#70 王都奪還戦・終結

 地上にてかわされる戦いの多くに決着がつかんとしている頃、空の上もまた佳境を迎えていた。


 戦場の上空に浮かぶジャロウデク王国軍旗艦“ストールセイガー”。

 不安定な船の上にて対峙する、二機の幻晶騎士シルエットナイト――イカルガとアルケローリクス。かたや銀鳳商騎士団の旗機、かたやジャロウデク軍の大将機。共に戦場を背負う者同士の戦いだ。


「この俺を、そこらの雑兵と一緒にするなよ。アルケローリクスの力……受けてみよ!」


 風音吹きすさぶ空の戦場において、先に仕掛けたのはクリストバルが操るアルケローリクスであった。

 雄叫びを残し、アルケローリクスが全力で駆ける。なにしろ戦場は狭い飛空船レビテートシップの上、最初から剣が届きそうな距離にある。駆け引きや温存など、ほとんど無意味でしかない。

 アルケローリクスの魔力転換炉エーテルリアクタが高鳴り、綱型結晶筋肉ストランド・クリスタルティシュー魔力マナを力へと転化する。最高級機の証たる、しなやかで鋭い動きをもってして、これ以上は望めないであろう鋭さで斬撃が繰り出された。


 致命の威力を秘めた攻撃を、しかし鬼神イカルガはあっさりと受けとめる。

 イカルガの出力は、重量機であるティラントーをも凌ぐ。使っている得物も重量のある銃装剣ソーデッドカノンだ。その上、エルの異能ともいえる強烈な演算能力をつぎ込んだ直接制御フルコントロールによって操られるイカルガは、反応速度においてすら他の追随を許さない。

 格闘戦においては、最初から性能の桁が違うのだ。

 漫然と立ち尽くしているように見えて、あっさりと剣を受け止め捌いてゆくイカルガの姿に、クリストバルは激しい苛立ちを感じ額に青筋を走らせた。


「ならば……これで、どうだ!!」


 アルケローリクスがさらに剣を振るう。しかし、次はただの格闘ではなかった。剣と同時に背面武装バックウェポンを起動し、猛烈な勢いで法弾を叩き込んだのだ。

 必殺を期した烈火のごとき攻撃。敵がただの幻晶騎士であったならば、確実に決着がついていたであろう。

 しかしそれでも、鬼神には届かない。

 圧倒的な出力に支えられ、重いはずの銃装剣が軽やかに舞い踊る。それは襲い掛かる法弾を呆気なく弾くと、その間を縫って伸びてきたアルケローリクスの剣をついでのように叩き折った。


「なんだ……。なんだ、こいつは! この俺の攻撃をこうも容易く……児戯だとでも言うつもりか!?」


 よろよろと機体を後退させながら、クリストバルが呻く。予備の剣を引き抜きながら、彼は次の手に迷っていた。

 剣による攻撃、そして法撃を加えてすらかすりもしなかった。全力をこめた一手を平然と受け流され、それ以上の手札がないのだ。

 彼自身は頑として認めないのだろうが、頭のどこかで既に勝機を見失いつつある。鬼神は敵とするには、全てがあまりにも出鱈目に過ぎた。


「では、そろそろ、こちらの番ですね」


 立ちすくむアルケローリクスを眺め、エルはようやく動き出した。死の宣告を追いかけて、マギジェットスラスタが叫びのような吸気音を響かせ始める。

 クリストバルが抱いた戦慄など露知らず。無造作に銃装剣を構え、鬼神イカルガは何の気負いもなく、当たり前のように足を踏み出した。

 それだけで、クリストバルは心の臓を鷲掴みにされるような感覚を覚える。銃装剣が振られる時、それが彼の最期になるだろう。彼の戦士としての直感が、そんな予想を強く訴えていた。そしてそれを否定するだけの材料を、彼は持ち合わせていない。


