#96 再会
魔の森に、静かな衝撃が走った。
「なんだと、カエルレウス氏族が……!?」
「ルーベル氏族め。まだまだ穢れの獣が残っておったというわけか」
「まるで真眼の乱と同じだ。このままでは、勝利は危うかろう……」
対ルーベル氏族を掲げて結成されつつあった
同時に、この穢れの獣による攻撃は重大な意味を有していた。
つまり、新たに諸氏族連合軍の中心となる氏族が現れた場合、再び同様の攻撃がくわえられるだろうということだ。
それは血気盛んな巨人族にとっても恐るべきことであり、反抗の機運は急速に霧消してゆくのだった。
諸氏族が落胆の沼に沈みこんでいる頃、カエルレウス氏族の生き残りは森の一角に潜んでいた。
一同の、表情は暗い。なにしろ敵は穢れの獣、空から探されればいつ何時発見されるかもしれない。
そのため彼らは、森のなかでも木々の深い場所に潜まざるを得なかった。
森が深くなれば、巨体を持つ巨人は活動しづらい。彼らは狩りもままならず、少人数であるゆえになんとか持ちこたえているといった状況であった。
慎重に狩りをして集めたわずかな獲物を分け合う、細々とした暮らしが続く。
「……このまま、森の木となるつもりなどない」
「ルーベル氏族めらには、必ずや報いを見せる。
車座に座る巨人たちは、誰ともなく頷きあった。皆、抱く思いは同じである。
「だが、我らには力が足りない。氏族も……ほとんど残っておらぬ」
「
勇者は、三つの瞳を細めて首を横に振った。
「我ら氏族が穢れの獣に襲われ、どうなったか。それを眼にした諸氏族連合軍がどのように動くかは、自ずと知れよう」
巨人たちは唸り声を上げる。
カエルレウス氏族の壊滅と穢れの獣の健在を見て、それでも動こうとする者は少ないだろう。
そして諸氏族が力を合わせなければ、最大氏族たるルーベル氏族には抗しえない。
「その力はもはや不可分。穢れの獣、ルーベル氏族。我らは、これらを同時に倒さねばならんということだ」
「本当に、そのようなことができるのか。
巨人たちが迷い俯くのを、小さな魔導師は不安げな眼差しで見回していた。
この上なき熱意はあれども、実現は限りなく困難であった。考えるほどに、立ちはだかる圧倒的な力の差を思い知るばかりだ。
その中でも勇者は、ただ一人敢然と立ち上がった。
「どのようにすれば良いかは、我にもわからぬ。敵はあまりにも大きい。だが、このままおめおめと引き下がることなどできぬ。いずれ百眼の御許にて、瞳返された魔導師になんと言えばいいのだ」
勇者自身、それがただの強がりであるという自覚はあった。
しかし彼は氏族にて最強の戦士であり、同時に氏族の守護者でもある。未だ幼い魔導師見習いをはじめとして、傷ついたカエルレウス氏族が再び前に進むためには、目的が必要だった。それがたとえ、困難極まりないものだとしても。
無理は承知の上で、勇者は誰よりも先に立ち上がらねばならない。
そうして深刻な雰囲気が漂い始めた場に、鈴を転がすような声が響いた。
「なるほど、状況はわかりました。これは難しいですね」
巨人たちの視線が、思わず小さな魔導師へと集中する。巨人の少女は、慌てて首を振った。
彼女が言ったわけではない。出所は、その隣にちょこんと座っていたエルネスティである。
勇者は、ふと表情を和らげた。
「
「お気になさらず。それに僕もカエルレウス氏族の一員と認めてもらったのですから、わずかながらでも力をお貸ししましょう」
「何か、目があるというのか」
訝しがる勇者に向けて、エルはびしっと手を突き出すと、指を二本立てて見せる。
ちなみに巨人にとってエルの手は小さすぎて、何をしているのかがよくわからない。
「はい。まず、道は二つあると思います。味方を大勢作るか、それとも僕たちだけで動くか、です」
「先に言ったとおりだ。諸氏族連合軍は、簡単には動けぬだろう。それにいかに我とて、我らだけでルーベル氏族に問うのが無謀であるのは、わかっている」
せめて諸氏族連合軍を動かすことができれば、と勇者は歯噛みする思いを懐く。
仮に再び招集をかけるとしても、滅びかけの氏族の呼びかけにどれだけが応えてくれることか。そこにはこれまで以上の困難が予想された。
しかしこの小鬼族の勇者は、彼とは少しばかり考えを異にしていたのである。
