#85 第二次森伐遠征軍・先遣調査船団

 その日、王都カンカネンの住民たちは一人残らず空を見上げた。

 薄曇りの空の下、頼りない太陽の光をさらに遮る巨大な存在。街並みに大きく影を落としながら、それは悠然と空を進む。

 飛空船レビテートシップだ。ここ最近、フレメヴィーラ王国を大きく賑わせる天翔ける船。

 国王直属の近衛騎士団に配備されていることもあり、王都の住民たちはこの空飛ぶ船にも慣れはじめてきたところである。


 それでも彼らがこうして唖然とした面持ちで空を見上げることになったのは、その船が度を越して巨大であったからだった。

 もとより、幻晶騎士シルエットナイトを搭載することのできる飛空船は巨大な構造物である。それをさらに、近衛騎士団や紫燕騎士団に配備されている輸送型飛空船カーゴシップの倍ほどの大きさにするなど、およそ正気の沙汰とは思えない。

 しかしそれは確かに存在し、王都の空を緩やかに進んでいたのだった。


「なんて……巨大な。いったいどこの騎士団のものなんだ……?」


 口々に上がった疑問は、すぐに氷解することになる。

 船体の左右にまるで翼のように広がった幾重もの帆。そこにはフレメヴィーラ王国の紋章と共に、銀の鳳が翼を広げた姿が、堂々と描かれていたのであった。



「あれが、銀鳳騎士団の飛翼母船ウィングキャリアーか。話に聞くのみで、実物を見るのはこれが初めてだが」


 王城シュレベール城のバルコニーから、国王リオタムスは目を細めて巨大な船影を眺めていた。

 あの船が王都へとやってきた理由は明白だ、それは彼が命じたからである。

 ボキューズ大森海だいしんかいへの調査飛行。その難題に挑むために、この銀鳳騎士団の飛翼母船を旗艦とし紫燕騎士団の輸送型飛空船を加えた、大規模な船団を組むことになっていたのだ。


 いかに飛空船に空の利があるとはいえ、行き先は魔の森と呼ばれるボキューズ。どれほどの備えが必要になるかもわからず、船団はかなりの大所帯となった。

 西方諸国オクシデンツの大半が、まだまだ飛空船の導入時点で躍起になっていることを思えば、世界でも有数の規模を持つ飛空船団となるだろう。これを上回るものは、かつて存在したジャロウデク王国の鋼翼騎士団くらいのものである。


「……しかしまさか、それがここまで巨大だったとは。出発の式典を催すからと、王都まで呼び寄せるものではなかったか」


 それはそれとして。彼は街で巻き起こっているであろう騒ぎを思い、頭を抱えたのであった。




「んがっはっはっは! どうだ、見て驚けい! 何せ作んのに苦労したんだぞぉ。ほうれほうれ」

「びっくりさせられる王都の人たちも災難ですね。ですが、この飛翼母船一番船“イズモ”の勇姿、まずはじっくり見ていただきましょう」


 船長席に収まった親方ダーヴィドが、上機嫌にふんぞり返る。

 エルネスティもまた悪巧みな笑顔を浮かべながら、窓の下に広がる王都の街並みを見回していた。


 ――飛翼母船一番船“イズモ”。空戦仕様機ウィンジーネスタイルの運用を前提として設計されたこの船は度外れた巨体を備え、さらに一個中隊(一〇機)までの飛翔騎士を搭載できるという、破格の搭載量を誇る。

 それもそのはず。この船は、クシェペルカ王国における戦いの最中に鹵獲した大型飛空船“ストールセイガー”を基にしているのだ。

 かつては禍々しくすらあった黒塗りの船は、エルと親方の悪巧みの果てにすっかりとその姿を変えていた。


 悪戯を成功させひとしきり楽しんだ後、彼らはようやくまじめに働き始める。


「おうし、もう十分に見せつけたな。起風装置ブローエンジン逆進、速度を落とせ。いちど街の外まで出るぞ。このままだと王城を日陰にしちまわぁ」

「では僕はイカルガで降りて、陛下に挨拶をしてきますね」


 親方配下の整備隊の面々が忙しく船を操る中、エルを乗せたイカルガが城へとめがけて飛び出してゆくのだった。



「いやぁ、しっかり怒られてしまいましたね」

「それはそうだろう。むしろ国王陛下に対してこのような悪戯……? ができるということに、まず驚くよ。さすがというべきか、なんというか」


 紫燕騎士団長“トルスティ・コスケンサロ”は、目の前の少年の無邪気な笑みに向けて溜息をもらし、ついでに額に手をやった。


 イズモの登場によってさまざまな混乱はあったものの、出発の式典はそれなりにつつがなく終了した。

 結果として勇壮無比たるイズモの姿はおおいに支持されていたし、国王も威厳を崩すことなく式を進めることはできたものの。やはりそれで、悪戯がなかったことになるわけではなかった。


