第8章 巨人戦争編

#109 銀鳳騎士団、再戦す

 山稜を照らし、夜明けの光が暗闇を追い払う。


 黎明の空気を肺腑に落とし、その冷たさにディートリヒは小さく震えた。

 甲板上を通り過ぎる風が、外套の裾をはためかせる。遮るもののないこの場所では、ただ煽られるがままだ。


「さすがに気まぐれが過ぎた……」


 彼が乗る飛空船レビテートシップは、水上ではなく大空を進む驚異の船である。

 地表近くならばいざ知らず、上空になるほど周囲の気温は下がってゆく。それが吹きっさらしの上部甲板ともなればなおさらだった。

 なぜか早くに目が覚めてしまった、夜明けから間もない時刻。彼は、早くも二度寝をしなかった自らの選択を後悔し始めていた。


「まぁいまさらか。しかしボキューズ大森海だいしんかい……そろそろ、この景色にも飽きてくる」


 明けの光が、ゆっくりと森の姿を露わにしてゆく。眼下の景色は、果てしなく続く木々で埋め尽くされていた。

 ボキューズ大森海、それは人の営みを拒む魔獣の楽園。かつて数多くの騎士たちを飲み込み、フレメヴィーラ王国において禁忌の地とされてきた地である。


「親方は森の端で“奴”と遭遇したと言っていたが。ここがそうなのだろうか」


 鬱蒼と生い茂る木々のうねりの果てを、隆起した山脈が遮っていた。どこまでも続いているかのような大森海にも変化はある。


「ここに、居るのかい。我らが小さな騎士団長よ」


 彼が乗る飛空船――銀鳳騎士団旗艦“イズモ”は、かつて第二次森伐遠征軍の先触れとして大森海の調査へと乗り出した。

 そして未曾有の強敵と遭遇し、騎士団長たるエルネスティと、団長補佐であるアデルトルートを失いつつも、何とかフレメヴィーラへと帰り着いたのである。

 彼自身はその戦いには参加していない。過ぎたことではあるが、もしも自分がいればと考えたことは、一度ではなかった。

 首を振って余計な考えを振り払う。後ろを向くために、ここまで来たわけではない。


「しかしこれだけ広いと、あの小さな団長様を探すのには骨が折れそうだ」


 言葉とは裏腹に、ディートリヒは小さく笑みを浮かべていた。

 酸の雲を生み出す蟲型魔獣との交戦の末、エルネスティは乗機イカルガと共にこの地に墜ちアデルトルートはそれを追った。

 広大な魔の森の中から、たった二人の人間を見つけ出すなど不可能に近い難業である。だというのに何故だか彼は、それが無理であるなどとは思えないでいた。


「ふぃぃ。さすがに風が強い! そろそろ船橋に引っ込むか……ね?」


 言いながら戻ろうとして、途中でふと動きを止めた。

 腕利きの騎操士ナイトランナーとしての感覚が、夜明けの光の中に何かを見出したのである。


 淡く揺らめく光の中に、小さく穿たれた黒い影。大森海の空に、何ものかが飛んでいる。

 それは飛翔騎士ウィンジーネではない。飛翔騎士ならば魔導光通信機マギスグラフが点滅しているはずである。

 飛空船でもない。そもそも船は全てイズモよりも後方にある。ならば、残る可能性は――。

 ディートリヒの表情に、不敵な笑みが浮かび上がった。


「魔獣にしては勤勉なことだ。だがちょうどいい。あれが本当にそうならば、ここで間違っていなかったということだから、ね!」


 彼は颯爽と船内へと駆け込んでいった。銀鳳騎士団の、慌ただしい一日が始まろうとしている――。




 夜に生きる獣がねぐらに帰り、昼に生きる獣が起き出す境目。夜明け直後の薄明かりに浮き上がってゆく、巨大な影がある。

 薄い翅に虹色の光を纏わせたそれは、まるで甲虫こうちゅうのような姿をしていた。


「わざわざ穢れの獣クレトヴァスティアを使わねばならぬとは。空を進むとは、実に面倒な侵入者どもだ」


 飛び立つ獣のあとには、見送る者たちがいる。魔獣に匹敵するような巨体を有する、人型の存在。巨人族アストラガリである。

