#58 つかの間の静寂

 旧クシェペルカ王国東部。

 そこには国王アウクスティの実弟である“フェルナンド・ネバレス・クシェペルカ”大公が治める領地がある。

 王弟フェルナンドはアウクスティが王位につくとともに、大公の位とこの地を与えられ臣籍に下った。その後も王族を示すクシェペルカ姓を残しているため、彼の領地は“フェルナンド大公領”、もしくは単に“東方領”と呼び習わされる。


 ジャロウデク王国の侵攻が始まって以来、張り詰めた雰囲気が漂い続ける東方領の領都“フォンタニエ”。クシェペルカ全土からの苦境が伝わるたびに重苦しさを増していたその空気は、久方ぶりにもたらされた朗報によって吹き飛ばされていた。

 兵士と領民の歓声のなかを進む一台の馬車。ただの馬車というには少々度外れた、巨大な異形の人馬騎士が牽く荷馬車キャリッジの上には、生きて再びその姿を見せることのできたマルティナとイサドラの姿があった。

 王都デルヴァンクールの陥落は、衝撃と共にここ東方領まで伝わってきている。その渦中に彼女たちが居合わせたことも。彼女たちは一時は生存すら絶望視されていたにも関わらず、人馬の騎士に金の騎士、強烈に目立つ存在を引き連れて無事な姿を見せたのだ。これを驚かずに、喜ばずにいられようか。

 朗報は領都を貫き、すぐさま領主のいる城まで届いていた。

 ゆっくりとした速度で領都を進んでいた人馬の騎士が城までたどりつく。すぐさま門扉が開け放たれ、彼らは城へと迎え入れられた。

 駐機場へと入り、ツェンドリンブルが歩みを止め駐機姿勢をとる。そこに待ちきれないとばかりに、兵士が迎えに出るよりもなお先に飛び出してきた人影があった。仕立ての良い服を身に着けているが、そのところどころがくたびれていることがその人物の状態をよく表している。


「マルティナ! イサドラ!」


 彼こそは元クシェペルカ王弟であり、現在は東方領を治める大公フェルナンドその人である。マルティナとイサドラが荷馬車より降り立つのを見た彼はすぐさま駆け寄り、そのまま人目を憚らず二人を抱きしめた。


「よかった、よかった……お前たちが無事で。間に合ったのだな……」

「大丈夫です、お父さん。リース兄が来てくれたから」

「私たちは大事ありません、そんなに柔じゃないわ。それよりも……あなた」


 いくらか名残惜しげに、しかし強い使命感を持ってそっと身を離したマルティナの視線を追ったフェルナンドは、彼女たちの背後にいる人物を見て大きく目を見開いた。

 やがて彼は呆然と立ち尽くすその人物の前にたち、ゆっくりと膝をつく。


「エレオノーラ……」

「フェルナンド叔父様……父様が、父様が……」


 エレオノーラの瞳からみるみる涙が溢れてくる。これまでは極限状況にあり頑なに閉じていた彼女の心は、安心できる場所までたどりつき、身内を前にしたことで溶け始めていた。

