#95 賢人の問い(会議)に臨む
賢者の問いをおこなうための場所は、どこかの氏族の集落ではなく、森の奥地に独立して存在している。
生い茂る木々の間に踏み固められた獣道を進むと、いきなり開けた場所へと出る。
そこは不自然に草木が払われており、さらに整然と岩石が並べられていた。大雑把ではあるが研磨された岩石は、巨人たちが腰を下ろすのにちょうどよい大きさである。それが、円周を重ねるような配置で置かれていた。
その苔むし古びている様子からも、この場所が古くから使われてきたものであるのは明白だ。
この場に現れたのは、
賢人の問いが啓かれる時はたいてい、呼びかけた者が最初にやってくるものである。
「……ううむ。老体には、いかにも堪えることだ」
四つ目を持つ老婆は、この会議場に辿りつくなりすぐに座り込んでいた。
いかに頑健な肉体を持つ巨人族とはいえ、長い年月を重ねれば衰えてゆく。まさしく、この老婆のように。
「
「
ここまで魔導師を護衛しながらやってきた三眼位の勇者は、首を振って笑みをみせた。
言葉の通り、彼にとっては当たり前のことである。
それから彼は、並べられた岩石の間を進み、広場の中央へとやってきた。
そこには岩の座席はなく空白になっている。その代わりに灰が積もり、地面の色合いを変えていた。
勇者は、そこに持参した薪を重ねる。それから横に道々狩ってきた獣を積み上げると、それらを捌きだした。
日々やっていることだけに手際は良い。獣はすぐに解体され、部位ごとに串刺しとなって並べられた。
そこに休息を終えた魔導師がやってくる。彼女は薪へと手を向けて。
「
呟きと共に、渦巻く炎が手の先に現れた。やがて薪に燃え移り、燃え上がり始める。
「……この問いは、
老婆は、炎を見つめながら、ぽつりと漏らした。
同じように燃え盛る薪に向きながら、勇者は頷く。
「そのとおりだ。そも、真眼の乱は
「悪しきものを瞳に映したまま、百眼の御許に向かうわけにはゆかぬ」
皺にうずもれた、老婆の四つの瞳に力がこもる。まるで、炎の中に何かしらの未来を見通しているかのようであった。
そうして彼らが待っていると、間をあけながら巨人たちが集まり始めた。
それぞれに、氏族を束ねる号を負う巨人たちだ。各氏族ごとは少人数ではあるが、まず集まった氏族の数が多い。すぐに、岩の座席にはほとんど空きがない状態となっていた。
皆が持ち寄った薪がくべられ、広場の真ん中に赤々と炎を揺らす。
ちなみにカエルレウス氏族以外にも、そこで肉を焼く者はいた。
そこに集まった巨人たちを見回してみれば、そのほとんどが四つの瞳を持つ“
中にごく少数だけ“
逆に、“
「ふうむ? カエルレウスの老いぼれよ、まだ百眼に瞳を返しておらなんだか」
その五眼位の巨人が一体、カエルレウス氏族のところへやってきた。
彼は魔導師の老婆を睨みながら、口の端をゆがめる。老婆が瞳を開き振り向くより先に、勇者がその間に立った。
「我らが
「なんだと。眼下風情が、ほざくな!」
五つの瞳が、ギロリと勇者を睨みつける。
五眼位の巨人はただ目の数が多いだけではなく、その体躯自体が三眼位の勇者よりも一回り以上は大きい。
頭上より見下ろす五つの目、その重圧を受けてもなお、三眼位の勇者は怯まずに睨み返していた。
二体の間に、緊張が高まってゆく。それを感じ取ってか、周囲の巨人たちもだんだんと口を閉じていった。
静けさの中、二体に注目が集まってゆく。
その緊迫が頂点に達するより前、老婆が立ち上がり勇者の肩に手を置いた。そして勇者と入れ替わるように、五つ目の前に立つ。
「五眼位。これは賢人の問いの場である。ならば、我らは氏族の言を代わるのみ。必要なのは、位ではない」
「フン。そうか、そういう決まりであったな」
鼻から息をつくとともに、五つ目は二体への興味を失った。
勇者を押しのけるようにして歩き出すと、近くにある岩の座席にどかりと座り込む。