「……待つがいい、鬼神の騎操士ナイトランナーよ! 貴様は魔獣番フレメヴィーラの者だろう。何故だ。何故クシェペルカなどに力を貸す! 王族同士の縁か!? それともまさか魔獣番が、この土地を狙ってのことか!?」


 ならばとばかりに、追い詰められた彼は剣の代わりに言葉を振るった。弁においては兄に何歩も譲る彼であるが、贅沢を言っていられる状況ではない。


「いいえ、縁をたぐって来られたのは若旦那でんかのほうですよ。僕は騎士として剣を振るいつつ、ついでに幻晶騎士同士の戦闘まつりを楽しんでいるだけです」


 凶悪な面相を貼り付けた鬼神から聞こえる、あまりにも場違いに可憐な声に混乱しながらも、クリストバルはその答えの中に微かな光明を見出す。


「ハ、ハハ! 貴様自身は国も信条も関係なく、か。ならば、その化け物幻晶騎士を連れて、俺の下へ来い! その力、ただの騎士としておくには、あまりにも惜しい。俺につけば、望む地位を授けようではないか! さらにだ、我がジャロウデク王国が目指すは古の大国ファダーアバーデンを受け継ぐこと。それが故に、この西方諸国オクシデンツ全てを飲み込むまで戦うつもりよ。ならば鬼神、貴様が望むだけの戦場を用意することが出来よう! どうだ!?」


 それは、傲慢な性質を持つ彼にしては、それなりに真摯な説得であったと言えよう。どのように伝わったものか、返事があるまでに数瞬の間があった。


「ふむ。これでも僕は、国許においてはそれなりの地位をいただいているのです。あなたに見合うものが、用意できるのですか?」


 無下に拒絶されるかと思いきや、予想を超える手ごたえを感じ、クリストバルは俄然勢い込む。


「くく、そんな心配は無用だ。俺は第二王子にして、ジャロウデク王国軍の大将なるぞ! 我が国の力は、魔獣番のごとき田舎国家とは比べ物にならん。かつての“倍”の地位とて造作もない! そうだな……どうだ? 望むならば、爵位も用意しようではないか!」


 アルケローリクスが、まるでイカルガを迎えるかのように大きく腕を広げた。その操縦席で、クリストバルの笑みがどんどんと深くなってゆく。

 彼は鬼神の返事を交渉、つまり“値段の吊り上げ”であると受け取っていた。そうであるならば、鬼神は彼の提示した餌に食いついているということだ。そうして見れば、既に得ている地位と同等以上のものを用意すると言うのは、交渉においては当然の選択肢である。

 彼は成功を確信していた。ここで彼が提示した条件は、およそ破格などという段階ではないほど、剛毅なものだったからだ。


 単騎で飛空船を相手にしうる幻晶騎士の技術と、それを操る強力な騎操士。それがあれば、この追い詰められた状態からの起死回生の一手となりうる。

 それと引き換えならば、爵位など安いものであった。なにしろ、足元にはいくら与えても惜しくない、クシェペルカ王国という“広大な土地”があるのだから。


 そうして尊大さを取り戻し始めていたクリストバルの自信に満ち溢れた態度を、エルの次の一言が無残に打ち砕く。


「ほうほう。では……ジャロウデク王国における幻晶騎士の開発製造に関する全権、及び流通を管理する権限、あとは全ての騎士団への優先指揮権を僕にいただける。と、いうことですね?」


 クリストバルは我が耳を疑い、思わず黙り込んだ。さらに戸惑い、やがて頭に血が上り、ギリギリと拳を握り締める。


「なん、の……冗談だ? いくらなんでも一介の騎士が……いや、たとえいかなる爵位を持とうともだ! 国王以外が、そのような権限を持てるはずがないだろう! 馬鹿にしているのか!?」