「すさまじい船であることには、疑いないが」


 トルスティは船橋の硝子窓ごしに、周囲に浮かぶ船を見やる。

 イズモを中心として、数隻の輸送型飛空船が付き従う。これに飛翔騎士トゥエディアーネ二個中隊を加えた、紫燕騎士団が保有する全戦力がここに揃っていた。


 飛翔騎士のうち一個中隊は、そのままイズモに収められている。残りは周辺警戒のために動いていたり、外壁に係留されたりしている。騎士の運用は、ほぼ飛翼母船に任されている形だ。

 その代わりに輸送型飛空船は、内部に様々な物資を満載していた。その総量は、この調査船団が一年は活動できるだけに上る。


 いちおう、彼らの行く先は海ではなく陸上である。万が一物資が不足した場合に、陸上に降りて調達することもできなくはない。

 しかし、そのために飛空船が消費する源素晶石エーテライトの量や危険性などをかんがみると、それは最後の非常手段にすべきだった。

 旅の間は、なるべく積まれた荷物で賄う予定だ。


 それから彼は、視線をイズモの船橋へと移す。いくらか羨ましそうな様子で、内部の設備を見回した。


「しかしこのイズモ、確かに巨体だったが実際に中にいるとさらにそれを実感するな。別段、我々の輸送飛空船もそこまで居住性が悪いわけではないのだが……。これは、羨ましいものだ」


 彼ら紫燕騎士団が使う飛空船は、初期からの設計をほぼそのまま受け継いだものだ。それは、まだ居住性に気が払われているとはいいがたいものがある。

 イズモはそのあたり、持ち前の巨大さを生かして余裕をもって設計されている。


 さらには、船の改装設計者と使用者が一致するという稀有な状況にあることもあり、親方たちは自身が扱いやすいようにと内装にも気を配っていた。

 それなりの期間に及ぶであろうこの旅路にあっては、イズモが有する余裕は良い方向に働くだろう。


「……なにはともあれ、だ。これからの旅路、よろしく頼む。エチェバルリア騎士団長」

「こちらこそよろしくお願いします、コスケンサロ騎士団長」


 力強く握手を交わす二人であるが、彼らを傍から見るとまるっきり大人と小さな子供である。

 この二人がともに王下直属の騎士団を率いる団長であるなどと、誰が信じることができようか。しかも立場的な意味でいえば、エルのほうが上位に当たるくらいだ。


「しかし……君は、あそこには座らないのだな」


 トルスティはそのまま視線を、イズモの船長席でふんぞり返るドワーフ族の青年へと移した。

 彼自身は紫燕騎士団の団長と、旗艦となる飛空船の船長を兼ねている。船と騎士団における指揮系統の統一を考慮すると、この形式にはそれなりの合理性が認められおり、紫燕騎士団に倣って設立された他の騎士団でも受け継がれていた。


 銀鳳騎士団は、エルが旗艦イズモの船長ではないという点で多少変わった形になっているのだ。

 エルは笑顔を浮かべ、小さく頷きを返す。


「ええ。それはいざ戦いとなれば、僕は幻晶騎士に乗って出てゆきますから。船の指揮は彼にお任せしているのです」

「そ、そうなのか。あの幻晶騎士……イカルガ、だったか。飛翔騎士でもないというのに空で戦えると、耳にしたが」


 トルスティは、イズモの格納庫に収まる異形の幻晶騎士を思い浮かべる。

 この国どころか、この世界に二つとない鬼面六臂の鎧武者。飛翔騎士の登場以前は、世界で唯一、空で戦うことができた機体である。


「はい。いずれ旅の途中でお見せすることも、あるでしょう」

「それは楽しみにさせてもらおう。やはりこの大事、君たちの力を借りられるのは心強いことだ」


 トルスティは改めて、ふわふわとした笑みを浮かべる小柄な少年を見やる。

 目的は下調べとはいえ、行き先は魔の森であるボキューズ。この大抜擢における重圧と課せられた任務の重要さを鑑みれば、フレメヴィーラ王国の英雄たるこの少年の力は必要不可欠と言えよう。