 なかでも一体、頭ひとつ背の高い者がいた。彼は“五つ”の瞳をぎょろりと動かすと、忌ま忌ましげな様子で吐き捨てる。


「地にあるものならば、我らに敵うものなし。しかし空を泳ぐものと戦うは困難である。かつて、穢れの獣がそうであったように」


 彼の背後に控えていた四つ目の巨人が、真面目腐った様子で頷いた。それを見た五つ目の巨人が口の端を不愉快げに歪める。


「わかっている。だからこそ、これは獣どもの役目であろう」


 巨人たちは同意するように頷き、すぐに首をかしげた。


「しかし、此度送り出す穢れの獣よ。前より数が少ないのではないか」

魔導師マーガのいうところ、前の戦いで失われた分が補えていないと」


 五つ目の表情が、より凶悪な色合いを帯びた。それが爆発するかと思われた、寸前。彼の表情が、風に吹かれた砂のように変化する。


「穢れの獣ばかりを使っておれぬか。すぐさま魔導師と“小王オベロン”を呼べ」

「承知……」


 五つ目の命を受け、巨人たちが下がってゆく。

 彼は瞳のうちひとつで巨人たちを見送りながら、残りを空へと向けた。


「穢れの獣を掃う、空より来る侵略者か。巨人族をひとつ氏族に統べるは目前というに。百眼アルゴスよ、まだ我を試されるか?」


 応えるものもなく、呟きは宙に溶けてゆく。




 空を進む船は、けたたましい鐘の音によって満たされていた。

 緊急警鐘によってたたき起こされた騎士団員たちが、慌ただしく持ち場へとついてゆく。


「前方、獣影見ゆ! 距離があり、数は不明!」

「地上、動きは見えず! 周囲に別働隊なし!」

「各船との魔導光通信機連絡、よし!」


 船体の各部を巡る伝声管を通じて、数々の報告が飛び交う。

 それらを集約する船団旗艦イズモの船橋は、さながら戦争もかくやという慌ただしさだった。


「へっ、さっそくのおでましかぁ!」

「本当に、このあたりへの侵入を阻んでくるのだな」


 船長席でふんぞり返っている親方ダーヴィドが、報告を受けて好戦的な笑みを浮かべる。

 横で聞いていたエドガーは、空路図を確かめていた。そこには航空士ナビゲータたちが記してきた魔獣の勢力圏情報が、所狭しと書きこまれている。

 そのなかでも現在地がまさに重なっているのが、蟲型魔獣の縄張りである。


「ようし! おいエドガー、後は任せたぞ!」

「さっそく丸投げなのかい、親方」


 さきほどの勢いは何なのか、拍子抜けしたエドガーが聞き返せば、親方は胸を張ってこたえる。


「俺ぁ、鍛冶仕事以外は知ったこっちゃねぇからな! まぁ船はきっちり動かしてやるから安心しろ」

「それはまた、実に心強いことだ」


 親方の意見に、船橋に詰めている部下たち――鍛冶師隊員たちまでもが自信満々に頷いた。確かに、彼らは直接の戦闘要員ではない。


 ともあれ、戦闘は騎操士の領分である。エドガーが指示を下そうとした時に、船橋にディートリヒが駆けこんできた。

 すぐにでも幻晶騎士シルエットナイトに乗り込めるだろう、準備万端のいでたちである。


「ディー、出るのか?」

「ああ。噂の魔獣のお出ましとあっては、剣をかわさないわけにはいかないだろう。飛翔騎士隊と、騎士を一騎借りる」


 それだけを言い残し、ディートリヒはさっさと身をひるがえす。その背をエドガーの声が追った。


「船団の守護には第一中隊が当たる。心配は無用だ」

「当然」


 そのまま、ディートリヒは船倉へと急いだ。そこでは鍛冶師たちが整備を終えた飛翔騎士が、出撃の時を今や遅しと待ち構えている。

 彼は、そのうち一騎へと飛び乗った。


「さすが、仕上げは完璧だな。トゥエディアーネ、出るぞ!」


 幻晶甲冑シルエットギアが運んだ機体を、揚重腕機クレーンアームがつかむ。


「ディー隊長! 頑張ってくださいよ!」

「任せたまえ」


 空中へと投げ出されたディートリヒ機は、すぐさま鰭翼フィンスタビライザを広げて風を掴んだ。

 快調に推進器を唸らせ、船団の前へと飛び出してゆく。