「いいえ? なんの冗談でもありませんよ。実際に、僕は国許においてそれだけの権限を有しています。ここに連れている騎士団は、僕がすぐさま動かせる兵力にすぎません」


 言いながら、エルが浮かべているのはひどく意地の悪い笑顔だ。彼の言葉を追いかけて、鬼神が指折り数え始める。


「まず、国内における幻晶騎士の開発製造に関しては陛下の代理として同等の命令権を持っていますし、そもそも基礎開発の大半は僕が陣頭指揮をとっているようなものですし。流通にも口を出せます、面倒なのでやっていないのですけど。国内の騎士団への優先権にしても、こと上級魔獣災害においては全騎士団に対する指揮権限を有しています。場合によっては、陛下よりも優先されるものですよ? あ、でも領地の管理なんてしたくないので、爵位は要りませんね」


 アルケローリクスに乗っていたことは、ある意味で幸運だと言えた。なぜならその時クリストバルは、威厳のかけらもない間抜けな表情をさらしていたのだから。


 鬼神が告げた言葉は、完全に彼の理解を超えていた。いったいどこの“王国”が、“国王”が、爵位も持たぬただの騎士にそれだけの権限を与えるというのか。

 このような要求を飲むことは出来ないし、仮に飲むとすれば、それは王族クリストバルと同等の立場を与えるという形でしか実現できない。決して認められるものではなかった。


 当たり前のことながら、彼はエルがこれまでに積み上げてきた度外れた功績を知らない。国難に対する最終防壁としての信頼を、理解できない。たった一人で国の有様すら変えたロボット狂の異常な情熱など、想像のはるか外だ。

 クリストバルは二の句を失っていた。彼自身も理由がわからぬまま、その全身を震えが駆け上がってゆく。


 黙り込んだ敵を前に、その結果を予想していたエルは少し意地悪が過ぎたかと腕を組む。


「生き残りたいのなら、どうでしょう? 幻晶騎士を降りてもらえれば、僕は攻撃しませんよ。もちろん、機体はいただきますが」


 その言葉は、エルにとって精一杯の“優しさ”と言えた。純粋なロボット狂である彼の中に“敵対する幻晶騎士ロボットへの手加減”は存在しない。しかし逆に言えば、幻晶騎士を降りてしまえば攻撃対象ではなくなるどうでもよくなる


「……おのれ……どこまでも、どこまでも馬鹿にしおってぇ! 我らが覇道を邪魔しようなどと、いかなる力を持とうとも所詮は愚物よ!! この狂人めが、貴様ごときの慈悲にこの俺が縋ると思うてかぁっ!!」


 だが、その頃にはクリストバルの精神は限界を迎えていた。当たり前のようにエルの狂った優しさは伝わらず、ただの最後通牒にしかならなかったのである。

 彼は足場も力の差も頭になく、ただ激情にかられてがむしゃらな攻撃に出た。アルケローリクスが予備の剣を振りかざし、法撃を放ちながら突撃をかける。

 今度は、イカルガは受けるだけではなかった。マギジェットスラスタが猛り、足場など関係のない機動により法撃をかわす。次の瞬間には爆発的な加速とともに踏み込み、銃装剣を振るいアルケローリクスの剣ごと右腕を粉砕した。


 強烈な衝撃をくらったアルケローリクスが、平衡を崩し踊るようによろめく。その間に視界の外を飛翔した“執月之手ラーフフィスト”が、アルケローリクスの脚へと突き立った。直後、吹き上がった獄炎が両脚を爆砕する。

 瞬くほどの間に手足と戦闘能力を失ったアルケローリクスが、飛空船の上に落下し転がっていった。そのまま端から転げ落ちそうになるのを、イカルガが踏みつけて止める。


「駄目ですよ。僕は幻晶騎士ロボットを相手にして手加減をするのが、苦手なのですから。これが最後の機会です。幻晶騎士を降りて、明け渡しませんか?」


 散々に転がされたアルケローリクスの操縦席で、クリストバルは朦朧とする頭を振っていた。

 意識がはっきりすると共に、敗北が実感として彼の中に染み込んでくる。途端、沸き立つ血潮の流れを感じ、彼は衝動的に操縦桿を振るった。

 アルケローリクスに唯一無事に残された左腕が、イカルガの脚を殴りつける。拳が潰れるほどの威力で振るわれた一撃がイカルガの脚を退け、支えを失ったアルケローリクスは飛空船の上を転がり、ついに空中へと飛び出した。


