#59 ご注文を承りました

 再び、場面は銀鳳商会を迎えた東方領へと戻る。

 銀鳳商騎士団の団長である、エルネスティ・エチェバルリアは語る。彼の話を聞きながら東方領の騎士たちは一様に奇妙な思いを抱いていた。それは東方領の領主フェルナンドであっても同様だ。

 背が低く幼い子供のようにしか見えないエルは、いかにも剛健な響きを持つ“団長”という肩書きにそぐわない。周囲の団員たちがまったく問題にしていないからには、それは間違ってはいないのであろうが。

 落ち着かない彼らを横に、エルの話は続く。


「順を追ってお話いたします……まず、ジャロウデク軍の使う黒騎士について。その特徴は突出した重装甲と出力。接近戦にやたらと強く、貴国のレスヴァントでは少々荷の重い相手と思われます」


 応接室に集まった一同は、表向き黙って説明を聞いているものの急速に表情を険しくしていた。彼らが誇るクシェペルカの幻晶騎士シルエットナイトはジャロウデク軍のそれに対して余りにも無力。それは事実だが、事実であることと素直に認められるかどうかはまた別の話だ。


「ではなぜ、敵はそれほどまでに強力な機体を作ることができたのでしょうか」

「……それがわかれば苦労はしない! いったい奴らはどんな手品を……」

綱型結晶筋肉ストランド・クリスタルティシュー。僕らはこの手品の種を、そう呼んでいます」


 こらえきれずに口を挟んだ騎士が奇妙な姿勢で停止した。エルは急かすでもなく焦らすでもなく、一定の調子で語り続ける。


「それは従来の結晶筋肉クリスタルティシューに特殊な編み方を施すことによって出力を高めたものです。僕たちの知る限りではこれまでの一.五倍程度の出力を出すことができますが、そのぶん燃費が悪く制御も難しい。扱いは簡単ではないのですけれども、ジャロウデクの技術者はそれを力尽くでねじ伏せたようですね。筋肉の量自体を増やし極端に攻撃と装甲を強化する、その相乗効果によって戦闘能力を一点集中で伸ばす……乱暴ですが効率的なやり方といえます」


 クシェペルカの騎士たちはしわぶきの音一つたてず、じっと彼の話に聞き入っていた。

 撃破した黒騎士もそう多くはない上に、勝利した戦場も皆無である彼らは黒騎士についてろくに調査もできていない。その仕掛けに関する情報は非常に大きな価値がある。


「他にも黒騎士は背面武装バックウェポンと呼ばれる特殊な機能を積んでいます。これは両腕を使うことなく魔導兵装を使用できるもの。これらの技術は……僕たちの機体にも使われています」


 静かに耳を傾けていたクシェペルカの騎士が、そこで初めて大きな反応を見せた。フェルナンドがざわめく周囲に先んじ、つと前に出る。


「今の話を聞くと、君たちは彼らの技術にずいぶんと通じているように聞こえる。一体、どういうことかな?」


 クシェペルカ側の視線は厳しい。圧倒的性能を誇るジャロウデク王国の幻晶騎士、そのからくりをいとも簡単に知らしめたばかりか自身も同様の技術を使用しているというエル、そして銀鳳商騎士団。疑わしく思われるのも無理はないだろう。

 フェルナンドは彼らに対して恩義を感じているが、この地の領主としての判断はまた異なるものだ。そこには、先ほどまでの柔らかな姿勢は欠片もみえなかった。


「種を明かせば簡単です。なぜなら、これらの技術は全て、元をたどれば僕たちのフレメヴィーラ王国で開発されたものだから」


 緊迫した雰囲気を知ってか知らずか、エルはあっさりと彼らの懸念を肯定した。

 非常に複雑な、多くの意味を含む沈黙が場に落ちる。クシェペルカの騎士の中でもその感情はさまざまだ。そんな彼らの中で口火を切ったのは、やはりフェルナンドであった。


「……興味深いね。続きを聞かせてもらえるかな。事としだいによってはいくら君たち相手とはいえ、穏やかに話していられないかもしれない」

「そうですね。ところで、皆様は数年前にフレメヴィーラ王国で大規模な魔獣災害があったことをご存知でしょうか」


 喉にへばりつくような濃密な緊張感をすり抜ける、唐突な話題の転換に何名かが顔をしかめた。笑みを浮かべたままのエルの背後では銀鳳商会の騎士たちが小さく表情を変えていたが、それに気付いたものはいない。