 そうして彼らが打ち解け、話し合いを持っている間も船団は勤勉に空を進んでいた。



 イズモを中心とした飛空船団は道々にある街に大きな影を落としながら、ゆっくりとフレメヴィーラ王国を横断してゆく。

 その道々、船団はライヒアラ学園街やオルヴェシウス砦の上空を通り過ぎていった。


「……あの、いちばん大きな船。あれに、エルが乗っているそうよ」


 セレスティナティナ・エチェバルリアは空を切り取る船の群れを見上げて呟く。

 彼女が指すのは、そのなかでもひときわ大きな船。空高くにあることが信じられなくなりそうな、巨大な構造物である。

 彼女の夫であるマティアスは、手をかざしつつ空を見上げ、それから傍らの妻へと視線を転じた。


「ああ、まったくエルは大忙しだな。……それで、どうしたんだ。表情がさえない、何か心配なことでもあるのか?」


 ティナは聡明で、気丈な女性だ。以前にエルが隣国の戦争に首を突っ込むとなった時でさえ、笑顔で送り出したほどである。

 おっとりとしているようでいて、芯が強いのだ。まさしくエルの母親であり、ある意味似たもの母息子おやこといえよう。

 そんな彼女が、このように歯切れの悪い態度を見せるのは珍しいことだった。


「ええ、少し。そう……あの子はとても強い子だから、大丈夫だとはわかっているのだけれど。どうしてか、胸騒ぎがして」

「確かに、何しろ行き先はボキューズだからな。いくらエルでも心配にもなるというもの」


 ボキューズ大森海という場所は、フレメヴィーラ王国が建国以来立ち向かい続けた、危険の源である。

 この国の民にとって、そこへの恐れはもはや簡単に拭い去れるようなものではない。何しろ、幼い子供を叱るときの脅し文句として有効なほどなのだから。


 しかしティナの抱く焦燥感は、それだけでは説明がつかないものだった。危険なだけならば、エルは師団級魔獣と単身殴り合ったことすらある。

 表情の晴れない彼女の様子を見て、マティアスは再び空へと視線を向けた。


「あの子はどんな困難も乗り越えてきたし、それに約束を破ったこともない。前に、飛空船に乗せてくれると言ったのだろう? ならば必ず帰ってきて、約束を果たしてくれる」

「……そう、そのとおりね。エルは決して、約束を破ったことはないのですもの」


 ティナは胸の上に両手を重ねる。彼女自身、気を焦らせ鼓動を早めるものの正体を掴めないままでいた。

 いかに心配尽きることなくとも、今はただ祈り、見送ることしかできない。彼女はじっと、船の行く先を見つめていたのだった。



 東進を続ける船団がオルヴェシウス砦の上空を通過する。砦に残った銀鳳騎士団員たちは、そろって空を見上げていた。


「ついに、イズモが動くか。エルネスティと親方が、ずいぶんとはしゃいでいたようだからな」

「ふうむ。しかし色々なことが重なっているとはいえ、私たちは置いてきぼりとはねぇ」

「置いていかれたわけではない、我々は留守を任されたのだ。それにこの遠征は飛翔騎士が中核となるからな、アルディラッドやグゥエラリンデが使えない以上、俺たちの出番もそれほど多くはないだろうからな」


 その中には、エドガーとディートリヒの姿もある。彼らだけではない。今回の遠征では、銀鳳騎士団第一・第二の各中隊は参加していない。

 にもかかわらず、銀鳳騎士団の拠点たるオルヴェシウス砦はエルと親方が出払っただけですっかりと静かになっていた。


「さてまぁ、留守番といっても何か急ぎの用事があるわけじゃあない。久方ぶりに、ゆっくりと休むかねぇ」


 いちおう各中隊には、団長が留守の間に砦を護るという任務が与えられているが、そもそもオルヴェシウス砦は戦闘を目的とした場所ではない。実質的には、彼らには休暇が与えられたようなものである。

 それを耳にしたエドガーは、空へと向けていた視線を下ろした。


「それなんだが。俺は、しばらくここを留守にする。ディー、その間は頼みたい。……会って、話さなければならない相手がいる」


 ディートリヒはピクリと眉を跳ね上げる。

 この時期にわざわざ会わねばならない相手など、候補はひとつだ。


「それは、あの話がらみのことかい?」

「ああ、そうだ。実を言うと正直、まだ受けるかどうかは決めかねている。だが、まず話をしなければ始まらないからな」


 エドガーはそういって首を振るが、話を進めるということはそれなりに乗り気ということである。

 向こうとしても、力を入れてくることだろう。ディートリヒは、わざと大仰に肩をすくめた。


「それなら仕方ないな。まぁ、団長閣下のいないこの砦を訪れる者もいないだろう。とりあえずこちらのことは任せたまえ。そういえば銀鳳騎士団を結成してからこちら、長く休んだことはない気がするね。……うん、よく考えると恐ろしいことだ。ゆっくりと、休ませてもらう」