「ははははははは、ははは……! 化け物め! この俺が、貴様の思い通りになどなるものか! 俺は貴様に負けてなどいない、己の意思で、誇りある最期を選ん……!!」


 言い終わる前に、アルケローリクスが地面へと到達した。衝撃が土煙を吹き上げ、その全身を破砕する。いかに強化魔法を利用した幻晶騎士といえど、高空から落下して耐えられるものではない。


「この空飛ぶ船ですとか、あなたがたの兵器にはなかなか楽しませてもらいました、“良い戦場でした”よ。ささやかですが、あなたにも“良き来世”がありますよう、お祈りしていますね」


 旗機と共に呆気ない最期を迎えたジャロウデク軍総大将クリストバルへとほんの少しの言葉を捧げると、エルはイカルガを振り向かせ、次は銃装剣をストールセイガーの司令室へと向けた。形を変え凶悪な魔導兵装シルエットアームズが剥き出しになり、兵士たちを睨みつける。


「そろそろ出し物も尽きたようですし、ここらで幕を下ろすとしましょうか。この船を動かしている者たち、聞こえていますね? すぐさま船を降ろし、明け渡しなさい。ご覧のとおり、抵抗は無意味です」


 それまで呆然と成り行きを眺めていた船員たちは、電撃に打たれたかのようにビクリと震える。

 アンキュローサは破壊され、アルケローリクスも墜ちた今、抵抗の術は何一つ残っていない。彼らはすぐさま降伏の意思を示した。


「ああ……あれは……馬鹿な、ストールセイガーが……!」


 ストールセイガーがジャロウデク王国旗を掲げた帆をたたみ、ゆっくりと地上へと降りてゆく。その光景は、地上で戦うジャロウデク軍へと激しい動揺を与えた。

 搭載している幻晶騎士を降ろすわけでもないのに、飛空船が戦場のど真ん中へと降りることはまずありえない。さらに旗をたたんだのだ、それが降伏の合図であることは誰の目にも明らかであった。


 旗艦が降伏する。それは当然、彼らの総大将が敵の手に落ちたと言うことを意味していた。

 敵国王騎がある本陣に対する、飛空船を用いた直接襲撃。乾坤一擲の行動は、失敗に終わったのである。


 混乱広がるジャロウデク軍に対し、一気に勢いづいたのが新生クシェペルカ軍だった。困難を跳ね返した末に窮地は勝機へと変わり、彼らの目前で燦然と光放っている。


「全軍、このまま前へ……! もう少し、私たちの王都を取り戻すのです……!!」


 国王騎が指揮杖を振り、攻勢を命じる。新生クシェペルカ軍に属する全ての騎士が、それに応じ喊声を上げた。

 もとより微妙な均衡の上にあった戦場は、片方が勢いを強めたことで容易く天秤の針を傾け始める。女王の指揮の下、攻勢を強める新生クシェペルカ軍に対して、ジャロウデク軍を率いることの出来る者はもういない。

 前線の指揮官たちが奮戦しかろうじて戦場を支えていたが、それも時間の問題だった。


 黒騎士は次々に倒れ、大量の魔導飛槍ミッシレジャベリンを受けた飛空船が墜ちてゆく。加速度的に被害を増しながら、ジャロウデク軍からは戦力が失われ続けていった。

 新生クシェペルカ王国の勢いを止めることあたわず、彼らは瓦解する寸前である。


「くそう……駄目だ。後退しろ! 既に勝ち目はない……一機でも多く、逃げ延びるんだ……!」


 次第に戦場からは戦いと呼べるほどの規模が失われてゆく。平原に、新生クシェペルカ王国の旗が誇らしげに翻っていた。

 僅かに生き残った黒騎士や飛空船は、クシェペルカ軍の追撃からほうほうのていで逃げ出してゆく。それはもはや軍としてはまともに機能しておらず、ただばらばらに千切れた、壊走そのものだった。