 フェルナンドは、そんな傷ついた彼女をいたわるようにゆっくりと抱きしめた。


「王都での出来事は聞いている……もう心配はいらないよ、エレオノーラ。ここには私たちがいる、恐ろしいことは起こらない」


 その言葉を聴いた瞬間、彼女はばね仕掛けの玩具のように顔を跳ね上げた。目を見開いて、彼女を安心させようと笑みを浮かべる叔父を見る。

 “心配はいらない”――そう約束した彼女の父親はどうなったか。約束は守られずかの侵略者に追い詰められ、結局は彼女を守るために死地へと赴いたのではなかったか。

 兄弟だけあってアウクスティとフェルナンドは良く似ている。涙で揺らぐ彼女の視界の中で、フェルナンドの姿は完全に父親のそれと重なっていた。


「ああ、いや、嫌、イヤ……約束なんて守れないのに、嘘つき!!」


 涙に混ざった言葉は後に続かず、彼女はフェルナンドの腕を振りほどくとそのまま身を翻して走り出していた。後には、驚きで固まったままのフェルナンドが残される。


「一体どうしたんだ、エレオノーラ……イサドラ、すまないがエレオノーラを頼む」


 イサドラは小さく頷くとエレオノーラの後を追い駆け出していった。

 彼はしばらく呆然と彼女たちが走り去った方向を見ていたが、やがて気を取り直して振り向いたところでエムリスらが声をかけあぐねた様子で固まっていることに気がついた。


「……あーその、なんだ。大変だな、叔父貴」

「ああ! すまないな。君たちには困難な仕事を成し遂げてもらったというのに、礼の一つもいわずに」


 フェルナンドは気を取り直してエムリスへと、その後ろに勢ぞろいした銀鳳商騎士団へとむけて頷いた。さっと姿勢をただし、直後に彼は“領主”の顔となる。


「エムリス……いや、“銀鳳商会”の諸君。君たちは妻と娘を……そしてなによりも陛下が遺された大事なエレオノーラ殿下を助け出してきてくれた。この国の貴族として、何より一人の父親として厚く礼を言わせてくれ」


 フェルナンドと銀鳳商会の面々は初対面ではない。彼らはクシェペルカ王国にたどりついたところで、まずこの東方領へとやって来ていた。それはエムリスというつてをたどってのことだ。

 東方領に入った彼らは国内の状況について説明を受けたのだが、そこでマルティナたちが王都にいると聞くなりエムリスが再び飛び出していったのである。さすがに一人で行かせるわけにもいかないので、速力に優れるツェンドリンブル部隊を編成してから王都へと出発していた。

 その後はご存知のとおりである。彼らは途中で逃げだしてきたマルティナらと出会い、これを助けることに成功したのだった。


「まぁ、お代は今後のご相談ってやつなんだがな!」


 立ち話もなんだと、彼らは城へと向かう。

 エムリスが語る怪しげな自慢話に相槌をうちながらも、フェルナンドは全員を応接室へと案内していた。途中でマルティナは身支度を整えるために彼らと別れた。

 銀鳳商会の面々を連れたフェルナンドが応接室に入ると、そこにははすでに東方領を守る騎士団の長をはじめとした大勢の人間がいた。客を迎えるためにそれなりの規模をもった応接室は、大勢で作戦会議のための場所と化していたのである。


「皆聞いてくれ、朗報だ。ここにある銀鳳商会がマルティナとイサドラ、さらにはエレオノーラ殿下をお救いしてくれた」


 歓喜の声が広さのある応接室を揺るがす。領主であるフェルナンドとその家族は東方領の人間から慕われているし、エレオノーラは王女である。まさにこの難事のなかの希望だ。


「エレオノーラ殿下が生き延びたのは私たちにとって唯一の幸いだったが……正直なところ、現状は問題だらけだ」


 喧騒が収まるのを待って、重々しくフェルナンドが口火を切った。ジャロウデク王国の侵攻が始まったときより心労の続く日々を過ごしてきたのであろう、彼はややこけた頬に曖昧な表情を浮かべている。

 全員から見えるように中央のテーブルに広げられたクシェペルカ王国の地図。その上には各地の勢力を現す駒が置かれている。そこには彼らが知る限りの最新の情勢が反映されており――地図の半分は、真っ黒な駒に埋められていた。


「我々が東部を守っているうちは状況は五分……といいたいところだが、正直こちらが不利だ。よくて三分といったところさ。皆も知ってのとおりクシェペルカ中央……王都周辺が真っ先に制圧され、ついで三枚砦シルダ・トライダを越えてきた敵主力によりすでに西部諸州は敵のものだ。現在は北部と南部が圧力を受けている、これが落ちる日もそう遠くはないだろう」