 気づいてはいけない事実に気づき悄然としだしたディートリヒを他所に、エドガーは再び船団を見上げる。


 イズモを中心に、船団は東へと向かう。

 これまでは不可侵であったボキューズ大森海へと乗り出す旅路。それは間違いなく、フレメヴィーラ王国の今後を左右する大事業へとつながってゆくことだろう。

 エルネスティたちは、その先頭に立ち道を切り開いている。いつだって、あの小柄な少年は行き過ぎなくらいに時代の先へと向けて走り続けている。


「俺たちも、ただついてゆくだけではない。新しい一歩を、踏み出すときなのかもしれない」



 そうして多くの者の見送りを受けながら船は進み、やがて国境となる防壁へと差し掛かった。そこから先は、魔獣の楽園たるボキューズ大森海。

 青々と茂る木々の海の上を、飛空船団は静かに滑り出したのであった。




「……これが、ボキューズ大森海の空気。ふうむ、ほどよく不穏ですね」


 イズモの上部甲板で、エルは大きく深呼吸する。

 肌を撫でる風の感触は、フレメヴィーラと大きくは違わない。ただ、その中に独特な気配を含んだ、得体の知れない感覚があった。


 視界に映る景色は、どこまでもまだらな緑色に埋め尽くされている。鬱蒼と茂る木々の重なりが地平まで続き、森はところどころでなだらかな起伏を描いていた。はるか果てには、山稜が姿を霞ませている。


 そうしてぼんやりと森の景色を眺めているといきなり、彼の背後から腕が伸びてきた。

 それは左右から前へと回りこむと、そのままするすると彼を捕まえ、抱きしめる。

 エルは僅かに呆れたような表情を浮かべて振り返り、いつもどおりに抱き着いてきたアデルトルートアディを見上げた。


「こら、アディ。ここには紫燕騎士団の人たちもいるから、抱き着いたりしてはダメだと言っておいたではないですか」

「うんうん、わかってるわ! でも今なら周りに誰もいないからだーいじょーぶー」


 エルの肩に頭を乗せながら、アディがじゃれつく。

 一応、銀鳳騎士団の団長であり、旗艦イズモを従えるエルはこの船団の最高指揮官ということになっている。

 そのため、ただでさえ威厳に欠けた外見であるとか、周囲への示しであるとかそういった感じの事情があり、アディに抱きつき禁止を言い渡していたのだが。

 この様子では、まったく通じた様子はなかった。エルは密かに溜息をもらす。


 この遠征ではもともと、銀鳳騎士団の団長たるエルと、イズモを操る鍛冶師隊のみが参加するつもりであった。

 しかしアディは極々当然に、エルがゆくなら共に船に乗ると言い出し、そのままついてきたのである。イズモには、イカルガ以外にも彼女のシルフィアーネも積まれていた。

 彼女は紫燕騎士団の教官役を務めたこともある、優秀な飛翔騎士の乗り手だ。確かにこの遠征にうってつけではある。


「もう、今だけですよ。この旅に参加するのは、銀鳳騎士団ぼくたちの身内ばかりではないのですからね」

「んー。たぶんいつもどおりでも、誰も気にしないんじゃない? それにエル君は可愛いから、威厳がなくても大丈夫よ!」

「そういう問題ではないです……」


 それからエルはアディをつれて、船へと戻ってゆく。

 戻りしな、彼は周囲を見回した。そこではイズモを中心として、一定の距離を開けて飛空船が浮いている。その間を、まるで魚の群れのように飛翔騎士がゆっくりと泳いでいった。

 紫燕騎士団の飛翔騎士たちは、交代制で周辺の警戒と偵察の任についている。空の上は障害物もなく見晴らしがいいとはいえ、さすがに無警戒とはいかなかった。


 彼らが船橋へと戻ると、そこではトルスティが広げた地図を前に待っていた。親方は船長席で、我関せずといったふうだ。彼は基本、操船と整備以外のことは丸投げするつもりでいる。


