暗闇の中で

三城 谷

忌み子

 四角い部屋。いや、この場所をと呼ぶには無理があるだろう。それ程に狭く、寂れた場所だ。そして……静かな場所だ。

 聞こえるのは、自分の心臓の音、滴る水の音、何処から流れ込む風の音。ドク、ドク……と一定のリズムを保って脈を打っている。滴る水はピチャリ、ピチャリと周囲の至る場所で地面を叩いている。

 流れ込む風の音は聞こえる時と聞こえない時があり、耳に届くのは何処かの扉が開けられた時に聞こえてくる。


 ザッ、ザッ、ザッ……。


 あぁ、もう一つ聞こえる音があった。その隙間風のような音と共に聞こえてくるのは、大人1人分の歩幅で歩く足音。暗闇の中をそれは進み、やがて近寄っているのか蝋燭の灯りが壁の中で揺れる。


 『……食事の時間だ。食え』

 「……」


 薄っすらと闇の中を照らす灯りと一緒に来た大人は、そう言いながら目の前に何かを投げ入れたようだ。パサリと軽い音が聞こえたが、暗くて良く見えない。

 食事と言っていたが、今まで食べたのはロクな物ではなかった。きっと今回も、同じような物だろう。泥水が混ざったスープもあれば、腐りかけていたパンもあった。 

 どんな物であれ、空腹感が満たされれば何でも良い。最初よりは、そう思えてしまえるようになっていた。


 『けっ……さっさと死ねば良い。村長たちがお前を殺さねぇ理由が分からねぇな。テメェみてぇな得体の知れない奴なんかを生かしとくなんてさ。テメェもそう思わねぇか?』


 キィィ……。


 その言葉と同時に聞こえたのは、微かに錆びた金属が軋む音。その音が聞こえると同時に人影が近寄り、目の前まで来たようだ。両手に枷があって自由はなく、足首にも壁に繋がれてる鎖が伸びている。

 身動きが取れない以上、何をされるか分かったものじゃない。


 『なぁ?テメェもそう思うよなぁ?……化け物』

 「んぐっ……がっ!?」


 酷い事をする。精神的にも限界が近いというのに、同じ事をされるのか。感情は既に死に絶えているかもしれないが、痛覚が死んだ訳じゃないのだ。

 腹を殴られ、壁に叩き付けられ、踏み付けられる痛みが全身を襲う。こちらを人間として扱わず、己の欲を満たす為の道具だ。鬱憤を晴らす為に利用される事が、最近の使い道という事らしい。


 『へ、へへ……ここまで暴力を振るってもお咎め無しだ。テメェはここで、死ぬまで俺たちの奴隷だ。また甚振ってやるから、楽しみにしてな』


 やがて満足したのか、その大人は何処かへ帰って行った。


 「っ……げほげほ!ぐっ……」


 しばらく経ったのか、目が冷めたようだ。本当に酷い事をする、限界まで首を絞めていたのだろう。おかげで首元には、絞めつけていた指の痕が残っている。

 咳込んでいたが、落ち着いてきた。体を起こしてから全身が軋むようだが、フラフラしつつも食事を取り始める。この生活は、いつまで続くのだろうか。

 いや、先程の大人が言っていた。自分は死ぬまで奴隷であると、他の大人たちの道具であると。とても寂しい事だ、悲しい事だ。だが……どうしてだろうか?涙が出る事は無い。

 涙なんてものは、とうの昔に枯れ果ててしまったのだ。殴られても、蹴られても、爪を剥がされても、指を折られても、刺されても、


 「……あ」


 もう言葉を発する事さえ、忘れてしまいそうだ。もう何年も、他人と言葉を交わしていない。他人と言葉を交わす機会が少なくなれば、声を発する事を忘れてしまう。

 忌み子と呼ばれ、迫害され、軽蔑され、侮蔑され、甚振られ、あの村から除外されてしまった。先程の大人が暴力を振るっているが、死なないと分かるまでは違う場所で隔離されていたのだ。

 それまでにされていた事を許せるかと問われれば、勿論許せるはずがないだろう。しかし、それでも毎日のように傷付けられる事は耐えられる訳がなかった。やがて声を出して助けを呼んでも、止めるように訴えても聞き入れられる事はなかったのだ。

 無意味な行為でしかない事を悟るしかない。抗う事を止め、村の奴隷となるしかなかった。奴隷と言っても、特別に何かしている訳ではない。農業を手伝う訳でも、狩りを手伝う訳でもない。

 ただただ村に住む大人が、子供が、忌み子は危険な存在だと知らしめる為に利用されているだけだ。子供には小石を投げさせ、ある時には他人を傷付ける方法を、学ばせている。

 ちょうど良いのだろう。枷を外さなければ、逃げる術なんてものはないのだ。尚且つ、甚振ったとしても死ぬ事がない。刺されても死なない。そんな子供を恐怖し、蔑み、ただただだと忌み嫌われる。


 「……げほげほ」


 もう、抗うのも諦める程だ。十分な時間と年月を費やしても、誰もあの村を襲ったりする事もない。助けを呼んだ所で、忌み子と知られればまた同じような扱いを受ける未来しか浮かばない。

 かと言って、戦って逃げるという気力すら起きない。所詮は子供で、大人の体力には勝てない。


 ――全てを諦めたい。


 『う、うわぁぁぁぁぁっ!!!』

 『た、助けてくれ!!』

 「……?」


 そう思った瞬間だった。微かに聞こえた声は、何かに怯えたような声に聞こえた。しかし、この場所から動く事が出来ない以上、逃げる事すら出来ない。

 何が起きたのだろうかと気になる所だが、気にした所で何かがある訳でもない。もしこの場所を見つけたとしても、村人たちを襲っているに殺されるだけだ。


 『はぁ、はぁ、はぁ……へへ、これもテメェの責任だ』

 「……」


 そんな事を考えていたら、息も絶え絶えな状態の大人がやって来た。薄っすらと見える容姿と体格からして、甚振る事を楽しんでいた大人だろうか。印象を思い出していたら、何やら近寄ってカチャリカチャリと何かを外している。