「そうですね。ではひとまず、近くまで行ってみるのはどうでしょうか」
「近く? どこの近くに向かうというのだ」
怪訝な表情で問いかける勇者に、エルは笑顔で答える。
「はい。ルーベル氏族が暮らす集落です。当然、あるのでしょう?」
「な……それは、
勇者だけでなく、その場の巨人がそろって目を剥いた。
まさかこの少人数で敵の本拠地にいくなどと、状況を分かっての提案とは思えない。
対して、エルはあくまでも笑顔で頷く。
「ふむ、百都というのですか? ともかく。あの穢れの獣たちは、カエルレウス氏族の生き残りを探すでしょう。だとしたら、狙われるのはこの森。百都の近くこそ、むしろ盲点というものです。誰だって、己の足元は見えづらいものですからね」
カエルレウス氏族の巨人たちは、困惑気に視線をかわし合った。誰もが考えもしなかったことだ、にわかに答えることができない。
その時、ズシリと重い音を立てて勇者が座った。
「言うほど容易くはないぞ。我らだけで、奴らの足元に潜り込もうなどと」
「大勢で動けばそれだけ目につきやすい。僕たちだけだからこそいいのです、この少人数こそが」
勇者は腕を組み、じっとエルを見つめる。
隣にいる巨人の少女よりも小さな、それでいて己と対等に戦いうる勇者。エルは、確実に巨人たちとは違う景色を見ている。
それは種族が違うことによるものか、それともこれまでの経験の差によるものか。どうにも掴みどころがなかった。
「……百都に向かったとして、それからいったいどうするのだ。我らだけでは奴らに問えぬことに、変わりはないぞ」
「ええ、まずは調べましょう。穢れの獣がいったい何故、いきなりルーベル氏族に従いだしたのかを」
「それは。……ううむ、確かにわからぬ」
勇者にとっても、かつて真眼の乱の頃に一度は疑問に思ったことである。
しかし時が過ぎるにつれて、それは当たり前になっていった。今となっては疑問を抱く巨人は少ない。
「なにか、仕掛けがあるはずです。それを解き明かすことができれば」
「穢れの獣を、排除できると?」
「少なくとも全ての巨人の敵に、戻すことはできるかもしれません。敵の味方は、少ないほうがいいですから」
勇者は腕を組み、押し黙った。かつて、穢れの獣は普く巨人の敵であった。それこそ巨人に、勇者なる号が生まれるほどに。
それがひとつ氏族の下に収まっている状況こそが、異常なのである。
「仮に穢れの獣の分離が難しいとしても。それならそれで、他にも調べるべきことは色々とあります」
考え込む彼を他所に、エルは再び指折り数えだす。
「ルーベル氏族とは、実に大きな氏族のようです。ならばその意思は一つなのでしょうか。彼らのなかにとて、正しきおこないを百眼の眼に入れたい者がいるかもしれません。氏族全てが敵ということもないでしょう、ならば楔を打ち込むのです。数に違いがあるのならば、正面から当たる必要はありません。そう、混乱させて分断し各個に撃破するのです……あわよくば、同士うちに持ち込むのもいいですね」
笑顔で、言いきった。清々しく未来を見つめた、やる気に満ちた笑顔だった。
「エル君が、わりと本気で戦う気だ……」
アディはじんわりと距離をおき、こっそりと巨人の少女の肩の上へと退避する。
二度にわたって幻晶騎士(作りかけを含む)を壊されたエルは、この上なく怒っていた。小さく激しい厄災が、確実にルーベル氏族へと牙を剥きつつある。
「そのようなことが……氏族が、分かれるなどと」
「奴らが自ら戦いあうなら、それはよいことだ」
「できるかも分からぬ。やはり穢れの獣を排除すべきでは……」
巨人たちは、顔を見合わせる。エルの提案は、これまでの彼らの文化背景からは考えられない戦い方であった。
彼らは常に、氏族単位での行動を基本とする。特に、カエルレウスのように小さな氏族ならなおさらだ。それゆえに彼らには、同じ氏族を分断するという発想に欠けていた。
当然、エルにそのような事情は関係ない。
勇者は周囲の様子を見、そして小さな勇者へと視線を転じた。
その胸中には、迷いがある。エルの提案は、カエルレウス氏族に与えられた光明だ。数少なくなった彼らでも戦いうる手段である。
しかし同時に、ある理由から大きな抵抗感を生むものでもあった。つまりは。