 その炎を目印に、中隊機が集まってくる。彼らは素早く密集隊形をとると、敵に切っ先を向けた。


 徐々に明るさを強めてゆく空に、虹色の輝きを伴った影がある。エーテルの作用にて空を舞う巨獣、魔獣だ。


「蟲型魔獣、目視! 数は五!」

「少ないな。小手調べか偵察か。まぁ、こちらも似たようなものだけどね」


 風音の強い空では、直接の会話が難しい。飛翔騎士に搭載された拡声器は魔法を併用して出力を強めてあるが、それでも有効距離はそう長くはない。そのための密集隊形だ。

 ディートリヒは戦術を決めると、隊員たちに伝える。


「数では我らが上回っている。諸君、奴らを追い込むぞ!」

「了解!」

「以前の借りを返してやりましょうや!」

偵察機ウイングマンを残し、左右に散開!」


 号令を受け、飛翔騎士が密集隊形を解いた。大きく二手に分かれると、蟲型魔獣を挟み込むような動きをみせる。

 蟲型魔獣もぼやぼやとしているわけではない。巨体に似合わない速力を発揮し、一気に距離を詰めてくる。


 先行するディートリヒ機が、魔導光通信機を明滅させた。


「射程ではこちらが有利だ、距離を詰めすぎるな! 法撃開始だ!」


 飛翔騎士が一斉に魔導兵装シルエットアームズをかまえ、連続して炎弾を放つ。

 空に朱色の線が引かれ、飛翔騎士と蟲型魔獣をつないだ。その先で、法弾が爆炎と化してゆく。

 次々に花咲く炎の華を、しかし蟲型魔獣は軽快な動きで回避していった。


「あの巨体でなんというすばしっこさだ。本当に、これが国許にいなくて助かったよ!」


 ディートリヒはうんざりとしながらも、法撃の手は緩めない。

 濃密な法弾幕は蟲型魔獣の前進を阻んでいるものの、両者の距離は徐々に縮まりつつあった。

 やがて蟲型魔獣が動きを変える。折りたたんでいた脚をうごめかせ、その節から体液を分泌しだしたのだ。


「例の攻撃が来るぞ! 下がれ!」


 直後、放たれた体液弾が空中で炸裂した。それは速やかに白煙となり、雲を生み出す。あらゆる存在を死に至らしめる、凶悪な酸の雲アシッド・クラウドだ。

 ディートリヒは目を見開き、幻像投影機ホロモニターに映る光景をつぶさに観察する。


「発射された体液弾は五発。風の具合にもよるが、雲はかなり広がるな。つまり、奴らに自由を許すとまずいわけだ」


 ディートリヒ機が、魔導光通信機を灯す。

 彼に続いていた中隊機が、即座に意図を汲んで動きを変えた。


「だが……お前たちの勝機はその範囲内にしかない。ならば、狭めるまでだ!」


 再び、いっせいに法撃が開始される。今度は法撃の密度を上げすぎず、広めに放っていた。

 法弾が、広がる酸の雲に沿うようにして爆炎を巻き起こす。爆風が広がりつつあった酸の雲をかき乱し、絶対の死を運ぶ領域をわずかながら押し返した。


 雲の中に潜む蟲型魔獣は、思ったように広がらない酸の雲に苛立ちを覚えたようだった。

雲の中に居れば蟲型魔獣は無敵だ。近寄るものは全て滅ぶ。だがそもそも、雲は届かなければ無力でもあった。


 ゆえに当然の判断として、蟲型魔獣は前進を選択する。

 敵は法撃によって雲を防いでいる。ならば近寄り、敵を巻き込む形で酸の雲を出現させてしまえばいい。


「思った通りだ。出て、きたな」


 そんな、獣にすら思いつけるような手段を、ディートリヒが想定しないわけがない。


 蟲型魔獣が雲から飛び出す。足をうごめかせ、飛翔騎士たちへと狙いを定め。

 死の雲を生み出す体液弾を放たんとした瞬間。それらは自身めがけて高速で近づいてくる物体に、気付いた。


 ――蟲型魔獣が、酸の雲から顔を出す直前のこと。


「さぁ、複合型空対空槍トライデントの出番だ」


 ディートリヒ機が、手に持つ奇妙な槍を構える。中心部分は騎槍ランスに似て長く伸びており、側面に鋼の槍が二本添えられていた。三又ではなく、三本の槍を並べた奇妙な形の武装である。