「師団級魔獣“陸皇亀ベヘモス”の襲来……僕たちは“陸皇事件”と呼んでいます。ベヘモスとは小山ほどもある巨大な魔獣、それにより僕たちは大きな被害を受けました。結果として大魔獣は倒せたものの、それまでに多くの騎士が命を落とすことになった。先ほど挙げた技術、これらはかの大魔獣との戦いから得られた教訓を元に編み出されたものです。再び同規模の魔獣災害があるときに備えて。僕たちは力弱くはいられませんから」


 彼の語る筋書きには、いくらかの真実といくらかの虚偽が含まれている。新型機を形作る技術の全てが、ベヘモスの襲撃と因果関係をもつわけではないからだ。ただしこれらの新技術は陸皇事件を含んだ全ての魔獣災害への備えという意味では、間違いとはいえない。

 そこでエルはわずかに目配せをし、続きを譲った。彼の後ろに控えていたエドガーが代わって話し始める。


「受けた傷を癒しながら我々は再び立ち上がり、大魔獣にも対抗しうる力を編み出した。ですが……そこで誤算があった。我が国に、知らぬうち密かに他国の手のものが入り込んでいたのです」


 話の流れが変わったことを感じ取り、フェルナンドはわずかに眉を動かす。


「それも彼らはずいぶんと以前から潜んでいたらしく。どうやってか我々の新技術に目をつけた。そして試作機が完成したところでついに動き出し、まんまとそれらを強奪していったのです」

「それが……」

「賊どもはオービニエを越えて逃げたところからして、行く先は“西方諸国オクシデンツ”のどれかだと簡単に予想できます」


 話に間をおいたところで、場に漂う空気はどちらともいえない、非常に微妙な均衡の中にあった。


「話の大筋は見えたな。その奪われた機体の行き着いた先がジャロウデク王国というわけか」

「まず間違いなく。やつらがこの技術を使っていることこそがその証左。これまで、我々がここにいるのは若旦那の縁故によるものに過ぎませんでした……ですが、今思わぬところで仇敵に出会うことができた」


 エドガーだけではない。ディートリヒが、エムリスが、銀鳳商騎士団の全員がいつの間にか立ち上がっていた。


「やつらが試作機を奪っていった手口は……忌むべき絶対の禁である“呪餌カースドベイト”をばら撒き、周囲の魔獣を呼び寄せるというもの。……恥知らずにも魔獣を無辜の民へとけしかけて騎士をおびき寄せ、その隙を突いて砦へと攻め入ったのです。さらに逃げ道にまで呪餌を撒き、大きな災害を引き起こした上で!」


 エドガーはいつしか拳を握り締め、言葉に力をこめていた。“呪餌”とは特殊な製法により魔獣をおびき寄せる香りを発する餌のことだ。その性質上、フレメヴィーラ王国においては徹底して禁忌とされ唾棄されるべき存在である。

 かつて銅牙騎士団が用いた、この悪辣な手段は彼らにとって決して許しがたいものであった。そのときを思い出したのだろう、エドガーの表情はこわばり、端々に滲み出る感情が彼の怒りのほどを強く表している。