「……そのような戦い方を、百眼がお認めになるだろうか」
勇者の三つ目が、苦々しげに歪む。
彼らの戦い、賢人の問いは常に正面からおこなうものであった。相手を上回ってこそ、正しい答えを得る。
エルの提案は、邪道もいいところである。
「ならば百眼は、このままカエルレウスが敗北することをお望みなのでしょうか? それは問いに答えを得たということでしょうか」
重ねて問いかけられ、勇者は二の句に詰まった。
巨人たちにとって、問いの答えは百眼神の意思と同義。一度降ろされた答えに歯向かうことは、決して許されない。
さらに彼らには、この状況をどうしても認められない思いがあるのだ。
その時、勇者へと小さく、しかしはっきりとした声が届いた。
「勇者よ。我は小鬼族の提案を受け入れようと思う」
「
意外なことに、声の主は新たに魔導師を受け継いだ、巨人族の少女であった。巨人族のなかでは小さく幼い少女は、疑いなき瞳で頷く。
「穢れの獣さえなければ、
勇者は、目を瞠った。
そうだ、真眼の乱を征したルーベル氏族に、なぜこれほどの反感が集まるのか。
答えは簡単なことである、それが巨人同士にて出した答えではないからだ。
「いずれ、正しく問いを放つ時がくるでしょう。そのためにも、まずは事前の備えが必要です」
「そうだ、勇者。我らでこの間違いを正す。そのためにもあれを排除するのだ」
勇者はエルネスティをみつめ、そして視線を
これほどの窮地にありながら、ともに意志の力に満ちている。最大氏族も、穢れの獣も怖れぬ輝きが、そこにあった。
「我も、いまだ眼開ききらぬか……」
勇者は思わず、苦笑を漏らしていた。
氏族にて最強を冠する戦士も、敗北によって弱気になっていたようだ。それこそ、今の姿は百眼神に見せられたものではない。
これほどまでの勇気を見せられて、ここで奮い立たないわけにはいかなかった。勇者は、巨人とは誇り高き戦士なのである。
「大きな獣は、少しずつ叩くが常道だ。氏族とて同じこと。その全てが百眼のお眼より外れているとしても、我らは見えるものとしか戦えぬ」
勇者は、再び立ち上がった。既にその瞳に迷いも弱気も残ってはいない。
「ルーベル氏族も、穢れの獣も。ずいぶんと痛苦を与えてくれた。これからは、我らが奴らの眼を潰す番だ!」
巨人たちが口々に賛同する。腕を振り上げ、これまでの鬱憤を晴らすかのように雄たけびを上げた。
小魔導師も、アディを肩にのせたまま立ち上がり笑顔を浮かべている。
「では僕は穢れの獣と出会った時のために、あれを倒す方法を考えておきますね」
「小鬼族よ、またあれに挑むというのか」
「僕としては、むしろあれこそ根こそぎ滅ぼしたいところですからね」
ルーベル氏族と穢れの獣の分断がなったとして、いずれ穢れの獣が敵であることに変わりはない。どこかで衝突はさけえないであろう。
勇者もこぶしを握りしめつつ、エルに向かう。
「小鬼族の勇者よ、その勇を讃えよう。我らももう、恐れはしない。だが奴らと戦うにはさらなる困難が待ち受けていよう。これからも、お前の力を借りることがあるだろう」
「お任せください。こう見えても、僕は騎士団長をしていましたから」
その理由は巨人たちにとってはまったく理解できないものであったが、自信に満ちた様子なのはわかった。
こうして、カエルレウス氏族は戦うために動き出した。
まずは潜んでいた森の奥を出て、百都のある東へと向かって進む。穢れの獣を警戒しながらではあったが、着実に前進を重ねていた。
「……お肉が、味気ない」
その道々のことである。アデルトルートさんは、ご機嫌斜めでふくれていた。
「カエルレウスの集落に色々な物を置いていたので、一緒くたにやられてしまったのですよね。毛布に薬、食料……」
「なにより調味料がかなり減っちゃったじゃない! うぬれぇ、蟲ども許すまじ!」
あの時、遠出に出ようとしていたアディたちは、
だが、あくまでも最低限である。残った物資は乏しく、長い旅路において食の楽しみはかなり色褪せてしまっていた。
「森で集めるにしても、道々は難しいですね。いずれ生活拠点を再建しないと、落ち着けないなぁ」
「さすがに追われてる身だしねー。難しいんじゃ」
巨人たちは、とりあえず肉に火が通ってさえいればそれでいい。
