#87 死闘

 遠ざかりゆく飛空船団を背後に庇い、鬼面六臂の鎧武者が空に立ちはだかる。

 周囲を取り囲む、甲虫の姿をした魔獣から、耳障りな翅音が鳴り響いた。睨み合い、無言のままに時間だけが過ぎてゆく。


「さぁ、いきましょうイカルガ。僕たちの敵を、殲滅します」


 イカルガを空に留める力の源、マギジェットスラスタが一層激しく炎を吐き出す。

 それに反応してか、にわかに蟲型魔獣たちが動き出した。左右両翼についていた魔獣たちが前進し、イカルガへと挟み撃ちを仕掛ける。


 魔獣たちはほぼ同時に脚を広げ、その関節部から体液弾を発射した。

 この魔獣の体液は、気化炸裂することで幻晶騎士シルエットナイトすら溶かしさる猛烈な溶解性を発揮する、酸の雲アシッド・クラウドと化す。

 白色の雲に包まれれば、いかな強靭さを誇るイカルガとてひとたまりもないだろう。


 当然、漫然と攻撃を受けるようなことはない。

 イカルガは推力を上げて高度をとり、炸裂する白煙を回避した。そのまま蟲型魔獣の上をとり、銃装剣ソーデッドカノンを撃ち下ろす。


 燃え盛る轟炎の槍が、大気を灼きながら飛翔する。法弾が猛然と白色の雲を突き抜けるが、すでにそこには蟲型魔獣の姿はなかった。

 魔獣は持ち前の機動性を存分に発揮して、絶えず位置を変えている。

 それによって、飛翔騎士すら凌ぐ高い回避能力を発揮しているのだ。


 イカルガが前進してきた魔獣を相手にしている間に、離れて飛んでいた残りの個体も接近を始めていた。

 数を頼んだ攻撃であるが、この魔獣の厄介なところはそればかりではない。


「やはり、この魔獣は個々に動いているわけではない。動きにつながりを感じます。戦術的な連携があるだけで、ずいぶんと厄介な相手になるものですね」


 エルに、おとなしく囲まれてやる理由などない。推進器を噴かして移動するとともに、銃装剣を撃ちこみ敵の動きを牽制する。

 距離を開けた状態では、やはりそうそう命中弾は望めない。だが、そのまま手をこまねいていると、四方八方から酸の雲をくらう羽目になる。


「殲滅は決定事項です……が、この連携を崩さねば少々手こずりそうですね……っと!」


 下方にいる魔獣から、体液弾が撃ち上げられる。

 イカルガはそれを回避する――が、それで終わりではなかった。直進を続けた体液弾は、しばらく直進した後に炸裂する。そう、イカルガの頭上でだ。


「上を、取らせないつもりですか!」


 酸の雲が傘のように広がった後、ゆっくりと下降を始める。

 降り注ぐ酸の雲より逃れるべくイカルガは推進器を振り回し、一気に下降へと転じた。

 それを待ち構えていたかのように、蟲型魔獣たちからの体液弾による熱烈な歓迎が飛んでくる。全身を溶かしつくしてしまいそうな、大歓迎だ。


 それをみたエルは、マギジェットスラスタへと大量の魔力を流し込んだ。

 出力をあげた推進器に蹴り飛ばされ、イカルガが吹き飛ぶように加速する。


 体液弾が炸裂するより先にかいくぐり、猛然と魔獣へと迫る。そのまま行きがけの駄賃とばかりに、すれ違いざまに銃装剣を魔獣へと叩きこんだ。

 燃え盛る炎の塊が魔獣の頭部へと突き刺さり、めり込むや激しい炎へと転ずる。蟲型魔獣の血肉交じりの爆発が、周囲へと飛び散った。


 それが気化し、巨大な酸の雲として広がるより前に、イカルガは魔獣の包囲から飛び出す。


「敵が戦術的な行動を取ってくる以上、待ち手は不利です。こちらから先手を取らないと……っ!?」


 その時、エルは幻像投影機ホロモニターに映る不審な影に気が付いた。

 イカルガの爆発的な加速により、包囲を仕掛けてきた魔獣は全て後方においてきたはずだ。それが前方にもいるということは、その場に残った魔獣が存在したということである。


 エルが驚愕を覚えたのは、敵が増えたからばかりではない。前方の蟲型魔獣は、明らかに他とは毛色の違う姿をしていた。


 他より一回りは大きな躯体に、褪せた赤褐色の甲殻。背の翅は数が多く、やはり小刻みな振動を繰り返している。

 さらに腹部は奇妙な形状に盛り上がっており、そこだけが何故か金属的な光沢をもっていた。


 不気味で歪な形状をした複眼が、虚ろな光を灯してイカルガを睨み据える。

 直後、弦楽器を力任せにかき鳴らしたかのような、耳障りな叫びが空を切り裂いた。


 それと同時に、イカルガを追いかけていた蟲型魔獣たちが一斉に動きを変えた。