 そんなエドガーを制して、エムリスが前に出た。彼はいつになく真剣な表情を浮かべ、まっすぐにフェルナンドと向かい合う。


「……叔父貴、お聞きのとおりだ。貴国を襲った災いに、俺たちはいくらかの責を負っているかもしれない……が、ジャロウデクは俺たちにとっても禁忌を犯してまで攻めてきた憎むべき敵、不倶戴天の仇敵だ。この戦い、やつらを倒さないことには収まらない」


 フェルナンドは感情を見せない静かな面持ちで、つかの間思考に沈んだ。クシェペルカの騎士たちは緊張の面持ちで、彼らの主を見つめている。

 銀鳳商会のもつ情報は、ジャロウデク王国を支える秘密のヴェールを大きくはがすもの。その技術を得ることができれば、劣勢に陥る一方の状況に歯止めをかけることも不可能ではない。

 フレメヴィーラ王国に独特の魔獣と人々との関係は他国人である彼には理解しづらいものだったが、ジャロウデクの間者が用いた手段が極めて卑劣であったことは理解していた。それに対してフレメヴィーラ王国の人間が心底激怒しているということもだ。

 利益の面でも、感情的な面でも両者の目的は一致しているといえる。フェルナンドは答えを得て、ひたと銀鳳商騎士団の面々を見回す。


「……なるほど、君たちの事情はよくわかった。かの侵略者どもは私たちにとって等しく許しがたい敵であるということだね」

「そのとおりだ。俺たちは原型オリジナルを持っているからこそ、やつらの黒騎士に負けない騎士を作ることができる。それが、答えだ」

「ああ、ぜひともその力を私たちに貸して欲しい」


 フェルナンドは大きく頷くとともに手を差し出した。エムリスはニィッと笑みを浮かべると、その手を握り返す。


「そうこなくっちゃな、叔父貴! 任せな、これ以上ジャロウデクのやつらにでかい顔はさせないぜ!!」


 部屋の中にいた者はクシェペルカ王国、銀鳳商会の別なく立ち上がり、場に大きな拍手と歓声が満ちた。共通の敵を得たことにより彼らはよりいっそう強い絆で結ばれ、共にこの難事に立ち向かうことを誓い合ったのである。




 旧クシェペルカ王国東方領の領都“フォンタニエ”に存在する工房。ジャロウデク王国との戦争中であるため、ここ最近の工房はただでさえ昼夜を分かたず稼動を続けていた。

 その上、今この場所はただならぬ熱気に支配されている。その熱気の源は、工房内を動き回るとある機械にあった。

 全高およそ二.五m、人が身につける鎧とは似ても似つかない無骨な形状をもち、搭乗者の魔力マナを動力として綱型結晶筋肉で全身を駆動させる、純粋な作業機械。

 フレメヴィーラ王国で使われているものとは多少形状に差異があるが、それは間違いなく幻晶甲冑シルエットギア“モートリフト”であった。この場所で作業する鍛冶師たちの大半が、このモートリフトを使用して鍛冶作業をおこなっているのである。


「おう、そこ! 魔力切れんなってるやつがいる、少し休ませてやれ! 忙しいつっても無理はすんな、余計な手間がかかんぞ! ……最初は少しゆっくりでもいい、すぐに嫌でも慣れることになるからよ!」


 工房に満ちる鍛冶作業に伴う騒音すら貫いて、威勢のいい怒鳴り声が飛ぶ。その声に方々からこれまた大声で返事がくる。

 幻晶甲冑を用いた作業に慣れていないクシェペルカの鍛冶師たちは、ほうっておくとすぐに限界を迎えてしまう。先ほどの怒鳴り声の主はしばしば周囲の作業を見て回り、無理の見える鍛冶師を諌めてまわっていた。

 さらに驚くべきことに、その合間合間を見て彼自身も鍛冶仕事をおこなっていた。それは周囲と同様に幻晶甲冑を使用しての作業だが、よく見れば彼の機体は周囲とは明らかに異なったものだ。