しかし二人にとっては、深刻な問題だ。むしろ調理担当のアディに一番、直撃している。
「はぁ。どこかに奪ってもいい集落はないでしょうか」
「エル君がすごく容赦ない……。早く
アディは、わりと真剣に残念がっているエルからすそそと距離を置いた。
どうやら幻晶騎士を失ってからこちら、彼はどんどんと荒んでいっているようである。
二人の背後で歩く小魔導師が、そんな彼らの話を興味深げに聞いていたのであった。
やがて一行は、森の中に開けた場所へと行きあたった。
巨人が数人並んで歩ける道が、はるかへと続いている。長年にわたって獣や巨人が歩き固めてできた道だ。
勇者は、その先へと指を向けた。
「百都を目指すなら、これにそって進むのが最も速い」
「しかし、さすがに真正面から乗り込むようなものではありませんね」
これは森の中において数少ない道である。利用するのが彼らだけということはないだろう。
速さと引き換えに、敵との遭遇の危険が非常に大きい。
「奴らの足元に潜り込むといったのは、お前だろう。奴らもまさか、我らが己のところに向かっているなどとは考えまい。ならば、速さは我らの味方となるではないか」
「なるほど、それもそうですね。ではこの道を突き進んで……」
それは、エルが会話のために振り返ったときのことである。
「……あれは?」
エルは、道の西側から近づいてくる何者かの姿に気付いていた。
巨大な人型の存在、巨人だ。しかも荷車を牽いた、集団であった。
エルの様子を見た巨人たちも、振り返る。そして巨人たちはお互い同時に、その正体に気付いた。
「
「なんと……カエルレウス! まだ返しぞこないがいたというか!!」
勇者が吼える。小魔導師は身を強張らせ、勇者の陰に隠れた。
エルとアディは、その新たな巨人の一団を凝視する。
勇者にいわく、ルーベル氏族の巨人たち。それらは、カエルレウス氏族の巨人とは明らかに異なった姿をしていた。
巨人として種族が違うということではない。最も目立って違うのは、その装備だ。
ルーベル氏族がまとう防具。そこには魔獣の素材のみならず、“金属”でできた部品が用いられているのである。
明らかに人の手が作り出した形、決して自然の産物ではない。
「あれが、ルーベル氏族。あれは、鉄を……!? いいえ、それよりも」
「荷車を牽いてる……って、エル君!! あれって!?」
カエルレウス氏族の巨人たちの存在に気付き、ルーベル氏族側もにわかに騒がしくなりつつある。
それよりも、エルたちの興味を引いたもの。それはルーベル氏族が連れているものにあった。
決闘級と思しき、巨大な四足魔獣によって牽かれた荷車。
ルーベル氏族の巨人たちは、何かを運んでいる途中に行きあったということであるが。
「あれは、穢れの獣か! そうか、死骸すら渡す気はないと、いうことか!!」
勇者が吼えかかる。ルーベル氏族の巨人が荷車に載せて運んでいたもの、それは穢れの獣の死骸であった。
かつてエルとイカルガが、相打ちに屠ったものである。
そうして巨人同士の咆えかかり合いが始まろうとしているさなか。
エルの視線は、はるか後方へと吸い寄せられつつあった。
穢れの獣を乗せた荷車に続き、さらに別の荷車がある。その荷台の上に縛り付けられたものに、ひどく見覚えがあったのだ。
「あなたたち。それは、まさか」
それは、酸に灼かれ溶け爛れた金属の塊であった。
まるで臓物のように金属管が絡み合った、巨大な鉄塊。溶け残った部分に、わずかに結晶質の輝きがこびりついている。
かつては何かが接続されていたのだろう、空虚な穴が何か所かに開いていた。
さらに中央には、ちょうど人間が入ることのできそうな、空間がある。
いつの間にか、エルは歩き出していた。
腰に携えたワイヤーアンカーが、魔力を叩きこまれて激しく気流を吐き出し始める。
両手は自然に、ウィンチェスターへとのびていた。
「……僕の、イカルガをっ!!」
エルネスティ・エチェバルリアの愛機。銀鳳騎士団旗騎、イカルガの残骸。
彼がその正体を見間違えることなど、ありえようか。いいや、たとえ幾たび生まれ変わろうともありえまい。
「ちょっと! 私のシーちゃんまで!!」
しかもそこにあったのは、イカルガの残骸だけではなかった。