 まっすぐに追いかけてきたはずが、二手に分かれて体液弾を放つ。それは直接イカルガを狙ったものではなく、その左右で炸裂し酸の雲を形成した。


 エルは、左右に生まれた雲を睨み、その行動の意図を察する。


「……なるほど、逃げ道を塞いだというわけですか。魔獣にしては珍しく戦術性があると思いましたが、それは統率する個体がいてこそ」


 彼はすぐに理解していた。目の前にいるひときわ巨大な個体、これこそが蟲型魔獣の“頭脳役”であると。


「ならばお前の存在そのものが、弱点にもなるということです!」


 エルは迷わず、イカルガを前進させた。

 他の蟲型魔獣に指令を送る個体を排除すれば、この厄介な連携攻撃が崩れる。そうなれば、あとは各個撃破するだけだ。

 溶解性の体液こそ厄介であるが、単体での能力はイカルガには及ばない。


 赤い魔獣は、急速に接近するイカルガへと向けて、折り曲げていた脚を伸ばした。その関節部から体液がしぶく。

 口腔を開き先ほどよりは抑えた鳴き声をあげる。すると、魔法現象に伴う発光が広がった。


 周囲の大気が集い、渦を巻き始める。

 赤い魔獣が使ったのは、体液弾のような単に飛距離を稼ぐための魔法現象ではない。飛散した体液が気化して雲と化すと同時に、風に巻かれて渦巻きながら流れ始める。

 そこにはあらゆるものを巻き込み溶かす、破滅的な酸の竜巻が現出していた。

 渦巻く大蛇が白くのたうつ舌を伸ばし、目の前の獲物イカルガへと襲い掛かる。


「派手ですね! 群れの頭なら、攻撃能力も一番ということですか!」


 周囲を酸の雲に囲まれ、さらに前方からは広範囲に広がる竜巻が迫りくる。


 進退窮まったかと思われた瞬間、イカルガは推進器の方向をぐるりと変えた。頭上へと延びる、炎の柱。推力と重力が合わさり、イカルガの躯体を一気に落下させる。

 確かに酸の雲は大気より重い。それがだんだんと下がってくるといっても、その速度はゆっくりとしたものだ。

 イカルガは酸の雲に覆われた空の下をくぐり抜け、逆弧の軌道を描きながら赤い魔獣めがけて進む。


 しかし蟲型魔獣も簡単に逃がしてはくれない。耳障りな翅音を立てながら、次々と後を追い飛んできた。


「頭から先に倒したいところですが、こちらも放置はできそうにないですね!」


 隙あらば体液弾をくらわそうと狙う魔獣に対し、イカルガから反撃の轟炎の槍が飛ぶ。

 爆炎と酸の雲が交わり、空にまだらな色合いを描き出した。


 そのあいだに距離を開け、高度を上げた赤い魔獣は、滞空しながら仲間とイカルガの空戦模様を見下ろしていた。

 ぼんやりとした光を宿す複眼が、眼下の戦いの動きに合わせて反応する。まるで歌うように放ち続ける鳴き声の音程を変え、そのたびに蟲型魔獣が動きを変えた。


 この赤い魔獣は明らかに“戦況”を把握し、それにあわせた指揮を下すだけの知能を有している。

 それがどれだけ驚異的で、また厄介であることか。



 酸の雲を突き抜けて突撃してきた蟲型魔獣を撃ち落としながら、さすがのエルも苦々しい表情を浮かべていた。

 イカルガの性能を全力で振るっても、敵を突破するのは容易ではない。

 少しずつ数を削っているものの、魔獣はそのたびに動きを変えて対処してくる。


「む、このまま削り切るまで戦うしかないですね……っと!」


 蟲型魔獣が四方八方から体液弾を発射してくる。周囲の全てを、酸の雲が埋め尽くしにかかった。

 それまでは一直線にとんでいたイカルガが、動きを変える。マギジェットスラスタの向きを互い違いに変え、空中で錐もみ回転。噴射の威力で押し寄せる雲を吹き飛ばす。


「かわして終わりといかないのが、この攻撃の厄介なところですね。しかしそれも無限に放てるというわけではない……はず……」


 エルの台詞が、尻すぼみに小さくなってゆく。幻像投影機に映る景色のなかに、彼はある異常を察知していた。

 高速で飛行し、吹き飛ぶように流れてゆくはずの景色。それが徐々に、速度を落としつつある。


 原因は、すぐに判明した。肩部のマギジェットスラスタが、ひどく推力を減じている。

 直撃を避け吹き飛ばしはしたものの、周囲には薄く酸の雲が広がっていた。それをわずかずつ吸入し続けたことにより、内部の紋章術式エンブレム・グラフがだんだんと崩れてゆき、今ついに機能を失うにいたったのだ。