 強大な戦力を集中投入しての強引な制圧作戦。ジャロウデク王国がいかに大国であれ困難を伴なうであろうこの作戦は、しかし未曾有の新兵器の投入により押し通された。


「さらに……あの“空飛ぶ船”だ。あれが今も国内のあちこちに無作為な襲撃をかけている。おかげで私たちは迂闊に戦力を動かすこともできなくなったというわけだ」


 現在、ジャロウデク王国の主力陸上戦力はクシェペルカ王国南北の領地へと侵攻している。従来ならば支援のために東部に残存する戦力を最前線へとまわすはずが、飛空船レビテートシップによる襲撃を警戒して簡単に戦力を動かすことができなくなっていた。

 旧クシェペルカ王国の残存戦力は、神出鬼没の空飛ぶ船に翻弄されまったく有効に機能していないのだ。その間に黒騎士はその性能を遺憾なく発揮しているというわけである。

 誰の目にも、いずれ南北領が落ちるのは明らかだ。そして地理的条件から後回しにされているクシェペルカ東部へとジャロウデク王国の魔の手が伸びてくるのもそう遠い先の話ではないだろう、というのがフェルナンドの見立てであった。


「あの船か。確かにあれは厄介だ! どこから来るかわからず、しかも逃げられると追いつきようがない」


 エムリスは己の目で見た飛空船と、黒騎士との戦いを思い起こして拳を握り締めていた。彼の中では、敵の強さよりも己の失敗に悔いる気持ちのほうが強いのではあるが。


「さらに言えば、実に悔しいことだが……我々の幻晶騎士シルエットナイトは、彼らの黒騎士に圧倒的に劣っている」


 何度も剣を交えたことにより、現在ではティラントーとレスヴァントの戦力比は三対一というのが両軍に共通した認識となっていた。レスヴァントが確実に勝利するためには、三機でもっていっせいにかかる必要があるということだ。

 しかもことはそう単純ではなく、その戦力差をさらに広げているのがジャロウデク軍の横列壁型陣形戦術である。数的有利を作りづらい、密集陣形による攻撃を前にクシェペルカ軍は連戦連敗を重ねている。

 応接室を沈鬱な空気が包んだ。彼らはそれぞれに状況が厳しいことを認識していたが、改めて整理したことでよりいっそう絶望的な気分へと陥ってしまっていた。

 個々の戦闘能力も、戦力も、戦術ですら彼らは敗北を喫している。打開策など容易に湧いて出ようものではなかった。


「発言をお許しいただきたく」


 重苦しくむさくるしい野郎が集まったこの場にはそぐわない、涼やかな声が沈黙を切り裂いた。いっせいに声の出所へと振り返った男たちは、そこに何とも珍妙な人影を見つける。

 視線の先にいたのは銀鳳商騎士団の中央に陣取る、いっとう小柄な子供。彼は紫銀の髪を揺らし、愛らしい顔立ちに笑みを浮かべて小さく手を上げている。

 なぜこの場所に子供が? という周囲の疑問を横に、わずかに眉を上げたフェルナンドが発言の許可を出した。


「確認しておきたいのですが、最も大きな問題は二つ。敵騎士との性能差と空飛ぶ船への対策、という認識であっていますか?」

「そのとおりだ。残念なことに、現状の私たちにはどちらをとっても手に余る」


 紫銀の髪の子供――銀鳳商騎士団長であるエルネスティ・エチェバルリアは、隣に立つエムリスを振り仰ぐ。


「若旦那」

「うむうむ、よきにはからえ」

「さて許しは得ましたので……僕たち銀鳳商会は、皆様方にその解決法をご提供する用意があります」


 その場の全員の視線が、再びエルネスティへと殺到する。クシェペルカ側からは半信半疑のまなざしが、そして銀鳳商会側からはああやっぱりかという諦めのため息が。


「その解決法とは、君たちが連れてきた幻晶騎士の部隊のことかな? 確かに戦力はあるだけ嬉しいところだが」

「もちろん、僕たち自身も戦力としてご協力いたします。ですが、のみならず貴国の幻晶騎士“レスヴァント”を……そうですね、少なくとも黒騎士を相手にそこそこ戦える程度には強化できると思います」