「いよいよ本格的にボキューズに分け入っていくからな。当面の方針を確認したい」


 トルスティがそう切り出した時、ちょうど森の中で土煙が噴き上がった。木々が倒れる音が、遠く船まで響いてくる。

 おそらくは魔獣が起こしたものであろう、土煙は断続して何回か噴き上がり、しばらくしてからおさまった。

 それを横目に、彼らは頷きあう。


「曲がりなりにも魔の森。もし地上を進んでいたらさぞかし骨が折れたことでしょうね」

「仮に銀鳳騎士団おれたちがやったとして、フン、まぁどこかでジリ貧だろうな。まったく飛空船様々ってやつだ。ブン捕ってきてよかったな!」


 木々の下では様々な魔獣が食うか食われるかの戦いを繰り広げているが、それも上空の飛空船団までは届かない。彼らは改めて、飛空船のもつ価値と優位性を思い知る。

 エルは広げられた地図を覗き込んだ。


「森の浅い部分は、これまでにもある程度調べがついています。しばらくは速度を上げて進み、もう少し奥に入ってから警戒を強めましょう」

「そうだな。いかにボキューズといえども、空飛ぶ魔獣はそう多くないようだ。警戒は必要だが、最初から気を張りすぎてはもたない」


 彼らの前にある地図には、フレメヴィーラ王国の東の境から少しのところまでが描かれている。これから、この地図へと詳細を書き加えてゆくことが、この旅路の目的の一つだ。

 それから彼らは、偵察隊の巡回予定や進路などについて話し合った。方針を新たとし、船団に伝令をまわす。

 イズモは帆翼ウイングセイルを広げ風を掴まえると、森の奥深くを目指して速度を上げた。



 大森海だいしんかいの名に違わず、入ってから当分の間はひたすらになだらかな森が続いている。周囲の見晴らしも良く、そこには何の障害物も見当たらなかった。

 とはいえ、ここは仮にも魔の森と呼ばれ恐れられた地。そのまま一切の問題なく進むことなどありえない。


「進路上に、何かあるぞ! 船に警戒を、連絡!」


 先行して偵察に出ていた飛翔騎士が異常をみつけ、警戒を表す魔導光通信機マギスグラフを灯した。

 船団の監視員がそれを捉え、船橋は一気に騒がしさを増す。


「伝令です。偵察小隊から異常事態の信号があがっています。待機している騎操士ナイトランナーは格納庫へ。出撃準備をしておいてください」


 エルは伝声管へと指示を叫ぶと、船長席へと振り返る。


「僕もイカルガの準備をしてきます。何かあったときは、お願いします」

「おう、任せとけ」

「私もシーちゃんのところにいく。エル君、一緒に行きましょう!」


 彼らが船橋から出てゆくのを見送ったあと、親方は船の前方を険しい視線で睨み据えた。



 その頃、偵察小隊は船団の進路上にゆらゆらと揺れる、巨大な塊へと近づきつつあった。


「これは……魔獣、なのか? いや、そもそも生き物なのか?」

「わからない。殻獣のようなものかもしれないが……」


 それは殻とも呼びづらい、まるで岩石のようなゴツゴツとした形状をしていた。浮いているのはひとつだけではなく、周囲には同様の塊が複数ある。

 飛翔騎士たちは速度を落とし、警戒しつつも観察を続けた。


「大きいな。幻晶騎士の数倍はある。どうやって浮いているんだ?」

「さぁな。エーテルかね? 単に浮いているだけで船の邪魔にならないのなら、それに越したことはないんだが」


 まったく無反応に浮く塊を前に、彼らもどうすべきかを決めかねていた。

 すると、塊の表面で変化が起こりはじめた。みしり、みしりと小さな穴が開き――中から、つるりとした外見の何ものかが這い出てくる。

 それは空中に飛び出すと、鰭とも膜ともつかぬ器官を伸ばし、そのまま空中を泳ぎ始めた。


 しかも、ひとつが出てきたのを皮切りに塊のあちこちに穴が開き始めていた。

 その光景を見て、騎操士たちは戦慄と共に理解する。


「これは。そうか、魔獣そのものなんじゃない、巣なのか!!」

「まずい、こいつらは飛ぶぞ。しかも大量に出てきやがった! 撤退! 急ぐぞ!」


 彼らは鐙を蹴り飛ばす勢いで踏み込む。

 瞬間、マギジェットスラスタが唸りを上げて炎を吐き出し、機体を急加速させた。鰭翼フィンスタビライザを動かし、鋭く旋回すると船団へと戻る進路をとる。


 その間に空に数を増した小型の魔獣たちは、一斉に巣から離れる。

 それらは離脱しようとする偵察小隊に追いすがるように、どんどんと速度を上げながら飛翔していた。


「あの魔獣、けっこう速いな……小さいからか」


 小型の魔獣は、大きさは人間より少し大きい程度。羽毛もない、つるりとした涙滴型の身体を持っている。

 鰭のように広げた翼は羽ばたかず、推進力は魔法的な手段によって得ているようだった。


「おいおい、続々と出てきてるぞ。なんて数! これはまずいな。船に近づく前に、少しでも削っておかないと」


 偵察小隊は飛びながら、後方へと向けて魔導兵装シルエットアームズを放つ。

 魔獣は、とにかく数が多い。狙いなど付けなくとも、撃てばどれかには当たる状態だ。炎弾に直撃した小型の魔獣が爆砕し粉々に吹き飛ぶものの、しかし魔獣たちに意に介した様子はない。