周囲で見ていた諸氏族の巨人たちは、戸惑うような視線をかわし合っていた。
「そろそろ、瞳も十分に集まった。ここに賢人の問いを啓くこととする」
その注目を利用して、老婆は問いの始まりを告げていた。
残されたざわめきは、すぐに引いてゆく。老婆はゆったりとした足取りで、広場の中央へと向かった。
そこに燃え盛る炎に手をかざす。
「百眼よ、ご照覧あれ」
老婆に続き、巨人たちの言葉が唱和した。彼らの始祖にして守護神、
こうすることで、これから交わされる議論は、守護神の認めを得るものとなる。賢人の問いにおいて定められた手順だ。
「まずは、この場にて問うべきものを伝えよう。それは正すべきこと、
「……問いは、すでに幾たびも尽くしてきた。その末に、我らが勇者は穢れてしまったのだ!」
すぐに、あちこちの氏族から声が上がった。
ルーベル氏族が引き起こした真眼の乱では、各氏族ともに多大な被害を負っていた。
特に勇者と呼ばれる強者たちは、それゆえに真っ先にかの氏族が操る
「その通りよ。しかしな、百眼は過ちをお見過ごしにはならなんだ。我らが勇者が、穢れの獣の骸を見つけたのだ」
どよめきが沸き起こる。そのなかから、五つ目の声が飛んできた。
「それは、一つだけか? それともまさか三眼位が、穢れ掃いを成し遂げたのか!」
「いいや。我らが勇者は、ただ骸をみつけただけである」
「それだけで、問いを集めるか。カエルレウスめ、老いたことだ!」
立ち上がった五眼位に対し、老婆はゆっくりと振り向く。
皺にうずもれそうな四つの瞳は、いささかも力を失ってはいない。
「我らが勇者が眼にした穢れの獣の骸、それは一〇を超えておった」
今度こそ抑えきれない驚愕が、巨人たちの間に広がっていった。五眼位すら、言葉に詰まっている。
「穢れの獣が……」
「よもや、そのようなことが……」
「ならば恐るるに足らず!」
「真眼の乱、が……」
ざわざわと、巨人たちは氏族ごとに話し合っている。
ルーベル氏族のおこないに対する反発は、いまだ巨人たちの間でも根強い。それを抑え込んできた大きな理由の一つが、穢れの獣という戦力の存在にあった。
それがあるとないとでは、前提条件がまるで違ってくる。
「我ら、ここに百眼による裁定を求める。かのルーベル氏族めのおこない、真か、過ちか!?」
しん、と場が静まり返った。
問いは、放たれた。この後は、それに対する答えを出さなければならない。それ以外、余計な言葉は慎まれるべきであった。
――これまでならば。
「ルーベル氏族がおこない……そのどこが、過ちであるか?」
座についた巨人たちの中で、老婆以外にもう一体、立ち上がったままの者がいる。
巨人たちの中でも頭一つ抜きんでた巨体に、五つの目。五眼位の巨人が、これまでの流れを破り去って、問いを、返した。
「そも、
「……眼は確かか」
その時、四眼位の魔導師は悟った。
この五眼位は、ルーベル氏族という前例を作ることで自らもその権利を得ることを望んでいる、ということに。
堪えきれず、三眼位の勇者までもが立ち上がった。始まりの時と似て、彼は五眼位を睨みつけながら叫ぶ。
「なんと……なんと恥知らずな。問いの最中であるぞ。百眼の御前にてそのような言、
「大いなる百眼にあれば、寛容の瞳で見定めてくださろう」
悪びれずに言い放つ五眼位を前に、勇者の内部に怒気が膨れ上がってゆく。
神聖なる問いの場を汚し、あまつさえ王の選定までもを違えようとしている。それは、彼にとって到底許せるものではなかった。
「どこまで……どこまで
「カエルレウスよ。……そも、穢れの獣のこととて
「我らまで恥知らず呼ばわりするか! なんという浅ましさだ! その体たらくで、百眼に認められるなどと思うな!!」
勇者は憤りのままにこの場で新たな問いをおこなわんとする、まさにその時、彼らの間を怒声が貫いた。
「静まれぇぇぇぇぇい!!!! ……百眼が御前なるぞ」
とても齢を重ねた者から放たれたとは思えない、轟くような制止の声。
