを確認すると、ザカライアは頷いてベッドから降りた。エルが案内役を買ってでて、その後に続く。
そこからは、彼の人生で最も大きな驚きの連続であった。
虹色の輝きを漏らす、用途不明の巨大な器機。船倉に並ぶ幻晶騎士。さらに飛翔騎士と呼ばれているものは、
「これが、伝説にある西の地の、力なのですか」
「伝説とまでは。騎士団の皆が、僕を探してここまで来てくれたのです」
ザカライアの中にある知識と経験だけでは、この騎士団の全容も力のほども、まったく推し量れない。それを率いる騎士団長であるという、この小さな少年。
彼のことを侮らず、対等に関係を結んだ
船倉の中央辺りに、人が集まっていた。
アディに親方、さらに各中隊長たち。その隣では、小魔導師が団員たちとおしゃべりに興じていた。
銀鳳騎士団の団員たちにとって初めて接触する巨人であるというのに、小魔導師は比較的すんなりと受け入れられていた。
確かに、巨人族という存在は脅威である。そうはいっても、小魔導師はエルとアディの弟子なのだ。
つまるところ、騎士団員たちからは同じ立場の仲間であり。あっさりと打ち解けることができたのである。
エルとザカライアがやってきたのに気付き、自然と話し声がひいてゆく。
それからエルは、全員を見回して言った。
「巨人族が一氏族、カエルレウス氏族の
周囲には手すきの団員たちもいる。皆からの注目を集めながら、エルは始まりを告げた。
「それでは、これからの方針を話し合いたいと思います」
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