 イカルガを空にとどめていた、圧倒的な力が失われゆく。

 推進器は腰部にも残っているためまだ動けるが、それでも最大の武器にして命綱が失われつつあることに変わりはない。


「酸の雲、侮っていたわけではありませんが。それでもこれは、しくじってしまったかな?」


 破格の出力を誇るものの、様々な装備を積み込んだイカルガはとにかく重い。マギジェットスラスタを複数基積んでいるのは、それだけの推力を必要とするからだ。

 そうして動きが鈍ったイカルガを見て、ここぞとばかりに蟲型魔獣たちが群がってきた。


「……ふぅ。ちまちまとした攻めを続けてくると思いましたが、この時を待っていたというわけですね? 動きが鈍った今なら倒せるだろうと。狩りのつもりか、舐めてもらっては困ります!!」


 一斉に突撃を仕掛ける蟲型魔獣めがけ、銃装剣を乱射する。

 燃え盛る朱の槍を機敏な動きで回避しながら、蟲型魔獣は速度を落とさない。弱っているからこそ確実に、止めを刺さんとする。


 キチキチと音を立てながら、魔獣は脚をイカルガへと向ける。節の部分から体液を分泌し、それを射出しようとして。

 蟲型魔獣の視界に、輝く銀の線が走った。

 魔獣がそれに反応する前に、高速で空を翔けた何かが、横合いから頭部へと突き刺さる。


 “執月之手ラーフフィスト”、イカルガの背部にある腕から伸びる、破壊の拳だ。銀線神経シルバーナーヴによって本体とつながったそれは、エルの操作に応じて自在に空を舞う。