「ジャロウデク軍を追え! 侵略者どもを、残らず我らが大地より追い出すのだ! 新生クシェペルカ王国万歳! 女王陛下万歳!!」


 新生クシェペルカ軍からあがった勝ち鬨が、決戦の舞台となったコデルリエ平原へと轟く。

 レーヴァンティアを中核とした格闘打撃部隊が、ジャロウデク軍の残党を追い散らしながらさらに進撃していった。

 彼らの最終目的は、旧王都デルヴァンクールの奪還だ。

 大西域戦争ウェスタン・グランドストームの始まりを告げる合図となった、旧王都デルヴァンクールの陥落。この地はクシェペルカの滅びの象徴であり、同時にジャロウデク王国による支配の象徴でもあった。

 その奪還は、女王エレオノーラのみならず、クシェペルカの民全ての悲願である。


 ジャロウデク軍は散り散りに逃げてゆき、新生クシェペルカ軍の進路を阻むものはいなくなった。


「……お父様。ここまで、戻ってまいりました……」


 レスヴァント・ヴィードが城壁のように並び、レーヴァンティアが周囲を固めるなか、国王騎“カルトガ・オル・クシェール二世セカンド”が、デルヴァンクールの城門をくぐる。

 街中に掲げられた旗が次々に差し替えられてゆき、元の主が帰還したことを、全ての民へと知らしめたのだった。


 こうして、新生クシェペルカ王国は奪われた王都をその手に取り返した。直後に、彼らは仮の王都であったフォンタニエからデルヴァンクールへの遷都を発表する。

 緒戦を一方的なものとしていたジャロウデク王国の敗退と撤退。それにより大西域戦争は、大きくその流れを変貌させつつあったのだった。




 デルヴァンクールへと、新生クシェペルカ王国の旗が押し寄せている時。

 王都の一角に設けられた飛行場より、静かに飛び立ってゆく一隻の飛空船があった。アンキュローサすら積まぬ、通常の飛空船だ。

 飛空船の大半を保有する鋼翼騎士団は、ジャロウデク軍の主力としてコデルリエ平原へと進軍していった。この船は、騎士団とはまったく異なる所属にある。


 その司令室では、船を操る気弱そうな男が船長席にだらしなく座る人物へと問いを発していた。


「……工房長。我々は本当に、逃げ出してしまってよかったのでしょうか。黒顎騎士団を連れて出撃された殿下は戻らず、代わりにクシェペルカの旗が押し寄せるというのは、その……」


 それまではぼうっと船長席に沈み込んでいた男が、話しかけられて、いかにも眠たげな視線を返す。

 ジャロウデク王国中央工房長、オラシオ・コジャーソである。その立場にもかかわらず威厳に乏しいよれよれの服装をした彼は、いかにもやる気なさげに会話に応じていた。


「まぁ、そういうことだろうなぁ。残念ながらこの王都は取り戻されちゃった、ってわけだ。それとも何か、徹底抗戦のほうがお望みだったか?」

「いえ、そのようなことは……」


 気弱そうな男はまだ若い風貌の中に、どこか迷いのようなものを残していた。それを見たオラシオは、面倒くさげに溜め息を吐く。


「我々技術者が残ったとしても、どうしようもない。戦闘の役になんぞたたんし、まさか殉死なんて柄でもなかろうに。それよりも我々の技術を本国に持ち帰ってこそ、後につながるんだ。これは戦略的な考えに基づいた行動だよ。殿下がご無事ならば、きっと同じことをお命じになっただろうさ」