全氏族の注目の中心に、四眼位の魔導師がいる。彼女は眼を見開き、眼上であるはずの五眼位すら怯ませるほどの威を発していた。
「五眼位。そう思うのであれば、問うてみるが良い。今宵は賢人の問いなるぞ」
五眼位は押し黙り、周囲を見回す。
居並ぶ巨人たちから注がれる、射貫くような視線。それが、答えを悠然と語っていた。
「王の選定は、百眼のみがお導きになる」
「穢れの獣などに邪魔されるなどと、許し難きことである」
「これは
「問えよ、問えよ」
「ルーベル氏族めに、今一度、我らが問わん」
「彼奴らの犯した過ちを今一度問わん」
ひとつ言葉を皮切りに、各氏族から続々と声が上がる。
「問いは、解を得た。此度の問いも、百眼がお認めになられたのだ」
老婆は、高く手を伸ばし、そこに燃え盛る炎の玉を生み出した。
「我ら
興奮し、立ち上がり唱和する巨人たちの間で、五眼位だけはひたすらに苦々しげな表情でいた。
「……愚物どもが」
吐き捨てるようなつぶやきを残し、彼は立ち去ってゆく。その後ろに、同じ氏族の者だけが続いた。
三眼位の勇者だけが、火のついたような視線でそれを追っていたが、魔導師のそばを離れるわけにもゆかず。
それらが去ってゆくのを、ただ見送っていたのであった。
歓声に包まれる賢人の問いの場から離れ、数体の巨人が足早に進む。
そのなかで頭一つ大きな体躯を揺らしながら、五眼位の巨人は憤懣やるかたないとばかりに足音を荒くしていた。
「カエルレウスめが! 既に閉じた眼をこじあけおって!!」
「賢人の問いは答えを得た。諸氏族がこれを見間違うことはないぞ」
多くの巨人にとって、賢人の問いにて決まったことは百眼神の意思として、絶対的な拘束力をもつ。
諸氏族連合が結成されルーベル氏族との衝突が起こるのは、まず避けえないことと考えられた。
「どうするのだ、五眼位。このままでは、我ら氏族は惑うばかりであろう……」
「このまま、捨て置くことはできぬ」
五眼位は、ふと足を止めた。妙案を思いつき、凶悪な笑みを浮かべる。
「……ならば、報せればよいのだ」
氏族の巨人たちは、顔を見合わせていた。
「ルーベルめらに、な」
五つの瞳を細めながら、巨人は森の果てを見やるのだった。
賢人の問いを終えた後、各氏族はそれぞれに己の集落へと帰っていった。
これから皆で戦支度を整え、しかる後に集結することになる。
カエルレウス氏族の巨人たちも、集落へと帰り着いていた。
待ち構えていたかのように、氏族の巨人たちが二体を出迎える。彼らは諸氏族連合を結成するとの報を受け、足を鳴らして興奮を露わにしていた。
老婆が、長旅の疲れをおして皆に告げる。
「カエルレウス氏族の輩よ。過ち正される時は近い。間もなく諸氏族集い、今再びルーベル氏族めらに問うだろう。いましばし、備え努めるのだ!」
応、との声が重なり、巨人たちは各々の役目を果たすべく散っていった。
問いを投げる側であったカエルレウス氏族は、最も準備が進んでいる。今しばらくは余裕があることだろう。
「
そうして自身の天幕へと戻った
「これは……いったい、なんの戯言だ」
勇猛果敢、豪胆で知られた勇者であっても、声の震えを止められない。
そこにあったものは、勇者自身が小鬼族の勇者のために作り贈った、魔獣の革鎧であった。
それだけならば、出かける前と何も違いはなかったはずだ。
しかしそれは、いつの間にか近くにあった木に吊り下げられ、しかも内部に魔獣の骨で作った奇妙な人型をぎっしりと詰められていたのである。
おかげでそれは、まるで野垂れ死んだ巨人の白骨死体のようになっていた。
さしもの勇者すら絶句するほどの、趣味の悪さである。
三つの瞳をひん剥いて睨みつけられた一つ目の従者は、きまり悪げなことこの上ない様子で縮こまっていたが、やがて観念したかのように足元を指さした。
「それが、その。小鬼族の勇者が、なんとしても必要であると……」