 そもそも、数匹程度減ったところで問題ない程度に数が多かった。



「なぁんだありゃあ! クソッ、ずいぶんと大勢でおでましじゃねぇか!!」


 進路上にひしめく魔獣の群れは、イズモの船橋からも見えていた。

 親方は伝声管に飛びつくと、むしり取る勢いで蓋を開け叫ぶ。


「伝令! 進路を変える、避けんぞ!! 法撃戦仕様機ウィザードスタイルは準備しとけ、腹ぁ見せたら全力で吹っ飛ばしてやれぇい!!」


 親方の怒声じみた伝令を受け、各船は一斉に進路を変えた。

 さらに、搭載されていた防御用の法撃戦仕様機が立ち上がってゆく。それらは迫り来る魔獣の脅威へと、魔導兵装の切っ先を向けた。


 イズモの上部甲板でも、待機していた法撃戦仕様機が起動していた。

 船を護る盾であり、矛でもあるこの機体群。中でもイズモに搭載されている機体は、他にはない特徴を持っている。


 機体の周囲を覆うウォール・ローブが直接、イズモの船体に接続されているのだ。

 かつて飛竜戦艦ヴィーヴィルが採用していた、魔力貯蓄量マナ・プールの共用・大容量化がおこなわれているのである。

 これによって、イズモに搭載されている法撃戦仕様機は他の数倍に上る継続法撃能力を有している。


 着々と迎撃の準備が進められる中、イズモの上部甲板の一部がひらいた。船倉からせり上がってきたのは、イカルガだ。


「さてさて、随分と面倒な魔獣が現れたようですね。あの数では、飛翔騎士だけでは対応しきれないでしょう……信号弾! 近寄るものから、法撃で削りますよ」



 信号法弾が空に眩い輝きを描き出している頃、イズモの格納庫はさながら戦場と化していた。

 船で待機していた騎操士たちが、次々とトゥエディアーネに飛び乗ってゆく。


「浮揚器へと、初期起動用エーテルを注入するぞ! 間違っても推進器スラスタ動かすんじゃねぇぞ!」


 イズモの船内には、相当量の源素晶石が積まれている。船から出撃する飛翔騎士は、最初に外部からエーテルの供給を受けることで浮揚器を駆動するのだ。

 格納庫内に激しい吸気音が轟いた。騎操士を乗せ、魔力転換炉エーテルリアクタの出力を上げた機体が、出撃の準備が整ったことを声高に叫び始める。


「出撃! 出げーき! おうし、押せぇぇぇっ!!」


 幻晶甲冑シルエットギアをまとった整備班が、機体に取り付いてゆく。ここからの移動は人力だ。

 既にエーテルを供給された源素浮揚器エーテリックレビテータ浮揚力場レビテートフィールドを発生させているため、機体は僅かに浮き上がっている。

 質量はいかんともしがたいが、幻晶甲冑があれば動かすことは可能だ。

 イズモの後部扉が、大きく開き始める。大空へと通じる出口へと向けて、機体を押していった。


「おうし、出番だな! 後は任せろ」


 そうすると、出口の手前で整備班のうち一人が待ち構えていた。彼は船内の壁に取り付けられた奇妙な装置へと腕を通している。

 それは、機械的に作られた巨大な腕の形をしていた。まるで幻晶騎士の腕だけを取り付けたような、むしろそのまんまの代物だ。


「どっせぇぇぇい!!」


 彼は気合と共に装置へと向けて魔力を送り込む。

 要は、幻晶甲冑と同じだ。人間一人の魔力だけでは、幻晶騎士を動かすことはできない。しかし、その一部だけならばどうか?