 応接室にいる人々が一気に色めきたった。各地で敗戦を重ねるクシェペルカ軍ではあるが、彼らとて何もしてこなかったわけではない。飛空船への対策やティラントーに抗する機体の開発など、今も血のにじむような努力が重ねられている。だがそれは一朝一夕に解決できる問題ではない。

 目の前の子供は何を根拠にこのように自信にあふれているのか、興味と疑問と多少の怒りを含んだ気配だ。


「自信ありげだけど、具体的な方法を伺えるかな」

「それはもちろん。ですがその前にもう一つ確認いたしたいのですが、最初にこちらによったときに残していった“彼”は、すでに作業に入っていますか?」

「ああ、“彼”か。確かに“鍛冶師”はどこでも手が足りていないからね、君たちを待つ間に手伝ってもらっていたよ」


 東方領へとやってきて、直後にマルティナ救出へと出発した銀鳳商騎士団の主力部隊。クシェペルカにやってきたのは彼らだけではなく、第一・第二中隊の全員がこの地にいる。救出作戦は速度を優先したため、ツェンドリンブルで運べない分はこの地に残されていったのだ。

 さらに、やってきたのは騎操士ナイトランナーばかりではない。彼らとともに“とある人物”と“その人物の機体”もこの地に残ったのである。

 エルネスティはそこまで確認すると満足げに頷いた。


「ではきっと“彼”と“彼の機体”が、逆転の準備をしてくれています」


 ふわりと柔らかく微笑み、深い蒼の瞳にぞっとするような光を湛えながら、彼はそっと語りだした。


「では簡単にご説明いたしましょう。そも黒騎士がなぜあれほどの性能をもっているかについて……」


 クシェペルカ王国の行く末すら左右する、長い話が始まりを告げる。




 時をほぼ同じくして、旧クシェペルカ王都デルヴァンクールへと一隻の飛空船が舞い戻っていた。ドロテオ率いる鋼翼騎士団の部隊と銅牙騎士団長ケルヒルトを乗せた船だ。

 ドロテオはたどり着くやいなや、すぐさま彼の主の下へと向かった。しばしの後に王城の謁見の間では、玉座に着かずに立ち尽くす渋面のクリストバルと、彼の目前で膝をつき頭をたれるドロテオの姿があった。


「……殿下より承ったクシェペルカ王族捕縛の任に失敗し、あまつさえ貸与いただいたティラントーを喪失。我が身の不徳、申し開きの次第もございませぬ」


 頭を下げた姿勢のまま微動だにしないドロテオに、クリストバルはどのような言葉をかけるべきか迷い、つかの間沈黙する。


「なんという失態か。信じられぬぞ、あの脆弱なクシェペルカごときに後れを取るなど! いかにマルドネス卿が殿下の直属とはいえ、ただでは済まされな……」


 それに先んじて声を上げたのは、鋼翼騎士団の別の部隊長であった。彼の部隊はいまだ一機たりとも欠くことなく戦果を上げ続けている。彼にとって、クシェペルカの騎士はただ狩られるだけの獲物だ、被害を受けるなどもってのほかなのである。

 よって彼が声を荒げて詰め寄ろうとしたところで、横合いから酷く冷たい声がした。


「静かにしろ。今は、俺がドロテオと話している。いいな?」


 低く響く声の主はクリストバルだ。部隊長は素早く姿勢を正すと、そのまま後ろへ下がった。


「しかしお前ほどの男がしくじるとはな……逃げた王族は既に東方領に転がり込んでいることだろう。厄介なものだ」


 クリストバルは話しながら歩み、いまだまったく姿勢を崩さないドロテオの目の前に立つ。


「頭を上げよ、そして嘘偽りなく全てを話せ。何があった? お前とティラントー二個小隊をかけて、倒しきれない相手とはなんだ」


 ドロテオは静かに頭を上げ、ひたとクリストバルを見据えると衝撃的な一言を放った。


「敵は、クシェペルカ王国の者ではございません」

「なんだと……まさか、もう他国が手を伸ばしてきたというのか!」


 クリストバルのみならず、家臣らもそろって驚きを露にしていた。彼らも他国からの干渉は考慮に入れていた。だが長きにわたり入念に準備をおこなったうえで電撃的に行動を起こしたジャロウデク王国に対し、これほどまでに早く対抗してくる国があろうとは。完全に予想を上回る素早さであるといえる。