勇者は、足元でちょろちょろしていた小鬼族、エルネスティを見つけるやすさまじい勢いで問いかける。
「小鬼族よ。これはいったい、いかなる嫌がらせなのだ!?」
「ええ、今は可動範囲確保のための空間を試算しようとしていまして。おかげで、動くために必要な筋肉量はだいたい計算できました。量が確保できるかわからないので、できるだけ絞り気味で見積もっているのですが……」
言葉は通じているはずだが、話がまったく通じていない。勇者は、完全に頭を抱えていた。
「……百眼よ、お示しを……!! まぁ、よい。それよりもだ」
色々とあきらめて、勇者はどかりとその場に座りこむ。
「賢人の問いは、解を得た。百眼が道をお示しになられたとおり、我らはルーベル氏族に今一度、問いをおこなう」
「おお……!」
従者が片膝をつき、腕を組む。その瞳は、戦いを前にした高揚に満ちていた。
「小鬼族の勇者よ。お前の働き、穢れの獣を倒したことには、どれほど感謝しても足りん。本来ならば、さらに報いを重ねたいところであるが……」
「いいえ。しかしこれから戦いに、なるのですよね」
ちょこんと座りながら、エルは苦笑を浮かべていた。
賢人の問いへの出発前に話していたとおりだ。勇者は頷く。
「その通りだ。我ら皆、ルーベル氏族への問いへと赴く。だが、まだしばしの時を残している。いずれ必要なことあらば、我が力を貸そう。……このような、嫌がらせに使うのでなければ、な」
勇者は、横の白骨死体モドキは、努めて視界に入れないようにしている。
ふうむ、とエルは腕を組んで考え始めた。
残り少ない時間でもできて、必ずやっておかねばならないこと。そうなれば、答えは一つであった。
「では、戦いになる前に、巨人の皆様にお願いしたいことがあります」
「ふうむ。どのような、ことか」
すっと立ち上がると、エルは彼方を指さした。方角は西、彼らの故郷がある場所。
「僕の宝物を……この地に来て、穢れの獣との戦いにおいて破壊された、僕の
「よかろう、容易いことだ。我と、そこな従者が力となろう」
巨躯と怪力を誇る巨人にとって、荷物運びなどたやすいことである。
「何往復かは必要かもしれません。場所は、穢れの獣の死骸が落ちているあたりです」
「そうであったか。ならば、我らも道を知っておる。ふうむ。従者よ、籠をもってくるのだ」
「承知」
勇者に命じられるまま、一眼位の従者は頑丈な蔓草を編んで作った、巨大な籠を持ち出してきた。
「ですが、大事な時期なのでは。勇者さんご自身にお願いしても?」
「我らが氏族は先んじて問いに備えていたがゆえ、いましばし時間に余裕がある。小鬼族の勇者よ、これは我らからの感謝なのだ。遠慮はいらぬ」
勇者は胸をたたいて請け負う。
そのような経緯があり、巨人の勇者と従者、エルとアディは連れ立って、穢れの獣の死骸と幻晶騎士の残骸がある場所へとむけて、出発したのであった。
ボキューズ
この地には地上、空中を問わず強力な魔獣が数多跳梁跋扈している。ここで生き抜くには巨人のように力を持つか、幻晶騎士のように強力な武具を用意するしかないだろう。
そんな魔の森の空を、我が物顔で舞う巨大な影があった。
それらはまるで蟲のような姿形をもち、虹色の光放つ翅を広げ、低いうなりを周囲に漏らしている。
巨鳥、怪鳥、その他あらゆる空の魔獣たちが、その姿を見るなり逃げ散ってゆく。それは、普く魔獣の頂点に立つ存在であった。
なかでも、ひときわ大きく褪せた赤い色合いをもつ個体が、ギチギチと耳障りな鳴き声を上げた。
すると、“それら”はそろって、なんの感情も映さぬ無機質な瞳を森の一角に向ける。高度を落とし、空から地上へ。
目指す先にあるのは、森の中に開けた小さな集落。
驚愕とともに数多瞳が見開かれる中、穢れ撒く死の化身が、舞い降りる。
最初に異常を察知したのは、三眼位の勇者であった。
「……いま、何か、起こらなんだか」