 本来ならばそれでも足りないが、構造を極力簡素にすることでそれを解決してみせた。


 その目的は、単純だ。

 極めて簡単な作りの手を広げ、そのまま飛翔騎士をむんずと掴むと、船の外をめがけて“放り投げた”のである。

 出撃時に飛翔騎士同士が干渉することのないよう、ある程度の加速を与える装置。

 ある種の加速器カタパルトの役割を果たすのが、この“揚重腕機クレーンアーム”なのである。


 それからも彼は押し運ばれてくる飛翔騎士を次々と投げ飛ばしていたが、それも次第に疲労が色濃くなってゆく。


「ふぅ、はぁ……! まだだ、もういっちょ……」

「おいおい、へばってんじゃねぇか。交代しろ」


 揚重腕機はそうとうに構造を簡略化して作られているとはいえ、魔力の消耗は激しく一人での連続使用は荷が重い。

 にもかかわらず、彼はなかなか交代しようとはしなかった。


「いや! まだまだいける!」

「うるせぇ、その状態でえらそうにいってんじゃねぇ。俺の番だろ! 代われってんだよ!」

「まだ、まだだぁ! もっと投げるんだぁ!」


 “飛翔騎士を掴んで投げ飛ばす(発進させる)”という揚重腕機は、なぜか整備隊のなかで大受けした。おかげでその役目を争っていたりするが、余談である。



 イズモから発進した飛翔騎士が、空に陣形を描き出す。その先頭を進むのは、アディのシルフィアーネだ。


「うわぁ、本当にいっぱいいる。ちっさいのばっかりで面倒そうね!」


 彼女は、後ろに続く教え子たちへと魔導光通信機の信号を送る。

 指令を受けて、飛翔騎士隊はシルフィアーネについてゆく隊と逆側に回り込む隊に分かれた。


「私たちは、外側から削る。一か所に追い込んでから、法撃戦仕様機で叩くのよ。いくわよ、ついてきなさい!」


 マギジェットスラスタの吐く爆炎も高らかに、飛翔騎士たちは魔獣の群れへと突撃していった。

 魔導兵装により撃ち落とし、すれ違いざまに騎槍ランスで穿ち潰す。彼らは空を縦横に駆けながら、魔獣を倒していった。

 そうして左右から攻撃を加えられた魔獣の群れが、中央に集まりだす。


 この小型の魔獣は、見たなりにたいした攻撃力を持たず、耐久性もない。幻晶騎士の攻撃力にはとても耐えられない。

 しかし、もしこの数で群がられれば足の速い飛翔騎士はともかく、飛空船が危険である。万が一船が落ちれば、飛翔騎士は帰る場所をなくす。

 敵は強くないにもかかわらず、飛翔騎士たちは強い緊張を感じていた。



 飛翔騎士の奮戦により数を減らしながらも、群れは飛空船へと近寄っていった。


「……法撃戦射程内。打ち払いなさい」


 イズモの上部甲板に立つイカルガが、指揮杖代わりに銃装剣ソーデッドカノンを振り下ろす。

 その瞬間、飛翔騎士に追い立てられひとかたまりとなった魔獣の群れへと、法撃戦仕様機による仮借ない法撃が浴びせられた。


 空に淡い尾を曳きながら、法弾が飛翔する。それは次々に爆発を花開かせ、炎の花弁で魔獣を焼いた。

 イズモを通じて大容量の魔力を共有した法撃戦仕様機は、絶え間ない法撃が可能だ。


「ええい、細かいばかりで数が多すぎる! 全部は押し止め切れないぞ!!」


 しかし、そのうちに法撃戦仕様機隊から悲鳴が上がった。

 雲霞のごとくわだかまる魔獣の群れに対しては、さしもの法弾幕も押し切れない。群れは、着実に飛空船との距離を狭めてゆく。


「……皇之心臓べへモス・ハート、最大出力」


 ひときわ大きな吸排気音を轟かせ、エルはイカルガに攻撃態勢を取らせる。

 両手に銃装剣を構え、さらに背後の四本腕にも。合計六挺の銃装剣が、魔獣の群れを睨む。両足を踏ん張り、マギジェットスラスタは動かさずに大量の魔力の全てを銃装剣へと注ぎ込んだ。


「イカルガの真価は、手数よりもその一撃の力にある。狙うならこちらです」


 次の瞬間、眩い光を放ちながら轟炎の槍が彗星のごとく、空を翔けた。

 それは進路上にある小型魔獣を食い散らかしながら、一直線に進む。その先にあるのは、魔獣たちの巣だ。


 威力と共に射程にも優れる轟炎の槍は、離れた距離を飛び越えて巣に直撃した。

 強烈な熱量が表層を穿ち、橙に輝く法弾が内部へと侵徹する。直後、内蔵された魔法術式スクリプトが、その記述に従い変化を起こした。

 炸裂した爆炎が、巣の内部から噴き上がる。


 巣へと届いた轟炎の槍は一本だけではない。何本もの槍が突き立ち、爆ぜ、やがて巣は炎に包まれ内部から粉微塵に爆砕された。

 燃え盛る巣の破片が、ばらばらと落下してゆく。


「さて、あなたたちの巣が危険ですよ。どうします……?」


 迫る群れの様子を横目に、イカルガは銃装剣を撃つ手を止めない。轟炎の槍が続々と飛翔し、さらに巣を破砕していった。


「これは……魔獣どもの動きが!」


 そのうちに、船団へと迫っていた魔獣の群れに変化が起こる。

 それまではひたすらに飛翔騎士や船へと襲い掛かる動きを見せていた魔獣たちが、やにわに進路を変えたのだ。攻撃を浴びて数を減らしながらも、魔獣たちはいっせいに来た道を戻ってゆく。