「我らを妨げた敵は、魔獣番フレメヴィーラの騎士と見て間違いないと思われます」

「なぁにぃ、魔獣番だと? なぜ奴らが、わざわざ山向こうから出張ってきたというのか!?」


 ロカール諸国連合の残党か、はたまた孤独なる十一イレブンフラッグスが迂遠にも手を回してきたのかと考えていたクリストバルたちにとって、その名は意外に過ぎた。


「王族が逃げ込んだ東方領でございますが、あれを治めるは元王弟であるフェルナンド大公でございます。そしてその正妃の元の名は“マルティナ・オルト・フレメヴィーラ”。彼女はフレメヴィーラ王国より嫁いできておりますれば」

「ああ、ああ……! なるほどな。いや、縁故のほどはそれで分かったが、いくらなんでも動きが早すぎるぞ」


 彼らでなくとも予想はできなかったであろう。なにせかの国の脳筋王子は報せを聞くなり、ありとあらゆる手続きを無視して飛び出したのだから。さらにそれについて来た常識外の戦闘集団、銀鳳騎士団の存在も彼らの想像の外にある。

 そこまで話したところで、ドロテオはやおら剣を鞘ごと腰から引きちぎり、恭しくクリストバルの前へと差し出した。


「……これはいったい、何の真似だ」

「これより先、私が話すことには一滴の虚言もございません。しかしもしも、もしも僅かでもお疑いを抱かれたならば……即座に、この剣で我が首を刎ねていただきたく」


 その言葉に、クリストバルのみならず周囲の部隊長たちも動揺を覚えていた。ドロテオは己の言葉に命を懸けると宣言したのだ。それは、逆に考えるならば。


「それほどまでに信じがたいものがいたというのか?」


 ドロテオは押し黙ったまま首肯し、剣を捧げ続けている。クリストバルはしばし考えた後に剣を受け取り、すぐさま鞘より抜き放った。

 無骨な、しかし手入れの行き届いた白刃が鈍く光を反射する。


「いまさらお前の言葉を疑うことはせん……が、お前の覚悟は受け取った。何憂うことなく話せ」

「ありがたき幸せ……して、かの魔獣番どもが使っていた騎士でございますが……上半身が人、下半身が馬の形をした化生のごとき幻晶騎士でありました」


 それを聞いていた周囲の家臣たちはすんでのところで「まさか」という言葉を飲み込んだ。ドロテオの目前には、抜き身の剣を携えたクリストバルが実に複雑な表情で佇んでいる。それに先んじて疑いの言葉を投げかけるほど彼らは愚かではない。

 クリストバルは深く息をつく。


「お前が首をかけた意味がよくわかるな……なんだそれは。あれか、古に絶えた魔獣というやつか?」

「畏れながら、明らかに人の手で作られた幻晶騎士でございました。まさに騎馬のごとく動きは速く、さらにはティラントーの鎧を易々と貫くだけの膂力を備えてございました」


 クリストバルは眉根を寄せる。ティラントーは攻防ともに隙のない強力な機体ではあるが、唯一の欠点が足の遅さである。騎馬の特徴を持つ敵とはどうにも相性が悪い。それがティラントーの防御を貫くとなればなおさらだ。


「敵はそれだけではありません。その場にあったどの騎士も強力極まりないものでありました。一人など我が義子むすこと剣を引き分けております」


 ドロテオの義子――幻晶騎士・“ソードマン”を駆る“グスターボ・マルドネス”のことはクリストバルもよく知っている。軍の中にあって自分の好きな武器しか使わないという偏屈さを持ちながら、ただその腕前だけでそれを認められているという筋金入りの変人だ。