 まず精密作業用の器用な腕と、力仕事向けのクレーンアームを両方備えた四本腕である。搭乗者を守る“鉄柵”とよばれる覆いには各種工具を載せるためのラックが増設されており、さらに足回りにはビスや鉄片といった資材を格納するための収納箱が取り付けられている。重量を支えるためだろう、脚は重く太く作られ高い安定性を持っていることが伺える。

 結果として、非常にずんぐりとした安定感のある体型に四本腕の何者かが、めまぐるしい勢いで作業をこなし続けているわけである。なかなか奇妙な光景だった。

 これぞ、彼――銀鳳騎士団鍛冶師隊隊長である親方ことダーヴィド・ヘプケン専用幻晶甲冑、通称“重機動工房ドワーブズフィスト”の勇姿だ。


 フレメヴィーラ王国、なかでも銀鳳騎士団の鍛冶師たちは鍛冶作業に幻晶甲冑を用いることで作業能力を高めている。彼らは当初、素のままのモートリフトを使用して作業をおこなっていたが、そのうちに自身の幻晶甲冑に対しより作業を効率よく進められるよう独自の改造を施すようになっていった。

 そのなかでも鍛冶作業に必要なものの大半を詰め込んだ、と親方が豪語する“重機動工房”は頭一つ抜けて強烈だ。

 クレーンアームが人力では取り扱いの難しい大型の部品を軽々と持ち上げ、またがっちりと固定して作業を容易とする。“モートラート”にも採用されている五指を備えた腕はドワーフ族の繊細な技術を十分に再現し、強力なパワーは金属部品の加工に大きな恩恵を与えていた。

 さらには溶接作業用の魔導式トーチまで搭載しており、金属成形から組み立てまで、大規模な溶鉱炉が必要な作業以外はほぼこれ一機でまかなえるという中々冗談のような代物である。


「親方ー!! 少し、お時間いいですかーっ!?」


 ともかく、四本の腕を存分に生かして作業を続けていた親方を呼ぶ声が、騒音に満ちた工房を通り抜けた。


「おう? 銀色坊主エルネスティか、ずいぶんとはえぇお帰りじゃねぇか! ちょっと待ってろ、こいつ仕上げたら上がる!!」


 親方は周囲へとさらにいくらかの指示を出し、自身の作業を切り上げやたらと重い足音を響かせながら工房より出ていった。

 彼を呼び出した者、エルネスティはその間工房で作業をする鍛冶師たちの様子を観察しており、それに嬉しげに頷いている。


「うんうん、モートリフトの導入は順調そうですね」

「フン、最初は見たこともねぇってずいぶんと渋ってやがったがな、ちょいと重機動工房こいつをふるやぁ一発で素直になりやがった。で? 領主サマの説得はうまくいったのか」

「ええ、銀鳳商会はクシェペルカ王国に全面的に協力することになりました。そうでないと、これまでの準備が無駄になってしまいますしね」


 以前にエルが言った逆転の準備。その種明かしが親方と彼の重機動工房である。正確にいえば彼を主軸に“幻晶甲冑を量産、導入する”ことがそれにあたる。

 これからエルがおこなおうとしているのは、幻晶騎士の強化と飛空船レビテートシップに対抗するための装備の開発、さらにそのための時間稼ぎである。そのどれにおいても幻晶甲冑は重要な役割を果たすことになる、と彼は確信を抱いていた。