 次の瞬間には体内から猛烈な爆炎を吹きあげ、蟲型魔獣は焼け崩れながら墜落していった。


 しかしその代償に、執月之手も溶けて破壊されてしまっている。もろい銀線神経は言うに及ばず、体液に直に接触したことによって拳そのものが溶け去ってしまったのだ。

 その喪失はイカルガにとって大きな痛手となるが、支払った代償は無駄ではない。


「お前たちには、弱点がもうひとつある。それは、指示を変えるまでの時間差です!!」


 突然仲間を倒されて、蟲型魔獣にわずかな混乱が走った隙を見逃さず、エルは猛然と反撃に出た。

 轟炎の槍が甲殻に突き刺さり、残る魔獣を粉みじんに吹っ飛ばす。


 空に、静寂が戻る。

 蟲型魔獣がたてる耳障りな翅音は収まり、幾分不安定になったイカルガの姿だけが空にあった。


「もう、飛空船団は十分に安全圏へと逃れているでしょう。残るは……あなたの始末だけです」


 イカルガの鬼面が、上空を睨む。

 酸の雲の向こうに霞む、巨大な影。手下を失ったにもかかわらず、指揮官役の赤い魔獣は変わらず静かに浮かんでいた。


「執月之手は失い、残る装備は銃装剣二挺にマギジェットスラスタが二基。少々、不足ですが……」


 イカルガの機体も満身創痍と言っていい。

 武装はおろか、推力すら半減してしまっている。このままでは、イカルガの本領ともいうべき戦闘能力を発揮することができない。


 さらに周囲は、これまでの戦いで放たれた酸の雲で囲まれている。

 最後に倒した蟲型魔獣の死骸が、その止めとなった。飛び散った体液は酸の雲と化し、周囲に広がっている。

 自在に空を翔けることすら、すでに困難だ。その上で、エルとイカルガは赤い魔獣を倒さねばならない。


 イカルガの窮状を嘲笑うかのように、赤い魔獣が軋みのような音を立てた。

 魔獣の知能は、理解しているのだろう。イカルガが戦いの場所に辿りつくためには、この分厚い酸の雲を突破せねばならないということに。

 今のイカルガにとっては、果てしない距離だ。


 それでも、エルは前進する。

 残る腰部のマギジェットスラスタを最大出力で稼働させ、一直線に飛翔した。

 その目前に、厚く垂れこめた酸の雲が迫る。


「酸の雲の強みは、気体というその性質にある。しかしそれは同時に、ある欠点を含んでいます」


 イカルガが、銃装剣を突き出した。そして法弾が放たれんとする瞬間、その向きを“内側に”傾ける。

 銃装剣より一直線に飛び出した法弾は、その進路上において、いずれ交わる。

 狙い過たず空中で交差した法弾は、即座に猛烈な爆炎と化した。魔法現象によって導かれた炎と爆風が吹き荒れ、酸の雲に穴を穿つ。


 気体である酸の雲は軽い。法撃を意図的に衝突させることで爆風をおこし、それによって雲を吹き飛ばしてみせたのだ。

 マギジェットスラスタが半分使用不能になったことで、潤沢な魔力を銃装剣に回すことができる。

 続々と放たれる法弾が爆炎を花開かせ、ついに酸の雲に一筋の道を穿ちきった。赤い魔獣まで続く道だ。


 空に残る炎の残滓を突き抜け、イカルガは突破不可能と思われた雲を、越える。

 赤い魔獣は、近寄ってきたイカルガを迎え討たんと周囲に体液をばら撒き始めた。

 同時に魔法現象が発現し、酸の竜巻を起こそうとする、だが。


「遅い! 吸排気機構閉鎖スクラム! これで、とどめです!!」


 先んじて動き出したイカルガに比べ、魔獣の動きは一歩、遅かった。

 銃装剣を剣として構えたイカルガが迫る。その切っ先が、まさに赤い魔獣へと達する、その瞬間のことだ。


 横合いから、唸りをあげて巨大な影が飛来した。

 手下の、蟲型魔獣。酸の雲に隠れて、生き残っていた個体がいたのである。


 それは、突き出された銃装剣を前にしても、迷うことなく飛び込んでゆき。

 一切避けようともせずに、銃装剣の前に己をさらした。止めようもない間合い。飛翔の勢いを乗せた斬撃が、蟲型魔獣の甲殻を裂断し、破砕し、内部組織を断ち斬る。


「そんな……庇った? 魔獣が、捨て身の行動をとるなんて!」


 いかに知能があろうとも。むしろ、知能が高いほど自殺行為などしないものである。

 頭脳役である赤い魔獣がこれを狙っていたのだとすれば、それはあまりにも異様極まる戦術だ。


 身を挺して赤い魔獣への攻撃を阻んだ、蟲型魔獣。その本当の狙いは、この後にこそあった。

 斬撃を受けた傷口から体液が噴出し、気化するや周囲に雲を形成する。

 魔獣の行動は、ただ庇っただけではない。その命と引き換えに、絶対に回避できない状況で酸の雲をくらわせるためにあったのだ。


 エルは、格闘戦を挑むために吸排気機構を閉鎖していた。

 そのため即座に雲の毒性にやられることはなかったが、マギジェットスラスタまでそうはいかない。

 猛烈な酸の雲を吸い込み、急速に出力を落としてゆく。

 蟲型魔獣との衝突で速度を落としていたイカルガに、もはや抗う術はなく。炎を失った鎧武者は、落下へと転じた。


「くっ……もう少し! イカルガ! もう少しだけ、もってください!」


 くしくも落下することで酸の雲から抜け出したイカルガは、もうほとんど崩れてしまった紋章術式をかき集め、わずかに息を吹き返す。

 マギジェットスラスタが最期のあがきで炎を生み出し、その微かな推力で速度を減じて、生きて着陸することができた。


 しかし、エルに安堵する猶予は与えられない。

 イカルガの頭上から、影が落ちる。そこにあったものは、先ほど斬りかかった蟲型魔獣の、死骸だ。