「さらには、我らの支援に駆けつけた銅牙騎士団の騎士たちが正体不明の騎士により多数倒されております。生き残った者の話からするに、敵は多数の腕を備え、炎をまとい空を飛ぶかの勢いで走り、見たこともない強力な武器を使い一瞬で“ヴィッテンドーラ”を屠って回ったと……」

「待て、おいちょっと待てドロテオ! お前は一体何の話をしているのだ!?」

「敵の騎士についてでございます。その風貌はさておき、それが銅牙の騎士のあらかたを屠ったのは事実でありますれば」


 考え半ばにドロテオの報告を聞いていたクリストバルは、彼がいつの間にかとんでもない報告を始めているのに気付いて慌てる。


「お疑いとあらば、その剣を……」

「ええいまどろっこしい。それはもういい! しかし、そのようなもの……あれだ、想像しがたい」


 さすがのクリストバルも呻き声を漏らしていた。ドロテオの命をかけた報告である、嘘など言おうはずもない。しかし何かの間違いではないかという思いも捨て切れてはいなかった。


「お畏れながら殿下、マルドネス卿の言葉は事実でございますよ」


 助けは意外なところからやってきた。ドロテオの背後に並ぶ家臣たちの間から一人の女性が進みでる。銅牙騎士団長“ケルヒルト・ヒエタカンナス”である。彼女は乱暴にはねた髪を跳ね除けると、どうにも作法荒く一礼だけはした。


「今言ったとおりのバケモノが、うちのもんをずいぶんと潰してくれたようでして」

「それが、魔獣番のやつらだと? 何故そう思う? えらく奇妙なだけで、別の国かも知れんだろう」


 彼女のはすっぱな口調も気にせず、クリストバルは問い返していた。


「殿下もご存知でございましょう? あたしらが以前魔獣番どもの国に飛ばされていたことをね。それでねぇ、今回の敵が使う騎士に、どうにも見覚えがありまして。あれは、そもそも今の“新型”を生み出した者たちが使っていた騎士に違いありません」


 クリストバルも、その場にいる家臣たちも得心がいったという表情を見せた。

 こうして彼らの敵の正体は知れた。ならば残る問題はただひとつ、それが今後どういった影響を生むかだ。


「逃げ出した王族に新型の開発者。そこから出てくる答えなんて一つじゃあ、ありませんかい? あまり時間を置くとひどく厄介なことになるとご忠告申し上げたく」


 それを聞いたクリストバルは鼻息も荒く身を翻すと、どっかりと玉座に座り込んだ。明らかに感情的になっている様子だが、そこに浮かんでいる表情は決して怒りではない。


「……くくははは、面白くなってきたじゃあないか。これからはただ潰すだけのつまらない作業ではないってことか!」


 そこには彼の悪癖が顔を出していた。王族でありながら戦いを好む粗暴な性質。それゆえに彼は、常に“潰しがいのある敵”を求めている。


「そうだな、王族を逃しあまつさえ魔獣番までいるからには、すぐさま東方領まで攻め込みその息の根を止めねばならん……が、な。さっさと叩き潰したいのが本音ではあるが、さすがに戦力がたりん。黒顎騎士団も鋼翼騎士団も、南北の攻略にその大半をつぎ込んでいる。時間がかかるだろう、まさに奴らにとって利するばかりだな」


 自らの不利益を語っているとは思えないほど、クリストバルの表情は生き生きと輝いていた。敵対者の抵抗を、起死回生の策を潰す。それこそが彼にとっての至上の喜びなのである。


「やつらは時間を必要とするだろう。そして王族が生きて反撃を画策している、この話が広まれば奴らの抵抗はいっそう激しさを増すだろう」


 彼の予想では、まず間違いなくクシェペルカ王族が生き残っていることが広められるであろう。王族とは国の求心力を担う存在であり、その不在が現状のクシェペルカ王国の崩壊を加速する大きな要因のひとつであるからだ。