「ならいいがよ。とりあえずだ、連中には大急ぎで幻晶甲冑を作らせてる。今は作業用モートリフトが多いが、すぐに戦闘用モートラートも増えるだろうよ」


 その程度には脅しつけたからな、とは親方の談である。エルは満足げに頷いた。幻晶甲冑の量産性は幻晶騎士の比ではない。すぐにでも作業、戦闘に必要な数が揃うことだろう。


「仕込みは上々といったところですね。僕たちのほうも一足先に作業を次の段階に進めましょう。まずは……」

「おう。それならここに連中の使ってるレスヴァントの設計図がある。それでよぅ、敵の騎士ってぇのはないのか? ひとつバラしてみたかったんだがよ」


 エルが何かを言いかけたところで紙の束を取り出した親方に、彼は苦笑を禁じえなかった。


「さすがは親方、手際がいいなんてものではありませんね。敵の騎士でしたらいくらか倒しましたし、回収したらこちらに運ぶよう手配しておきますよ」

「ありがとよ。まぁおめぇとの付き合いもいい加減長くなってきたからな。それによ、俺ぁ戦に関しちゃからっきしだが、レスヴァントをどうにかしねぇとまともに戦えねぇってのはわかる。なんたってうちのカルダトアに毛が生えた程度でしかねぇからな」


 親方から紙の束を受取ったエルは、彼の言葉を肯定した。


「ええ、最終的には十分な性能を持った新型機を設計する必要があるでしょう。それで親方、時間もないことですし“カルディトーレ”の設計を流用しようかと思うのですが」

「……一応、ありゃあうちの“特産品”だぜ。いくら友好国だっつって、あまり軽々しく漏らしていいもんじゃあねぇぞ」

「そのあたりは、実をいうと国王陛下おおだんなから僕の裁量で好きにしていいとお墨付きをもらっていまして」

国王陛下おおだんなも許す相手間違ってんだろうよ……」


 重機動工房の腕を動かして器用にひげをなでつけながら、親方が一つ息をついた。


「なにもそのまま使おうというのではありませんよ。カルディトーレの構造を元にして、あくまでもレスヴァントを生まれ変わらせるのです。とはいっても状況的にも時間の制約が大きいわけで、そこまで悠長にしていられるかどうか。並行してレスヴァントをそのまま強化する案も用意しておいたほうがいいでしょうね」

「やれやれ、こいつはまた大盛りだな。今のうちにしっかりとここの鍛冶師を仕込んでおかねぇと、また寝ることもできねぇ日々になりそうだ」


 親方はちっとも大変そうに見えない不敵な笑みを浮かべながら拳と手のひらを打ち合わせていた。なんだかんだといって、彼も鉄火場を好む度し難い酔狂人の一人である。


「それともう一つ、“僕たちの使う”武器の用意をお願いしたいのですが」

「おう、まだあるのか! ちった遠慮しやがれ、久しぶりに厳しい注文じゃねぇか。で、モノはなんだ?」

「幻晶騎士との戦いはこれでどうにかします。ですがまだ問題は残っている。何しろ僕たちはあの空飛ぶ船を攻略しなくてはいけないのですから。そのためにも“地対空装備”のひとつくらいは用意しておこうかと思いまして」


 エルの台詞に親方は意外な思いを抱いていた。エルが飛空船を見たのは一度きりである、さすがにこれほどまでに早く対抗手段が出てくるとは思ってはいなかったのだ。


「おいおい、本当にあんな空飛ぶ船をどうにかできるのかよ」

「確実とはいえませんが、手をこまねていているよりはましでしょう。それにちょっと突っつければいいのです。向こうに“空も安全ではない”と思わせればそれで十分に牽制にはなるのですから」


 エルの説明に、親方はそんなものかと思いながら了承を返した。彼の中にはこれまでにも異様な装備の数々を作り上げてきたエルならばもしや、という思いもある。どちらにせよ実際に形にするのが彼の仕事である。否などあろうはずもない。


「……後、必要なのは時間です。僕たちが準備を整えるほうが早いか、敵が攻めてくるほうが早いか。ここが勝負所というものでしょうし、時間稼ぎの方法も考えないといけませんね」


 彼らがこうして対策に乗り出している間にも、ジャロウデク王国の侵攻は続いている。実際の問題として、状況は常に一刻の猶予もなく、彼らが追い詰められていることに変わりはないのである。