 オラシオの言葉は、確かに正論ではあった。しかし、明らかな負け戦だからといって、“いの一番”に逃げ出すことに、思うことはないのだろうか。

 彼の態度を見て若い男はどこか釈然としないものを感じていたが、さりとて自身も生き残りたいということには変わりなく、彼は無理やりそれ以上の言葉を飲み込んでいた。


 その様子を船長席からぼけっと眺めながら、オラシオは口の端を吊り上げる。


「とはいえ、この敗北は手痛いにもほどがある。これからどうするかは、“カルリトス殿下”の胸先しだいかねぇ」


 脳裏を過ぎる、鋭い風貌をした男の顔。クシェペルカ王国の侵略が極めて困難になった今、国許の国主代理がどのように動くのか、彼にはわからない。


「しかし“クリストバル殿下”のほうにはストールセイガーを与えてあったっていうのにさ。急造とはいえ、なかなかの自信作だったのにねぇ。やっぱり墜ちちまったのかねぇ」


 ギシリと軋みをあげるかのように、彼の表情が笑みの形に歪む。その内容とは裏腹に、その口調に“惜しい”という感情は、欠片も感じられなかった。


「まったく、空に上がるのも大変なもんだ。しかしいい教訓を得ましたぜ、殿下。馬鹿正直に大きさや装甲を増したところでただの的にしかならないし、積載も決定打にはならない。法撃型による防御も頼りない……。火力、装甲、速度。完璧な飛空船には、そのすべてが必要ってことがね」


 呟きつつ、オラシオの視線が足元へと投げかけられる。

 足元――飛空船の格納庫の中には、彼が作り上げた“切り札”が載せられている。確かに護身という意味もあったが、これを持ち出すためにこそ、彼はいち早くデルヴァンクールより逃れたのだ。


 それに、このまま自分たちだけがジャロウデク王国本国へと逃げ帰れば、彼はクリストバルを見捨ててきたとして何らかの罰を受けるかもしれなかった。

 この“切り札”には、それを黙らせるだけの力がある。まさに今の彼の全てといえる代物だった。


「まだだ。まだ空を俺のものにするには遠い……何者にも阻まれない、最強の船を作り上げる。ひとまずここは、いい勉強をさせてもらったとしておくかねぇ」


 オラシオの不穏な呟きは、騒々しさの中に掻き消される。

 騎士像フィギュア・ヘッドが出力を上げ、飛空船は一路西を目指してさらに速度を上げていた。


 そうして起風装置ブローエンジンの唸りも高らかに彼の船が飛び去った後、デルヴァンクールの周辺にはどこからともなく雲が流れ出してきた。

 新生クシェペルカ軍とジャロウデク軍が衝突していた時には晴れ渡っていた空も、次第に重い色合いを増してゆく。

 やがて地面を叩く冷たい音と共に、雨粒が舞い散り始めた。それは戦場の熱を覚ますかのように、しとしとと降り続いたのであった。





 雨音跳ねる景色の中を、大げさな荷物を担いで歩く、一人の人影があった。

 若い男だ。彼はじゃらじゃらと腰に下げた剣を鳴らしながら、背負った重い荷物を引きずるようにして森の中を進んでゆく。


 いや、ようく見れば彼が担いでいるのは荷物ではなかった。人だ。

 若い男は、もう一人がっしりとした体格の男を担いで、歩いていたのだった。


「…………ぬぐっ、うう……」


 雨音のみが支配する森の中に、背負われた男の呻き声が漂う。

 背負われた男の姿は、ひどいものだった。彼が纏う革鎧はあちこちがぼろぼろになり、服も黒く汚れきっている。その下には、黒ずんだ色に染まった布が乱暴に巻きつけてあった。

 さきほどの呻きは、布の下に隠された傷の痛みが、男へと与えたものである。


 若い男は、背後から聞こえてきた声に気づき、いくらか雨をしのげそうな大木の下に入ると、荷物をゆっくりと降ろした。


「……おう、気がついたかい、養親父おやじ。痛みでも何でもいいからよ、まずはしっかりと意識を保ってくれよ」


 そう、グスターボ・マルドネスは、養父ちちおやであるドロテオ・マルドネスを見て言い放っていた。

 木にもたれかかり呻いているドロテオもそうだが、グスターボも到底無事には見えなかった。装備は養父に負けぬほどぼろぼろで、ところどころに負った傷には乱暴に治療を施した痕がある。