森の中を進んでいた一行の中で、勇者がいきなり立ち止り、周囲を見回し始めた。
戦士として鍛え上げられた彼の感覚が、何かを捉えたのだ。
それは音であったか、それとも揺れであったか、本人にも定かではない。だが、確かに何かを感じていた。
「皆さん、あれは何でしょうか?」
つられて足を止めた一行の中、振り返ったエルが空を指さす。いっせいに見上げた一行は、そこに明らかな異常を見出していた。
地よりたなびく幾筋もの黒い煙、上空を飛び交う何者かの影。
さらにその周囲には、霞がかかったかのようにくすんでいる。
勇者は、その光景に見覚えがあった。
それを為しえる存在を知っていた。ゆえに彼は、目を見開き叫ぶ。
「
「勇者! あちらは、もしや、我らが……氏族の!!」
従者が、焦りを含んだ声音で叫んだ。
煙と、穢れの獣がある方角は、今まさに彼らが進んできた方向にある。その下にあるものは、何か。考えるまでもない。
応えるより先に、勇者は駆け出していた。すぐさま、従者も後を追って走る。
「アディ、追いますよ!」
「うん!」
爆発的な速度で全力疾走する巨人を追って、二人も駆け出していった。
来た道を戻り近づくほどに、集落の上空が良く見えるようになってきた。
空は穢れの獣が放つ、高揮発性の溶解毒と、集落からあがる煙が混じりあってまだらな灰色と化している。
その下は、いったいどのような有様になっているのだろうか。楽観的な想像は、とてもできそうにない。
その時、先頭を走っていた勇者がいきなり速度を緩めた。彼らの前方からやってくる、何者かの気配をつかんだのだ。
この状況で現れるものが、味方であるとは思えなかった。
勇者は立ち止り、油断なく棍棒を抜き放つ。従者もまた横に並び、その何者かが現れるのに備えた。
「待ってください、勇者! あれは、あなたたちの……」
木々の上から様子をうかがっていたエルが、警告を発する。
今にも躍りかからんとしていた勇者たちは、そこでわずかに動きを待った。
「ああ、
果たして彼らの前に現れたもの、それはカエルレウス氏族の巨人たちであった。
「お前たち、無事であったか! いったい、集落に何が……」
見覚えのある瞳を見つけ、勇者の言葉が力を取り戻すが、それもわずかな間のこと。
何故なら、現れた巨人の数は、明らかに集落の全員より少なかったからだ。
その上多くが傷を負っており、溶解毒にやられたのであろう、体中を爛れさせている者までいた。
「なんという……残りは、どうしたのだ!?」
思わず勇者は無事な巨人へと詰め寄る。
それは一瞬言葉に詰まったが、すぐにしっかりと勇者の三つの瞳を見つめ返していた。
「なんの前触れもなく、奴らが、空から現れたのだ。気付いた時には穢れを撒かれ、手遅れであった……。我らは、迎え撃つことすらできず、こうして逃げ出すので精いっぱいで……」
勇者の表情が、くしゃりと潰れてゆく。
やがて彼は、その場にいる顔ぶれの中に、老婆の姿がないことに気付いた。
「ま、
「……魔導師は。皆を逃がすために、ただ一人魔導を操り……穢れの獣に立ち向かっていった! だがおそらく、すでに百眼の御許へと……」
絞りだすように呻いた巨人の答えを聞いた瞬間、勇者は膝から崩れ落ちた。
叩きつけた拳が、地面をえぐる。
「………………………………許さぬぞ……!!!!」
そのまま血走った瞳で顔を上げた勇者は、雄たけびとともに走り出さんとし。
寸でのところで、その眼前へとエルが飛び込んだ。
「勇者! 行ってはなりません!!」
「小鬼族! 止めるなぁ! これは、我らが……!!」
勇者の言葉はもはや獣の咆哮と大差ない。強烈な殺意の振動を正面から浴び、しかしエルは怯まずに抗う。
「行けば、ここに残る傷ついた同胞を、誰が守るのですか!?」
ズシ、と勇者が一歩を踏み出しかけ、堪えた。
ギリギリと歯を食いしばり、口の端からは泡が漏れる。今にも炎を放ちそうなほどの怒りが陽炎と化し、勇者の周囲を揺らめかせる。