 ディートリヒの操作に応じ、側面に取り付けられた槍が、後端部より激しく爆炎を吐き出し始める。


魔導飛槍ロングランス、固定解除。加速開始!」


 固定ロックが外されるや、自由を得た魔導飛槍は猛然と加速を始めた。


 複合型空対空槍トライデント――それは、格闘用の騎槍と魔導飛槍ミッシレジャベリンを集約した飛翔騎士の専用装備である。


 魔導飛槍を直接空中に投下することで軌条腕レールアームを省略することができ、大幅な機構の簡略化を可能とした。この武装は、積載量に悩む飛翔騎士との相性が極めて良い。


 そうして放たれた魔導飛槍は、長い爆炎の尾を牽きながら加速を続ける。

 酸の雲めがけて突き進んだ鋼の槍は、ちょうど顔を出した蟲型魔獣へと容赦なく襲い掛かった。


「狙い通りだ」


 蟲型魔獣の驚愕は、いかほどのものか。ソレは慌てて回避行動に移るが、同時に魔導飛槍も進路を変えた。示し合わせたかのように、魔獣が逃げる先へと。


 ディートリヒは、魔導飛槍が生み出された大西域戦争の最中から使い続けてきた、扱いに最も熟練した人間のうち一人だ。彼の狙いから、簡単に逃れられるわけもなし。


 吸い込まれるように、鋼の槍が魔獣の頭部へと突き立ってゆく。


 蟲型魔獣は凶悪な攻撃性、機動性を誇る反面、防御力はさほど高くない。エーテルによる浮揚力場を利用して宙にあるとはいえ、機敏に動くためには身軽であるほうが好ましいからだ。

 魔獣の甲殻は、鋼で作られた槍の直撃に耐えられるものではなかった。

 頭部に突き刺さった槍は勢いのままに体内へと侵入。自身がもつ運動エネルギーを存分に周囲へと振る舞った。

 まるで爆発するかのように、魔獣の身体が弾け飛ぶ。

 頭部は粉々になり、柔らかな腹部がちぎれ飛んだ。即死した魔獣は、そのまま体液を飛散させながら爆発し、巨大な酸の雲と化す。


「おおっと、上手くいったがこれは……。潰しても面倒だな」


 飛翔騎士たちは警戒し、さらに距離をとっていた。魔導兵装をかまえ、残りの蟲型魔獣へと攻撃を加えようとするが。


 先んじるように、魔獣たちはめったやたらに体液弾を発射していた。広範囲に酸の雲が生み出され、飛翔騎士の行く手を阻む。


「やつら、何が何でも近づけないつもりか!」

「攻撃にしてはおおざっぱすぎる。突入できないと読んで、進路を阻んできた……いや、逃げるつもりだな」


 ディートリヒたちは酸の雲を回り込むように進む。


「魔導兵装による牽制は継続。偵察機ウィングマン! 周囲に獣影は!?」


 離れて飛んでいた偵察機が、鰭翼に魔導光通信器を灯す。「ゼンマジュウノコウタイヲカクニン」との報告を受け、ディートリヒは速度を緩めた。


「えらく諦めがいい」

「深追いは禁物だ。奴らには戦術性があると報告にあった。追いかけた先に本隊が待ち構えているのかもね」


 しばらくの間は周囲を警戒していたディートリヒたちであったが、後続が見えないことを確かめて進路を反転させる。


「挨拶は済んだようだ。さて、船に戻って朝食としよう」

「了解!」


 船団へと魔導光通信機による信号を送りながら、ディートリヒ機は緩やかに帰路を進む。彼は途中、機体の首を巡らせた。


「……やはりここだ。ここに、騎士団長エルネスティがいる」


 夜明けはとうに通り過ぎ、すでに朝を迎えている。彼は広がる森の景色を眺め、目を細めた。


「しかしどう探したものか。このまま漂っているわけにもいかないし」


 なんの手がかりもなく探し回るには、大森海は広すぎる。その時、彼は名案を思い付いて手を叩いた。


「いや、むしろこのままでいいんじゃないか。そのうちどこかで、大騒ぎが起こるだろう。エルネスティのことだ、どうせ何かをしでかすだろうしね!」


 それは、銀鳳騎士団的にはごく当たり前のことであった。


 飛翔騎士を回収した船団が、前進を再開する。

 眼下に広がるのは、巨人たちの領域。かくして銀鳳騎士団は、知らぬ間にこの地の運命に深くかかわり始めたのであった。

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