さらに続く荷車には、アディの愛機たるシルフィアーネの残骸が載せられている。こちらは全体の形が残っているために、さらにわかりやすかった。
「む。小鬼族よ、どうしたのだ!?」
ルーベル氏族の巨人との睨み合いへと移りつつあった三つ目の勇者は、エルたちが明らかに異様な雰囲気を放っていることに気付いて問いかけた。
「勇者、僕たちはこれからあれらを打ち倒します。一体たりとも逃しません」
「当然、異存などない。だがどうした、奴らが運んでいる物を、知っているのか?」
かつて戦った時など比較にならないほど激昂しているエルを見て、勇者は怪訝な表情を浮かべる。
「あれらが盗ろうとしているのは、僕たちの宝物です。何者にも渡さない、不逞の輩め、生かしておくものか……!」
「小鬼族よ、待て! ええい、奴らは等しく我らの仇敵だ。ゆくぞ!!」
制止を振り切り、土煙を残して飛び出したエルを追い、勇者が慌てて号令を下す。
「愚か者どもが。このようなところで出会うとは、手間が省けるというもの。おとなしく百眼の御許にゆくがいい!!」
ルーベル氏族の巨人たちも、それぞれに迎え撃つべく武器を構えていた。
荷車を護るように立ちはだかるルーベル氏族と、殴りこみをかけたカエルレウス氏族が衝突する。
それらすべての動きに先んじて、銀色の輝きが駆けた。
“
カエルレウス氏族に注意を取られていたルーベル氏族の巨人の視界に、前触れなく異物が映りこんだ。
驚愕に身をかわす暇も有らばこそ。輝く朱の弾丸が、その巨大な一つ目へと突き刺さる。その顔面で、小さな爆発がおこった。
「ぐぎ!! っがあああああぎっぎゃああああ!!!!」
一つ目の巨人が突然顔を押さえて絶叫を上げたのを見て、ルーベル氏族の巨人の注意がそれる。その隙に、銀色の光は空を翔け次の獲物へと向かっている。
隣にいた巨人の首に、噴射の唸りを上げながらワイヤーアンカーが巻き付いた。
「これはっ!?」
違和感を覚えた巨人が手を伸ばすが、すでに手遅れである。
ワイヤーアンカー先端にある
“
そのままワイヤーアンカーはエルに回収される。
彼が巨人の肩を足場にしてさらに跳躍してから、わずかに時を置いて。巨人の首が血を噴きだし、ゴトリと落ちた。
「なんだ!? カエルレウス! なにをした!?」
「何かがいる!? どうなっている!」
一瞬で、ルーベル氏族の巨人たちは大混乱に陥った。
前触れもなく味方が次々に死傷しているのだ。しかもその原因がわからない。彼らは、小さく高速で襲い掛かるエルを捉えきれていない。
その混乱のさなかに、カエルレウス氏族の巨人たちが踊りこんできた。
氏族の同胞を殺され、恨み骨髄に徹した彼らである。容赦なく棍棒が振り下ろされ、ルーベル氏族へと叩きこまれる。
「お前たちの瞳など、百眼に返すに値せぬ!! ここで叩き潰してくれよう!!」
「ええい、調子にのるなぁ!!」
後手に回ったルーベル氏族であったが、彼らは棍棒の一撃を鎧で受け止めていた。
鉄と魔獣の素材を掛け合わせたルーベル氏族の防具は、極めて強靭だ。そのまま棍棒を押し返し、一息に態勢を立て直す。
「お前たちがおとなしく王に従っておれば、穢れの獣を使うこともなかった! これはお前たちの過ちであ……」
ルーベル氏族の巨人が、巨大な鉄の斧を振りかざし、カエルレウス氏族へと吼え返して。
その、突きつけた斧の上にふわりと何かが降り立った。
小さな小さな、銀色の煌めきを持つ何者か。巨人の脳裏に、激しい疑問が湧き起こる。
「な? 小鬼族? なにを……ぐ。がぎゃあっ!?」
言葉を言い終えるより前に、斧を構えた腕が、半ばから切断される。
自在に空を翔けるワイヤーアンカーが、的確に鎧の隙間をついたのだ。
「小鬼族ごときが、我らを!? ぎごっ!!」
助けに入らんとした巨人が、顔を押さえてのけぞった。
振りぬかれた刃が、その瞳を切り裂いたのだ。この場にいるのは、エルと巨人だけではない。双剣をかざしたアディもまた、戦闘に加わっている。
「さすが、我が認めし勇者よ! カエルレウスよ、我が同胞よ! これぞ百眼が、我らの勝利を認めた証だ!!」
カエルレウス氏族の巨人たちは、咆哮と共に意気を上げる。
互いの氏族は、数にして互角。装備においてルーベル氏族が有利にいた。