「ようしケルヒルト。南北領と東方領の境に銅牙騎士団を潜ませよ。南北に王族の生存が伝わらぬよう、封殺せよ」


 ケルヒルトは厭らしい笑みを浮かべると静かに下がってゆく。これよりしばし後には、クシェペルカ王国南北領と東方領の境となる地域に、多数の無貌の亡霊が跋扈することとなる。


「ドロテオ、この失態の責はあとで精算する。まずは南北領に赴き、かの地を落としてこい。挽回して見せろ!」

「御意! この老骨、全身全霊をもってかの失態を償わせていただく所存!」


 それまでずっと膝を突いていたドロテオが勢いよく立ち上がる。老いの伺える顔に迸る炎のごとき熱意を浮かべ、彼は主命を受諾すると烈火のごとく進軍を開始した。

 それぞれが己の役目へと向かい静かさを取り戻した謁見の間にて、鋼翼騎士団の部隊長が渋い表情を浮かべクリストバルへと忠告をおこなっていた。


「……殿下は少々、マルドネス卿に甘すぎますぞ」

「ふん? そうだろうな。なにせドロテオは“役に立つ”からな。お前とて、あいつの戦歴を知らんわけではあるまい」


 部隊長は言葉に詰まる。ドロテオ・マルドネス、低い身分から功績だけでのし上がってきた彼の経歴と、取り立ててくれた王族への忠誠は国内でも比類なきものとして知れ渡っている。


「この失態を取り戻すためにも本気で、執念深く、徹底的にかかるだろう。あいつはそういう男だ。クシェペルカを追い詰めるためにこれ以上の適役がいるのか?」


 泰然と放たれた言葉に、部隊長は頷かざるをえずそのまま下がっていった。

 煩わしい相手が去ったことで一息つくと、クリストバルはそのまま上機嫌で考え込む。


「さぁて再び牙を差し向けたが、まだだな。やつらを確実に絶望させるにはもう一手、勢い……そう、勢いが必要だ」


 やがて彼の脳裏に名案がひらめく。


「勢いは数によって生み出されるもの……おい誰かいるか、使者を飛ばせ!」




 数日後、王城の謁見の間には見慣れない顔ぶれがそろっていた。

 彼らは貴族――それも全員、ジャロウデク王国へと降伏した西部諸州の領主たちである。数日前、そろってクリストバルから急な呼び出しを受け、こうして集まったのだ。

 その中の一人が、旧クシェペルカ王国西部のとある領地を治めていた“ハビエル・アランサバル”伯爵である。彼は苦々しい気持ちを抱いたままデルヴァンクールへとやってきていた。今この場所には、彼らの王を殺したものが代わりに居座っている。

 そのまさに当人である、ジャロウデク王国軍総大将クリストバル・ハスロ・ジャロウデクは乱暴に玉座に肘をつき、集まった諸侯を見渡していた。


「さて諸君らは我が国に対し恭順の意を示した。それに相違はないな?」

「……ございません」


 領主たちの胸のうちにはさまざまな思惑がある。しかし彼らがジャロウデク王国の戦力を前に膝を屈したことは確かだ。陰気な調子の返事が漂う。

 クリストバルはそれに満足そうに頷くと荒く、楽しげな笑みを浮かべる。


「ならば早速ではあるが、わが国のために一働きしてもらおう。諸君らにはこれより戦力をまとめ、南北領への侵攻に参加してもらう」


 前置きすらぬいて放たれた一言は、元クシェペルカ貴族に大きな衝撃を与えていた。さすがの彼らも顔色を変じる。


「……我らに、同胞を殺めよとおっしゃるか……!!」


 アランサバル伯は己の立場も忘れて集団から一歩前に進み、クリストバルを睨みつけていた。そこまでする者は他にいなかったが、それでも残る諸侯も厳しい視線を投げかけている。