 『喜べ。テメェは、村の為に……救世主として語られるようになるぜ』

 「……?」


 外されたのは足枷だったらしく、足首から重たかった物が一気に解放された感覚が伝わる。だがしかし、その感覚に浸る事を許さずに大人は体を持ち上げる。

 何をそんなに急いでいるのだろうか。何かに襲われているのなら、この大人もさっさと逃げれば良いだけだ。いったい、何を考えているのだろうか。


 「!?」


 久し振りに明るい場所に出た気がする。いつ以来かどうか、思い出す事はもう困難だ。それ程に久々で、雨模様となっている灰色の空の下でさえ……思わず嬉々としてしまう。


 『はぁ、はぁ、はぁ……人外よぉぉぉぉ!!!テメェ等の相手はこいつがしてやる!遠慮なく掛かってきやがれ!』

 「――!」


 やがて、止まったと同時に投げられた体は地面を転がった。どうして止まったのかと思いながら、大人が何に向かって声を荒げているのか視線を動かした。

 するとそこには、今まで見た事のない存在がいた。人間?狼?人間と同じ体格の者も居れば、少年少女の子供の体格の者も居る。違和感を覚えたのは、頭部は耳があり、下半身の後ろには尻尾があった。


 『ニンゲン、その子供を盾にするとは……それでも貴様はニンゲンか!』

 『ヒッ……く、くそ!大事な所で役に立てよ!?ガキ!!テメェは奴隷だ!!そして俺たちは主人だ!!なら、奴隷が守るのは何だ?主人の命だろう?――テメェが主人の為に……』

 

 目の前で盾にしていた大人の首が、言葉を遮られて落とされた。血飛沫が飛び散る中、人間とは言い難い存在は突き出していた手から力を抜く。


 『黙れ、外道が。貴様のようなニンゲンは、この世から滅ぶべきだ』

 「……」


 コロコロと転がって来た大人の首は、目の前までもう動く気配がない。完全に絶命していると理解し、それを見た途端に思わず口角が上がってしまった。

 心の底から、これ以上ない程に嬉しさが込み上げる。大人を憎んでいたけれど、別に復讐を望んでいた訳じゃない。この力なら、目の前に居るこの者たちならば……願いが、待ち望んでいた願いが叶うかもしれない。そう思ったからだ。


 『族長、この少年はどうしますか?』

 『酷いな。かなり消耗している。生きている方が不思議なくらいだ』

 『この村の他の住人はどうした』

 『全て殲滅しました。あとは、この子供だけでしょう』

 『ふむ……』


 何か話しているが、既に頭に浮かび上がっている言葉。その言葉を言うだけで、願いが叶うのだ。声を発する機会が無くなっていたとはいえ、ここでチャンスを逃せばもう二度と来ないかもしれない。


 「あ……あの」

 『ん、どうした?無事か?もう大丈夫だ、可愛そうに。今助けてやるぞ』

 「ぼ、僕を……こ、殺して下さい!!」

 『っ!?』

 『な、何を言っているんだお前は!族長がこの村に違和感を感じなければ、命を落としていたのかもしれなかったんだぞ?』

 『待て(この子供はもしや、村の者が言っていた忌み子か?)』

 「ぼ、僕の体は……死ねない、体なんです……だから、大人たちは、僕を奴隷にして……嫌って、だから――」

 

 願い続けた事だ。もっと願え、強く、強く、強く……伝わるまで。そう考える度に、意識が覚醒していくようだった。まるで、心の奥底にある炎が再び燃え上がったかのように。


 「――もう、死にたいんです。殺して欲しいです」

 『っ……!?(笑っている、だと)』

 『族長、どうするおつもりで?』

 『くっ……分かった。君の願いがそれだというのなら、私はそれを叶えよう』

 「……ありがとうございます」


 族長と呼ばれるその者は、優しく微笑みんで頭を撫でた。やがて一瞬にして首を落とす直前、その者は少年の耳元で囁くように呟いていた。


 『少年よ、良く耐えた。来世で会おう。……私が、私たちが君の家族になろう』


 その言葉を聞いたからか。目を閉じた少年の表情は、とても幸せと期待に満ちていた。


 『族長、今のは……良かったのですか?転生の魔術など』

 『子供は幸せを願うべきだ。私は、この子供に命を費やそう。反論のある者は前に出よ。この私自ら、相手になろう』

 『……族長、仰せのままに』

 『ならば行こう。我等が故郷へ、新たな家族を迎え入れる準備をしよう』


 ――約十数年後。


 『族長、ご準備は宜しいですか?』

 『ああ、構わんとも』

 

 崖の上から魔物の群れを見下ろすその者たちの奥から、躊躇なく駆け込む小さな子供。その子供は笑みを浮かべながら先頭の族長の背中へと抱き着く。


 「お父さん!!狩り?ボクも手伝って良い?」

 『クハハハ、良いぞ!お前の初陣にしようか、やれるか?』

 「うん!」

  

 その子供は満面の笑みを浮かべ、勢い良くその者たちと崖を駆け下りたのである。楽しそうに、無邪気に。心から熱を灯して。期待という炎を燃やし続けるのだった。

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暗闇の中で 三城 谷 @mikiya6418

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