荒ぶる獣そのものと化しつつある勇者に、エルの静かな言葉が届いた。
「それに今の話からすると、集落は、もう……穢れに巻かれています」
「そのようなこと、承知の上よ! 我は! ……我は、勇者なり!! 今立たずして、いつ立つというのか!!」
再び立ち上がった勇者を止めたのは、同胞の巨人の言葉だった。
「勇者……小鬼族の、いう通りだ。集落は、もう……我らが同胞、その多くが逃れることができず、穢れてしまった……」
拳を固めて震えていた勇者は、突如として地面に頭を打ち付けた。
「穢れの獣め! ルーベル氏族め! 斯様なおこないを! 百眼にお見せするとは……!! 許さぬ……決して許さぬぞ……!!」
無念の情に押しつぶされ、打ちひしがれる勇者のもとに、一体の巨人が進み出た。
それは、腕の中に幼い巨人の少女を抱えている。
勇者がゆっくりと顔を上げ、少女の四つの瞳と向かい合った。
恐怖と穢れ、怒りに晒されながら、それでも強い意志の光を湛えた、幼い瞳。
「勇者よ、魔導師より言付かったことがある。……我は先に、百眼の御許にて詫びてまいる。勇者よ、必ずやこの過ちを正すのだ。そのためにも、これを我が瞳継ぐ者として、鍛えるのだ……と。ゆえにこそ、我らはこうして恥を忍び、逃げてきたのだ!!」
勇者が、この世のものとも思えぬ唸り声を漏らす。
彼の本音としては、このまま怒りに任せて仇を討ちにゆきたいのだろう。しかし集落で最強の戦士たる彼は、同時に魔導師の護りの任を負う。
幼く未熟な魔導師に対しても、それは変わりない。
しばし震えていた勇者は、やがて膝をつき腕を組むと、両目を閉じ額の一つ瞳で少女を見上げた。
「新たなる
「勇者よ、我が先代より受け継いだ瞳は、多くない。だがこの試練、必ずや乗り越えてみせる。それまで、お前の護りが頼りだ……」
巨人族ゆえに背丈は大きくとも、少女はまだ幼い子供だ。
怒りを押し殺し震える勇者を前に緊張している様子だったが、気丈に言葉を返していた。
生き残ったカエルレウス氏族の巨人たちが、次々に勇者に倣って膝をつき瞳閉じる。
氏族の命脈尽きる窮地に陥りながら、残された者たちは一丸となり歩みを再開するのであった。
「……よかった、話はまとまったみたい。勇者さんも、いきなり突っ込むのは止めたんだね」
エルとアディは、巨人たちが話し合う様子を少し離れた木の上から眺めていた。
彼らは氏族内部の問題に介入することはしない。ただ多少の縁から、少しの力を貸すだけだ。
そこでふと、アディはエルの返事がないことを訝り、彼のほうをみた。
エルの視線ははるか遠く、未だ白煙晴れないカエルレウス氏族の集落に向いている。
「……エル君? どうしたの?」
「ねぇ、アディ。集落が、穢れの獣に襲われたということは」
その時、アディは思い出した。
あの集落でエルと何をやっていたか。それが、どのような意味を持つか――。
「研究中の、魔獣素材はどうなったと思いますか?」
「……うわぁ」
思わず彼女は数歩、距離を置く。
何故なら、見てしまったからだ。エルが、微笑んでいるのを。世界を軋ませるような、怒りに満ちた笑顔を。
「ふふふ……またしても、僕の前に立ちはだかりますか、蟲どもが」
エルは枝の上から、勇者をはじめとしたカエルレウス氏族の生き残りを見回す。
「どうやら、彼らとは利害が一致しそうです」
エルとアディは、あくまでも自身の目的のために動いていた。
あくまでも、無事に森を脱出しフレメヴィーラ王国へと戻ることさえできれば、それでよかったのだ。
しかし、偶然とはいえ二度も幻晶騎士(作りかけを含む)を破壊されて、彼が黙って引き下がるはずがない。
「巨人の政にかかわるつもりはありませんでしたが……ルーベル氏族とやらには、ツケを払っていただかなくてはね。僕の
この時、巨人族が一氏族、
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