しかし空を縦横に翔け刃振るう、エルたちの存在が勝敗を分けた。
「僕のイカルガに、触れるな!」
巨人たちの首を狩り腕を切り裂き、眼を潰す。彼の愛機を勝手に持ち出そうとした不届きものを、容赦なく討ち滅ぼしてゆく。
そうして数を減らされた、ルーベル氏族が倒れるまでにさほどの時間は必要なかった。
いかに強靭な鎧をまとおうとも、それは無敵ではない。カエルレウス氏族の攻撃に押し込まれ、次々に倒れていったのであった。
ほどなくして、その場にいる巨人はカエルレウス氏族の者のみとなった。
彼らの勝鬨が響く中、エルは一目散に荷車に飛びついていた。そのまま、舐めまわすつもりかというほど隅々まで見て回っている。
勇者と小魔導師は、その様子を困惑げに眺めていた。
「それが、お前たちの宝なのか。よほど大事……? の、ようだな」
首を失った巨人の死体を横目に、勇者が唸る。まさか、一歩間違えば彼もこのような目に遭っていたのだろうか。
戦いに勝利したというのに、何とも言えない冷や汗が一筋落ちていった。
「そう。それにあれが、私たちが取りに行こうとしていたものよ」
「ああ、そうであったな。なるほど、穢れの獣の近くにあったのだったか」
そんなことを話していると、何やら満足した様子のエルが戻ってくる。
「これは僕が、この世で最も愛するものの具現です。今は少し壊れていますけれど」
「何かは知らぬが、壊れたのならば直さないのか」
「その方法を求めるのが、僕たちの目的の一つです」
荷車を引いていた魔獣は、鈍いのかなんなのか気にせずその場にとどまっている。
カエルレウス氏族の巨人たちが、それにつけられた手綱を引こうとしていた。
「ふうむ、ともあれだ。これも百眼のお導きであろう。この勢いにて、百都を目指そうではないか」
巨人たちが頷きあっている。
その時、エルは周囲に転がったルーベル氏族の巨人の死体を眺めていた。
「それについてなのですが。……勇者さん、敵をだますことについては、どのように思いますか?」
「む? 好かんな。問いは常に明白であるべきだ。さもなくば、百眼もお認めにはなるまい」
唐突な質問だったが、勇者は素直に答える。
「なるほど。ではこうしましょう。この巨人たちの装備品を身につけて、ルーベル氏族の集落にもぐりこむのです」
「なんだと!? 我に、敗者の衣装をまとえというのか!!」
さすがの勇者も気色ばんだ。
これが魔獣の狩りであったならば、それを使うことに何の疑問もない。
しかしこれらはルーベル氏族で、しかも彼らに敗れた相手である。巨人たちの文化からして、認めがたいことだ。
「いいえ。これはあくまでも戦いの戦利品です。そして戦利品を身につけていたら、それが偶然ルーベル氏族のもので、たまたま誤魔化せたりするかも知れません」
「そのような戯言を! 百眼はすぐにお見通しになろう!!」
対するエルは、あくまでも笑みを崩さない。
「相手は百眼ならぬ、ルーベル氏族です。王すらも瞳足りないのでしょう? 上手く気付かれなければ、重要な秘密が手に入るかもしれませんよ」
「……しかし、このような!」
「その瞳で、真実を見定めねばなりません。そのためには近づき、よく考える必要があります。ですが、このままではそれも容易ではないでしょう? 少しの我慢で、勝機をつかめるかもしれません」
「…………ぐ、だが……」
「人数が少ない今、僕たちに許された手段は限られています。この勝利を、最大限に生かしませんか?」
「……………………」
史上最高に渋い表情を見せる勇者と、ふわふわとした笑みを浮かべるエルを見比べながら、アディは肩をすくめていた。
「うわぁ、エル君がまた悪辣なことをしようとしてる」
「あれが小鬼族の勇者の戦い方なのか」
「うーん、どうしよう。今はちょっと素直に頷けないかも」
彼女もまた、複雑な表情を浮かべていた。隣に座りこんだ小魔導師が、首をかしげる。
幻晶騎士という力がない今、エルは知恵を絞っている――と、いえるのだろうか。その知恵が、やたらと凶悪な方向に傾いているような気もするが。
結局のところ、勇者はエルの提案を越える案を出すことができずに折れたのであった。
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