「さぁ、皆で精一杯走りましょう。追いつけるか逃げ切られるか、ここからが本当の戦争おまつりですよ。楽しくなってきたではないですか」


 明確な目的を見出し、愛らしい顔立ちにとても充実した笑みを浮かべているエルなのだが、親方にはそれがどうにも悪魔が地獄じみた表情を浮かべているようにしか見えなかった。




「すでに南北とも半分近くまで食い込まれている、か……」


 領城の一室にて、フェルナンドは受取った報告を握り締めて重々しく息をついていた。今朝がたに早馬を飛ばしてきた伝令兵が携えてきた手紙、そこには旧クシェペルカ王国南北領の苦境が切々とつづられていた。

 彼の下にもたらされる報せは日に日に悪化してゆく一方だ。ジャロウデク軍は着実に南北領を落としつつある、どちらとも滅亡の瀬戸際に立っている。


「こちらから戦力を送る……しかしそれでは後ろに手薄な場所ができてしまう、か。忌々しいな、本来ならばそんなことを気にしている場合ではないのだが」


 彼は悔しげにうめく。東方領を護る戦力はおいそれとは動かせない。なぜならジャロウデク軍には鋼翼騎士団、飛空船の存在があるからだ。

 空を移動することのできる飛空船は戦線の位置に関係なく、ありとあらゆる場所を自由に攻めることができる。さらに飛空船は世界に唯一の実用航空戦力であり、対抗する手段など皆無なのだ。結局、拠点を守るためには十分な陸上戦力を保持しておくことしかできず、それが彼らに重い鎖を強いていた。


 さらに彼は伝令から直接受取った報告を思い出して眉根を寄せた。「領境に不穏な動きが見える」――これまでも時折伝令が途絶えることがあったが、今日やってきた伝令兵がはっきりと領境に跳梁跋扈する敵戦力の姿を報告したのだ。

 伝令兵はほとんど偶発的な幸運で逃げ切ってきたのである。この様子では、これまでにも多くの伝令兵が襲われていたことだろう。伝令を通すにも、南北領の苦境を救うにもとにかく戦力の派遣が必要である。しかし戦力を動かすことはできない。考えても堂々巡りに陥る一方だった。

 彼はしばし瞑目していたが、やがて自領の安全を秤にかけて苦渋の決断を下そうとしたその矢先、ノックの音が彼の思考を遮った。


「叔父貴、邪魔するぜ」


 いつもどおりの乱暴な前置きとともに、返事も待たずに入ってきたのはエムリスだ。大柄な彼の陰から、ちょこりと資料を抱えたエルネスティも入ってくる。二人を前にフェルナンドはわずかに表情を和らげた。


「ああ、君たちか。工房のほうはどんな様子かな」

「今のところ順調です。新型機の設計はほとんどが出来上がっていますし、じきに試作機の製造に着手できることでしょう」


 エルの言葉に、フェルナンドは驚きに目を瞠っていた。


「君たちは本当に素晴らしい能力を持っている、まさかこの短期間で新型機を設計するとはね……。それにあれは幻晶甲冑といったか。鍛冶師が乗る機械とは想像もしなかったが、あれのおかげで組み上げの効率も上がっていると聞く。……ジャロウデクが君たちの技術を盗んでいったということは彼らもこれを使っているのか。私たちは本当に、想像以上に後塵を拝しているらしいね」


 彼の心中は複雑である。反撃の準備は着実に進んでいるが、同時にジャロウデク軍がどれほど前に進んでいるかと思うと暗澹たる気分に陥りかけていた。


「おそらく幻晶甲冑は使っていないと思います。もしこれを知っていれば、歩兵に組み込んでいるでしょうけれど、その姿を見たことはありませんから」


 戦場で幻晶甲冑を見たという報告はない。さらには時期的なものを考えても、試作機テレスターレの強奪事件は幻晶甲冑が普及するより前に当たる。


「だとすれば、私たちが追いつく余地もあるのか……いや、それも」


 フェルナンドはわずかな希望を見出しかけ、すぐに顔を伏せた。

 親方仕込の地獄の特訓により鍛えられた鍛冶師たちは徐々に幻晶甲冑にも慣れてきており、フレメヴィーラ王国のときと同様に生産効率の上昇へと効果を発揮しだしている。さらにはモートラートの生産も進んでおり、補助戦力としての訓練も始まりだしていた。