「……グスターボグストか……。ここは……? ぐぅっ……なぜだ。わしは……戦いに、敗れたのでは……?」


 いまだはっきりとしない視界と思考のなか、何度か目をしばたいたドロテオが、かすれた声で問いかける。


「ああ、そりゃあ俺っちもおんなじさ。ソードマンはやられっちまったけど、なんとか這い出してさ。ついでに養親父おやじがブッ飛ぶのが見えたんでよう、隙を見て引っ張り出して逃げてきたんよ」


 ドロテオの乗る黒騎士ティラントーは、金獅子の必殺兵装“獣王轟咆ブラストハウリング”の直撃を受けて破壊された。しかし黒騎士ティラントーは大破し戦闘不能になりながらも、その頑強さをもって騎操士を守り抜いていたのである。


 グスターボのソードマンも、グゥエラリンデとの戦闘で破壊され大破したものの、敵へも相当の損傷を与えていたことにより止めを刺されることなく捨て置かれていた。

 そうして一足先に逃げ出していた彼は、黒騎士が破壊されるのを見て取り、生きてはいれども意識を失っていたドロテオを戦場から助け出したのである。


「そうか……助かって、しまったのか」


 経緯を聞いた後も、しばらくは茫洋とした表情でいたドロテオは、いきなりカッと目を見開いていた。


「そうだ……殿下は。クリストバル殿下は、どうなされた!? ストールセイガーはどうなった! ……ジャロウデク軍は……負けたのだ、な」


 何よりも、グスターボが己を担いで逃げているという状況から、間をおかず彼は悟る。

 ジャロウデク王国軍の敗北と、そしておそらくはクリストバルが無事ではないであろうことを。彼は、仮にもジャロウデク軍の総大将だ。敵本陣に奇襲を仕掛けて敗北した折に、生存を望めるものではない。

 グスターボも押し黙り、ただ首肯だけを返していた。


「……ああ……殿下へと勝利を持ち帰ることが出来ず! あまつさえ! その身をお守りすることすら叶わぬとは……!!」


 傷の痛みよりも尚強い感情に、ドロテオは胸をかきむしり叫ぶ。

 なぜクリストバルを止めなかったのか。止めることができなかったのか。滲む涙に含まれるものは、後悔ばかりではあるまい。


 それをじっと見ていたグスターボが、不意に腰の剣を掴み、養父の前へと差し出した。


「このまんま、終わるわけにはいかねぇ。俺たちにはまだ剣が残っている! なぁ、そうだろう!? 養親父!!」


 やがて、じっと俯いていたドロテオが顔を上げる。血走った眼を見開き、彼は猛然と立ち上がった。


「そうだ……その通りだ! 斯くなるうえは、わしが殿下の仇を討たねばならぬ……!! クシェペルカ……いや、真なる敵は、魔獣番どもよ! なんとしても、あの化け物どもを討つ力を……!!」


 徐々に力を取り戻してゆく養父の姿を見上げながら、グスターボは、腰に下げた剣をじゃらりと鳴らす。

 その中には数本、明らかに汚れ、壊れているものすらあった。まるで“戦場”から持ち出してきたかのようである。


「ようし、“お前ら”も一緒にやろうぜ。あいつらに、借りはキッチリ、かえさねぇとな」


 決意を固め、彼も立ち上がり養父の横に並んだ。


「ならば、このようなところでぐずぐずとしている暇は、ないな」


 こうして、二人の黒騎士は歩みを再開する。デルヴァンクールは既に彼らが帰る場所ではない。その進路は、ただひたすらに西を目指していた。

 雨音はいっそう強くなり、彼らの足跡はぬかるみの中に消えてゆく。

 戦勝に沸き返るデルヴァンクールとは対照的に、静かにひっそりと、彼らは歩き続けるのであった。

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