「勘違いしてもらっては困るな。これは我らからの慈悲である」


 対するクリストバルは気色ばむ諸侯を歯牙にもかけず、悠然と見返していた。


「我らがジャロウデク王国の戦力がいかに圧倒的か、それは諸君らが最もよく知るところであろう。それを用いれば南北、いずれは東方領の制圧も時間の問題である」


 決して誇張ではない事実を前に、一時怒りに駆られた諸侯も徐々に気勢をくじかれていた。


「しかしながら、無用に争いが長引けばそれだけ国土も荒れよう、それは我らにとっても望むところではない。クシェペルカ王家亡き今となっては我らがこの地を統べる新たなる王なのだ、争いが長引くのは何の利益も生まん。それに王としても“自国の民を思うのは当然であろう”?」


 侵略者の台詞とも思えない内容に西部州諸侯は不快感を感じるが、降伏し恭順した我が身を思い出して黙り込んだ。

 道理ではある。侵略者とはいえ、実際に旧クシェペルカ王国の半分は彼らの支配下にある。そして継続的な支配には安定が不可欠だ。


「そこで諸君らだ。我らに諸君の騎士が加われば、天下無敵の大軍勢となろう。圧倒的な戦力差を見せ付ければ、残るクシェペルカ貴族とて抵抗を諦めざるをえまい」


 諸君らのようにな、という言葉をクリストバルは危ういところで飲み込んでいた。


「そうだな、なんなら諸君らが降伏を説いて回っても良い。同胞の血が無駄に流れるのを防ぐ、またとない機会だぞ?」


 その言葉に、元クシェペルカ貴族たちは激しく悩んでいた。彼らが加わらなかったところでジャロウデク王国の侵略は続く。さらに黒騎士に被害を抑えるなどという考えを期待するのは酷だろう。業腹ではあるが、彼らが説得をおこない、傷を少なくすることは決して無駄ではないのだ。


「それだけではないぞ。我らに十分に協力したものには現在と同等の地位を残すことを約束しよう。我らとて尽くすものに報いるにやぶさかではない」


 その言葉により、諸侯の心は大きく傾いていった。元同胞を守るという大義名分と、己の地位を守るという個人の欲望がはっきりと同じ方向を向いたのだ。

 中にはまったく違う考えをもっているものもいる。アランサバル伯のように。しかし、それもクリストバルの次の言葉で背筋を凍らせることになる。


「ああそうだ、諸君らにひとつ注意しておくことがある。かつての同胞を説得するのは良いが、そいつらと共に我らに逆撃をかけようなどとは思わないことだ。諸君らの故郷には我らが黒騎士が目を光らせていることを忘れるなよ、“裏切り”の代償は軽いものではないぞ?」


 玉座に深く腰掛けながら、いかにも楽しげに言うクリストバルを前に、頭の中で都合のいい筋書きを組み立てつつあった諸侯は黙り込むことしかできなかった。


 選択肢を失い唸る元クシェペルカ貴族を前に、クリストバルはほくそ笑む。

 三枚砦を突破し、旧クシェペルカ王国西部に駐屯している黒顎騎士団の部隊。彼らは情勢の不安定な西部州を鎮める要石であり、おいそれと動かすわけにもいかない。

 西部州に残る旧クシェペルカの戦力を大きく減らすとともに、それを自軍の戦力とする。単純な策ではあるが、効果は絶大だ。

 さらに一度でもジャロウデク軍に加担したものはそこに負い目を抱くことになり、あとはなし崩し的に元には戻れなくなる。地盤の強化という意味でも大きな効果があるといえよう。

 加えて、西部の守りに必要な戦力が減り、ジャロウデク軍が動かせる戦力も増えるのである。


「我らと諸君らの力を合わせれば、そうたいした時間はかかるまい。ともにこの国に安定をもたらそうではないか」


 必勝を確信するクリストバル。その言葉に異議を唱えるものは、その場には存在しなかった。

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