 言葉の上では順調だ。だがそこには暗雲が立ち込めている、なぜなら。


「それより小耳に挟んだんだがな、南北がそろそろやばいって?」

「耳が早いね。隠しても仕方がない、その通りだ。こちらから戦力を派遣しなければ、もう長くはないだろう」

「だが、あの空飛ぶ船がある。迂闊には動けないんじゃなかったか?」


 ずばりと言い切るエムリスに、フェルナンドは渋い表情で首肯した。そう、彼らにはあまり猶予が残されていないのだ。このままでは新型機を開発する前に東方領は敵の大部隊に囲まれることになるだろう。

 そんなフェルナンドの苦悩を知ってか知らずか、エルは笑顔で言い出していた。


「空飛ぶ船があるから大きく戦力を動かせない、事情は存じています。そこで僕たちから提案があります。東方領を護る皆様に代わり、銀鳳商騎士団が助力に参りましょう」


 フェルナンドは顔を上げると、しばらくの間その案を真剣に検討していたが、ゆっくりと首を振った。


「申し出はありがたいが、君たちにはそれこそ新型の開発という重要な仕事がある。さらにだ、どうにも南北領との境に敵が潜んでいるようでね。これまでに支援のために向かわせた荷馬がいくつか消息を絶っている」

「なんだと。俺たちの庭先でちょろちょろしてやがるとは、図太い野郎どもだな」


 眉根を寄せたエムリスに、フェルナンドも同意だ、と頷いてから。


「領境にどれだけの戦力がいるかわからない以上、あまり迂闊なことはできない。君たちの商騎士団だってせいぜいが二〇機しかいないのだろう。ないよりはましだが無理をして動かす必要があるとは思えない」


 道理だ。いかに銀鳳商騎士団とはいえたかが二〇機でできることなど限られている。

 ――直接、戦うだけならば。彼らには戦力以外にも大きな力がある。新型機の原型を持ち、全ての始まりであるエルネスティがいるがゆえに。


「お忘れでしょうか、僕たち銀鳳商騎士団の騎士はその全てが新型機。ジャロウデク軍を相手にしても多少のことでは負けません。それに僕たちの戦力はただ幻晶騎士のみにあらず……例えば、こんなものがあります」


 そういって、エルは手に持つ資料をフェルナンドへと差し出した。訝しげな表情のまま、彼はそれを受け取る。

 読み進めていくうち、彼の表情が再びの驚愕にゆがんだ。そこに描かれていたものは図面。それも新型機ではなく“レスヴァントの強化案”を記した図面である。


「新型機はそれとしてレスヴァント自体も強化する。この図面と幻晶甲冑を同行させて現地へと運びます。これならば僕たちが少数でも、現地の戦力をより強化することができますよ」


 フェルナンドは息を呑んだ。“知識”を与えるのであれば戦力は現地にたどりつくだけのものがあればいい。

 ならば銀鳳商騎士団はまさにうってつけの存在だ。現状のクシェペルカで唯一、新型機を所持し単体で最高の戦闘能力を誇る集団なのである。仮に移動中に飛空船の襲撃を受けて、無事だといえるのは彼らくらいだろう。