 それはイカルガの近くに落下すると、そのまま“ぐしゃりと”潰れた。


 体液と体組織が飛散するや勢いよく気化をはじめ、生じた雲が爆発的な速度で広がってゆく。全ての推進器を失い、満身創痍の今のイカルガに、それから逃れるすべはない。

 地表を這う死の雲が、鎧武者の姿を飲み込んでいった。




「クソッ。おい、戦いの様子はどうなってやがる!?」


 飛翼母船ウイングキャリアーイズモの船長席で、親方ダーヴィドは荒れていた。

 イカルガの奮戦により、飛空船団は魔獣に狙われることなく距離を稼ぐことができた。戦いは地平の向こうになり、張りつめていた空気もわずかに緩み始めたところだ。


「わかんないッスよ。でも、戦いが見えるところに留まるわけにもいかないし」

「んなこたぁわかってんだよ! だぁ! もう!!」


 やおら船長席から立つと、のしのしと船橋を歩き回る。やがて、親方は何かを決意して怒鳴り声を上げた。


「おうし、他の船に伝令しろ! イズモを反転させる、俺たちは坊主を迎えに行くとな!!」

「それは、許可できない」


 その叫びに、間髪入れず静かな声が返ってきた。

 振りかえれば、そこには紫燕騎士団団長“トルスティ・コスケンサロ”が立っていた。非常事態であるため、彼は元の船からここに移動してきたのである。


「このイズモが抜けてしまえば、船団の防衛能力はひどく下がる。今は、私が船団を預かる身だ。そのような勝手な行動は、許可できない」

「飛翔騎士ぁ丸々残してく。だったら問題ねぇだろう!」


 親方は、強情に意見を曲げない。

 船橋にいる船員たちも、どちらかといえば親方よりの考えだ。なにしろ、彼らは銀鳳騎士団の一員なのだから。

 だが、トルスティは頑として首を縦に振ることはなかった。


「あそこにいるなぁ、俺たちの団長だ。なら俺たちもそこにいるのが、当然だろう」

「だがな、ヘプケン船長。離れろといったのは、その団長の指示だ。それにこのイズモで向かったところで、足手まといにしかならない」


 親方は、返す言葉に詰まる。

 毒性と溶解性を有する雲に巻かれれば、飛空船ですらすぐに墜とされてしまうだろう。それがイズモであろうとも、例外ではない。

 エルが離れろと言ったのも、それが理由のはずだ。果たしてイズモが今から向かったとて、足を引っ張るのがせいぜいであろう。

 どちらの意見に従うべきか、船員たちも決めかねて揺れていた。


「……知ったことか。坊主を置いていけるかよ。気にいらねぇってのなら、俺が船を動かす。どきやがれ!」


 ヤケ気味に操舵輪にしがみつこうとする親方を、トルスティが強く抑えた。


「今、あの場所は……毒の雲に包まれている。そんなところに行けば、君だけではない、この船の皆が道連れだ。いったい何のために彼があそこに残り、戦ったと思っている!!」


 親方は、殺意すらこもった目つきでトルスティを睨み返した。

 トルスティも、それに負けず強く見返した。双方ともに無言のまま、睨み合いはしばらく続く。


「ここで、イズモが墜ちれば、彼の決意と戦いそのものが、無駄になる」


 呟くようなトルスティの言葉に、親方はついに反論の言葉を飲み込んだ。

 ギリ、と歯を軋ませるほどに強く噛み、操舵輪からゆっくりと手を離す。


 その時、船橋の緊張を破るかのように、一人の紫燕騎士団員が駆け込んできた。

 彼は睨み合うトルスティと親方を見て一瞬躊躇したが、しかし義務感から立ち直り、携えてきた報告を読み上げる。


「報告します! 確認したところ、飛翔騎士隊は、一機を除いて全員が残っていました! ですが……」


 躊躇を見せる騎士団員に、トルスティが先を促す。彼は、意を決して続きを読み上げた。


「その、紫燕騎士団ではありませんが……オルター教官の姿が、どこにも、ありません」


 船橋に、小さなざわめきが走った。

 親方は血走った瞳で顔を上げ、やがて眼を閉じ、唸るように声を漏らす。


「ッ!! ……いや、嬢ちゃんが。そうか……そりゃあ、そうだろうな。坊主がいねぇんだ、ここにいるわけがねぇ。……ちくしょう。てめぇだけ、ずるいぞ」


 長く、長く吐息をつきながら、親方はその場に座りこんだ。

 誰よりもエルに執心であったアデルトルートアディならば、たとえ行く先が死地であったとしても、躊躇うことなどなかったのだろう。親方は少しだけ、そこで飛び出していける彼女を、羨ましく思っていた。


 そうして頭に上った血が下がったところで、親方はゆっくりと立ち上がる。


「ここで、船団をしばらく待機させる。それで、坊主が戻る気配がねぇってのなら……」

「わかった。私も、彼を置いていきたくなどはない。いよいよとなれば、飛翔騎士を捜索に回そう」


 そこまで言い切ったところで、親方は重い足取りで船長席へと戻るや、そのまま無言で沈み込んだ。



 それから数日の間、飛空船団はエルとアディの帰りを待ち続けた。

 しかしどれほど待とうとも、イカルガとシルフィアーネが戻ることはなく。

 何度か飛翔騎士による捜索隊も組織されたが、彼らはイカルガやシルフィアーネはおろか、蟲型魔獣の姿すら見つけることはできなかった。


「……戻るぞ。進路は西へ、国許にとれ」


 そして一週間が過ぎるころ、船団はついに、国許への帰還を決意したのだった。

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