第2章 魔獣襲来編
#11 陸皇襲来
フレメヴィーラ王国の西側はオービニエ山地にかかり、険しい山が連なっている。
中央付近で山裾から平地が多くなり、東側には平地からつながってボキューズ
元々は人間はオービニエ山地の西側にしか居らず、東側は全て魔獣によって支配された地域だった。
オービニエ山脈を越えてきた人類は、幻晶騎士をはじめとする戦力によって魔獣を駆逐し、この地を手に入れたのだった。
しかし、それまでは快進撃を続けていた人類の歩みがこの地で初めて止まる。
広大な森林地帯であるボキューズ大森海の深部には、何百という
オービニエ山地の東側はなだらかな平野部から森林地帯に続いている。
開拓すれば優良な農業地帯になりうる土地を前に、人々は山を越えてまで撤退せず、森の浅い部分までをその領土とした。
そして以降もときたまボキューズ大森海から現れる大型の魔獣を防ぐため、東の国境には防壁が築かれることになる。
“街道”と呼ばれる森の出入り口(それは正に巨大な獣道のことだ!)に砦を築き、主要な砦の間を城壁でつないだのである。
それにより大型の魔獣が国内へ侵入することは少なくなり、これまで危機的な状況は訪れていない。
国境全てを城壁で覆うことは物理的に無理があったため、街道から外れた場所からの魔獣の侵入は絶えないが、国民の努力もあり概ね安定してきているといえる。
それは、静かな夜だった。
野生動物の
まるで森から全ての動物が逃げてしまったかのようだった。
ボキューズ大森海の手前、バルゲリー砦。
街道から外れたこの砦は中型の魔獣が現れることも稀であり、比較的静かな場所にあった。
それでも常にない不気味な静けさに、その日の歩哨は違和感を感じていた。
いつもならば森から獣の遠吠えの一つや二つは聞こえてきても良い頃合である。
しかし静寂は長くは続かなかった。
遠くからまるで木々が次々に折られているような音が聞こえて来る。
何かが近づいて来る――そして木を折りながら進むような存在はこの世に魔獣しか居ない。
歩哨は躊躇うことなく警笛を鳴らした。
「なんだ、こんな夜中に魔獣の野郎か!?」
「街道でもねぇってのにこんな田舎に何の用だよ!」
砦中に響く非常警笛に俄かに騒がしくなる。
その間にも木々が倒れる音は続き、それはすでに目前に迫っていた。
宿直の
大急ぎで装備を整え、砦の正門を固めたところで、木々を踏み分けながらそれが現れた。
全長約50m以上、高さも20m以上はあるだろう。
ごつごつとした剣山のような甲殻を纏った堅固な体から、これまた隙間なく甲殻に覆われた手足と頭が生えている。
その様はまるで小山か巨大な岩石が動いたかの如くだった。
砦の城門の上から固唾を飲んで見張っていた歩哨も、知識でのみそれが何かを知っていた。
ベヘモスの魔獣としての最大の能力は、簡単に言えば“強化”である。
およそ物理的に支えることが困難な巨体を強化魔法により支え、尚且つ見た目以上の素早い動きを可能としている。
その上装甲、骨格から各組織の一つにいたるまで恐るべき耐久性を誇り、主な攻撃手段である体当たりの威力は城壁すら砕く。
巨体に見合った“心臓”により生成される莫大な魔力は幻晶騎士数10体分にも上り、それに伴う無尽蔵とも言えるタフネスにより、鉄壁の防御を崩すことを更に困難とする。
兎に角呆れるばかりの耐久性とタフネスによる難攻不落の魔獣。
それが
一体何を考えているのか、ベヘモスはほんの少しの躊躇もなく砦に向かいそのまま直進してくる。
「敵影確認……ま、魔獣は
歩哨の悲鳴のような報告を騎操士達が理解する前に、ベヘモスが砦の外壁の門扉に突き刺さった。