 刻一刻と押し寄せるジャロウデク軍を押しとどめる、これは希望の光となるかもしれない。逡巡を振り払い、フェルナンドは彼らの案を受け入れた。


「ご安心ください。設計製造から戦力派遣、時には荷物のお届けまで。僕たち銀鳳商会にお任せあれ」


 にっこりと笑みを浮かべるとともにおどけた振り付けでいうエルを見て、フェルナンドは果たして彼らを信じたことは正しかったのか、ちょっとばっかし悩んだのであった。




 領都フォンタニエを守る、巨大な城壁に埋もれた城門が大きく開け放たれてゆく。

 飛空船という神出鬼没の存在により、戦力の移動すら自由にならなかった旧クシェペルカ王国。その長きにわたる沈黙を破り、いま再び騎士団が出撃しようとしていた。姿を現した騎士たちは、いずれ劣らぬ鮮烈な印象を放っている。規模はおよそ二個中隊に相当する二〇機。

 うち半数は、純白の騎士アルディラッドカンバーを先頭とした“白の部隊”。残る九機がカルディトーレで構成され、それぞれ機体の前面に白の十字模様をいれている。

 残る半数は、紅の騎士グゥエラリンデを先頭とした“赤の部隊”。こちらは残る九機がカラングゥールで構成され、機体の前面に赤い十字模様をいれていた。

 銀鳳商騎士団第一中隊と第二中隊の勇姿である。彼らの後には荷馬隊が続いていた。乗せられた荷物の半分はさまざまな補給物資で、残り半分は幻晶甲冑だ。


 集団の先頭を進む隊長機、アルディラッドカンバーとグゥエラリンデは歩きながら話し込んでいた。


「どうやら領境には敵が潜んでいるらしい。ディー、我々の目的はこの図面と物資、人を運ぶことだ。慎重に、あまり無茶はするなよ」

「わかっているとも。だがまぁ襲われてしまったならば止むを得まい、殲滅してしまってもかまわないだろう?」


 慎重さと無縁のディートリヒの言葉に、エドガーはやれやれといいたげな様子で首を振った。


「返り討ちにするのは良いが、目的は忘れないようにな」


 同時に、エドガーはふとあの時を思い出す。テレスターレを奪われたあの夜、彼とディートリヒは共に悔しい思いをした者たちだ。

 ディートリヒに釘を刺してはいるが、きっと自分も敵と出会えば手加減はしないのだろうなと思いながら、彼は会話を続けていた。



 歩みゆく騎士たちを見送るものがいる。

 エルネスティとキッド、アディだ。彼らはそれぞれの役目のためにフォンタニエに残ることになっていた。


「えー。エル君、私たちお留守番なのー?」


 閉まり始めた城門を眺めながら、アディはぶーたれていた。彼女はどちらかというと待つのは苦手な側だ。それに彼女のツェンドリンブルは速度と輸送能力に秀でた人馬騎士である。このまま居残りに適しているとはいいがたい。


「ええ、色々と設計しなければいけないものもありますしね。それに、備えが必要なものもあります」

「それってあの空飛ぶ船のことか。ツェンドリンブルに載せるっていってた“新兵器”ってのが、なんかからんでるんだな?」


 キッドの言葉によくできました、とエルは笑みを浮かべる。彼の考える“地対空兵器”には、イカルガとツェンドリンブル、そしてこの双子が必要だ。

 彼らはまさに飛空船に対する切り札となる予定なのである。


「その通り。僕たちがここの最終防衛線ですよ。それにツェンドリンブルも僕のイカルガも機動性に優れていますからね。必要なときに必要な場所にアレを持っていけるようにしないといけませんから」

「ふーん。まぁいいや、私はエル君といられるなら問題ないし!」


 言いつつ、抱きつきもたれかかってくるアディをエルが支える。その腕の中で、彼はぼそりと呟いた。


「僕だって、そんなに待つのが得意なわけではありませんよ。せっかくこうしてパーティの準備を整えているのですから、ぜひともお客様方を招待しないといけませんよね」

「おお、エル君が久しぶりにとっても悪い顔をしている」


 こうして旧クシェペルカ王国の、エルたちの反撃は密かに始まったのである。

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