 やがて法撃の射程圏から離れ、巣のあるところまで戻りついた魔獣たちは、無事に残る巣へと入ることはせず外側へとへばりついていった。

 そうしているうちに、巣が徐々に移動を始める。


「あれは、魔獣を推進力にしているのか」


 大量の魔獣をへばりつけたまま、巣は船団から遠ざかってゆく。

 かなりの大きさがある巣だが、魔獣たちも大量にいる。やがてどんどんと速度を上げ、その姿を霞ませていった。


「深追いは無用です。船団が安全ならばよし、殲滅を目的にしているわけではありませんからね」


 イズモと飛翔騎士は警戒は緩めずに、離れてゆく魔獣の巣を見送る。

 魔獣の群れが飛空船へと辿りつく前に引き返したため、損害はないに等しい。飛翔騎士たちも無事だ。

 魔獣の性質を考えれば、奇跡のような結果だった。


「一時はどうなることかと思ったが、事なきを得たか」


 紫燕騎士団の旗艦にて、トルスティは安堵の長い吐息をつく。

 例えば陸皇亀べへモスのような単体で強力な魔獣ではなく、まさか数を頼む相手と遭遇しようとは。魔獣の巣という弱点を突くことができなければ、最低でも船の一隻くらいは損失を覚悟することになっていただろう。

 彼は、視線をイズモの上に立つ鎧武者へと転じる。


「……あれが、イカルガ。銀鳳騎士団長専用騎。乗り手に比べて、ずいぶんと勇ましいいでたちだ。しかも先ほどの法撃は、でたらめとしかいいようがなかった」


 銀鳳騎士団の名は、その戦闘能力の高さでも知られている。しかしその団長エルネスティは、むしろ新型機開発の功績を中心に語られてきた。

 それだけでも他の追随を許すものではないというのに、さらに彼とその乗機が、これほどまでに恐るべき力を有していようとは。

 彼を含めた銀鳳騎士団という集団が、如何に桁外れのものであるか。まざまざと見せつけられる思いだった。


「陛下も頼りにしようというもの。彼がこの船団を護ってくれるのは、心強いとしか言いようがないな」



 名前もわからない魔獣との遭遇から後、船団はその警戒を密にしながら進んでいた。

 どのような異常も見逃さないつもりで、極力危険を回避しようとする。

 その努力は実を結び、それからもたまに空飛ぶ魔獣に遭遇することもあったが、その多くは迂回することで事なきを得ていた。


 仮に戦闘になったとして、飛翔騎士二個中隊、法撃戦仕様機にイカルガを加えた鉄壁の護りを貫くような魔獣は、そうはいない。

 無数の数で押す魔獣が、特殊な部類だったといえよう。


 そうこうしつつ、空の旅は二か月の時を無事に刻み終えた。


「なかなか、地図も広がってきましたね」

「いくらか危うい場面はあったが、迂回路の構築のために必要な情報も集まっている」


 騎士団長たちは二人して、手元の地図を覗き込む。

 この“航空図”には、彼らが辿った道筋と、周辺の地形が書き加えられている。出発時点に比べて、ずいぶんと情報と書き込みが増えていた。


「それに、森には思ったほど魔獣が多くないようだな。空から見た感じではあるが、それほど強力な個体もいないようだ」


 師団級に分類されるような超級の魔獣は、相応の巨体を備えているのが普通だ。そういった存在は、遠目に見ても容易にわかる痕跡を残す。

 空から確認できないのならば、まずそこまでの魔獣はいないのだろう。


「物資には十分に余裕があります。しかし、このままどこまで手を広げるべきかは、少し考えどころですね」

「飛空船ならば容易い距離でも、さすがに陸を進むのは困難だろう。この地図をもとにしたとして、一気に進むとは考えにくい。そう思えば、余裕のあるうちに戻るべきかもしれないが……」


 彼らは意見を交換し、その後の方針を定めてゆく。

 魔獣との戦いも少なくなり、最初の緊張は過ぎ去りつつある。さらに空での生活が続き、騎操士や整備隊も陸への郷愁を覚え始めた頃合い。

 一度成果を持ち帰らんと、船団を帰還させようとした矢先に、それは起こった。

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