自らが持つ莫大な質量に勢いを乗せ、恐るべき強度を誇る外殻によりその身を生きた破城槌と化す。
鋼鉄製の強固な門があっさりとひしゃげ、周囲の壁を抉りながら倒れていった。
ベヘモス――一瞬だけ聞こえた歩哨の報告と、目の前で打ち破られた門を見て、騎操士達の表情が驚愕と恐怖に染まった。
街道からもそれ、これまで大型の魔獣を見かけることも少なかったこんな辺鄙な砦によもや師団級の魔獣が現れるなど、誰が予想できただろう。
師団級と称される魔獣は、その名の通り倒すためには一個師団規模(約300機)の幻晶騎士が必要とされる。
この砦に配備されている幻晶騎士は一個中隊(9機)よりやや多い10機。
中型以下魔獣を駆逐するには十分だが、師団級を倒すには全く足りない。
それでも、騎操士達は覚悟を決める。
このベヘモスは如何なる理由かは知れないがまっすぐにフレメヴィーラ国内へ向けて進んでいる。
これ以上ベヘモスが進む前にこの事態を連絡しなくては、国内にどれほどの被害が出るか想像もつかない。
この砦の戦力では倒すことは叶わなくとも、たとえ僅かにでも時間を稼ぎ、またこの魔獣の弱点を探ることは出来るかもしれない。
ベヘモスは城門へ突撃したその勢いのままに周囲の城壁をも吹き飛ばし、内部へ侵入してきた。
待ち構えていた幻晶騎士が魔導兵装“カルバリン”を構え、その切っ先をベヘモスに向ける。
槍に似た武器へ
人間では不可能な規模の出力と構成――
轟!!
周囲を揺るがす爆音をあげて、直撃した炎の槍が盛大な火柱を上げ炸裂する。
残る機体も僅かに遅れて、全機で“カルバリン”を叩き込む。
幻晶騎士用の魔導兵装は、その威力と引き換えに燃費が悪い。
一旦機体の持つ
魔力転換炉が出力を上げ、周囲のエーテルを吸入すべく吸気機構の唸りが大きくなる。
砦の入り口は次々に叩き込まれた炎の槍により炎上していた。
轟と燃え盛る炎と煙によりベヘモスの姿を見失う。
僅か10機とはいえ全出力による法撃である。
いかな師団級といえ少しは傷を負わせただろう……騎操士達がそんなことを考えた瞬間だった。
炎を掻き分けて猛然とベヘモスが飛び出してきた。
期待に反し、その巨体には些かのダメージも見受けられない。
その巨体からは考えられないような勢いに、近くに居た幻晶騎士は避ける事ができなかった。
大質量による体当たりをまともにくらい、ひとたまりもなく一瞬で胴体が陥没し、手足がひしゃげる。
鎧の隙間からキラキラと光る結晶の破片を撒き散らしながら体当たりされた機体が吹っ飛んでゆく。
あの様子では内部に居る騎操士も無事ではすまないだろう。
それを見ていた他の幻晶騎士が慌てて散開し、距離をとる。
もはや地震と聞き紛うような地響きを立てながらベヘモスは猛然と進み続け、同じく避けきれずに最後の抵抗とばかりに数発の炎弾を浴びせる幻晶騎士を跳ね飛ばした。
魔法による攻撃では埒が明かないと判断した何機かがベヘモスに追いすがり、剣で斬りかかる。
しかし、ベヘモスを覆う甲殻は評判どおり恐ろしいまでの耐久性を示し、斬撃の一切を通さなかった。
全身を甲殻で覆われている上にその巨体からは想像もつかないほどの速度で動く。
僅か10機では時間稼ぎにすらならず、むしろ簡単に全滅の危機に瀕している。
残る騎操士達の背中を言い知れぬ悪寒が走った。
先ほどの覚悟も被害予想も、全く
生き残った騎操士達のうち、隊長格の人物は、即座に決断した。
「アーロ、ベンヤミン、クラエス! 生きてるか!」
「「「はい!」」」
ベヘモスは幻晶騎士を吹き飛ばした勢いのまま砦自体に体当たりをかけ、暴れている。
石造りの砦は見る間に砕け、あと幾らも持たない風だった。
「アーロはうちの生き残った奴をまとめて脱出、カリエール砦に駆け込め!
ベンヤミン、お前は進路予想上の至近の都市に連絡! ヤントゥネンへ行け!
クラエス! お前は王都に走れ!
絶対にこのことを伝えるんだ!」
隊長機は機体の頭部をぐるりと後ろに回した。
「残った奴は……すまねぇな、貧乏
名前を呼ばれた3名は隊の中でも比較的若い人間だった。
ここで脱出に選ばれた理由は明白だ。
しかし、ここで反論することも躊躇することも許されはしない。
重要なのは生きて、情報を伝えること。
一瞬でも早くこの危機を伝えること。
別れを惜しむ暇すら、そこには在りはしなかった。
一瞬機体の中で悲壮な表情を見せた彼らは、しかしすぐに決意と使命感に意気を上げる。
「行け!」
「「「応!」」」
「野郎ども! 狭い場所では吹っ飛ばされるのがオチだ!
砦は現時点を持って放棄、野外で遅滞戦闘を展開する!」
「応さ!」
「俺たちの国に入れさせやしませんぜ!」
「亀野郎に目に物見せてやりましょう!」
3機の幻晶騎士が駆け出したところで、残りの5機も砦から脱出する。
砦を崩し、再び歩みだしたベヘモスに対し、細かく攻撃を加え歩みを阻害する。
闇雲に遠くから法撃を加えるだけでは歩みを止めることすらできない。
必然的に近寄り、頭部や脚部を集中的に撃っては逃げ、の一撃離脱を繰り返すことになる。
その間、攻撃に怒ったベヘモスから逃げ回ることになるが、如何な幻晶騎士といえどその力には限りがある。
幻晶騎士のもつ動力炉、
周囲にエーテルが存在する限り魔力に変換し供給するが、一度に供給可能な量には限度がある。
こと戦闘という状況では消費魔力が供給魔力を上回り、機体の魔力貯蓄量はどんどんと減少してゆく。
それでなくとも幻晶騎士を動かしているのは人間――その全てが有限の存在なのだ。
魔力貯蓄量の減少し、動きが鈍った機体が体当りで吹き飛んでゆく。
疲労により集中力が落ち、離脱のタイミングを失敗した機体が尾の一撃を受け倒れる。
それでも彼らはたった5機の幻晶騎士で、師団級の魔獣を相手に貴重な数時間を稼ぎ出すことに成功する。
最期に残ったのは、やはり最も実践経験豊富な隊長機だった。
機体の細かな傷は数え切れず、尾が掠った右腕は半ばから折れ飛んでいた。
全身の結晶筋肉は疲労とダメージであちこちが砕け、魔力貯蓄量も残り少なく、最早逃げる事も容易ではなかった。
「ひよっこどもは逃げおおせたか……この亀野郎、この次に来るのは俺達みてーな半端ものじゃねぇぜ。
本物の騎士団様だ、覚悟しやがれ。」
逃げることもかなわぬならば、と隊長機はボロボロの機体を叱咤し突撃する。
残る魔力の全てをつぎ込み、それまででもっとも鋭い動きで隊長機がベヘモスに肉薄する。
未だ残った左腕と剣を固定し、機体の質量を全て乗せた一撃を顔面へ向けて放った。
魔獣にも、敬意という概念があるのかもしれない。
ベヘモスは自分を邪魔した最後の敵を見定めると、大きく口を開け、息を吸い込んだ。
一拍の間があり、魔術による猛烈な
ブレスを正面からくらった隊長機は吹き飛び、結晶の欠片と鎧の破片を盛大に撒き散らしながら森の中へ落ちていった。
ベヘモスは低く唸る。
遅滞戦闘を仕掛けるために彼らが浴びせた数々の攻撃。
そして、隊長機が最後に加えた一撃により顔面に僅かな
その傷は僅かに眼球をそれている。
邪魔者が居なくなったことを認識すると、魔獣は歩みを再開する。
地に響く足音をたてながら、無感情な瞳のまま。
魔獣の進路上には、フレメヴィーラ中央部最大の都市、ヤントゥネンがあった。
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